上津綿津見の神。「身禊」26。
水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神。
中つ瀬の水の上は言霊オ段です。この母音宇宙から現出する人間性能は経験知です。この性能が社会的活動となると学問と呼ばれる領域が開けて来ます。この性能に於て禊祓をしますと、上津綿津見の神が生まれました。言霊オから言霊ヲまでの働きによって外国で生れて来る各種の学問や思想等が人類の知的財産として摂取され、人類全体の知的財産の向上のためにその所を得しめることが可能であると確認されたのであります。
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古池や 蛙飛び込む 水の音
さあ何が出るかやってみよう。
苔むした庭に居て、その静寂を破る音がしてハッとした。そこから多くの夢想で賑わっています。
この句ができた時、芭蕉は庭に居たわけでもなく、池の傍の静寂な環境にいたわけでもありません。
もしそうであっても古池があってや蛙が居たとはかぎりません。見てもいないし聞いてもいないかもしれません。
わいわいがやがやしている中で創られているかもしれない。
要するに解釈の出発点は別のところにあるようです。もともと十七文字しかないのですから何かを説明しようとするものではない。
伊耶那岐の大神 、水の音があった。チャポーンと聞いたのかそうだったのか、チャポーンは聞いていないが見たのかそうでないのか、芭蕉には全てがはっきりしません。ただ水の音があった記憶が強くありました。水の音がまとわりついて離れず見ようとすれば音が見られるようにさえ思えています。
・衝き立つ船戸の神 -そこでこの音を判断しようというわけです。御杖となる自分を導いていくものは水の音です。現象として意識を叩いたものですが正体は不明です。句会で去来の句を引き取ったものから作ったという記事もありました。ここでは意識を叩いたものがあるとだけにしておきます。
・道の長乳歯の神 -意識に与えられた現象は強くそのまま強度の関心事となって芭蕉にまといつきます。そこで反省する意識がでてきて、それは何であるかを捜しにきます。また音との関連が調べられます。何の音か。あれは水の音というが水に音などありません。音を出す力がある筈です。音が聞こえてきた経過があります。その環境もあるでしょう。音が自分にまで到達する関連性が反省されます。
・時量師の神 -音とそれを聞いた芭蕉はどのような関連を考えたでしょうか。
チ・聞いた音、それは実音であったか虚音であったか、意識を打ち、撃たれた意識を保持します。それは今までに聞いた事もない音でした。心に雷鳴のように響き心を鼓舞していました。この驚異的な落雷に撃たれたような感激に浸る事ができました。それはあたかもベートーベンの運命交響曲が鳴り響く直前の静寂のようです。
キ・その時そこに一つのテーマがでできました。静寂は雷鳴であるという命題です。
リ・芭蕉は自分の心に雷鳴の静寂を捜します。経験知識をあつめ言葉を見つけようとしました。片っ端から他人のものであれ弟子のものであれ、静寂が落雷となる言葉を自分の心の中で繰り広げ実験を繰り返しました。
ヒ・去来作の『山吹や』も取り入れてみましたが、雷鳴は鳴りません。
・煩累の大人の神 -叩かれた意識の感じを基として多くの言葉が検討されます。『古池や』が検討されます。これも誰かが使用した言葉であっかも知れません。きっとそうでしょう。既知の日本語しか使用出来ないのですから。曖昧さが消えます。
ヒ・古池や、を取り入れる事が決まりました。
シ・この表現が固定されると、こんどはそれに合うように細部と全体が整えられていきます。
・道俣の神 -飛んだるがいいか飛び込むがいいか、一字一字の言葉の分岐点が検討されます。
ニ・ここから一句作りの決定版への名目がたち、静寂と雷鳴の調和を目指して行ける事ができると思えるようになります。
・飽昨の大人の神-そこで当所の感慨に照らして、それを表現していることが分かる言葉が見つけられていきます。
イ・ここに表現が出来上がります。『古池や 蛙飛び込む 水の音』
ミ・出来た句は表現であって、芭蕉の得たポチャーンの実相は表現出来てはいても、誰にでも現象として手で掴んで見せるわけにはいきません。その掴みどころは読者に任されていくしかありません。
そこでわたしのボロの出そうな解です。
蛙が飛び込もうがそこに留まっていようが構わない。葉が散って水の輪っかが拡がって行くのを見ただけかも知れないのです。葉が落ちただけでも音はするのです。芭蕉は静寂を感じたわけでもないし、わびさびを古池で得たわけでもない。句は部屋の中で出来た可能性の方が高い。
でも音は聞こえた。何故なら芭蕉が蛙を押し出し、葉を散らしたのだから。でも表現上は蛙のせいにしてある。蛙が音を押し出しました。だから水の音が聞こえたのです。そういうことにした。古池や散るや落ち葉の水の音。この場合はバシャッという音がしました。