大祓祝詞・ここにお集りになった
序文朗読
集(うご)侍(な)はれる、親王(みこ)、諸王(おほきみ)、諸臣(まえつきみ)、
集(うご)侍(な)はれる-
ここにお集りになった
親王(みこ)-
親王は天皇の近い親族である皇太子、皇太后、皇后
明治憲法では違ってきたようです
諸王(おほきみ)-
近い親族以外の皇族
諸臣(まえつきみ)-
天皇の大切な御用をする長官
百官人達(もものつかさびと)-
文武百官であるお役人
諸聞召せと宜る-
聞いてください
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大祓祝詞・八咫の鏡
天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕へ奉る、比礼(ひれ)挂(か)くる伴男(とものを)、手襁(たすき)挂(か)くる伴男(とものを)、靱(ゆき)負ふ伴男、剱(たち)佩(は)く伴男、伴男の八十伴男を始めて、官(つかさ)々に仕へ奉る人達の、過ち犯しけむ雑々(くさぐさ)の罪を、今年の六月晦(みなつき・つごもり)の大祓に、祓ひ清め給ふ事を、諸聞召せと宣る。
天皇(すめら)が朝廷(みかど) に仕へ奉る-
天皇が知らし召す朝廷の政治の場に仕えている
天皇が行う根本原理、器物で申し上げますと‘三種の神器’の中の「八咫の鏡」と申します。形而上の教訓を「道」といい、形而下の器物として表わしたものを「器」という、‘三種の神器’と申しますのは、三つの精神上の働きを器物の格好で表わしたものです。
「八咫の鏡」と申しますのは人間が人間足らしめている条件を全部満たした上で、その法則、条件を政治に使ったら、今の政治とは違って、人民を治めるという政治ではございません。
昔の政治は日本なら日本の文明を創造していくにはどうしていうようなことをしたら良いかという事でした。八咫鏡を精神構造に表わしたのが天津太祝詞と申しまして、大祓祝詞の後ろの方で「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」とあります。
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大祓祝詞・大御心と大御宝
天津太祝詞音図は五十音の向かって一番右側の母音の縦の並びがアイエオウ、左側の縦の並び半母音がワヰヱヲウ、ア段の横の並びはタカマハラナヤサ。イ段の横の並びはチイキミシリヒニ、縦の母音は五つの性能を表わします。
人間の本具の五母音は、それぞれに性能領域があります。
‘ウ’は欲望/産業・経済
剱佩く伴男(たちはくとものを)
‘オ’は経験知/学問・科学
靱負ふ伴男(ゆきおふとものを)
何故を人知で汲み上げて行く
‘ア’は感情/芸術・宗教
天皇
‘エ’は実践知/政治・道徳
手襁挂くる伴男(たすきかくるとものを)
物事に遭遇した時にウオアをコントロールしたら
一番良い対処の方法ができるか選ぶ
‘イ’は創造意志・生命意志/現象として現れ出ない-
比礼挂くる伴男(ひれかくるとものを)
ウオアエを総括し言葉として表現する
伴男は四つ出てまいります、 五母音の内の‘ア’である天皇が国民を見る心、それを昔は大御心と申しました。天皇が国民を思う心を大御宝と申しました。または、御身(おおみま)、心を体現している体、それは国民でありました。
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大祓祝詞・心の先天構造
ちょうどお母さんが赤ちゃんを抱いてお乳を飲ませ育てるが如くに国民を見ている。自分の体以上の存在、それは感情の発露ですから‘ア’の位に天皇がおります。
柿本人麻呂の歌に「大君(すめみま)は神にしませば天雲の雷の上に廬(いほり)せるかも」、人間の言葉は昔の人は‘雷’に例えました。‘神’と申しますのは、意識はしないけれど、「これは時計だ」とか「喉が渇いたな」と言葉が出て来る以前の領域のこと、言霊学で申しますと心の先天領域のことです。
人間は意識できませんが先天の働きがなければ、けっして言葉が出て来ない。言葉が出て来ますと現象になります、それを後天領域と申します。先天領域には17の言霊がございます。
ウ・アワ・ヲオエヱ・チイキミシリヒニ・イヰの17言霊です、半母音のウは重複しますので含まれません。このこと(重複)が分かれば言霊の学問を全部知ったことになる。今、説明しますと二時間も三時間もかかってしまいますので、皆さんでお考えになって下さい。
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大祓祝詞・言葉は雷
17(アオウエイは母音、ワヲヱヰは半母音、チイキミシリヒニは父韻)の言霊は、父韻が母音に働きかけて活動いたしまして32の子音(現象の最小単位)が出て来ます。子音を綴ることで人間の一切の営み、仕草、森羅万象、総ての存在に名前がつけられます。
雷はピカピカッと光りますと何秒か後にゴロゴロと鳴ります。人間の言葉も雷であると昔の人は考えました。天雲は先天領域のこと。雷(五十土)、‘土’は五十音一音一音を粘土板に刻みまして焼いて壷に収めました。
宮中にも壷があるそうです。皇太子が皇太子として立つ、立太子式の時に「壷切りの太刀」を天皇から授かって賢所へ行き壷の封印をその太刀で切ります、そして壷の中にある五十音一音一音の粘土板を覗く儀式があります。
これは何の呪示かと申しますと、皇太子に立つためには、アイウエオ五十音の言霊を自覚、保持する人に限り、昔の制度で決まっておりました。二千年前の崇神天皇以後はそういうことがなくなり、天皇に一番近い人が皇太子になりました。
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大祓祝詞・先天構造
柿本人麻呂の歌に大君(すめみま)は神にしませば天雲の雷の上に廬(いほり)せるかも」、人間の言葉は昔の人は‘雷’に例えました。‘神’と申しますのは、意識はしないけれど、「これは時計だ」とか「喉が渇いたな」と言葉が出て来る以前の領域のこと、言霊学で申しますと心の先天領域のことです。
人間は意識できませんが先天の働きがなければ、けっして言葉が出て来ない。言葉が出て来ますと現象になります、それを後天領域と申します。先天領域には17の言霊がございます。
ウアワヲオエヱチイキミシリヒニイヰの17言霊です、半母音のウは重複しますので含まれません。このことが分かれば言霊の学問を全部知ったことになる。今、説明しますと二時間も三時間もかかってしまいますので、皆さんでお考えになって下さい。
17の言霊(アオウエイは母音、ワヲヱヰは半母音、チイキミシリヒニは父韻)が活動いたしまして32の子音(現象の最小単位)が出て来ます。人間の一切の営み、仕草、森羅万象、総てに名前がつけられます。
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大祓祝詞・神鳴り
雷はピカピカッと光りますと何秒か後にゴロゴロと鳴ります。人間の言葉も雷であると昔の人は考えました。天雲は先天領域のこと。
言霊一音一音を粘土版に刻み素焼きにして壷に納めました。宮中にも壷があるそうです。皇太子が皇太子として立つ、立太子式の時に「壷切りの太刀」を天皇から授かって賢所へ行き壷の封印をその太刀で切ります、そして壷の中を覗く儀式があります。
これは何の呪示かと申しますと、皇太子に立つためには、アイウエオ五十音の言霊を自覚、保持する人に限り、昔の制度で決まっておりました。二千年前の崇神天皇以後はそういうことがなくなり、天皇に一番近い人が皇太子になりました。
三種の神器を護るという役目でしたから。三種の神器を実行するには天皇に近くても出来ません。それが今迄二千年間続いています。今の天皇は「こんなものはいらない」、平成天皇、平民に成る天皇、私が言ったわけではないのです、歴史家が申していることです。
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大祓祝詞・伴男(トモノヲ)
音図に基づいて「廬(いほり)」、一音一音を掘り起こして、その意味に従って政治を行う、「イ堀り」を掛けた。万葉集の何分の一、百人一首の十分の一以上は言霊の原理と叙情詩の韻を掛け合わしています。それが昔、和歌(敷島の誠の道)を詠む目的でした。
昔の役職制度は人間の根本性能に基づいて定めました。縄張り争いは絶対に在りません。天雲と申しますのは一番上のアに当たります。
比礼挂くる伴男(ひれかくるとものを)
比礼(ひれ)の比は言霊のことを昔は霊(ヒ)と申しました。又は真邇。顕(れ)を当て字しますとよく分かってきます。霊である言霊がよく分かるように顕れる、それは文字、神代文字、真邇名文字。
五十音図を掲げて今ここの実際の状況を把握し判断する役目。
手襁挂くる伴男(たすきかくるとものを)
手の指を広げたり折ったりして数を数える。例えば或る人がしかめっ面をしていた、表情が和らいできた、現象の変化、変化のない処に数はございません。変化を読み取る方法。
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大祓祝詞・握手(ニギテ)
奈良の石上神宮に布留の言本(フルノコトモト)という唱え言がございます。
ヒフミヨイムナヤコトモチ(一二三四五六七八九十)
ロラネシキルユヰツワヌ
ソヲタハクメ
カ ウオエニサリヘテ
ノマスアセヱホレケ
言霊をどのように移していけば良いかを考えることを手襁き(たすき)と申します。昔、お小遣いのことを「にぎにぎ」と申しました。手の中に握ったコイン、握っている、把握している、ということは物事の価値を把握しているということになります。
生産物をどれくらいの価値があるか金によって把握する、握手(にぎて)、指を折っていくこと。その価値はお金とは限らない、物事の意味を道理に従って全部を掌握した時に、「こういう意味なんだな」とハッキリ実相が分かって来る。
握手は御幣、神社のしめ縄などに紙で出来た飾り物がございます、そのこと。物事を掌握する「わかった」ということになります。
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大祓祝詞・国津罪と天津罪
個人的な罪は大祓祝詞の後ろの方で解説されますが「国津罪」として出て来ます。それに対して公な罪、国家世界に関する罪、それを「天津罪」と申します。明瞭に分けてあります。
天皇が‘ア’の大御心でお母さんが赤ちゃんを育むような気持ちで政治の場に臨んで、それを手助けする四つの伴男が間違いのないようにします。政治の罪とはどういうことか。
世界各国から色んな主張、要求、主義主張がなされてきますと、それらをどのように按配して日本なら日本の文化を創っていくか、統合していくか。それが政治の一番の目的です。
そういうことが政治の目的です。仏教用語で「摂取不捨」、どんな人の言い分も自分が言った真心から出た言葉として全部受け取ります。「そんなの知らない」とは決して言いません。そしてその真意を生かすように取り上げて吸収します。どんな罪人でも地獄から極楽に引き上げます。
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大祓祝詞・一割のコンプレックス
日本の昔のスメラミコトはその通りに総ての意見を取り挙げて、一番真実の処を殺すことなく生かして、その総合体として日本の文化を創って行く。主張の内の九割は受け取ったが一割は受け取り損じたということになりますと、その一割がどんどん増えて社会の大変なコンプレックスになります。
そのコンプレックスを「罪穢れ」と申します。このコンプレックスが溜まりますと大事になりますので、六月と十二月晦の大祓に溜め込んだコンプレックスを自分の心構えに隙があったとして祓います。それが大方の大祓祝詞の目的です。
蛇足になりますが、日本の大祓祝詞の言葉の「罪穢れ」は、旧約聖書、モーゼの五書のペンタトーチ、レビ記に詳しく書かれております。ピシャーッと合っております。その処でお気づきになられる方もいらっしゃるかもしれませんが、モーゼには国津罪しか教えていません。天津罪は教えませんでした。
ここに九分九厘の一厘の仕組みがございます、後で詳しくお話しいたします。それを祓い清め賜いますから、よくお聞き下さいませ、というのが序文の意味です。
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大祓祝詞・日本のことだけではない
高天原に神留ります、皇親神漏岐神漏美(すめらがむつかむろぎかむろみ)の命以ちて、八百万の神等を神集(つど)へに集へ賜ひ、神議(はか)りに議りたまひて、我皇御孫(すめみま)命は、豊葦原の瑞穂国を、安国と平(たいら)けく知しめせと事(こと)依(よさ)し奉(まつ)りき。
「高天原」と申しますのは色んな意味がございます。地理上の箇所と説きますとどういうことになるか。ハッキリしたことは全然分かりません。ただし、古事記・日本書紀には天孫降臨の時に、高天原から降っていって朝鮮から九州に渡ってきたということらしいです。
高天原ということはチベットのような高原地帯ではないかと推測されます。それが本当かどうかは分かりません。世の中が変わって大規模な予算でもって調べればすぐに分かることかと思います。
日本だけのことではございません。世界中に埋もれた史実が次々と明るみになりますと、何の為にピラミッドが建てられたかといった、世界の謎とされていることが、言霊の原理が復活することによって解決することになりますでしょう。やがては世界中、人類全体の問題として取り上げられることと思います。
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大祓祝詞・日本語を使う民族の意味
地球の屋根と言われる高原地帯に大勢の偉人が集まって、人間には心がある、心と言葉の関係を何千年と費やして発見し完成したのが言霊の原理です。丁度現代の科学が今から五千年前から「物とは何ぞや」を人類が死に物狂いで研究した結果、物質文明が完成されたのと同じことです。
高原地帯の高天原でどんな研究をされたかは分かっておりませんが、最終的に言霊の原理が発見され、原理に基づいた文明社会を創造する遠大な目的のために、地球上の何処かに本拠地を置いて、その仕事を遂行すれば良いか。最終的に降りてきましたのがこの日本列島であります、これは間違いございません。
数千年の間、知っていても知らなくても、言霊の原理を保持して、原理に基づいて作られた言語を使ってきたのが日本民族です。これだけは否定しようのない事実でございます。昔の人は日本の国を「霊の本」と呼びました。自分の生きるべき言語が言霊の原理によって作られた霊の原理を保持する伝統の国。豊葦原の水穂の国とも申しまして、「豊」の一字が物語っております、後ほど説明いたします。
高天原が形而下の問題として考えますと、アジアの屋根の高原地帯ではなかろうかということになります。形而上では人間の心の先天構造、17の言霊で構造と捉えることも出来ます。先天も人間の心から観れば高原地帯になります。
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大祓祝詞・高天原
高原地帯にある先天構造はどういう働きがあるのだろうか、それによってどんなものが生産されるのであろうか、後天現象が起こるのだろうか、そういうことを考える、その頭脳の組織が高天原。その高天原と言われる語源が天津太祝詞音図のア段の横の八音が‘タカマハラナヤサ’です。
人間の最高の精神構造、「天の児産命(アメノコヤネ)」と申しますが、屋根にあたる‘タカマハラナヤサ’、名付けて高天原と申します。「高天原に神留ります、皇親神漏岐神漏美(すめらがむつかむろぎかむろみ)の命以ちて、」は、「高天原にいらっしゃいます人間の精神構造(皇親)の中に神がいる」。
人間が生まれた時に天与に授かった‘アオウエイ’である心の住処、五つの母音、未だ文明を創造しない、社会活動をしていない心の構造、五つの畳わりの五重構造ですから、人間の住む家の語源は五重(いえ)です。
‘アオウエイ’の家に住んでいます神漏岐神漏美、家の縁の下の力持ちの主体は‘イヰ’です。イは伊耶那岐命、ヰは伊耶那美命、この創造意志があるから他の四つの性能が発現し、総括します、それを「神漏岐(伊耶那岐)神漏美(伊耶那美)」と申します。
言霊イヰの原理(創造意志)の命令により、実際は根本意志のイヰの原理に則って、「八百万の神等を神集へに集へ賜ひ、神議りに議りたまひて」、八百万の神と申しますのは、解釈が様々ですが、神道学者によっては森羅万象総てに神が宿る、それは全然嘘ではありませんが、実際の意味を知って言っているのなら問題はありません。
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言葉はいのち
実際に物事を構成している50の言霊、それを動かす典型的な方法、それが百の原理です。これ以外はございません。では八百万と申しますのは、先天17言霊、後天33言霊を50の動かし方で結び合う、そうしますと言葉が出て来ます。そうしますと八百万どころではございません。何兆以上の結び合いがございます。その一つ一つの言葉、それが神。
ヨハネ伝の冒頭に「はじめに言あり、言は神とともにあり、言は神なりき」とあります。言葉で発せられましたのはその人の生命そのもの。自分の判断力、自分の言葉の総ての真心で命名したものが、総ての言霊で命名したもの、総ての実状を考え合わせて「神集へに集へ賜ひ、神議りに議りたまひて」ということになります。
「我皇御孫命は、豊葦原の瑞穂国を、安国と平けく知しめせと事依し奉りき」、「我皇御孫命」と申しますのは古事記の神話にある「邇々芸命」ということになります。皇祖と申しますのは神道で天照大神のことを指します。
天照大神の子供は天の忍穂耳男命(アメノオシホミミノミコト)、その子供が邇々芸命(ニニギノミコト)。第一番目が天照大神、第二番目が天の忍穂耳男命、第三番目が邇々芸命は孫に当たります。皇孫と邇々芸命は同じこと、二次的なその又二次的なという意味で「三」という意味になります。邇々芸命の「芸」はどういうことか、第一次的なものが言霊の原理、「真邇」と申します。
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大祓祝詞・言葉の中に真実と嘘が同時に分かる
真実なるものとは人間が表現できないものです。ですが、もっとも真実に近く、これ以上表現することが出来ないということから「真邇(まに)」と申します。真に似せる、それが一次的な真実。
その次の真実は言葉にした時、言霊の原理で以て言葉を作りました、日本古来の名前を付けました、言葉は二次的、ですから天照大神の子供の名前は「天の忍穂耳男命」と言って「耳」が付いています。
次に三次的な「邇々芸命」の「芸」とは二次的な真実の言葉が言葉通りに動く社会。そのような社会を創ることが芸術であります。政治において言葉がそのまま真実である社会。
「こうだ」と言えば絶対「こうだ」の世界。人間が嘘を言いますと、聞いている人が「此処と此処は本当だが、此処と此処は嘘だ」と分かる言葉、「言葉通り」と申し上げますと誤解されますが、言葉の中に真実と嘘が同時に分かる、これが言霊の言葉です。
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人間の頭の働き方は三通りしかない
そういう社会、政治を創るのが二の二の第三次的な芸術です。それを「皇孫(すめみま)」と申します。お前が適当な所へ降って行って「豊葦原の瑞穂の国と言われる国家を創れよ」ということで日本列島に参りました。
「豊葦原の瑞穂の国」、豊かに葦が広がり、稲が豊かに実る国、と申しますのは言霊の原理から申しますと大変な意味を持っております。「豊」は数霊の「十四」、先天構造の代表的な‘アイエオウ・タカマハラナヤサ・ワ’の言霊の数です。ご自分で何故重要なのかを謎解きをされて下さい。
代表的な数を取り上げただけではないのです。もっと実用的な意味合いを含んでおります。人間の頭の働き方は、地球上に平成13年現在60億人いても簡単、三通りしかございません。それ以外の考え方をすると人間ではなくなります。
近代科学が発達する以前は、東洋の考え方を図形で表わしますと□、これは八卦、易の洛書の図形ですが、人間の精神の大本が「分かった」を前提として演繹的に働くかを表わしています。キリスト教では「馬槽(まふね)」と申します。この中にイエス・キリストが産み落とされた「飼い葉桶」、仏教では「地獄」と申します。
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東洋と西洋の思考の違い
の中に真実が入りますと地獄でなくなります。 言霊「8」を基本にします。人間の心の根本構造の働きは八通りにしか働きません。それが八父韻、なにもないのは宇宙、人間が神の子であるという根本的な意味は八つの父韻の働きがあるからです。これは宇宙ですから自然のもの。
父韻は人間の心の一番奥にありまして、人間が人間足るべき‘イ’を除く‘アエオウ’の宇宙に働きかけると子音としての出来事が言葉として出て来ます。人間の根本知性の性能に基づいているのが東洋哲学の根本精神。
では、西洋的な考え方はどうか、 数字で言えば「6」。この考え方の先天構造の動きをマスターしたのがユダヤのキング・オブ・キングス、6の数霊を操ります。何処にいて何をしているのか絶対に分かりません。
現象として現れる前をコントロールする、黒子のように世界中を操っています。一般の西洋人はこの思考方法以外をしません。△の正反合の考え方、誰かが何かを発見した△(正)、けれど完全ではない、どうしてか、俺はこう考える▽(反)。
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思考が分かれる以前
そうしますと、両方真実だとすると、統合した真実がある(合)。次から次に正反合の繰り返し、この考え方は哲学であろうと科学であろうと外れることはありません。
「ここに時計がある」というところから人間の思考が始まりますと、西洋的な考え方になります。時計であろうものをパッと見た瞬間は一者だった、それを禅で「一枚」と申します。
思考が分かれる以前、主体の自分と客体の時計、見ている自分をネグレクトしてパッと見た瞬間は「俺が時計を見ている」という観念がなくなり、そこに時計があるところから始まります。そのちょっとした違い、これが人生における大問題になります。
東洋的思考を「8」、西洋的思考を「6」、両方は環境破壊反対派vs産業推進派のように相容れない。両方を満足させて文明を創造する最高の原理が百音図、いわゆる「八咫鏡」、上の五十音が言霊の原理、下の五十音が言霊の活用を表わしています、言霊の数霊は「10」です。
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天孫降臨の本当の意味
日本語は東洋的思考(8)と西洋的思考(6)を統合する(14)ことが出来ます。ということは、日本語は両方を合わせ持つ、このことを日本人が知らないだけ。
8の2乗(64)+6の2乗(36)=10の2乗(100)の数霊が成立します。2乗の意味は物事が始まる主体と客体を掛け合わしますと現象の数になります。
八咫鏡(天津太祝詞音図=原 ‘ア’段の‘ア’~ ‘シ’=葦)のことを「葦原」、「瑞穂」は‘陰’である原理とそれが花咲いて現出した社会の‘陽’、陰陽相まって‘水火(瑞穂)’、又は五十音の稲が瑞々しく実っている‘イ名穂’、哲学的には同じ意味です。
八千年乃至一万年前くらいに聖の集団が世界の屋根の所から降りて来て、朝鮮半島を通り、言霊の原理に則った世界の中心、社会を創る国として日本列島を「ここは吉き地」と都を定めた。それが古事記に書かれている天孫降臨の本当の意味です。
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天孫降臨の地
斯く依(よさ)し奉りし国中(くぬち)に、荒ぶる神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神拂ひに拂ひ賜ひて、言問ひし磐根樹根立(いはねきねたち)、草の片葉(かきは)をも言止めて、天の磐座(いはくら)放ち、天の八重雲を嚴(いづ)の千別(ちわき)きに千別きて、天降(あまくだ)し依し奉(まつ)りき。
斯く依し奉りし四方(よも)の国中と、大倭日高見(おほやまとひだかみ)国を、安国と定め奉りて、下津磐根に宮柱太敷(ふとし)き立て、高天原に千木高知りて、皇御孫命の瑞(みづ)の御舎(あらか)仕へ奉りて、天の御蔭(みかげ)、日の御蔭と隠(かく)りまして、安国と平けく知しめさむ、
皇親神漏岐神漏美(すめらがむつかむろぎかむろみ)である、伊耶那岐・伊耶那美の神様、人間でいいますと、長い間、言の葉の誠の道を完成、自覚した人の委任を受けて、言霊の原理を第一、第二次、第三次的な運用として世界の国を理想の国家に打ち立てようと、地球の平地(日本)に天下って来た、神話でいわれる邇々芸命の集団が仕事を始めた、「斯く依し奉りし国中に」というところから今回のお話が始まります。
「荒ぶる神」と申しますのは、盗賊や海賊のように荒し回っていたということではありません。言霊の原理から言いますと、アラ(天津金木)の音図で表わされる原理を活用していた社会、今、学校で教えております、‘アカサタナハマヤラワ’の音図のことで、「ぶる」は振る、「高千穂の奇振嶽」と申しますように、活用する、運用するという意味。
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言向け
邇々芸命が降臨して来る前、日本乃至世界で起こっていたのか、初めて日本へ言霊の原理を持って来て世界の政治が行われる迄は、世界は一つの意図の下に人類の歴史を創って行こうというような動きはなかったようです。
「人間とは何ぞや」という原理が解った上で、人類はどのような社会を創れば、住み良い社会になるのだろう、長い眼で歴史の意図を以て一つの目標を定めて理想社会を建設していこうとしたのは、この邇々芸命の時から始まりました。それを「経綸」と申します。
「荒ぶる神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神拂ひに拂ひ賜ひて」とありますのは、武力や権力で追っ払ったということではありません。
元々そのような荒ぶる社会に心と言葉の原理を持ち込んで来た邇々芸命は、「争い合っていては永遠に平和な国土は築くことは出来ない」と討論しに行きました、そのことを古事記では「言向け」、又は「言向け和(やわ)し」とも申します。
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大和言葉で統一
今迄の強権を振るって統治している荒ぶる世の中と、「人間とは何ぞや」と言う根本原理を以て、誰もが調和の中に楽しく暮らせる政治の原理と、どちらが正しいかの討論の末に納得させることが始まったということを言っています。
「磐根樹根立(いはねきねたち)」、アイウエオの母音だけの世界(五葉音=いはね)、人間の文明創造をするのはどうしたら良いかというのではなくて、人間の気持ちをどう思ったらいいのか、人間の幸せとはどういうことなのか、という個人的な幸せを考える、ことを「五葉音」と申します。
言霊の原理で申しますと、いわゆる母音だけに拘泥して、文明を創造し社会を動かす八父韻が働いていない考え方、宗教・芸術的感情論(気音=きね)によって物事を決めて行く考え方を討論し、「このようにしたらどうだ」と納得させて断ち(立)、止めさせる。
「草の片葉をも言止めて」、色々な(草)書いてある文字(片葉=かきは)、言霊の原理則らない言葉、概念的な考え方から出て来た文字、又はその文字に綴られる色々な社会的な文化も無くしていって、聖書にありますように「一つの言、一つの音のみなりき」、言葉を統制していって、言霊の原理に則った言葉に換えて行った。
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各国の言語はそのままに
ただこう書いてあるだけで考古学的にハッキリ申し上げられませんが、たぶん全部の言葉を廃止してしまったわけではないと思います。
今後も起こる事でしょうが、各国の言語はそのままに、全世界の政治が行われる場合のみ正式な言霊の原理に則った言葉が制定されたのだと思います。国際的な、世界に関係するようなことを決める時は大和言葉で統一したのだろうと考えられます。
そのようにして行くについてはどのような方法がなされたか、「天の磐座放ち」、天(先天17言霊)の五十葉倉(いはくら=言霊五十音原理)、その中でも人間の先天構造にあたる17言霊の内の八父韻を強調した言葉を発表し、従来の文化の中へ推し広めて行った。
「天の八重雲を嚴の千別きに千別きて」、天空にもくもくと湧き出て来る雲と申しますのは、人間の心の考えも又、湧き出て来る様、その発想の原動力となるもの、それは八つの父韻です。ア段へ‘イエオウ’段の発想がもくもくと湧き出て来ます。八父韻が四つの母音に働きかけますと32の現象子音が出て来て結びつきますと言葉になります。その原動力となっているもの。
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八つの音はどんな人間の心になるのか
湧き出て来ることから八段の雲、八重雲となります。「嚴」は清らかとか厳密、厳か、「千別」は‘千’は道(ち)の当て字、別ける、美しい、醜い、正しい、正しくないこと、適当、不適当、というように道理を別けて行く。どのように分けて行くかを説いておりませんが、何と何を分けたのか、古事記では「出雲八重垣」に当たります。
自分の領域を八つの言葉でもって垣根を造り、領域に囲まれた処で国を治めるぞという意味も含んでいます。‘カサタナハマヤラ’という垣根、これを、言葉を違えて申しますと、神足別豊鋤天皇がモーゼに教えた原理でもあります。‘カサタナハマヤラ’と並んだ八つの音はどんな人間の心になるのか。それはゾクゾクするような言葉になります。
いかなる戦いも決して負けることのない心の持ちよう、もっとすごいのは戦わずして勝つ。ユダヤの言葉で「カバラ」と申します。どういう原理であるかは「古事記と言霊」の本の中に書かれております八つのイ段の父韻 ‘キシチニヒミイリ’の説明を自分の心の中に解釈されて、どういう心かを描いてみて下さい。
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大祓祝詞・徳力による政治
魚屋なら問題はありません、指導者、秀吉、信長、家康などの一国一城の主ですと全国を制覇することが出来る。中国では「孫氏の兵法」として有名です。
もっとコンパクトに言いますと「虎の巻」、‘トーラ’は‘足る’が語源です。モーゼに神のトーラ(カバラ)を別けた豊かに人類の歴史を耕して推進させた神足別豊鋤天皇の意味になります。
この‘トーラ’が「出雲八重垣」、総ては力のある者が勝つ、その力を発揮させるにはどうしたら良いのか、何処を要点にして敵の弱みにつけ込むにはどういたら良いか、エホバの神は「我は戦いの神、妬みの神、仇を報ずる神」と旧約聖書に宣言している。(出雲八重垣)
荒ぶる社会に「天の八重雲」を投入して、どっちが良いかを選別しました、道を別けた。当然、人間が戦わず和気あいあいと大きな愛情の政策の中にとけ込んで行く方が良いのに決まっております。戦争をして天孫民族の言う事をきかしたということではないのです。「このような方法で治めなさい」と命令をしたという事です。(天降し依し奉りき)
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大祓祝詞・ヤマトの意味
斯く依し奉りし四方(よも)の国中と、大倭日高見(おほやまとひだかみ)国を、安国と定め奉りて、下津磐根に宮柱(みやばしら)太敷(ふとし)き立て、高天原に千木高知りて、皇御孫命の瑞(みづ)の御舎(あらか)仕へ奉りて、天の御蔭(みかげ)、日の御蔭と隠(かく)りまして、安国と平けく知しめさむ。
「斯く依し奉りし」、こうやって天孫の邇々芸命、それに続く天津日嗣天皇たちが、言向け和して、世界の国と日本の国を平和な国に治めていった。「大倭日高見国」は、大倭の「倭」としています。「大和」とも書きます。
中国の最も古い代表的な「魏史倭人伝」という歴史書がございます。中国が「倭」と慣用しましたので外国でも一般的な日本の名称となりました。そこにほんの少し日本のことが書かれています。
‘やまと’は「八間留」、八間が留まる、天津太祝詞音図の八つの父韻‘チキミヒリニイシ’が□の中に入る。この八父韻が人間の心の最高の持ち方、大祓祝詞の心の持ち方、禊祓の行法、八父韻(チキミヒリニイシ)の並び、その八つの原理が留まっている国ということから「やまと」です。
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どうやって治めていったのか
大和の国の原理を以て、「日高見」は言霊の原理(日=霊)です、建国のやり方として高く掲げた国、神代の時代においては全世界の国々(四方の国)が日本の国が中心となって仰がれた国、つまり日本のことですが、平和な精神文明の国として定め創った、ではどうやって治めていったのか。
最後に柿本人麻呂が美しい修辞で大祓祝詞を作ったと言われておりますが、短い言葉で色んな意味を持たせますので解釈が一番難しいところです。どう捉えて、どう表現しても、もっと分かり易い表現があるかどうかを考えてみて下さい。解釈すると面白くなくなってしまいますが。
そのように第一精神文明の世界を平定した政治はどのようなことを主体にしたものだったかが次の文章です。
下津磐根に宮柱太敷(ふとし)き立て、高天原に千木高知りて、皇御孫命の瑞(みづ)の御舎(あらか)仕へ奉りて、天の御蔭(みかげ)、日の御蔭と隠(かく)りまして、安国と平けく知しめさむ。
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人間が何かをしようとする時の基本となるもの
ここまでは人類の五千年間に亘る第一精神文明の心構えを総て出し尽くしております。「下津磐根に宮柱太敷き立て、高天原に千木高知りて」と申しますのは政治の形態、日本の古代の政治は、この言葉に則って朝廷の役職は行われておりました。
「下津磐根に宮柱太敷き立て」、一番下、人間が何かをしようとする時の基本となるもの、「人間とは何ぞや」、何をするにも人間本具の性能(天津菅麻音図)の下にしっかり足を踏ん張って起こします。言霊五十音(五十葉音=いわね)、儒教の言葉に「天地人」というのがあります。天を仰ぎ、地を敷き、中間に人間の営みがあるという教え。
天津菅麻音図(天から授かった清々しい心の音図)の母音の上からの並び方は‘アオウエイ’、一番下は‘イ’の段階に言霊五十音は展開し存在しています。イ次元(人間とはそも何者ぞ)で人間の心を観ますと五十音の言霊しかございません。
人間の心は言霊五十音で総て集約されます。言霊の学問と申しますのは、人間の心の五階層の母音‘イ’に展開している五十音の言霊の眼で観た人間の精神内容です。
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作用と反作用
「下津磐根」、下に言霊五十音が展開している土台の上に、次に何があるか「宮柱太敷き立て」、精神的な人間の心を表わすお宮を作る五母音の自覚の柱(アオウエイ)を立てる。何故柱を立てるのか、前にも言いましたが五母音で表わす宇宙、人間の五母音の層の家(五重)は五母音の柱です。
「太敷き立て」、二十(ふと)音(濁点の付く‘キシチヒ’)、言霊を代表する原理、人間の心の奥に或る物事を発想させるエネルギー源である根本知性である八つの父韻。その中の主体(我)の作用(母音)と客体(汝)の反作用(半母音)の間を結ぶと、心の交流の現象が起こります。現象を起こす原動力。
八父韻の中の濁点の付く‘キシチヒ’の四つの父韻が主体の五母音に働きかけます(4×5=20)、‘ミリイニ’が半母音に働きかけます、ということは主体の方が分かれば客体がどう答えるか、どう動くかが分かって来ます。現代人とは違う考え方をしますが、理屈を付けるとそうなります。
作用と反作用、ここにコップがあります、押しますとコップは押されたと申します、ところが反対も言える、反対のことも言える、押したということはコップを「マイナス」で押したということも言えます。そのように物事を考える。
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杖を伴う
濁点って何か、やったことの完了形を濁音で表わします、「こうなりました。それが、」というように日本語は完了したものを受けて「~なりました。それが」と申します。
八つの父韻を見なくとも、四つの濁音の付く‘カサタハ’現象二十音を習得すれば総ての原理を説明することが出来ます。言霊の原理のことを布斗麻邇(フトマニ)と言います。二十の言霊でもって五十の言霊を代表している。
奈良時代、天皇が住んでいた処を「磯(五十)城」と言いました。一つ一つの言霊はそれだけでがっちりと城を成している。(太敷き立て)
「伴っては断橋の川を渡り、伴っては無月の村に帰る」、禅坊主が言った言葉ですが、杖に助けられて、橋が落ちてしまった川を渡り、杖を共にして月が出ていない道を村へ帰る、どういうことか。
むちゃくちゃな世の中、杖さえあれば川を渡れるし、足下も見えない月のない真っ暗な闇夜でも帰れるよ、「杖」とは何かを書いていないから素晴らしい‘偈’(げ)、お坊さんの詩を‘頌’(しょう)と言ったりします。心の杖のこと、何かに迷った時に判断できる杖のこと。その杖を判断力として立てた。
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心の御柱
言霊が隠されていた頃は宗教的な修辞の言葉がたくさん出て来ます。宗教の悟りをズバッと言わないで美しい詩でもって表現をした、他の表現をしますと「凝った」、つまり堕落した。
母音の柱を立てた有名な所があります、「天の橋立」、そこの社務所へ行って参考になるものを下さいとお願いしますと、「天の橋立は昔、天に向かって立っていた、天には神様がいて天と地を行き来して世の中を治めていた、堕落した世の中になって倒れてしまった。」渡されたパンフレットに書いてあります。
あそこは不思議な所ですね、一番高い所で数メートル、低い所で1メートルくらいですか、幅は最大で50メートルくらい、中央に真水の井戸が湧き出ています。元伊勢神宮も近いです。
人類の五千年前の第一精神文明時代には「宮柱太敷き立て」、五母音の柱は伊勢神宮の外宮、内宮においては本殿にある八咫鏡の真下、天の御量柱として立っている。神道五部書には「一心の霊台、初心変通の本基」とあります。
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謎ではなくなった
伊勢神宮は特殊な建て方をしております。五母音の柱は五尺の長さで下の二尺が地中に埋まっている。その五尺の寸法も時が移る毎に変わっています。二十年に一度式年遷宮といって建て替えますが、鎌倉時代までは五尺だったと何かの本に書いてあります。
「宮柱太敷き立て」、人間とは何ぞや、という認識の、人間が依って立っている天津菅麻音図を認識の基に判断する宮柱(杖)を立てる。宗教書に書かれている「杖」と言ったり、「剣」と言ったり、天の御量柱(心の御柱)として立っているものは、人間の根本の判断力のことを言っています。(一心の霊台、諸心変通の本基)
伊勢神宮の外宮・内宮には本殿の真ん中の真下に立っております。この心柱の長さは五尺、下の二尺が地下の埋まっているように建てられている。鎌倉時代の式年遷宮の時には、外宮・内宮共に五尺(アオウエイ)だったと記録されておりますが、その後、神主さんが人間考えから寸法を変えたようです。
何号か前の会報に「面倒くさいからこんなものは引っこ抜いてしまえ」と書きました。神主さんが聞いたらさぞかし立腹されるでしょうが、この柱の正体は五母音ということが世の中に出てしまいました。もう謎でなくなりましたから、「もういらない。」
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心の法則
でも、実際そうです、二千年前に言霊の原理を隠すために、当時の人たちがどうしたら長い間隠し通せるのかを考えて心の御柱をそのような形で遺しました。二十年位なら文章に遺すのも一考でしょうが、文章くらい当てにならないものはない。
秦の始皇帝は焚書といって全部焼いてしまった。マホメットは剣かコーランかと言って、それまでの歴史の神に関する記述をみんな焼き捨てた。
五尺のうちの二尺(‘エ’と‘イ’)を埋めたのは、‘ア’は感情、その発露は宗教・芸術、‘オ’は過ぎ去った記憶、記憶と記憶の関連性を調べるとしたら学問、科学は全盛です。‘ウ’は五官感覚による欲望、これも旺盛です。人類の意識の中から‘エ’と‘イ’は二千年間、まったくなくなってしまった。
‘エ’は人間の道徳心、誰もが持っています、ですが、道徳心に法則があると言ったら、驚かれる。学問は法則がなければ学問ではありません。横っ面を殴られて「ワァー、嬉しい」と言う人はいません。大概の人は怒ります、それが法則だからです。
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隠れていた正体
ところが道徳にも科学の法則と同様な法則があって、その法則化する本の原理‘イ’(言霊)を二千年間隠してしまいますよ、ということから二尺が埋まっております。「宮柱太敷き立て」とはそういう意味でございます。
次の「高天原に千木高知りて」は、原理の根本の認識として天津菅麻音図を一番下の土台として、踏まえて、原理の判断力の宮柱を立てて、それを活用することによって、「全世界の国々の政庁の組織の原理を打ち立てた」ということです。どういうことかは、ここが一番難しいところです。
「高天原」の語源は人類が政治を行う最高の心構えを表わす天津太祝詞音図。その音図の父韻の順序を表わすのが‘タカマハラナヤサ’です、その‘タカマハラ’を取って高天原と名付けました。
古事記では高天原(タカマハラ)とは地球上の屋根といわれるチベットの高原地帯、そこで言霊の原理が長い研究の末に発見・完成されたであろうとする推定される場所を指します。形而上の精神的に表わしますと、人間の頭脳の一番奥にある五十の言霊によって結界されている清浄無垢な領域、その原理に則って政治を司る政庁を指します。
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