国津罪は形而下の個人とか人間社会に自分中心の考えから迷惑を掛ける罪。国津神は天津神が言霊の原理によって行う政治の恩恵によって自分が生業を営んでいる一般国民のこと。国津神に属する人は、高山の末、短山の末と申しますと、‘ア’の境地、‘ア’は物事の実相がよく見えます。先入観をスーッと捨てて人を見る、又は景色を観ますと真の姿がよーく分かります。
‘ア’の世界からは宗教・芸術の社会活動が出て来ます。その‘ア’に視点を定めて、高山のいほり(五を基調とした百音図)、短山のいほりをかき分けて、高山の論理、短山の論理を書き分けます。二千年間の間謎でしたから、頭の良い人でも分かりにくいように、柿本人麻呂は美辞麗句を用いて苦心惨憺、祝詞を修辞いたしました。
嘘か本当かを選り分けて使った、出口直さんの神懸かりに、「知らさいではならず、知らしてはならず、神は辛いぞよ。」この二千年間知らしてはならないし、最後迄知らなかったら元の木阿弥、その時が来たら分かるように。神は苦心をするぞよ、という意味です。
高山のいほりの論理を国民に分かるように短山の国民側の論理に書き直して発表するという意味です。そうしますと、国民に分かるように朝廷の布告が、国民の実状に合うように、国民に理解されやすいように伝わりますので、国民は喜んで従って自分の営みを続けるだろうと。
斯く聞しめしてば、皇御孫(すめみま)命の朝廷(みかど)を始めて、天下(あめのした)四方の国には罪と云ふ罪は在らじと、
国津神は言霊の論理に則って次々に政治の指令を出して行く、国民の側では言霊の原理に則った論理を、概念的知識、分かり易い言葉で書き改めて公布するようなことになったならば。(斯く聞しめしてば)
今迄の新しい時代の政情が出来上がって、その活動を開始したことになれば、未だ起こっておりませんから。ただ少なくともおそらく長-い眼で見まして今世紀中にはこういう世の中が現れると思います。
それなら何もしなくていいや、っていうことになってしまいますから、これ以上申し上げないことにします。ただし、来なかったら勘弁、覚悟して下さい。でなければ、世紀末説のように人っ子一人いなくなるような地球上の世の中になってしまいます。そうならないように、一生懸命こう喋っております。
科戸(しなど)の風の、天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝(あした)のみ霧夕(ゆうべ)のみ霧を、朝風夕風の吹掃ふ事の如く、大津辺(つべ)に居る大船を、舳(へ)解き放ち、艫(とも)解き放ちて、大海原(おほわだのはら)に押し放つ事の如く、彼方(おちかた)の繁木が本を、焼鎌の敏鎌(とかま)もて、打拂ふ事の如く、遺(のこ)る罪はあらじと、祓ひ給ひ清め給ふ事を、
そういう時代が来たならば、一番大切なのは、今迄二三千年間、全世界の人の潜在意識の奥に言霊の原理は隠されて完全に分からなくなってしまった時に、誰がそれを支えていたのか。宮中に務めているわけでもなく、神官でもない私がどうしてこのように話すことが出来るのか。
今からちょうど、二千年前くらいに神倭王朝第十代崇神天皇(日本書紀「崇神天皇」章参照)が三種の神器の同床同殿廃止の制度を設けました。邇々芸命が日本に来ます時に天照大神が邇々芸命に自分の鏡を授けて「これを私と思って毎日々々スメラミコトの政治を行うについては、家の中の同じ場所に置いて政治をなさい」という命令を出した。
それが、ずーっと続いていた。鏡を置いていてもどうってことはない、この間ある宗教家に怒られましたが、伊勢神宮の本殿にある八咫鏡を蹴飛ばして、その後に自分が胡座をかく、その姿は神代文字の「いる」は‘イ’の格好、あなたが神です、そのつもりで座れますか?
座る事が出来ても皇祖皇宗は「よくやった」と誉めて下さることはあっても、「ひどいことをする」と恨むようなことはしない。「そんな失礼なことを言うとたちどころに命がなくなる。」
ですが、鏡は器物に過ぎない、器物とは人間が自覚するための物、その自覚がなくなってしまったので、それを「これが私だよ」ということを信じて二千年間拝んでいる、あの鏡をどれだけの人が拝んだか分からない。「何事のおわしますかは知らねども涙こぼるる」、伊勢神宮はシーンとしていて。神様は何もしてくれない、これは間違いなくしてくれません。
自分が尊いと思うから手を合わす。あの鏡に匹敵する原理は人間が生きている最高の生命の構造を表わしているという日本の祖先の教えを、その通りに自分の心に実現して、理解し自覚したら、完全に器物はいらないはず。
ユダヤ人の一番の魂の祖先と言われるモーゼに神足別豊鋤天皇が「汝モーゼ、」という素晴らしい言葉を授けました。もし、皆さんの前に神様が現れて「汝一人より他に神なしと知れ、今後の三千年間はこの地球上の人類の行き先はお前に任せるぞ」、そんなことを言われたら、あなたならどうしますか?「はい、かしこまりました」って言えますか?
鏡を隠して二千年間、皇室はどうしたか、後世に伝えようがない、そこで「古事記」を編纂し、「大祓祝詞」を毎年二回、六月と十二月の末に唱え、「大嘗祭」のお祭りをし、‘二拍手・四拍手・十六拍手・六十四拍手’とやって、天皇自身は何の意味なのかは分かっておりませんが、宮中のお役人が装束を着て厳かに伝統を護っている、でも、何をしているかの内容は知らない。
ヨハネの黙示録の最後に「日月の照らすを要せず、子羊の灯火なればなり」、太陽や月は要らないよ、何故ならば人間そのものが光だから、ここに何があろうが、私が何であるかを問いかけしない限り、答えてくれない。
問いかけない限り客体は答えてくれない。その問いかける能力、問いかけて返って来た答えに「これだ」と決める能力は人間に与えられる仏の性質です。そうでなければ、人間は「腹減った、何か食べよう」さえ言えない。
二千年間、皇室は言霊の原理を器物として遺し、しかめっ面らしい儀式の仕草として残し、今に至っている、ご苦労なことです。何も分からない。人間考えから室町時代のお公家さんの日記に「大嘗祭の意味がまったく分からなくなった」と書いてございます。分からないまま朝廷は遺しております。
隠したのは二千年前の崇神天皇ですが、その後、人間考えから脚色してしまいましたから、だんだん分からなくなってしまった。宮内庁からのご下賜を見ますと驚きです、言霊の原理そのままが形になっている。戦前から私が受け継いで研究して、これが真実だと思った原理と、二千年間宮中に伝わっている器物とが出合った。
崇神天皇以後の皇室は器物や謎々の仕草で以て、言霊の原理を護って来た、それが現在迄の天皇主な任務でした。いつまでもその仕草だけで終わる訳ではありません。何時かその仕草で表わされる奥の人間の純粋な生命の理が全世界の人に伝わって、それに基づいた人類の生活が行われない限りは、そうしないとこの世界は救われない。
詠み人知らずの昔の和歌にそういう仕草を歌った組仕立て一首がありますが、そういう猿芝居を揶揄しました。朝廷でもって恭しくやっているのは、二千年間も形だけを伝承して続けて来られたことは功績ではありますが、そんなことをしていて事が収まるものではない世の中ではなくなった、言葉として、文字として示す世が来ました。
空中を飛んでフワフワしている神なんぞ絶対いない。そのことだけはお心におとどめ置き下さいませ。そういう神を拝んでいる内は、永田町の先生諸氏が「私は時計であるということを信じて疑わないのであります」と嘘を言い、「これは時計です」と申しません。
アインシュタインが相対性理論を「私は信じて疑わないのであります」と言いますと科学者は全員逃げて行きます。月へ向かって行くロケットを科学者が「私は月に運ぶと信じて疑わないのであります」なんて言いましたら、宇宙飛行士は降りるでしょう。
信じる、信じない、の話ではなくて、科学は「こうなる、こうである」というもの、精神的にも「こうである、こうだ」という原理でなければ、科学と対応し車の両輪になって進むことが出来ません。信じてはいけない時代だから拝んだ、信じて経綸を進めたのですから、拝む必要はありません。
そうすることで、二千年間隠して来た意義があり、皇祖皇宗はお慶びになる。私の先生がよくおっしゃった「よく見れば弥陀が私に手を合わす、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と菩提寺のお坊さんの前で言ってしまったので「貴方は悪魔だ」と言われました。
阿弥陀様は前にいる人に「頼むよ」、「私はただ木で彫られた像でしかない、口が聞けないから貴方に手を合わします。貴方が極楽を創って下さい」ということです。
そういう世の中が来たら次のようなことが起こってきますよ、ということで素晴らしい文章が続きます。
皇御孫(すめみま)命の朝廷(みかど)を始めて、天下(あめのした)四方の国には罪と云ふ罪は在らじと、科戸(しなど)の風の、天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝(あした)のみ霧夕(ゆうべ)のみ霧を、朝風夕風の吹掃ふ事の如く、大津辺(つべ)に居る大船を、舳(へ)解き放ち、艫(とも)解き放ちて、大海原(おほわだのはら)に押し放つ事の如く、彼方(おちかた)の繁木が本を、焼鎌の敏鎌(とかま)もて、打拂ふ事の如く、遺(のこ)る罪はあらじと、祓ひ給ひ清め給ふ事を、
【科戸の風】…‘タトヨツテヤユエケメ’とイメージして、‘クムスルソセホヘ’で言葉を結び、口にすると‘フモハヌ’の言霊が言葉に乗っかっています。その内の言霊フ、「古事記と言霊」の子音創世のところをお読み下さいませ。
科戸の風は言霊フ、「志那都毘古の神」、先天から生まれた意志の全体(那)を言葉にした神、漢字ですと「普」がそれに当たります。「都」は言葉、日本から行った中国語です。頭に起こった先天構造から出て来てどういうイメージのことかが決定され、言葉に結びついて、発音されたもの。
【天の八重雲】…それは言霊の原理に則った言葉が、‘タカマハラナヤサ’である正系の言葉で朝廷からの政令を吹き放して国民に知らせる。誤解することなく国民は理解して、それを実行する。
【朝のみ霧夕のみ霧を】…言霊の自覚のない概念の言葉で組み立てられた社会は、発言した言葉がそのまま相手に伝わらない、そこに混乱が生じる。知らず知らずのうちに人間の頭脳内にわだかまってしまって、物事の社会の実相がハッキリ捉えられなくなる。今の世の中は百人に聞けば百通りの意見が横行しています。何が真実なのかサッパリわかりません。
【朝風夕風の吹掃ふ事の如く】…朝風夕風は陰陽になっておりまして、実相をつかめなくなってしまった物事をどうしたらいいのか、整理しなくてはなりません。朝風は人間が持っている意志の現れである父韻の塩みつる珠、濁点のつく陽音‘チキヒシ’、意志が発動する主体側のリズム(朝風)。陰音 ‘イミニリ’が塩ひる珠の客体側のリズム(夕風)です。
このような大祓祝詞の美辞麗句に修辞しました柿本人麻呂は言霊の原理をよく知っていた方。万葉集に残っている柿本人麻呂の歌を詠みますと随所に言霊の原理がちりばめられています。「大君(すめみま)は神にしませば天雲の雷の上に廬(いほり)せるかも」、‘雷’は言霊の原理、その上で‘イ掘り’して政治を行っていますよ、ということです。
【大津辺に居る大船を、舳解き放ち、艫解き放ちて、大海原に押し放つ事の如く】…「大津辺」と申しますのは港のことです。「大船」は人の心を乗せる船(言葉)、大乗(言霊の原理の朝廷)の言葉のこと。
今迄二千年、三千年間は十拳剣と言われる内宮の天照大神の船が人間界から隠れてしまって、船の先、船首を「舳」と申します、船尾を「舳」と申します。此れ等が繋がれてしまって人類を乗せていなかった。
乗せていたのは芸術宗教を司る月読命である「我とは何ぞや」の主体の自覚はあるが、客体が普遍の人間性が無自覚の九拳剣と、須佐之男命の八拳剣である主体と客体が無自覚、現象界だけの社会に人類は右往左往させられた「我良し」から発達した物質科学文明は人間が生きて行けなくなった社会になりました。
天照大神の主体と客体を一瞬の観念の中に自覚する方法確立した天津太祝詞という音図である大乗の大船の十拳剣が世界人類を乗せて乗り出します。
今日はおさらいをいたします。大祓祝詞は文章が何処で切れているのかサッパリ分からない文章です。昔の文章はみんな切れ目がございません。行と行の間に注釈を加えませんと現代人には何の事か分からなくなります。
人類の第一文明が今から八千年乃至一万年前から五千年間、平安な世の中が続きました。このことは各民族の神話で「神の世があった」と書いてありますのは、人間社会の平安な世が続いたということです。
その第一精神文明時代が終わり、今から三四千年前、人類は物質科学文明研究の時代に突入します。物質科学の研究を促進させるため、方便のために、第一精神文明の政の法則である言霊の原理を人類の表面意識から故意に隠してしまいました。
それ以来三千年今迄続いて来ました。隠そうとする寸前に天津日嗣天皇の朝廷において、制定されましたのが大祓祝詞でございます。ということは「物質科学文明がいよいよ始まるぞ」としたら、精神文明の原理が隠されますので、そこにいろいろ不都合な事が起こって参ります。
不都合とはこういう‘罪穢れ’のことを言い、第二物質科学文明が終わりに近づく時には、その等の‘罪穢れ’が充満してしまっていて、収拾がつかなくなる、その時にどうしたら良いかの初めの眼目が出て参ります。それが大祓祝詞の一番の重要なところでございます。そこの文章を読みます。
天津宮事以ちて、大中臣、天津金木を、本打切り、末打断ちて、千座(ちくら)の置座(おきくら)に置足らはして、天津菅麻(すがそ)を、本刈断ち、末刈切りて、八針に取辟(さ)きて、天津祝詞の太祝詞事を宣れ。
今の世の中は人間の罪がいろんな形で出て参ります。こんなことが続いたら人間の社会はどうなってしまうんだろうという時に、いよいよ大眼目の「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」という意味が明らかにされてきます。
天津金木の三千年間、人を押しのけても、自分が仕合せになる、儲けたい、何々したい、の中心原理を「天津金木」と申します。独走した須佐之男命の精神原理です。それを音図上で母音、半母音を取ってしまって、中に入っている八父韻の運び方を全部切り離して、「天津祝詞の太祝詞事をれ」、‘ア・カサタナハマヤラ・ワ’の論理を‘ア・タカマハラナヤサ・ワ’に宣り直せ。
言霊の禊祓は古事記の神話の一番重要な「禊」を実行せよ、ということから大祓祝詞の意味内容は古事記の言霊百神の神話にある一番重要な所の「禊祓」を知らなければ説けません。実際にはどういうことをするのかは古事記の「禊祓」の所をお読み下さいますとハッキリしてまいります。
斯く宣らば、天津神は、天の磐門(いはと)を押し披(ひら)きて、天の八重雲を、巖(いづ)の千別きに千別きて聞し召さむ。国津神は、高山の末、短(ひき)山の末に上りまして、高山のいほり、短山のいほりを撥(か)き分けて聞し召さむ。
天津祝詞の太祝詞事を活用いたしまして、人類の、世の中の大峠を、生きるか、死ぬかの時に「天津祝詞の太祝詞事を宣り越します」とが省かれております。「斯く宣らば」と次のことが起こりますよと続きます。
「天津神」は言霊の原理を自覚して政治を行う為に世の中に出て来た命が、五十の言葉の原理を閉ざした戸(天の磐門)を解放して、言霊の原理を応用してこの世の中をどうするかの政策(天の八重雲)を、言霊の原理から発想された政策を次々に発表して行く。(巖の千別きに千別きて聞し召さむ)
その政策の恩恵を受ける一般国民(国津神)に、言霊の原理を自覚した精神界である五十音(高山)、下に反転した言霊の原理が無自覚な現世の五十音(短山)。高山の言霊の原理から発想された政策を、言霊の原理を知らない短山の一般社会で通用する一般の法律に書き直して発表して行くことにより、生活を楽しむことになるでしょう。
斯く聞しめしてば、皇御孫(すめみま)命の朝廷(みかど)を始めて、天下(あめのした)四方の国には罪と云ふ罪は在らじと、
こういう政治が行われだしますと、日本を始めとして世界の国々の罪穢れが創造の光の中に消されて行って、なくなってしまう。そうしますとどうなっていくか、次の文章に入ります。
科戸(しなど)の風の、天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝(あした)のみ霧夕(ゆうべ)のみ霧を、朝風夕風の吹掃ふ事の如く、大津辺(つべ)に居る大船を、舳(へ)解き放ち、艫(とも)解き放ちて、大海原(おほわだのはら)に押し放つ事の如く、彼方(おちかた)の繁木が本を、焼鎌の敏鎌(とかま)もて、打拂ふ事の如く、遺(のこ)る罪はあらじと、祓ひ給ひ清め給ふ事を、
「科戸(しなど)の風」と申しますのは古事記の子音創世にあります、人間の発する言葉は、空中に飛ぶ言霊‘フモハヌ’の中の‘フ’(シナドノカミ)、言霊の先天構造を自覚した人が、先天構造から発想してくる色々な政治の施策を世の中に向かって発表する。(天の八重雲を吹き放つ事の如く)
大祓祝詞・塩満つる珠と塩干つる珠
「朝(あした)のみ霧夕(ゆうべ)のみ霧」、世の中が暗雲立ちこめて、どうしたら良いか一つも分からなくなった世の中を、八父韻の塩満つる珠‘チキヒシ’(朝風)と塩干つる珠‘イミニリ’(夕風)を有用に操作して、世の中に立ちこめた暗雲を吹き払ってしまうように。
人間の理想の精神原理を乗せている大船に、三千年間港に出て行く事がなかった「天津太祝詞」を乗せるようにして、第三文明の創造の航海へ出て行くように(大津辺(つべ)に居る大船を、舳(へ)解き放ち、艫(とも)解き放ちて、大海原(おほわだのはら)に押し放つ事の如く)。
現代は誰もが経験知を応用して「こうすれば、ああすれば」と喧々諤々、何が何やらサッパリ分からなくなった、情報があまりにも多い、それをどう使うかは五里霧中、右往左往している経験理論を研ぎすました鎌でもって煩雑さを整理し、スッキリした姿にするように、煮詰めて行く(釜)ように(彼方(おちかた)の繁木が本を、焼鎌の敏鎌(とかま)もて、打拂ふ事の如く)世の中が変わって来ますと(遺(のこ)る罪はあらじと、祓ひ給ひ清め給ふ事を)。
次から今日の話に入ります。
祓ひ給ひ清め給ふ事を、高山の末、短山の末より、さくな垂(だ)りに落ち、沸つ速川の瀬に坐(ま)す、瀬織津(せおりつ)姫と云ふ神、大海原に持ち出でなむ。斯く持ち出で往(い)なば、荒塩の塩の八百道(やほぢ)の八塩道の、塩の八百会(あひ)に坐す、速開津(はやあきつ)姫と云う神、持ちかか呑みてむ。斯くかか呑みてば、気吹戸(いぶきど)に坐す気吹戸主と云ふ神、根国底国(ねのくにそこのくに)に気吹き放ちてむ。斯く気吹き放ちてば、根国底国(ねのくにそこのくに)に坐す速佐須良(はやさすら)姫と云ふ神、持ちさすらひ失(うしな)ひてむ。
斯く失ひてば、天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕へ奉る、官々(つかさつかさ)の人達を始めて、天の下四方には、今日より始めて、罪と云ふ罪はあらじと、高天原に耳振立てて聞く者と、馬牽き立てて、今年の六月(みなつき)の晦日(つもごり)の夕日の降(くだち)の大祓に、祓ひ給ひ清め給ふ事を、諸(もろもろ)聞し召せと宣る。四国(よくに)の卜部等、大川道に持ち退(まか)りて祓ひ却(や)れと宣る。
以上で大祓祝詞は終わります。柿本人麻呂が大祓祝詞の意味がよく分かっていた時代にすっかり美文調に修辞しましたので、現代では言霊の原理が出て来る迄、神道においても大祓祝詞の意味がサッパリ分からなかった。
言霊の原理が世の中に復活してまいりましたので、大祓祝詞の意味がハッキリ分かるようになりました。今読みましたところは終章です。大眼目は出ましたから、そういう世の中になって第三文明の政治が始まって、その政治はどういう様子で行われるようになるかの政治の状態が述べられています。読んだだけでは何の事か分からないでしょうから、これから説明いたします。
祓ひ給ひ清め給ふ事を、高山の末、短山の末より、さくな垂(だ)りに落ち、
高山の末、短山の末とは両方とも‘ア’のことを言います。古神道が隠されまして今の神社神道を興して、神主さんが神様の方を向いて祝詞を挙げますが、それは仏教ではお坊さんが仏像に向かってお経を唱える事の真似事です。
大祓祝詞が行われていた宮中では一番奥にスメラミコト、その次に大中臣の総理大臣が「これが天皇のご命令ですよ」と前に並んでいる一般の人達、各親王、大臣、各お役人方達に向かって大祓祝詞を唱えました。(祓ひ給ひ清め給ふ事)
神様に申し上げる文章ではないのです。天皇がこういうことをおっしゃっていますよ、と冒頭の文章にございます、「集(うご)侍(な)はれる、……」祓ひ清め給ふ事を神様に唱えているのが今のお祓いです。
ア段(高山の末、短山の末)の天津日嗣天皇は現世でも‘ア’に、言霊でも‘ア’におられます。天津日嗣天皇からいろんな司令が「さくな垂(だ)りに落ち」出て来ますよ、とは真っ逆さまに落ちると辞書にあります。物事を現象だけ捉えるとそういうことになります。
言霊の学問で「真っ逆さまに落ちる」とはどういうことか、「さく」は花が咲くの「咲く」、「な」は、仏教の説で難しく言いますと「名と名となすは常にあらざる名」、子音創世(タトヨツテヤユヨケメ・クムスルソセホヘ・フモハヌ・ラサロレノネ・カマ・ナ・コ)の時の「ナ」は物事の内容という意味です。
私は「島田正路と申します」、それは島田正路という内容の者ですということになります。「あいつ」を一言で言えと、一番的確なのは「あいつ」の名前を言えばよろしいです。頭がはげ上がっていて、何時死んでもおかしくない奴と言っても、そんなに間違いはありません。
が、そういう人は他にたくさんいます。的確にその人の内容を言うには名前です。これは何だと言えば色んな風に言えますが「ナ」は、その物、その事、その人の内容を表わします。
「沸つ速川の瀬に坐(ま)す」、瀬に天津菅麻音図の伊耶那岐の神がいます、「さくな垂(だ)りに落ち」と申しますのは内容が、花が咲くが如くに言葉で表現されて、下に落ちて来る。天皇の祓ひ清め給ふ詔が天皇の意図を十分に言葉で以て表現して下に伝わって来る。
天皇の命令は第三文明の時代に於いては、瞬きするのも惜しいくらいに矢継ぎ早に下りて来る。世の中がものすごい勢いで変動しております。その変動に即して事が起こる前に法律を出さねばなりません。事が起こってから法律を制定するのが今の時代、そういうのを昔の中国の言葉で「無作の無作」、何にもやらない、実際にも何にもやらない。
「作の無作」、上に立つ人は神経を使って物事や災いが起ころうとする前に察知して、それを避けるように次々に法令を出して行く、だから一般国民には何も起こらないように思う、だから平穏です。
記紀には神武天皇以来第九代までの天皇の履歴には、天皇が何年に生まれて、何人の子供が生まれ、何年に死んだという記述しかありません。ですから今の歴史学者達は崇神天皇前の天皇は架空であると、崇神天皇が近代国家を打立てた、その前の天皇はもったいをつけるために架空の天皇の名を挙げているだけだというのが通説です。
そうではございません、何も書く事が無かった、だいたい私みたいな庶民が政治・経済を論うのは、政治も経済も無茶苦茶だからです。心配だから口を出す、何も起こらなければ、話題にすらならなければ、世の中は平和です。
何も起こらないから政治なんかに大衆は関心がない、そういう世の中では、政治を行っている人たちは猛烈に働いている。起こる前に決めているのです、そのように天皇の命令が次から次に下りて来まして、ものすごく忙しい。(沸つ速川の瀬に坐す、さくな垂(だ)りに落ち)
天皇の音図は天津菅麻音図、その瀬にいる神様は伊耶那岐の神、又は大祓祝詞の初めに出て来る伴男で言いますと、比礼挂くる伴男(ヒレカクルトモノヲ)、手襁挂くる伴男(タスキカクルトモノヲ)、靱負ふ伴男(ユキオフトモノヲ)、剱佩く伴男(タチハクトモノヲ)等と同じ意味です。
瀬織津(せおりつ)姫と云ふ神、大海原に持ち出でなむ。斯く持ち出で往(い)なば、荒塩の塩の八百道(やほぢ)の八塩道の、塩の八百会(あひ)に坐す、速開津(はやあきつ)姫と云う神、持ちかか呑みてむ。斯くかか呑みてば、気吹戸(いぶきど)に坐す気吹戸主と云ふ神、根国底国(ねのくにそこのくに)に気吹き放ちてむ。斯く気吹き放ちてば、根国底国(ねのくにそこのくに)に坐す速佐須良(はやさすら)姫と云ふ神、持ちさすらひ失(うしな)ひてむ。
今度の場合は瀬織津姫(セオリツヒメ)の神、速開津姫(ハヤアキツヒメ)の神、気吹戸主(イブキドヌシ)の神、速佐須良姫(ハヤサスラヒメ)の神、以上の神々は罪穢れを祓う神々なので「祓いべの神」と申します。四人の伴男の役職の内容と祓いべの神は略同じです。名前を変えただけと言っても良いくらい。
色んな司令が次から次に下りて来た所に待ち構えている神様は「瀬織津姫」、‘瀬’と申しますのは五十音図の母音から半母音に流れる生命の流れ。その流れ(瀬)の経過を時間と空間に織りなし文様を作っていきます。布を織って行く、織りなしたものが五十音図ということになります。
天皇から下りて来た司令をただ下に流すだけではございません。人間の精神構造に則って沙庭されます。まだ個人の意見でありますから、それがどんなに素晴らしくとも、けっして謀らずして、すぐに実行に移す事はなく、必ず天津太祝詞音図に則って一般の世界万人に通用するよう検討されます。
これは間違いなく伝達できる命令であるということを確かめませんと発令しません。「善し」としたら法律として発令することになります。検討された結果、了承いたしますと一般社会、世界へ公布いたします。(大海原に持ち出でなむ)川から海に向かって水が流れて行って、海に向かってながそう、一般の社会に発表しようということになります。
川から海に向かって水が流れて行って、海に向かってながそう。(速開津姫)塩が四つでてまいります。(荒塩、塩、八塩道、塩)「塩」を強調する為に「大海原に持ち出でなむ」と表現したわけです。
この世の中は「荒塩」の言霊ウの‘アラ’(ア・カサタナハマヤラ)の音図(天津金木)である生き馬の目を抜くような凄いことが行われる。ミーハーの世界、これを「荒野(アラノ)」と申します。
荒々しい塩の波(荒塩)が沸き立っている間にいる、色んなこと(八百)が起ころうとするその瞬時の今ここにいる神様を「速開津姫」と申します、言霊エに当たります。速やかに物事を明らかにして目的に渡す能力を秘めている。
天皇の命令が言霊五十音図に照らし合わせて、これで「善し」として、世の中に発表しようとする直前に、精査する神様。この命令は人類創造の命令ですから、常に変革し作り直されますので、まず時機を設定するのが重要になります、時機を逸しますと何の効力も現れません。
又は、刹那々々の世の中の状況を理解しなくては実効されません。休み無く変動している流れの時機と内容をしっかり補足、把握した上で、法律と内容をどのように発令したら良いかを判断する役割の「速開津姫」である実践智、言霊エです。
「かか呑みてむ」は「呑み込む」、どういうような時機を捉え、どういようような言葉で発表すれば良いかは、事が起こる前に決めることですから、自らの心の中で「善いか、悪いか」の証明、自分が決定したことは自分が証明し、「なるほど」と納得がいく、ここがチャンスだ、それを「持ちかか呑みてむ」と表現しました。
一瞬の決定ですから後で証明する、実践智は証明しなければなりません。大きな証明は生きている人間が「こうだ」と100%納得することです。納得して世の中に発令しようする段階、そこに待っているのは「気吹戸主と云ふ神、根国底国に気吹き放ちてむ。」
一瞬々々の機を捉えて発令をしようとする時、これはあくまで天皇から速開津姫へは言霊の論理に則って出来た法律ですから、言霊の原理を理解しない一般の社会に発表しても何の事か分かりません。
自分の息吹、天皇の思っていらっしゃる志を社会に向かって吹く役目の人(気吹戸主神)、は、言霊の原理に則って出来た法律を一般国民に理解し易い法律、法令に書き直し発表します。(根国底国に気吹き放ちてむ)
「気吹戸主神」は先に出て来ました「靱負ふ伴男」に匹敵します。‘靱’と申しますのは侍が背負い、その中に矢を入れる筒のような容れ物、今でも鎌倉辺りで流鏑馬が行われています。言葉が矢を放たれるが如くに一般社会に発令されます。矢が飛ぶように一般国民へ法律が放たれる。
ア段の天皇(瀬織津姫)からエ段の(速開津姫)、オ段の(気吹戸主神)、ウ段の(速佐須良姫)へ法律が通達され、「速佐須良姫」はいつも、いつもさすらっている、何時の世も民衆は、熱し易く冷め易い、どんなに善い法律であっても‘根国底国’では、法律のことはあまり考えません。
法律を出す方は寝食も忘れて考えて出しますが、恩恵を受ける方は考えていない、もっとも心もとない、ですが心もとないから良いのです。
忘れる頃になると次の法律がちゃんと下りて来て、「次のお達しはもっといいや」ということになって、人の心が飽きない。いつも何かが起こらないうちに発令しますから、今のように起こっても変えないのではなく、「荒塩の塩の八百道の八塩道の、塩の八百会」に居て、目を光らしている。どのように世の中が変わったのか、変わってしまってから変わったと言ったら絶対に遅い。
変わろうとする雰囲気を捉えて、「もうそろそろ変わるな」の契機に次から次に法律を出す。発令する側は一生懸命しておりますが、恩恵を授かる側は「何もやってくれていない」と思わせる。(為の無為)そのような政治は立派です。
この間、武道館にフラッと立ち寄って、柔道の資料が置いてある誰もおらずガランとしていた展示室に巻物がありました。「柔」、または「柔術」と申しました「柔道」、明治時代に嘉納治五郎という方が講道館を建てて、日本中の柔を一つに纏めて、精神を加味した「柔道」を興しました。
起倒流秘伝の巻物に「気動きて動かず、、これ起倒の極意なり。」相手が近づいて来ても動かない、相手が仕掛ける前に動く、この一寸の気を捉えるのが起倒流の極意、その気を完全に掴んだのが合気道の植芝さん、私の言霊の学問の先生である小笠原さんと懇意でしたので、植芝さんとの話をよくしてくれました。
「私は非常に頭が悪いので理論は苦手だ、だから私は体で道を求めて行く」と言って合気道を創始しました。合気道の極意は手が動くか動かない内に100㌔もあるような巨体が吹っ飛ぶ。
吹っ飛ばされた方はどうして自分がこんなに吹っ飛ばされたのかが分からない。見ている人も動いていない相手なのに何故吹き飛ばされるのか、それも分からない。
何故それが出来るか、「気動かざるに動く」、フッと押されて、それから引くのでは遅い、押そうとした気が起こりかけた時に、ちょっと引く。相手の押そうとした時の気が一番勢い付いたその時に気力を抜きますと、その勢いのまま相手は吹っ飛ばされる。
柔道の三船九蔵という小柄な方の試合を見たことがありまして、倒れないぞという組み方は一番倒れ易い。柔道の極意は「投げて下さいよ」と力を抜く。倒れまいとするから力が入る、「押してだめなら引いてみろ。」
両方が固らずにスッと立って、気が動く寸前に仕掛けますと100㌔の巨体が宙を舞う。よほどの力がないと投げられないはずなのに、これっぱっかしか動かない。木と木の一間にピアノ線を結んで、初めのうちは手ぬぐいを使って、気合いを入れますと、ピアノ線が切れる、そのうち手ぬぐいなしの素手でも切れる、瞬発的な力であっても脅威です。
そのように政治のことでも「無為の作」、「作の無為」、「無の作」、何にもやらないように見えて、やっている、これが政治の一番の極意。「根国底国」の一般大衆にも分かるような言葉で発令します。一般大衆はその恩恵(剱佩く伴男)のもとに平安な世の中に勤しむことになります。「剱」と申しますのは、精神的に申しますと人間天与の判断力(太刀)のことを言います。
禅坊主の言葉によりますと、宇宙の天辺から頭へ足の裏に向かって、一本の剣がズバーっと通っている。それは生来授かっている天与の判断力、それを「剣」、「杖」、「柱杖」といい、座禅の時に背中を打つ棒の「警策」と言います。
オギャアと生まれた時から授かっている判断力、それは知識ではありません、今は判断力と申しますと、その知識を集めて判断するのを判断力と思っていらっしゃる、でも、これ位当てにならないものはございません。学校では幼稚園から大学に至る迄判断力の材料としてこれでもか、これでもか、と詰め込まれます。
それでも未だ間に合わないと言って、社会人教育、近代科学教育においては、一つの素晴らしい成果ではありますが、判断力の主体にはなり得ません。これは判断するための道具(言霊オ)、判断する主体は実践智(言霊エ)、知識は経験知です。
一つのテーマを学者の方々が論文を書きますと、一つとして同じものは出て来ません。何故ならその人の生い立ちから今迄の知識を以て判断するからです。万人が万人、納得が行きますのは人間天与の叡智の判断です。
それは人間に限らず、本能として鳥でも獣でも授かっています。教えられるわけでもなく種を保存している。人間は知識をたくさん教育されて、大学を出る迄どれくらいのお金を費やすか、それでいて人類の行く末を図る事が出来ない、知識は過去を知る事は出来ても、将来の事は分からない。
知識と申しますのは過ぎ去った事柄を体系化する、将来のことを教えてくれるのは物質科学だけ。精神科学においては将来のことはまったく分かりません。経済学者は絶対株を買いません、当たるのであれば皆買います。
その‘剣’で以て一般国民に接する「剱佩く伴男」のお役目は、一般大衆に直接働きかけて、個々の状況に合わせて法律を適用します。役所の窓口の係。
第三文明になりまして、どんな良い法律であっても抜け道を探す人も出て参ります、その時に余程の場合は罰則(剱佩く)を適用します。ただし、これは最後の手段でして、大概は相談によって納得するよう解決いたします。
熱し易く、冷め易い、心がさすらっている一般大衆のことを「速佐須良姫」と言います。何が真実であるか分からずさすらっている、小笠原先生は速佐須良姫のことを「神を知らず、仏に合わず、皇祖皇宗のご経綸を知らず、自分自身が右往左往して輪廻に追い回されている、その因縁から離脱する方法を知らず、自分が輪廻に堕ちている事さえ自覚せずに暮らしている」と表現しました。
よく考えれば俺のことだった(笑)、そういう人たちには或る時には言葉ではなくて、剣が必要になる、つまり罰則を適用する、新しい時代が来ても、ほんの少しでも有りうるであろうと。それぞれのお役目を果たす政治ですと、上の人が何をしているのか意識しない。自分が自分の好きな生活をしている。それでいて自由な生活が法律的に護られている鼓腹撃壌を謳っている世の中。
「速佐須良姫」は何時の時代でもいらっしゃいます、それでは速佐須良姫が無知文盲な教育がないのかとお思いになるかもしれませんが、とんでもない、金持ちと学者が天国に入るのは駱駝が針の穴を通るよりも難しいと言います。
知識は経験知ですから、全部借り物です。人の考えた本で読んだり人の話を聞いたりして、心の衣として身に着けたものです。唯だからいいだろうって、これくらい高く付く物はない。
知識を考えついた人は命を懸けている、命懸けということは‘我良し’の世の中において、他人よりも立派な理論、他人が考えついたものよりも上に行こうとして、「何々したい」の執念の塊のようになって、怨念が込められている。
禅坊主が座禅をしているのは何のためか、心の中に住んでいる心の衣である知識は、放っておくと自分が判断するのではなくて、知識が自分を動かしてしまう。本末転倒だからこれから逃れたい、自由になりたい、知識が出て来たら、それは「俺じゃない」、「俺の心の母屋に住み着くのは止めてくれ、せめて軒先まで下がってくれ」と無字の行をしている。
それほどのことをしても、なかなか出て行かないのか、知識の執念、その執念と闘って、その執念以上の執念を燃やす、そうしますと頭の中から出て行きます。50年も闘って「もうたくさんだ」、カント、ヘーゲルを読んだ時は感激した、戦争中で、教科書も何も無い。図書館へ行ってはしこたま頭の中に入れておりましたから。
それを祓うとなると大変です。祓ったらなくなるのか、そうじゃない。いっぺん覚えたことを人間は絶対忘れる事はない。ただ違うところは、判断する時に「お前の番だから出てこいよ」と自分が命令するまで出て来ないようになれば、座禅は成功です。
自分は自由です、自由な自分が言霊エ、知識を自由に使える。そうなりますと禅坊主は高僧になります。ですが使いこなせるようになるまでは、よほどの気力を以て「お前は俺ではない、カントさん、ちょっと脇に寄ってくれないか」と繰り返すしかない。
出て来る毎に諭しても、いっぱい詰め込んでおりますから、言霊の学問さえ入る余地がない。そういう頭でっかちの世の中の時に大祓祝詞の方法で以て政治が行われますと、自分の魂を占領し、好き勝手に操っていた経験知識が呼ばないと出て来ないようになります。
そうすることで世の中が合理的になる、それが第三文明の時代、見て来たように言いますが、それは本当です。何故なら1+1=2を信じておりません。それは数学の計算、言霊の学問で将来を計算してみてください。
こういう世の中になりますよ、ということがハッキリ分かってまいります。知識は起こった事と起こった事の関連を調べる、それは過去の事です。
今迄はこうでしたと天気予報で言います。統計をとればそうですが、明日の事は誰にも分からない。八ヶ岳の山小屋の主人がよく言っておりましたが、「天気予報を信じていたら俺たちは命が幾つあっても足らない」、どうしてか、八ヶ岳の頂上の雲の流れを見ればどうなるかが分かる。
何故なら過去のデータで予測するからです、今ここの状況ではないです。あの人はラーメン食べると機嫌いい、それならラーメン食べているときはいつも機嫌がいいのか、旨いラーメン食べていたらそうでしょうけど、統計とはそういうことです。
新しい時代にはそういう政治が行われます。一般国民は政治の恩恵の下に平安に暮らしますが、マンネリ化しますと法律の有り難さを忘れてしまいます。忘れてしまって良いのであって、その時にはまた新しい法律が下りて来て、心機一転、生活を楽しみます。
斯く失ひてば、天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕へ奉る、官々(つかさつかさ)の人達を始めて、天の下四方には、今日より始めて、罪と云ふ罪はあらじと、高天原に耳振立てて聞く者と、馬牽き立てて、今年の六月(みなつき)の晦日(つもごり)の夕日の降(くだち)の大祓に、祓ひ給ひ清め給ふ事を、諸(もろもろ)聞し召せと宣る。四国(よくに)の卜部等、大川道に持ち退(まか)りて祓ひ却(や)れと宣る。
これが終章でございます。このような政治が行われる世の中になりますと、罪という罪は発生する前に消えてしまいますから(斯く失ひてば)、天皇に使える各お役人の方々を初めとして、世界の国々には、罪という罪が一切消えていっなくなりますと。(天皇が朝廷に仕へ奉る、官々の人達を始めて、天の下四方には、今日より始めて、罪と云ふ罪はあらじと)
一般朝廷の高天原といわれる理想世界になりますので、高天原の最高の原理として掲げております天津太祝詞音図(高天原に耳振立てて聞く者)と、大祓祝詞を唱える時に「一行ずつ唱えまして集まった人たちに聞かせました」と竹内古文献に書かれていると私の先生からお聞きしています。
私は残念ながら竹内古文献からそれを見つけることは出来ませんでした。何故なら、竹内古文献は色んな方々が書き写しておりますので、興味の無い部分を抜かしているところが多々ございます。
駒でありますと一つ一つの言霊を‘タカマハラナヤサ’の縦の行、‘タチテトツ・ン’、‘ン’(記録)と唱えのは文字を意味します。又、記録せよという意味も含まれます。‘カキケコク・ン’、‘マミメモヌ・ン’、というように聞かせた。(馬牽き立てて)
五十音図のことを馬(こま)と言ったのは、斑駒が訛りまして、「曼荼羅」、仏教の極楽浄土図です、仏様が極楽、今生を作っている、日蓮宗では仏様を図に表わしませんで「南無妙法蓮華経」と唱えます。
六月と十二月の晦の夕日(降)の時に、祓ひ給ひ清め給ふ事を、今ここにいらっしゃる方々は ‘タチテトツ・ン’、‘カキケコク・ン’、‘マミメモヌ・ン’、・・・お聞き下さい。(祓ひ給ひ清め給ふ事を、諸聞し召せと宣る)都から見て地方の国々の大祓を司る人たちは夫々の国に持ち帰って間違いのないようお務めなさい。(四国の卜部等、大川道に持ち退りて祓ひ却れと宣る)