訓読:このときイザナギのミコトいたくヨロコバシテのりたまわく、アレはウミウミテうみのはてに、ミバシラのうずのミコえたりとのりたまいて、ヤガテそのミクビのタマノオもゆらにトリゆらかして、あまてらすおおみかみにタマイテのりたまわく、ながミコトはタカマノハラをシラセと、コトヨサシたまいき。カレそのミクビのタマを、ミクラタナのカミともうす。つぎにツクヨミのミコトにのりたまわく、ながミコトはヨルのオスクニをしらせと、コトヨサシたまいき。つぎにタケハヤスサノオのミコトにのりたまわく、ながミコトはウナハラをしらせと、コトヨサシたまいき。
【須佐之男命泣きいさちるの段】 スサノオの研究心。
現実創造へ。古事記原理の応用問題。
始まりの前提 :
古事記の三貴子までは心の原理(言霊百神)を述べたものでした。
ここからは原理を得た心、習得した心はどうなるか、どのように現実を創造して行くかです。
いまスサノオのいる世界は理想的な平和な調和のとれた高天原世界です。あればあったで余れば分配し、不足していれば補い合う世界です。自然の運行と一致するように働く世界でした。物の生産は自然に従い、心にも過不足無く時の流れに満足している生活でした。
しかしそこにスサノオは、調和のとれた心とその社会に、より多くの大きな進歩を遂げるのに可能な道はないのかと思うようになりました。不足時には調和を持った補い合いだけでなく、普段から備蓄の充実した、それでいて分配選択に調和のある生産社会があるのではないかと思うようになりました。
スサノオは「ス」の主である天照す大御神を助ける「サ・佐=助ける」役目ですから、天照すの配分に係わる智慧はありませんが、海原(ウ次元の原)の領域を受け持っていて、その範囲内で天照すを助けウ次元の欲望充足、産業経済の生産社会とそれを導く知識(オ次元)を充実させようとしています。
このスサノオの天照すを補佐する思いが強過ぎ、自分の仕事を遂行していくのに、あることがおきるようになります。家庭の子供が家計を助けようと、手伝いや援助や家のことを放り出して家計の研究を始めてしまいました。高天原の方法、父母、長老、教師たちから教えられた方法意外にも、自分の担当する領域にはもっと上手い方法があるのではないか思うようになりました。
高天原の調和の原理を発見したのはいいけれど、そしてその運用に貢献するのもいいけれど、実際の家計の動きから逸脱しても、より良い方法、自分だけの方法、家の為になり、皆の為社会の為になる方法があるのではないかと、そういった考えを持つようになったのです。
原理を得て理解しても、その適用はまた別のことです。古事記は冒頭から数えて百神までを古事記の(心の)原理とした後、次に心の整理運用とその逸脱の仕方と訂正を知らせる応用続編として、上巻を神話の形を借りて作りました。
まず始めに、原理はある、ではその原理をどうするのか、という意思のイから始まります。
高天原での欲望充足ウ段の原理は、
あ・たかまはらなやさ・わ
ウ・ツクムフルヌユス・ウ
でした。
スサノオはそれに研究に研究を重ね、
あ・かさたなはまやら・わ
ウ・クスツヌフムユル・ウ
にしてしまいます。
そして遂には物質世界に邁進するため客観物だけの世界(根の国)を、研究したいと言い出します。
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原文。
故各隨2依賜之命1所レ知看之中。速須佐之男命。不レ治2所レ命之國1而。八拳須至2于心前1。啼伊佐知伎也。<自レ伊下四字以レ音。下效レ此。>其泣状者。青山如2枯山1泣枯。河海者悉泣乾。是以惡神之音。如2狹蠅1皆滿。萬物之妖悉發。故伊耶那岐大御神詔2速須佐之男命1。何由以汝不レ治B所2事依1之國A而。哭伊佐知流。爾答白。僕者欲レ罷2妣國根之堅洲國1故哭。爾伊耶那岐大御神大忿怒。詔然者汝不レ可レ住2此國1。乃神夜良比爾夜良比賜也。<自レ夜以下七字以レ音。>故其伊耶那岐大神者。坐2淡海之多賀1也。
訓読 : かれおのもおのも依さしたまえる命のまにまに知らしめす中に、速須佐之男命ハヤスサノオの命、依さしたまえる国を知らさずて、八拳ひげむなさきにいたるまで、泣きいさちき。
その泣きたまうさまは、青山を枯ら山カラヤマなす泣きからし、河海はことごとくに泣き乾しき。ここをもちて悪神アラブルカミの音なひ、さ蠅なす皆わき、万の物のわざわいことごとにおこりき。
かれ伊耶那岐の大御神、須佐之男命の命にのりたまわく、「何ゆえにか汝イミマシは事依させる国を知るらさずして泣きいさちる」とのりたまえば、もうしたまわく、「僕アは母の国・根の堅洲国にまからむとおもうがゆえに泣く」ともうしたまいき。
ここに伊耶那岐大御神イザナギのオオミカミいたく怒らして、「しからば汝この国には住むべからず」とのりたまいて、すなわち神やらいにやらいたまいき。かれその伊耶那岐大神イザナギのオオカミは、淡海オウミの多賀タガに座イますなり。
要点。泣くとはあまりにも昂揚した研究心のこと。
意訳 : こうしてそれぞれウオアエの世界を治める活動を始めることになったが、そのうちで速須佐之男命だけは、言われたウ次元世界の研究に没頭していました。
欲望の生産消費、産業経済の発展に心を砕き、天照すのカタマハラナヤサの父韻(ひげ)の運用に依る生産力の発展を研究していきました。
その研究の対象は自然との調和ある社会で発展はあるかで、今ここの高天原の調和世界での原理で自然を相手に豊饒は望めるかでした。マルクスの唯物史観ならば生産力の発展段階に応じた生産関係があるというだけですが、スサノオは意思の介入に依る主体側の活動法を探していきました。
今居るところは高天原ですからそこで使用できるのは、天照すの用いている、たかまはらなやさの父韻(髭・霊気・ひげ)です。スサノオはこれを研究に研究し(泣く)、その様子は、まるでウ次元(河海)、ア次元オ次元(アオ山)の破壊者(アラぶる神)のような熱中を持って行われました。
天照すのエ次元には手を出すことができないけれど、あまりの熱意の強さは高天原のウ次元の在り方を変え手がつけられなくなりました。どのような組織にも直ぐ起きてくる、取り巻き連中や官僚連中、施工者達の暴走のようです。始めは全て首長のため、領主の名においての善かれと思う事柄から出たことです。その為に古代朝廷では年二回の大祓(おおはらい)が行われてきました。
スサノオの研究は度が過ぎるようになりとうとう、主体世界から出て、客体側世界を直接運用できるのではないかとの疑問をもつようになります。そこで伊耶那岐の大御神が須佐之男命の命に尋ねたところ、高天原の精神主体世界から出て、客観客体世界に行って研究を続行したい旨を話します。
伊耶那美の神がいる母の国(黄泉・客観世界)があるのだから、それも調べて研究したということです。これを聞いた伊耶那岐の大神は、ひどく怒る素振りを見せましたが、この世の統率者(淡海の多賀・アワの箍)として当然のスサノオの態度を見て、精神界から出ることを許しました。
◆◆◆ ここから下、工事中 ◆◆◆