030 「言霊学におけるコペルニクス的転換」
民間信仰で艮(うしとら)の金神と呼ばれる国の常立神は、厳格な正義の神で、昔暗黒の世の初めの時、悪い神々にうとまれて、「炒り豆に花の咲く時現われる」と言って艮の方向へ隠れてしまった。
金神の金は神音で、金神とは言霊の神を意味し、言霊エ即ち国常立尊のことである。
「炒り豆に花の咲く時」とは炒った豆からは発芽することがないの譬えから、人類の非常の時を意味している。国常立尊とは人類の大転換の時に姿を現わす神だということの教示である。
言霊研究・№30
コトタマノマナビでは外に見る神ではなく、自分の心の中の神であることです。
「炒り豆に花の咲く時」とは何時か。
正に現代である。科学文明の急速な発達と科学産業の発展のために、却って人類全体の生存そのものが脅かされている大危機の今のことである。
このとき、予言された如く艮の金神、国常立尊である言霊の原理が人間の意識にはっきりと姿を現わしてきた。
日本書紀は書物の冒頭から国常立尊を説く。つまり言霊エである。
言霊エは言霊ウ(欲望)・言霊オ(経験知)・ア(感情)の三つの母音性能をコントロールして社会文化を創造して行く道徳・政治の活動の能力である。
他の三つの性能をコントロールして文化を創造する、という以上、その三性能についての全ての構造や機能等人間の心の全部について理解し尽くした立場に立つ事が出来て初めてそのことが可能となるであろう。
古事記と日本書紀
古事記は人間の心の構造とその動きを言霊で示し、その上で結論理念を確立する事を主眼として編纂されたのであり(七一二年)、その八年後日本書紀が古事記の原理に則って実際の創造活動を起す動きの法則を後世に遺すために撰上された(七二十年)のであることが理解できるのである。
書記の冒頭の文章
「古(いにしえ)は天地未だ剖れず、陰陽(めを)分れざりし時、渾沌(まろが)れたること鶏子(とりのこ)の如くして、ほのかにして牙(きざし)を含めり。……時に、天地の中に一物生(ひとつのものな)れり。伏葦牙(かたちあしかひ)の如し。すなわち神となる。国常立尊と号(もう)す。」
このように日本書紀は宇宙を鶏の卵に譬えて心の宇宙から初めて神(言霊)が現われて来る様子を説明している。
鶏卵の構造を古事記が示している心の先天構造と比べて見ると、卵黄が母音、卵白が半母音に当る。そして「天地の中に一物生れり」と鶏の卵の生命が宿る。胚である。
宇宙創造の始めである生命意志であり、言霊で言う父韻に当る。その初発の活動体を日本書紀は国常立尊と名付けた。その働きは明日に続く。
古事記は人間の心の先天構造を大自然である母音から説き起こし、日本書紀は創造主の働きである父韻から説き始める。
母音も父韻も同じ先天構造の要素であるから、どちらから先に説き始めても矛盾はない。けどその説明の目的とする処が全く違うのである。
古事記は人間の精神構造についての学問(言霊オ)が成立するのに対し、日本書紀の父韻から説き起こす立場からは、原理に基づく行動実践の法則(言霊エ)が示されることとなる。
このことは先師、小笠原孝次氏は言霊学における上述の立場の進化を「言霊学におけるコペルニクス的転換」と呼んだ。
大自然である言霊母音の存在から考える立場(天)から、所謂人間の創造意志から出発する立場(地)への転換と呼んで然るべきものであろう。
○ 人間の精神構造 と 原理に基づく行動実践
○ 大自然である言霊母音の存在から考える立場(天) と 人間の創造意志から出発する立場(地)
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ブログ 029。 五十音図。 2ch。
45 :えな:2013/08/04(日) 19:46:03.48 0
>>41->>44
実に面白い。その話って言語学と通じるよね?ある宗教家が言語学が大事だと、言語学者でもないのに言っていたんだよね
その宗教家は 崇教真光教団の創始者である岡田さんなんだけど、俺はこの宗教に入っている
たまに教団に行くぐらいで、幹部になりたいなあって思ったこともあったけど、今は考えていない
俺も言語学は大事だと思うんだよね。~です、ます、のスって止める働きがあるのですとかさ、面白いよね
46 :考える名無しさん:2013/08/04(日) 21:32:18.36 ID:g9pjoY860!
教団の名前を知らなかったので調べました。
手かざしをするということで、前には手から気を出すといわれていたものですね。
手から気を出すのは人間誰でも簡単にできることで、それで金儲けをするとはうまいこと考えたものと思います。
私なども普通に、しょっぱ過ぎるお新香の塩気を抜いたり、アルコールをまろやかにしたり、
彼女の疲れをとってあげる等はできます。
練習すれば、見つめるだけとか、念力とかでもできるようになります。
普通のことだと思っていましたから、金には結びつきませんでした。
47 :考える名無しさん:2013/08/04(日) 21:33:54.78 ID:g9pjoY860!
スの主神を信仰しているのに「スって止める働きがある」というだけじゃ寂しいな
スはスルスルと物事が進行する、スルスルと問題が解ける、スルスルと考えが出てくるときにも使うし、「止める」時も使う。
澄んだ心に引き込まれる、巣立ち、素っ裸等の出で立ちの初めの様子を言う時にも言います。
スの主神が「止める働き」をするだけじゃ可哀そう。
スはスでスの付く場合には統一された説明ができないと、一はこう、二はこう、三はこうと恣意的な説明になってしまう。
言語学、言霊学、神道、神さんの名前でもスは非常に重要な位置を占めています。
「止める働き」とスルスル進行する働きとを両方一辺に説明できるスが求められています。
そんなものはあるかなどといわないでください。これが日本語の凄いところです。
48 :考える名無しさん:2013/08/04(日) 21:35:17.36 O
うう、セックスしたい
49 :考える名無しさん:2013/08/04(日) 22:47:00.33 ID:g9pjoY860!
48に「うう、セックスしたい」という書き込みが入りました。(神の助け)
この人は「ええ、セックスしたい」とも「おお、セックスしたい」とも言わないのです。
同様に「ええ、食いたい」ともいいません。
欲望次元ではどうしても「うう、」なります。
この母音次元では世界各国大いに共通性がありますが、子音はばらばらになっていきます。
聖書に言葉を乱したという話はありますが、母音世界は神でも乱せないのです。
スは母音はウ系統で、父韻はS(シ)系統です。S+ウ=Suスでスの子音が生まれます。
ウは天の御中主(みなかぬし)の神(言霊ウ)で、S(シ)は意富斗能地(おほとのぢ)の神言霊シの
まぐわいで「ス」が生まれます。
お宅のすの主神の話じゃないですよ。スのことです。
何が言いたいかというとスは母と父の両方の性質を受け継いで独自の子となるということです。
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ブログ 028。 五十音図。
41 名前:考える名無しさん :2013/08/04(日) 16:57:28.76 ID:g9pjoY860!
>面白いことを言ってみましょうか。
『イマ』という瞬間は<いくつ>に表現できると思いますか。
瞬間は瞬間だから『イマ』は瞬間にしかないから一つしかないと思っているかもしれません。
「あ」っと言わせるような、「い」ー加減なことを、「う」っと返答に詰まるような、
「え」っと驚くような、「お」いおい本当かよとびっくりするような、問いであるかもしれません。
イマ言った「あ、い、う、え、お」の中にはそれぞれ思い、感情、何何したい、考え、等々の意識が詰まっています。
『イマ』と結びつくとそれぞれ違う自分の意識を表現します。つまり、イマということは複数の心の表情を持ちます。
全く当たり前なのに気付いていません。
では瞬間には<いくつ>の表情があるでしょうか。
42 名前:考える名無しさん :2013/08/04(日) 17:51:46.96 ID:g9pjoY860!
> イマという瞬間は
単位要素としては五十
人の表現となると無数
イマという瞬間の表現が無数というのは人の日常にいつでも現れてくるので置いておきます。
イマという要素単位、イマという瞬間が五十個あるということについて話します。
世界初公開でこれを申請すればノーベル賞の百個くらいはもらえるというものです。
しかし、選考者達が理解できませんからそんなことは放り投げておきましょう。選考者の理解を超えるものは彼らには存在しないのです。
ところが日本語を知っている人なら誰でもが簡単に分かり、自然に理解していきます。
それほど日本語はイマを語るのにぴったりな言語なのです。
(余計な事を書くと法螺吹き呼ばわりされるのでこの辺でストップ。)
43 名前:考える名無しさん :2013/08/04(日) 17:54:28.10 ID:g9pjoY860!
>
イマという瞬間には五十あるというのは、母音を基にすれば
「あ」っとおどろき
「お」っと言葉を失い
「う」っと返答に詰まり
「え」っとどうしようかとうろたえたとなっていき、
五十音図をみてもらえば分かる通り五つの母音はそれぞれ八つの子音を引き連れて半母音に渡っています。
この五十個を超えてイマを単音で表すことはできません。
外国語には単音に意味がないので元々話になりません。ノーベル賞は諦めましょう。
例えば子音「マ」を使って瞬間を表現すれば「マ、マ、マッ、待ってくれ」と借金の催促動転したり
「タ、タ、タ、たまげた」とその時えられた瞬間のイマを表現します。
マやタにそれぞれイマの瞬間の意味合いがあります。
こうして基本的にイマの瞬間は五十のイマとその組合わせで無数となります。
44 名前:考える名無しさん :2013/08/04(日) 18:20:34.96 ID:g9pjoY860!
>
要するに五十音図のそれぞれの単位が、イマの瞬間を表現できます。
日本語は全てのことを五十の要素で説明できる世界唯一の人造言語なのです。
ABCDではBの「イマ」といわれてもちんぷんかんぷんでしょう。
ですので考えというものはある主題があれば五十の表現ができ、それが組み合わされます。
「分析力」というのも一つのことを最低五十にできてからその後の組み合わせがはじまりますので、
自分の考えとかいって焦ってしゃべってもだめです。
五十音図を見ながら一つ一つ分析していけばいいのですが、実際はなかなかうまくいきません。
五十音図は非常にうまくできていて、母音、半母音、子音、父韻、縦の行、横の段等がまとまっているので
ある程度簡略化はできます。、
つまり私の思惟のあんちょこというわけです。
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ブログ 027。 「四肢的構造連関」
333 :考える名無しさん:2013/07/29(月) 04:29:24.48 ID:2ul9Psy50!
廣松の認識の「四肢的構造連関」の単純な誤り
引用
まず「客観」について言えば、われわれは客観的対象を生のままの所与として受け取るのではなく、
それを所与以上の或るものとして意識している。たとえば、黒板にチョークで円を描くとする。
その際われわれは単に黒板上のチョークの痕跡というレアールな所与を知覚しているのではなく、
その所与を「円」というイデアールな意味として把握している。
ただし、レアールな所与とイデアールな或るものは空間的に離れて存在しているわけではなく、
イデアールな或るものはレアールな所与において、つまり黒板上のその図形の中にいわば
「受肉化(inkarnieren)」しているのであり、この事態を廣松は
「即自的な対象的二要因のイデアール・レアールな二肢的統一構造」(著作集第一巻、37頁)と呼ぶ。
ここでの誤りは、脳の認識機能の時間的な差異を見ていないこと。
脳はそれなりに時間差を以てその機能を遂行している。
ですので廣松の説は構造を説明する時にだけ見るものがあるが、時間的に捕らえていないので「即時」な観念連合でしかない。
334 :考える名無しさん:2013/07/29(月) 04:37:32.16 ID:2ul9Psy50!
引用
「主観」についても同様の二肢的統一構造がある。たとえば日本語や英語など言語において、
複数の国の人物たちがある同一の言葉を聞いたとしても、それぞれの母国語に応じて、
同じ音声であるにも関わらずその聞こえ方は全く違うことになる。
このことは聞き取る主観が単なる「私」ではなく「私以上の私」、
すなわち「われわれとしての私」であることを示している。
それゆえに「”主体”の側もまた、イデアール・レアールな二重構造においてある」(著作集第一巻、44頁)と廣松は考える。
ここでの間違えは「同一の言葉」「同じ音声である」であるとの前提が成り立っていないことを無視していること。
複数国籍人の中に馬や豚を含めて聞かせれば、「同一」であるとは言えない。
335 :考える名無しさん:2013/07/29(月) 04:53:57.88 ID:2ul9Psy50!
ですので「同一の言葉を聞いたとしても、」ということはありえないのです。
実際にそう聞こえているのは外見だけで、真実は
無音の音波が発生しているだけです。
各国語で聞くか、念仏として聞くか、風圧が通り過ぎるだけなのか
そんなことはまだまだ後のことです。
廣松には前提が形成されていません。
以上はふたつの引用文を読んだだけの感想です。
336 :考える名無しさん:2013/07/29(月) 10:28:11.17 0
>>335
おもしろいけど、引用は引用として明確に分けた方がいいと思う。
どこかで引用どうしをつないでいるのか、該当部分が全部の引用なのかが不明確。
自分で確認するほど熱心じゃないので、よろしく。
337 :考える名無しさん:2013/07/29(月) 15:42:08.31 ID:2ul9Psy50!
>引用は引用として
書記官が引用して文献学者になるのじゃないし、
学術的に権威を得ることなど意味がない、
理解を共有してもらいたい希望はまだ無いので
あなた様のおっしゃることに、気を取られる事は無いし
引用の有る無しや明確化等、そんな瑣細なことに関心もなし
肝心なことは他にある
338 :考える名無しさん:2013/07/29(月) 15:47:17.60 0
>>337
その肝心なことを明確にするためには、引用と自分の考えを区別することが必要なんだと思うよ。
盗用でも受け売りでも、自分の考えとして提示するなら、それもひとつの明確化だ。
339 :考える名無しさん:2013/07/29(月) 20:24:37.53 ID:2ul9Psy50!
>自分の考えを区別する
自分の考えを区別する、なんて言っていることからしてもう違います。
違いを愛する男になりたければどうぞご勝手に。
「盗用、受け売り」、廣松、私、あなた方との同一を、
338の文面、廣松、私、あなた方との同一を、
見いだせねば何も面白みは無いのです。
誤り間違い、と書くときには相手との同一を指しているのは分かるでしょう。
金儲け売名のために論文書いているのじゃないのですから。
同じものは全員の共有財産として貴方も誰でも盗用受け売りで自分の考えを述べているでしょう。
百パーセントの自分の考えとか言うものも、そんな調子です。
貴方は自分がしゃべるとき一回でも他との明確化を述べた事はありますか。
自分のしゃべる言葉である日本語のどこに盗用でない受け売りでない部分がありますか。
一言一音でも自分の言語をしゃべってごらんなさい、違いを明確化してごらんなさい、
そうしたら、さようならも言えないでしょう。
さようなら。
340 :考える名無しさん:2013/07/29(月) 21:43:11.44 0
>>339
それなら、引用なんて表示をしなければいいんじゃない?
出典も明示してるしw
わざわざ出典を明示して引用と断りながら、自分の考えを混ぜ込ませてるの?
かなり変じゃない?
341 :考える名無しさん:2013/07/29(月) 23:42:58.42 ID:2ul9Psy50!
> かなり変じゃない?
ってところを全部出してください。
そうしないと複数の人間が書いているのか、、複数の考えで書いているのか
分からない。
廣松の「四肢的構造連関」の話に持っていくつもりですか、、枝葉末節の枯れ葉をさらに集めるつもりですか
336の最初の反応が引用法の作法だったから、内容に関心は無く、作法に関心があるわけですか。
それなら「引用とは何か」の作法の哲学原理でもちらっと教えてください。
342 :考える名無しさん:2013/07/30(火) 00:35:21.88 0
>>341
わざわざ出典を明示して引用と断りながら、自分の考えを混ぜ込ませてるのが、かなり変だと書いたんだよ?
広松もいいけど、まず普通に他人の日本語を理解できるようにしたほうがいいんじゃないか?
引用とは何かとか、作法がどうとか言ってて、広松理解は大丈夫かい?
それとも、普通の日本語が理解できない人間にも理解できるのが、広松なのかな?
343 :考える名無しさん:2013/07/30(火) 01:14:17.79 ID:zpxq8BNU0!
いよいよ通常の定番通りの
言い合いに
戻ってしまった
廣松版ですから廣松をやってください
「廣松もいいけど、」なんて自信のないこと(本音か)言わないで
がんばりなさいよ
そなたの頭で割り切れんと申してブツブツ申すでないぞ(日月神示)
344 :考える名無しさん:2013/07/30(火) 09:17:48.41 0
>>343
掲示板に書き込む以上は、誰かに読んでもらいたいんだろ?
読んでもらうためには、最低限、普通の言葉の理解が共通してないと無理だ。
難しいとか易しいとか言う前に、事実は事実、考えは考えとして明示できないと、妄想の中でかき回してるだけになりかねない。
存在論に振り回されたハイデガーがヒトラーの礼賛に走ったことと、認識論に振り回された広松が毛沢東にかぶれたこととは、違うことなのかどうか。
僕の頭で理解できないこともたくさんあるだろうが、他の人の頭でも理解できないこともたくさんあるだろう。
もちろん、広松の頭が毛沢東をどう理解していたのかも、結構不明だ。
ブツブツじゃなくて、はっきり言ってるつもりなんだが、聞き取りにくかったかな?
345 :考える名無しさん:2013/07/30(火) 13:39:34.28 0
引用箇所をわかりやすくしろと言われただけでこの展開w
346 :考える名無しさん:2013/07/30(火) 19:35:11.47 ID:zpxq8BNU0!
> 黒板にチョークで円を描くとする
↓ (チョークの円)
0・円を描く以前の何も無い世界がある
1・描きたいとする欲求世界がある
2・円の記憶を持ち出す概念世界がある
3・円を選択する世界がある
4・円と了解している世界がある
5・上記を導く意思の世界がある
↓ (成るだろうチョークの円)
それら一つ一つが違う世界を形成していきます。
5が動いて黒板にチョークで円を描くとすると、
1・・欲求。欲求は対象に向かいますが向かった対象とは自分の欲求のことです。イデアール・レアールな二肢的統一構造は存在しません。
2・・記憶。記憶は過去概念です。円という過去の記憶はいつまでもあります。イデアール・レアールな二肢的統一構造は存在しません。
3・・選択。記憶から得られた円が選択されました。現象となるのは未来のことです。イデアール・レアールな二肢的統一構造は存在しません。
4・・了解。了解は1・2・3・のどれに対しても有効であるから了解です。イデアール・レアールな二肢的統一構造は存在しません。
↓ (チョークの円にならしめる行為・描く)
上記各項は実体世界となるものですので、ついで「描く」働きをみます。
それは働きですから、イデアール・レアールな二肢的統一構造の話になりません。
ここで描く働きの意識は多数あります(その数8)。
↓
ですので、各項に対してそれぞれの現象が出現します。(1・2・3・4・×8で、その数32)
347 :考える名無しさん:2013/07/30(火) 20:54:02.74 0
>>346
本題に入る前に質問。
>ここで描く働きの意識は多数あります(その数8)
なんで「その数8」なの?
348 :考える名無しさん:2013/07/31(水) 00:47:31.81 ID:NtDdCM+A0!
廣松は二・四
私は八
あなたはいくつ?
本題があるのに気になるのですか
349 :考える名無しさん:2013/07/31(水) 10:20:15.03 0
>>348
1、2、3、4 はそれぞれ「二肢的統一構造は存在しません」なんだろ?
それなら、残るのは一つだ。
なぜそれが2×4になるの?
もともと異なる概念を組み合わせていることには目をつぶるとしても、1を2にするのはただの間違いだ。
他も非常にわかりやすいが、変なところだらけだ。
ひとつ聞いておきたい。
掲示板に書き込むからには、他人の反応を期待してるんじゃないの?
他人からの質問や指摘が嫌なら、そう言ってくれ。
350 :考える名無しさん:2013/07/31(水) 17:22:13.16 ID:NtDdCM+A0!
参考文献をあげておきましょう
日月神示というのがあります。そこからです。
「12345678の世界が12345678910の世となりて、
012345678910の世となるのぢゃ、
012345678910が〇九十(マコト)と申してあろうがな。
裏表で二十二ぢゃ、二二の五ぢゃ、
二二は晴れたり日本晴れぞ、判りたか。」
「フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、
神示では012345678910と示し、
その裏に109876543210があるぞ、
〇九十(マコト)の誠であるぞ、合せて二十二、
富士(普字、不二)(フジ)であるぞ。神示の始めに示してあろう。
二二(富士)は晴れたり日本晴れぞ。」
「 神の申すことは一分一厘違はんのであるぞ、今度言ふことを聞かねば大変な気の毒となるぞ、
地(智)の下になって了ふのであるぞ、
12345678の世界が12345678910の世となりて、
012345678910の世となるのぢゃ、012345678910が【マコト】と申してあろうがな。
裏表で二十二ぢゃ、二二の五ぢゃ、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れぞ、判りたか。」
もちろん神なんていうのは気にしなくていいんです。そんなものを抜いて意識、認識の方に持ってきますと
これがまたうまい事を言っていると感心します。
351 :考える名無しさん:2013/07/31(水) 17:27:51.68 ID:NtDdCM+A0!
日月神示を心の運用法、認識論で読み直すと、ぎょぎょぎょってとこです。
廣松も神なんて言うところを抜いて読んでいたらびっくり仰天 ? したか?できたか?
すぐにでも教えを乞いに祈っていたかも、というようなものです。
貴方にも縁があれば触れる事になるでしょう
もちろん日月をやっている人たちは祈る方ばっかりで何も知りませんから、理解にはほど遠いところにいます。
哲学系の方が切り込めばおもしろい。
352 :考える名無しさん:2013/08/01(木) 05:16:43.12 ID:iixYNWpH0!
350の引用を見て笑いこけましたか。あと数十年間はそれで健全です。ご心配無く。
もし何かを感じたならば注意してください。
未来創造、真の思想哲学の運動に引き込まれるかもしれませんから。
あなたが哲学者ならば世界を指導する原理の上にたって
今までの世界の宗教哲学思想の道理が、(原理じゃないですよ)、正しかったことが
あなたの得た原理の上から証明されることになります。
353 :考える名無しさん:2013/08/01(木) 05:20:00.31 ID:iixYNWpH0!
>
日月の神さんはおもしろい方で、肝心なことは隠してあるから下々には分からないよと言っています。
せいぜい解釈するのは勝手ですが了解できたと言う人は最初から相手にされません。
12345678を解釈しても秘密は明かされないよ、というのです。
しかしこれには一つの例外があります。驚いたことにこの神さんの言うことにあんちょこがあるのです。
馬鹿話に聞こえるかもしれません。この神さん信じている人も笑います。
もし神示を認識論風に読んで感じるところがあれば、その元々はあんちょこのせいです。
354 :考える名無しさん:2013/08/01(木) 05:25:10.81 ID:iixYNWpH0!
おまけ。欲望の一例。
円を描きたいという欲求そのものをみた場合、そこには円は存在しません。
円というのは記憶概念で、記憶概念を欲求しているのではない。
また記憶概念は既にあったもので、欲望は現にある欲望の充足を求めているのです。
また円を描き終わったとき、チョークの痕跡みて、出現した円の視覚を欲したのでも無い。
上手に描けたか三角にみえないか端が欠けていないか等々の円を選択していいるときには、円はまだ実在していないけど、
描きたいという欲望は充足されるまで現存し続ける。
円を描き終わっても充足を得られないときにはまだ終わっていないのです。
結果現象の如何ではなく欲求そのもの、現にある欲望の充足を求めていたのです。
356 :考える名無しさん:2013/08/02(金) 16:32:49.22 ID:CaLXXcOy0!
> なんで「その数8」なの?
まだ気にしていれば続き。おまけ。欲望の一例。
333では「円を描くとする」と冷たい中性的な口調で書いていますが、これが存在できる場所は限られています。
既に二つ(記憶知識、選択)の欲望をみました。さらに五感感覚でない感情次元での欲望もあります。
普通ではなかなか出てこない指摘ですが、何故ならこれには高度な経験感情が伴うからです。
宗教芸術全体了解、自己と他者同時共感の世界です。
円を描く場合ならば、自分は円になりたいだから円は自分のことだという全体共感の感情世界があり、この欲望があります。
これは哲学者には不向きなことですが、宗教家芸術家はここから始めるといってもいいくらいです。
この特徴は自他との同時共感の同一感情を得ようと欲するので、
所与の他者ではなく自他の欲望と現にある全体の同一性を求めます。
357 :考える名無しさん:2013/08/02(金) 16:36:09.67 ID:CaLXXcOy0!
こうして、記憶知識、選択、感情、欲望の四つの世界があります。これが「客観」実体の世界となります。
次いで「主体の側」で、ここに八種があるというわけです。
334では同一物理現象の「言葉」を前提していますが、それを導くのはまだ先の話です。
「言葉」は現象となったもので廣松のように最初からあるものではありません。
聞く・話す八種の意識の結果です。
「主体の側」が八で、「客観」実体側が四つで、出てくるのが三十二というわけです。廣松はあったものがあるという2×2の四肢。
こんなことを言っても八を説明しないことにはアホ扱いです。
が、後しばらくは仕方ないことです。私は説明できませんと言っておけばいいことです。
関心があればいつかとっつきが誰にでも与えられるでしょう。
(未投稿)
引用。
まず「共同主観性」ですが、これは個々人の意識が「私」という閉鎖的な領域に閉じこめられているのではなく、意識活動は思考様式から知覚の仕方にいたるまで、常にすでに社会的に共同化されているという事態を指す概念です。
ここで『すでに』と言っているでしょう。
『すでに』って何ですか。五億万年前から、十年前から、人類誕生以前から、言葉の発生したときから、、、。
『常にすでに社会的に共同化されている』というのを原理にした着眼点はいいのですが
それを全世界人に対してその発生を経験的にでも回顧的にでも説明できなくちゃならないでしょう。
そうすると『すでに』を説明する原理が必要でしょう。
もしその原理が『すでに』以前にあるなら『すでに』は自己崩壊でしょ。
その原理があるなら『すでに』とは言えないでしょ。
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ブログ 026。 理解。
26 :えな:2013/07/31(水) 20:39:13.41 0
こんなこと哲学版で聞くのはダメかもしれないが、スピリチュアルで言われている言葉なんだけど、
・すべてはひとつ
・いまここ
これがわからないんだよね。すべてはひとつって、すべてはある根源から作られたって感じ?
いまここは、時間なんてなくて、現在しかなくて~みたいな?説明できる方、または気になる方は調べてください
28 :考える名無しさん:2013/08/03(土) 19:24:01.93 ID:iqi1fuNH0!
いまここって言うでしょう。四語の発音。時間
これには時間があるし初めと終わりがある。だから今なんて無い
いまここって言うでしょう。四語の発音。場所
これば聴覚なり視覚なりのある場所を占めるでしょう。
占められた場所はここじゃなくて、あっちとかそっちとかの場所にある
だからここなんてない
いまここはそんな矛盾を解決する言い方のこと
29 :えな:2013/08/03(土) 21:36:07.49 0
>>28 どうも。キミは理解しているのかもしれないが、人を理解させる説明力が足りないかもな
結局、いまここは何を表したいのかな。でもキミは俺よりは頭いいことは間違いないキリッ
31 :考える名無しさん:2013/08/03(土) 23:48:28.82 ID:iqi1fuNH0!
>>29
『人を理解させる』 なんてことをしちゃいけないな
『理解』した後には、徒党を組むか、論争戦争をするかしかないでしょう
分かればそれでいいし
分かったと思えばそれでいいし
多少分かったと思えばそれでいいし
これで分かったと思えばそれでいいし
ああならばわたったと思えばそれでいいし
そうでなければ分かったと思えばそれでいいし
次元や世界や場所や相手や対象を変えれば分かったと思えばそれでいい
『人を理解させる』 なんてことをしちゃいけない
いずれにしても相手の『理解』に手を出すと
徒党を組むか、論争戦争をするかしかなくなっちゃう
33 :考える名無しさん:2013/08/03(土) 23:56:08.25 ID:iqi1fuNH0!
一方、理解したいという強い心があります。
無門関の「達磨安心」の公案があります。達磨さんが壁に向かったきり動かない。
そこへあなたが「教えてくれ」って座禅を組んでいる達磨さんのところへ来る。
でも達磨は黙って答えてはくれない。あなたは自分の熱心さが足らないと思って、
自分の腕を切断して「わが心迷う。師答え給う」って頼み込む。
これは本気だなと思った達磨は、では、「迷う心、理解できないという心、を持ってきてここに見せてみよ。」と答える。
あなたは答える。「迷い理解できないから理解したいというのに、
迷い、理解できないという心を持ってくることは出来ません」と言う。
と達磨は「お前にもう教えてあげたよ」と答えた。
「持ってくることが出来ない心で迷ってどうするんだ」ということです。
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ブログ 025。 飛躍の連続と飛躍の接続、その間にあるもの。2。
(愛)、アとイの間には何があるのでしょうか。
記憶がありそうですが、アの記憶はあってもアとイを結ぶ空間の記憶とは何でしょうか。
この空間は言葉になっていないのです。
時間的にはアイというときには、イはアの後ですから、つぎに来るのはイかウかエか何かですが、そんなものはまだ来ていません。アというときには今現在此処にはアしかありません。イは時間的にアの次ですからまだ存在しません。
それでもアイと言うことができ、その音の姿と意味内容を伝えることができます。
イはまだ発音されていません。しかし音と意味をイと言って一つのアイとして伝えたい思いはあります。イはまだ無いのに思いの中にア・イがあります。
では存在しない思いの中のイはどこから来たのでしょうか。
アイ(例えば愛)という言葉があるからでしょうか。
ア・イ、と言おうとしているから、アイという記憶が既にあるからですか。
うまく説明できません。
そこで、古事記は 天の御中主(みなかぬし)の神がいるからだと言い、
日本書紀は 「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れざるとき、渾沌(まろかれ)たること鶏子(とりのこ)の如く、
溟涬(くぐも)りて牙(きざし)を含めり。・・ 時に一物生(な)れり、状(かたち)葦牙(あしかび)の如し、
便(すなは)ち化為りませる神を国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号(まを)す。」と、いいます。
言霊学ではここに言霊スを確認しています。「言霊スはなにもない、のではなくそこから一切のものか生まれ出てくるエネルギーで充満していながら、静かに澄んで動かない状態です。」
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ここで少し話題をかえて、愛・アイという時にはアとイの間に隙間があるでしょうか。
初めての愛の告白で、あなたをあ・・といったきり言葉に詰まり間隔が飽くことがあります。他にも同じような例は沢山あります。時間的には間隙がありますが意識の上では、言葉がまだ出ていないというだけで、連続しています。
しゃべり方の速さとか書き方の速さとかも不定ですが、出てきた現象が完成するまでは多くの場合意識は持続しています。
そうすると今まで飛躍があるといってきましたが、飛躍というのは結構平坦な連続に見えないこともありません。
そこをわざと広げると、飛躍と飛躍の間にあるものを探していましたが、今度は間が無いとどうなるのだろうという疑問がでてきます。間には何も無い無垢な静かな空間のイメージがあります。
ここに面白いことがあります。古事記の冒頭五十神に対応している言霊循環、、(その順位は ウアワヲオエヱ・チイキミシリヒ二イヰ・タトヨツテヤユエケメ・クムスルソセホヘ・フモハヌラサロレノネカマナコ・ン)、、ではスとルが隣り合わせです。
言霊スは、頬那芸(つらなぎ)の神で、巣、澄む、住むで動きのない状態。
言霊ルは、頬那美(み)の神、流、坩堝で動く状態。
静と動が同じ名前の神さんです。
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ブログ 024。 飛躍の連続と飛躍の接続、その間にあるもの。
古事記では神名が変わるたびに意識内で飛躍が起きています。
アと言おうとしてアと言ってアを了解するほんの短い間に百もの飛躍が連続していきます。考えられず想像もできないことですが、古事記を追っていくとそうなります。
こんな飛躍を連続させる頭脳というものは凄いものです。またそういったヒントを与えてくれた古代のスメラミコトも凄いし、文章として残してくれた安万侶さんも凄い。人間一人一人こんな凄い頭脳の持ち主なのに全開出来ないのが、なんとしてもくやしい。
飛躍の連続と飛躍の接続があるのはある程度見られると思います。ところが飛躍がどうして繋がっているのかこれがうまく理解出来ない。
あてずっぽうです。足を一歩一歩と踏み出すと同時にそれぞれ状況が変わります。階段なら上に下に行き、学校会社に近づき目標を遂げます。言葉が繋がって会話が出来るのも飛躍の連続があるからです。愛と言うとき、アとイでは全く違うのに何故かアイと繋げることができます。
複数音が繋がっているときだけでなく、単音にも百神の連結があります。ではその連結を繋げるものはなんでしょうか。
アとイの間には何があるのでしょうか。
記憶がありそうですが、アの記憶はあってもアとイを結ぶ空間の記憶とは何でしょうか。
この空間は言葉になっていないのです。
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以下は参考文献です。
先天十七言霊というのは同一存在ですから。どう並べてもいいわけです。書記の先天図でないとイ・ヰが真中に来る構図は出てきませんから。伊耶那岐の大神の先天図ですが、伊耶那岐の大神が生んだ言霊エを象徴する先天。
ですから、会報に書き足らない処が一二箇所あるんです。先天図として転換があると書いてあるのですが、転換するということは飛躍があるということですから、自覚の上では。それをどうしたらいいのかが、書かれていない。それを書きたかった。それを書くと同時に、それに呼応してその飛躍に辿り着けば、歴史的な発見も起ってくるだろうと。
先天図は変わらないけれども、先天の何処を中心に述べるかというところで、古事記はただ自然体としてオギゃーと生まれてきたところからなら、あの構図になる。初心者に父韻から説き起こしてしまうと何のことか分らないであろうと。母音の宇宙から説いた。
だけど、実際にその原理をマスターしてしまって文明創造としての禊祓を実行するためにはイ・ヰから解きほぐさないとならないのだと、いうのがこの飛躍ですよ。父韻を説明する時の時処位によって、まったく違ったものが出て来る。
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ブログ 023。 次に。次に。次に。
本居宣長の解説です。
次(つぎに)。「つぎ」というのは、「つぐ」という用言(動詞)を体言(名詞)の形にしたのである。【すべて言葉には、体と用の区別がある。体とは動かないのを言う。用は活用するのを言う。その体言に、もともと体言であるものと、用言が体言になったものがある。たいへん古い上代には、用言ばかり多くて、体言は少なかったのだが、世と共に人の言葉が多くなり、用言が分かれて、体言になった例が非常に多い。<訳者注:体言は名詞、用言は動詞、形容詞、形容動詞などを言う>】「つぐ」は「つづく」と同源であり、「つぎ」も「つづき」と同じことである。それには縦横(たてよこ)の別がある。縦とは、父の後を子が継ぐたぐいである。横は、兄の次に弟が生まれるたぐいである。記中、「次に」とあるのは、みなこの横の意味である。だからここから始まって、後の文で「次に伊邪那美の神」とある「次に」までは、すべて兄弟が次々に生まれたようなものである。【父子の次第(ついで)のように、前の神の世が過ぎて、次の神が現れるのではない。この点を思い違いしないように。】
古事記の冒頭では「次に」が百回も繰り返されます。
パターンは同じで、何かして神が誕生して、「次に、次に」となっていきます。最初に登場する何かすると説明されている神にだけ「次」が付かない。
宣長の説明では「みなこの横の意味である。」となっている。
現実世界では階段を上がるように一階から二階への段々を次々踏んでいくと二階の踊り場になり、次いで三階への階段を次々踏んでいくという、同じ階内での次々と階を超える次とが連結していたり、自宅から会社へいくのに駅まで次々に足を踏み出し駅舎を次々に歩きそして違う道となる会社までをそれぞれの環境次元を超えつつ次々に進んでいきます。
ある次元の違う次の場面までは同じ事の繰り返しでそれをクリアすると、またその場面内で同じ事を繰り返し、トータルに連結されて終了したときに、最初の一歩が出だしの「次」となっていきます。
これと同じようなことが意識の内で起きています。循環する螺旋重層構造を作りつつ動いていくわけです。
「あ」と言って「あ」と了解するまでの瞬間に十四の次元の違う領域の次々と、その各次元内の次々の連結を通過すると百になるというのが古事記の説明です。
段と段は違いますから段を見れば百ですが、その各段が百で出来ていて、それぞれ十四の構成を持っていて、先天と後天、実体と働き、ありさまといきさま、の全体が一段一段に含まれています。
ややこしい言い方をすれば、創造しつつ創造されているものを表し、同時性を繰り返しつつ連続していて、異次元の飛躍を続けながら
同次元を維持していく、というような事になります。
言霊のさきわいともいいます。
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ブログ項目・原理目次・原理一覧・大目次・中目次・原文目次
原理目次 (ア-イ-ワ)
① ア・(ウアワヲオエヱチイキミシリヒニイヰ)、先天構造
② アワ・(ウオヲエヱ)、 主客のありさま実体
③ イヰ・(チイキミシリヒニ)、いきさま働き
④ タトヨツテヤユエケメ・タトヨツテヤユエケメ・フモハヌ・ラサロレノネカマナコ・ン、後天現象
⑤ 操作運用
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古事記の精神原理一覧
1) あめつち(天地)。吾(あ)の眼(め)を付(つ)けて智恵(ち)と成す。
2) 高天原。タカアマの原。「タの吾の間の原」と「カの吾の間の原」。自覚と無自覚。
3) 造化三神。天の御中主-高御産巣日-神産巣日。主客に剖判。
4) ありさま実体神。ウアオエイの実在各独自の次元。
5) いきさま働き神。父韻八神。力動韻。
6) ギミの神。創造力の発出因。
7) 先天構造。1~6全体の統合構造。
8) 7)による主体領域創造の依頼。
9) 主体の創造。自己領域の創造。
10) 主体による一般領域の創造。他者との交流関係準備。
11) 主体の活動領域場の創造。
・・先天の場。
・淡路之穂の狭別の島。 先天領域の始め。 母音。
・伊予之二名の島。 主客の剖判。 母音。
・隠岐之三つ子の島。 実用領域。ありさま。 母音。
・筑紫の島。力動因。 いきさま活動領域。 父韻。
・伊岐の島。創造因。 いのち。 親韻。
・・後天の場。
・津島。 先天からイメージへ。 子音。
・佐渡の島。 イメージから物象化へ。 子音。
・大倭豊秋津島。 物象の交流了解現象化へ。 子音。
・・操作運用場。
・吉備の児島。
・小豆島。
・大島。
・女島。
・知可の島。
・両児の島。
12) 現象子音
・タトヨツテヤユエケメ。 津島。
・クムスルソセホヘ。 佐渡の島。
・フモハヌ、ラサロレノネカマナコ。 大倭豊秋津島。
13) 無自覚運用規範の創造(カの高天原)
・収集-整理-初期運用規範。八拳の剣。 吉備の児島。
・父韻の運用。 小豆島。
・分析-総合-適用。 大島。
・適応表現。 女島。
14) 自覚への脱皮変態へ。客体結果の世界と脱却。 黄泉国。
・・精神の要素。
・ 関心執着所有。高天原精神界から出る。 殿のくみ戸。
・結果客体の世界。 いと久しく待つ。
・ 主体側からの検討。火燈す。 アオウエイ。 左の男柱。
・結果世界。うじ。 マヤラナ。 いかつち。
・結果世界との決別。結果を生む原理を提供。 黒御かづら。陰の父韻。
・受動客体側の手本提供。 ワヲウヱヰ。 右の湯津爪櫛。
・・物質研究運用の原理。 千五百の黄泉軍。
・客体結果側の表現と主体側との相違。 黄泉比良坂にて桃の子三つ。
・客体世界の自証は主体世界の自証にならない。 事戸。三十二子音の配列。
・分析分離で本質へと総合して創造へ。 千頭殺さむと千五百の産屋。
・概念知識の役割と限界。 黄泉津・道敷・道反しの大神。
・創造原理が現れて来ない。 伊武夜坂。イの言葉がぼんやりした性質。
参照。ヨブ記38章8~11。
15) 自覚的運用規範の創造(タの高天原)
・・自覚の内容、みそぎ規範の吾の眼。みそぎ五神。 知可の島。
・規範を立てる、いつく。
・時処位の三次元を立てる。
・簡単明瞭化する。
・分岐点枝葉の出所を立てる。
・全体の根幹を立てる。
・・自覚の働き、始まりからと終わりからを明かす。
・禊ぎ五神を起点としてその移動していく姿を明かす。
・終点に向かう移動を助けつなぐ全体を明かす。
・起点に定立されている吾の眼の間隙を起点から減らしていく。
・禊ぎ五神を終点としてその視点とつながる経過する姿を明かす。
・始点との関連を維持し助ける全体を明かす。
・終点に定立されている吾の眼の間隙を終点から減らしていく。
・・理想規範三権分立の創造。 両児の島。
・禊ぎ五神のア段の一般性の現れ。上つ瀬は瀬速し。八十禍津日。
・禊ぎ五神のイ段の一般性の現れ。下つ瀬は瀬弱し。大禍津日。
・主客個別一般の統合された子現象創造の経験知の働き。神直毘。オ。
・主客個別一般の統合された子現象創造の五感感覚の働き。大直毘。ウ。
・主客個別一般の統合された子現象創造の選択実践智の働き。伊豆能売。エ。
・エはエより始まりヱに渡されてエが現れる。底津綿津見。
・エテケメヘレネエセヱの後天現象を知る。底筒の男。
・ウはウより始まりウに渡されてウが現れる。中津綿津見。
・ウツクムフルヌユスウであらわされることが自覚される。中筒の男。
・オはオより始まりヲに渡されてオが現れる。上津綿津見。
・オトコモホロノヨソヲの現象をたどる。上筒の男。
・・理想的規範の成立。
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大目次
一)先天構造。 【天地の初発の時 ~ 伊耶那岐・美の命】
二)おのれの心の領域。 【ここに天津神諸々の命もちて ~ 両児島を生み気き】
三)後天現象要素。 【更に神を生みき ~ 火之迦具土の神】
四)整理。初期規範。 【金山毘古 ~ 豊宇気毘売】
五)主体的規範の模索とその表現。 【愛しき汝妹の命 ~ 天の尾羽張】
六)客観世界。 【黄泉国 ~ 伊賦夜坂】
七)主客の統一止揚。 【伊耶那岐の大神 ~ 辺津甲斐弁羅の神】
八)禊ぎ祓え、理想的な規範の創造。【上つ瀬は速し ~ 墨江の三前の大神】
九)吾の眼の三権分立。 【左の御目を洗ひたまふ ~ 建速須佐之男の命】
十)現実世界創造へ。 【伊耶那岐の命いたく喜びて ~ 汝命は海原を知らせ】
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中目次
古事記の冒頭 心とは何か。
①ア・ウアワヲオヲエヱイヰ、言霊循環する先天構造
一)先天構造。
あめつち・ 【天地の初発の時 】
ウ・ 【天の御中主(みなかぬし)の神】
アワ・ 【高御産巣日の神。神産巣日の神】
ヲオエヱ・ 【宇摩志阿斯訶備比古遅の神~豊雲野(とよくも)の神】
チイキミシリヒニ・ 【宇比地邇(うひぢに)の神~妹阿夜訶志古泥の神】
イヰ・ 【伊耶那岐(いざなぎ)の神。妹伊耶那美(み)の神】
アワ・(ウオヲエヱ)、 主客のありさま実体
イヰ・(チイキミシリヒニ)、主客のいきさま働き
二) 先天のおのれの心の領域。 【ここに天津神諸々の命もちて ~蛭子淡島】
三) 先天内の後天の己の領域。 【淡路の穂之狭別の島 ~ 両児島を生み気き】
②アワ・ウオヲエヱ、 ありさま実体後天現象
一)後天現象要素。 【更に神を生みき ~ 火之迦具土の神】
1 津島タトヨツテヤユエケメ (おのれのこころの先天からイメージ形成へ。こころのイメージ形成) 【大事忍男の神~妹速秋津比売の神】
2 佐渡島―クムスルソセホヘ( こころのイメージ形成からイメージの物象化へ。イメージ造形化へ)【沫那芸の神~国之久比ざもちの神】
3 大倭豊秋津島―フモハヌ・ラサロレノネカマナコ(こころの対象化から客体化へ。こころの客体化)【志那都毘古の神~おほげつ比売】
二) 後天言霊循要素。 【火之迦具土の神】
③イヰ・チイキミシリヒニ、いきさま働き
一)チ・整理。初期規範。 【金山毘古 ~ 豊宇気毘売】
二)イ・父韻。主体活動。 【泣沢女(なきさわめ)の神。】
三)キ・主体的規範の模索とその表現。 【比婆(ひば)の山 ~ 天の尾羽張】
四)ミ・主体が創造した客観世界。 【黄泉国 ~ 伊賦夜坂】
五)シ・主客の変態脱皮。 【伊耶那岐の大神 ~ 飽咋の大人の神】
六)リ・主客の統一止揚。 【奥疎の神 ~ 辺津甲斐弁羅の神】
七)ヒ・禊ぎ祓え、理想的な規範の創造。【上つ瀬は速し ~ 墨江の三前の大神】
八)ニ・吾の眼の三権分立。 【左の御目を洗ひたまふ ~ 建速須佐之男の命】
九) 意識の三権(①②③)分立の統合された運用へ。 【伊耶那岐の命いたく喜びて ~ 汝命は海原を知らせ】
④古事記の上巻後半 (物と物の操作創造とは何か)
古事記の後半・現実世界創造へ。 【伊耶那岐の命いたく喜びて ~ 汝命は海原を知らせ】
(1) 速須佐之男の命の活動原理。ウ次元の先天原理。
0・スサノオの分担する分野 【海原(ウ次元の分野)】
1・産業生産、科学分野への研究心 【神やらい】
精神世界からの逸脱を希望し客観世界創造へ向かう。 【国を治らさずて ~ 淡路の多賀にまします】
2・精神高天原世界から出る法。全体との対決。 【母の国に往かむ】
実践智規範(天照す)と五感覚欲望規範(スサノオ)との対比。 【天に参上る ~ 異しき心なし】
3・スサノオが高天原から出るには。誓約(うけい)。
スサノオの十拳の剣から三柱、天照す大御神の勾玉から五柱 。 【汝の心の清く明きは ~ すなわち汝の子なり】
4・ 高天原精神界でのウ次元世界の実行。 【悪しき態】
受動側実体だけを考慮する結果。 【我が心清く明き故に ~ 万のわざわいことごとにおこりき】
5・悪態、先天構造の破壊の結果。岩戸閉め、岩戸開き。 【天の安の河原 ~ 出でまし】
先天構造を背負わせて放逐。 【千倉の置き戸 ~ 神やらひ】
6・ 父韻と母音による創造を拒否する 。 【大気都比売 ~ 種ど成したまいき】
7・ ヤマタの大蛇、速須佐之男の考える(先天的に使用する)父韻 。 【かれやらはえて ~ 八重垣】
知らずに負わされている先天構造(父韻)。
8・ 【速須佐之男の神裔】
(2)・ 大国主の神。ウ次元父韻の探求。
1・ 因幡の白兎。 【大国主の神 ~ いまし命獲るたまはむ】
父母音を無視した命名、行為、活動。
2・ 八十神の迫害。 【ここに八上比売 ~ その大神はかりたまひなむ】
父韻不在の言葉、産物、表現同士の関係。
3・ 文字による創造活動。根(音)の国。 【詔命のまにまに ~ 国を作り始めたまいき】
文字、表現創造。創造結果に居つく心持ち。
4・ 八千矛の神の妻問い歌。 【神かたり】
5・ 大国主の神裔。
6・ 少名毘古那の神。隠れている父韻。
7・ 大年の神。表現形式の主体的確立。
(3)・ 豊葦原の千秋長五百秋の水穂の国。ウ次元の実体世界。
天菩比(アメノホヒ)の神
天若日子(アメノワカヒコ)
アジシキ高日子根の神
建御雷の神
事代主の神
建御名方の神
大国主の国譲り
(4)・ ににぎの命。主客の変態脱皮。(第一王朝)
ニニギの命
猿田毘古の神
天孫降臨
天宇受売の命
木花之佐久夜毘売
(5)・ 火遠理の命(天津日高日子穂穂手見の命。主客の統一止揚。(第二王朝)
海幸彦と山幸彦
海神の宮訪問
火照りの命の服従
ウカヤフキアエズの命の誕生。(第三王朝)
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ブログ 022。 今とは。
今ココいま現在の今とは何か、これをちょっといじってみます。
今とは何かという問題も人の意識の問題ですから、古事記の冒頭を適応すれば、ハイできあがりです。
ただ書き手が中途半端な人間だというのが欠点ですが、それでも門前の小僧式に何とかしてしまい世界の哲学者を負かしてしまうかもしれません。大法螺は置いといてだいたいこんな調子です。
今とは何かと言ったところで、言い出した本人の持っている意識以上のことは本人には書けません。賛否の意見を寄せる場合も同様です。
そういった知識の堂々巡りを超えるのが古事記の方法、フトマニ言霊学、ですが、私みたいのが書くとさらに混乱まで起こしそうです。
ですのでサワリの真似事だけにしておきます。
今というのはイの間からできた言葉で、イに属する働きの総元締めで、イザナギのイです。
今は八つの居間を持っていて、言い換えれば今の瞬間には八つの種類があります。
(瞬間に八種類もある訳ない、などといわないでください。一万年前にこれを発見して運用を始めたところから大和の日本が始まったのですから。中国文明五千年どころの話じゃありません。ところで中国では文明といいますが、文明という言葉は日本語なんですよ。)
イが居間に居座るとチイキミシリヒニのイ段の働きとなってあらわれ、ウオアエの実体と結ばれて形を現そうとします。ですので形に現れた今は八四の三十二の今の形になります。
今とはと問題を出す人も答える人もそれらのなかからどれかの意識を秘めて、質問なり解答なりを探していきます。フトマニ言霊学はその全体が対象ですから、おやおや、そう簡単じゃないですね。
ということで今回はこれで隠れることにします。
いつかやりたい思いは常々あります。
③イヰ・チイキミシリヒニ、いきさま働き
一)チ・整理。初期規範。 【金山毘古 ~ 豊宇気毘売】
二)イ・父韻。主体活動。 【泣沢女(なきさわめ)の神。】
三)キ・主体的規範の模索とその表現。 【比婆(ひば)の山 ~ 天の尾羽張】
四)ミ・主体が創造した客観世界。 【黄泉国 ~ 伊賦夜坂】
五)シ・主客の変態脱皮。 【伊耶那岐の大神 ~ 飽咋の大人の神】
六)リ・主客の統一止揚。 【奥疎の神 ~ 辺津甲斐弁羅の神】
七)ヒ・禊ぎ祓え、理想的な規範の創造。【上つ瀬は速し ~ 墨江の三前の大神】
八)ニ・吾の眼の三権分立。 【左の御目を洗ひたまふ ~ 建速須佐之男の命】
九) 意識の三権(①②③)分立の統合された運用へ。 【伊耶那岐の命いたく喜びて ~ 汝命は海原を知らせ】
時とは事物の実相の変化のリズム。
今とは意思による創造の変化の届く範囲内での実相の変化。
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ブログ 021。 ひふみ神示
ひふみ(日月、一二三)神示の人気がとても高い。
世界を「でんぐり返しする」と言う割りにはファン、信者、シンパ達には政治的な意識は非常に少ない。肉断ち菜食災害予言祈り等がもっぱらの関心事のようにみえます。
ひふみ神示も謎々で書かれていますが、日常を扱う題材が多く生活次元でそのまま信じても善い言葉が多いので、表現の真意を解くことには関心がないようです。真意を解くと言っても、出口なお女史の教えを継ぐもので、要するに古事記の謎を基礎にしています。
ひふみ神示は古事記を解説するために表されたといってもよく、フトマニ言霊学を理解するには多くのヒントを与えてくれますが、神示自体は古事記の秘密を説くことはなく「一厘の秘密」扱いしています。
逆に言えばひふみはフトマニ言霊学から見ていけば大抵の段落はその隠された真意は見通せるようですが、古事記の丸写しページがあったり、日常に関する表現が面白いし、そのまま取り入れても一厘の秘密、原理から直接導き出され繋がった表現ですので安心できます。
古事記の方はこのひふみ神示の語らない一厘の秘密から始まって心の全展開を示していますから、併読するのもいいと思われます。