六月末日の大祓 十二月もこれと同じ
今日の儀式にお集まりになった親王様、皇族方、諸大臣達、その他朝廷の各役人方、これより申し上げる事をお聞き下さい。
天皇が主宰なさる朝廷にお仕えする言霊原理の奉持者、原理の活用による政策立案者、政策を法令化する人達、その法令をもって一般国民に接する役人達、その他大勢の役職にある者達を始めとして役所に務めるその他の人達が、政治上また日常に犯した種々の罪穢を、今年六月末の大祓によって祓い清めますから、皆謹んでお聞きなさい。
数千年乃至一万年の昔、太古と呼ばれる時代に地球上の高原地帯に於いて人間の心と言葉の究極の原理を発見し、後世神漏岐・神漏美の命と神話で呼ばれるようになった私達日本人の大先祖に当る方が、大勢の言霊原理の自覚者を一堂に集め、相談した結果、言霊原理を第一次的、その原理に基づいて事物に名を付けることを第二次的、その言葉に相応(ふさわ)しい合理的な社会を第三次的な芸術として理想の社会・国家を建設する責任者(神話で邇々芸命と呼ぶ)を地球上の平坦地、日本の土地に派遣し、言霊原理に則った平和な国家を創建せよ、と命令したのです。
またその日本の地に下って行ったなら、その地に以前から「我よし」の力を振う人々を正当で合理的な言葉の論理で説得し、彼等が主張する間違った論理や感情論を一切説破して、天降った聖達が自覚している心の先天構造の真理を発表し、その先天構造から現出する社会創造の政策を宣布するように委任し、命令したのでした。
この様に委任されました邇々芸命という日本の肇国者であり世界人類文明の創始者は世界の国々とこの日本の国とを平定し、人間天与の精神支柱を言霊アオウエイと確認し、その上で人類文明創造の原理として言霊アイエオウを高く掲げた政治の庁を創建し、この日本の国を世界の高天原として言霊原理の道理そのままの政治機構を打ち建てたのでした。
また日本朝廷の創建者邇々芸命の天津日嗣を受け嗣ぐ代々の天皇(スメラミコト)の神聖な朝廷にお仕えする人達は政治の原理として言霊布斗麻邇を奉戴し、その原理を数霊(かずたま)を以て正確に活用・運用することによって日本国と世界の国々を、現代の各民族の神話が「神代」と呼んでいる五千年の長い年月の間、平穏無事に治め、人類の第一精神文明の時代を創造したのです。
時は移り、人類の第一精神文明の時代は終わり、物質科学研究を目的とする人類の第二物質科学文明時代に入ります。この時代の目的追求を促進するための方便として第一精神文明の中心法則であった言霊原理は社会から隠没されました。
そのため年月の経過と共に日本と世界の国々との中に於いて「生めよ殖えよ地に満てよ」と増加する人々の中に種々の罪が発生して行きます。
それらの罪の中で五十音の言霊法則を乱す形而上の罪とは畔放ち、溝埋め、桶放ち、頻(しき)蒔き、串刺し、生剥ぎ、逆剥ぎ、尿戸等のものであり、他人や社会に迷惑をかけ秩序を乱す形而下の罪として生膚断ち、死膚断ち、白人胡久美、己が母を犯す罪、己が子を犯す罪、母と子と犯す罪、子と母と犯す罪、獣類を犯す罪、蝗大量発生の罪、不浄霊能力の罪、人を迷わす言葉の罪、獣を殺し、禁厭(まじない)をする罪等々の罪が発生して来るでありましょう。
そして第二物質科学文明の終末期には、世の中に人々の罪が満ち溢れ、社会の混乱が収拾つかない程に立ち到ることでしょう。
そういう事態になった時には、日本の朝廷に於いては言霊の原理に則り、第二物質文明時代の指導精神原理である天津金木音図の構造を解体して生命本然の構造に見合うよう変換し、また人間が生来付与されている大自然の心の構造である天津菅麻音図を解体して真の文明創造の原理にはならない事を確認し、その上で人類文明創造の大法である天津太祝詞音図の手法タカマハラナヤサに宣り直して見なさい。
そうするならば、第一精神文明時代のあったと同様の言霊布斗麻邇に基づく世界の政庁・法庁・教庁である御稜威(みいつ)輝く日本の朝廷が再び世界人類の上に創建され、その朝廷に於いて政治を行う人達は五十音言霊の秘法を宣布・活用して、世の建直しの政策を立て、次々に世界に発令・伝達する事に務めるようになり、その政治の恩恵を受ける国々の国民は、言霊原理に基づく政策を、原理を自覚出来ない人々にも理解することが出来る言葉に書き直した法令によって理解・得心して喜んで新しい時代の生活を楽しむ事となるでしょう。
このような新しい人類の第三文明時代が創造されて来ますと、天津日嗣天皇の朝廷を始め世界の国々には、文明創造の原理の光に包まれて罪という影はすべて消えてしまい、心の構造の原理に基づいた世界政治の政策が次々に発令され、言霊父韻の法則を見事に使い分けた判断が世の中の暗黒を吹き掃って、第二文明時代には使用されなかった天津太祝詞音図という大船の原理が世界の人々を乗せて第三文明創造の大航海に乗り出すこととなり、世界を覆っていた複雑怪奇な思想理論が言霊原理の先天と後天の明快な構造理論によって整理されて行きます。
こう言われる如く世界の人々の罪という罪は消えて無くなってしまうように日本の朝廷の政治は行われますが、そのやり方は次の様なものであります。
天津太祝詞音図の母音はアイエオウと並びます。そのアの位にいます天津日嗣天皇から文明創造に充分な内容を持つ命令が下りますと、その位の次のイ段に位する五十音言霊図を自覚する人々(瀬織津姫)によって沙庭・検討され、社会への発令が決定されます。
すると次のエ段に位する役目の人々(速開津姫)は、時々刻々と映り変わる世界の状勢に適合するように命令の内容・発令の時期等が充分納得出来るまで検討・決定されます。
次に言霊オの段階に(気吹戸主)移され、命令は一般国民が理解し易い法令・法則に書き直され、社会に発表・伝達されます。
最後の言霊ウの段階にいる世界の大衆は(速佐須良姫)その人情溢れる細やかな配慮の法律の下に、新時代の生活を楽しみ、安楽な生計を営むことが出来ます。
法律は何時しかその目的を達すると忘れ去られます。そうなる前に時宜に適した次の法律が発令される事となります。
政治の状況がこの様に澱みない時代となりますと、天津日嗣の朝廷にお仕えする官職にある人々を始めとして、世界の四方の国には、罪という罪は人類文明創造の光の中にすべて消え去りますから、高天原の朝廷の天の斑馬(まだらこま)と言われる天津太祝詞音図を斉(ひと)しく称えながら、今年の六月末日の夕日の入日の大祓の清めの言葉を皆さん、謹んでお聞きなさい。
都の四方の国の大祓の儀式の責任者もそれぞれの地方にこの趣旨を持ち帰って人心の滞(とどこお)りのない様務めなさい。
このように唱えられても有り難くも何ともないように思えますが、もし大祓を実行する者の祝詞、神の言葉、天津日嗣天皇の言葉と考えて訳しますと以上のようになります。大祓祝詞は段落がございませんので、段落の間に時代の推移を付け加えませんと理解できませんので。来月号の会報に載りますのでご参考になさって下さい。
「前より違う新たらしい政治が始まろうとしているように思えますが、皇祖皇宗の新しい文明のご経綸と関係がございますのでしょうか?」というご質問をよく頂きます。その質問にいつもお答えする事ですが、全然関係ない。
確かに今の首相は党内でも反対派に回って孤軍奮闘しているように見えます、しかし、皇祖皇宗の御経綸と関係がありますか?というご質問を頂きますが、いつもお答えしますことは全然関係ない。日本の権力構造が変わる訳ではありません。そういう意味では変わり方が遅いくらいです。
昭和22年に新しい憲法が出来た趣旨から言えば、こうなるのはその時になっても良かった。皇祖皇宗の文明創造の御経綸の立場から見ますと直接には全然関係ございません。何故、そう申し上げられるか。
今から三千二百年前、今迄の三千年余人類の歴史を牛耳っている「神撰民族」といわれるユダヤ民族は彼らの中に居る預言者達(ヨハネ伝、ダニエル書等々)の言うことを聞き、文明を創造してきました。
「神撰民族」の神とは誰であるか、神が選んだ民族、神はこの世に存在しません。神と言われる人は存在します、三千年の暗黒の世の中の時に、皇祖皇宗の言霊の原理に基づく世界の経綸者がいなくなった時の一つの方便でした。神という信仰の対象を作りました。神は実際には存在しません。
神と謂われる言霊の自覚者、霊知り(聖)であった鵜草葺不合王朝第69代神足別豊鋤天皇が、モーゼが日本に留学をした際、天津金木の原理の一部を教え、帰ろうとする時に天皇がモーゼに勅命した一部が竹内古文献に載っております。
毎度申し上げる事ですが、素晴らしい言葉です、帰ろうとするモーゼに神足別豊鋤天皇が「汝モーゼ、汝一人より他に神なしと知れ」とモーゼに勅語を賜りました。これがどういう意味を持つのか、言霊五十音が生命の実際なんだということがお分かり下さると、ハッキリお分かりになると思います。
これは竹内古文献には載っておりませんが、そう言う言葉を賜ったに相違ないのです。今後三千年の間、「汝と汝の子孫は人類の先頭に立って、物質科学文明を発展、成功させよ、その末に第二物質科学文明がもたらす富と武力と経済力を以て世界の国々を再統一せよ」という命令を下した。
神といわれる邇々芸命であるスメラミコトに選ばれた民族ですから「神撰民族」と申します。このことは誰も知らない。ですが、言われていることは確かです。よく私の処にユダヤ人の方が見えますが、「私達は神に選ばれた民族です、国が滅んで東に渡り日本に来た。その時に築いた文化が今に続いている」と明言して帰ります。
それは一面には正しい。日本が第一精神文明の言霊の原理を方便上隠しまして、日本の国に何もないようにした上で神武天皇以降の神倭王朝では、世界、特にユダヤ民族の文化を輸入することによって日本の文化に取り入れる国の方針を立て、それ以降はモノマネ文化になりました。
皇祖皇宗である天津日嗣天皇の御経綸の一端なのであって、何故日本は第一精神文明の原理を隠してしまったのか、それは第一、第二、第三と続くであろう、世の中の歴史を創造するための皇祖皇宗の大きな謀(はかりごと)でした。
言霊の原理から作られた日本語を知っておりますと、花一つにしても、その花がもっともらしいイメージによって作られた花の名前なんだということが分かります。日本語の名前の仔細がなるほど、「よくも巧妙に付けたな」とお分かりになります。
そのように日本語は世界に冠たる独特のものです。言霊の原理のことを昔の人は一言で「霊(ヒ)」と申しました。その原理をずーっと継承して、言霊の原理に基づいて作られた唯一の言葉を使っている国なので「霊の本」と申します。東洋の一番東にあって日出ずる国。
何故モーゼが来朝したのか、今と同じように交通が盛んだった、ただし、大きな機械文明はないですから徒歩です。今の霊能者は飛んで来たといいますが、自分もできないことをヌケヌケと申します、人間はそんなに突飛なものではございません。
カラスは何万年も前からカラス、人間も何万年も前から人間、ただし、言霊の学問を修得しますと、この場にいて世界を動かす、これは確か。宗教家がお見えになると必ず申し上げます、「動きなさいますな。」
皆さん、ポカンとなさいます、「それはどういう意味ですか?」、これが分かりますと説明せずとも言霊の学問は卒業です。説明をしなければならないのであれば、まだまだ時間がかかる。
言霊の学問と申しますのは、霊能力で判断しない、理論的に判断しない、その人の言う言葉そのもので判断する。ところが文明の発達いたしました今は、世界の隅々まで言葉が行き渡ります。その言葉によって世界の流れが判断できます。
と同時に、それを判断する自分の心が、魂があちこちに動き回りますと判断できません。言霊百神の学問を鏡として自分の心はここに書かれている通りだと証明するのが勉強の仕方です。
太安万侶が書いた言霊百神の天の御中主の神から須佐之男命まで、ちょうど百の神様が出て来ます、百神以外の神はいない。やってみればその通りだなと分かる。大昔の霊知り達はそのことを発見して、三千年後どのような世の中になっているかを見通した上で経綸をなさっている。
推測でも予想でも何でもない、「1+1=2を信じます」とは言いません、「1+1=2です」と言います。「これを時計だと私は確信しています」とは言いません、「これは時計です」と言います。
言霊の原理から見ますと、「この時代にはこのようなことが起こる、このような世の中になりますよ」と、「そうなるはず」とは申しません。「~はず」と言えば信仰、信じることになります。
科学者が「この宇宙ロケットは打ち上げて何年何月何日に月の是是然々の処におります」と言うはず、もし「~処にいるはず」と言えば誰も宇宙飛行士の成り手がおりません。
時には故障が起こりましょうが、一般科学と申しますの「I think ~」は言いません。このように言霊の学問において「I think ~」とは言いません。
私が皆さんに御伝えします時に「I think~」と言った覚えはない、「こうです」、間違いないですから。死ぬほど辛い目にあったとしても、それを確かめて「間違いない」と証明しましたから、皆様にお伝え申し上げています。「こうなるはずだよ」と申し上げている訳ではございません。
「神撰民族」と「天孫民族」が力を合わせる時代、今迄三千年間、「天孫民族」は鳴かず飛ばず、ひたすら外国のモノマネをしてまいりました。それも意味がある、第二文明の時代に天孫民族は出番がない、言霊の原理は隠しておかなくてはなりませんでしたから。
隠しただけで失くした訳じゃない、時が来たならばまた思い出さなければならない。そのために日本人の先祖は色んな施策をし、古事記を書いて遺し、「唯一神明造り」の伊勢神宮を建て、言霊の原理で見れば総て説明がつくように造られている。朝廷では大嘗祭、大祓祝詞の儀式を遺して二千年の間準備して下さっていた。
しかしながら、この予言を聞くだけの自分には責任と因縁があるということです。集団行動はとりません、自分が神様ですから、自分がこの学問を勉強している限りは、自分と皇祖皇宗は直結しています。
自分の魂の中に皇祖皇宗がちゃんと目を覚まして「もうそろそろ起きなきゃな」、どうすんだい?、俺ならこうするけどな、岩戸は開きました完全に。それは精神内の仕事、今の政情とは関係ございません。
ただし、精神内の仕事を理解する方が、ある数に達しますと、それ迄に仕上げなくてはならない神撰民族は忙しくなります、そういう関係ではあります。三千年間の責任において第二物質科学文明を成就せよと命令したのですから、ユダヤに任せた以上成就するまで口出しは出来ません。
ですが、完成の時は刻々と迫っておりますから、それに間に合いますように、言霊の学問を極めて行ってください。ユダヤの動きから「こうなるな」ということを俯瞰することが出来ます。ユダヤの中に飛び込んでしまいますと流れに呑み込まれてしまいますから、世の中の動きがさっぱり分からなくなる。
そういう方達を、小笠原先生は「神を知らず、仏に会わず、皇祖皇宗の御経綸を知らず、巻き込まれている輪廻を知らず、その自覚もなく、跳ね返す力もない。自分が世界の歴史のどういう位置に生きているかも自覚していない、速佐須良姫である」と言っております。
ユダヤは今アメリカに本拠地を置いておりますが、やがて日本に渡ってまいります、渡って来易いように、そのための準備は万端。日本のマスコミは完全に「速佐須良姫」ですから、右向け右。ニュースを観ながら、「斯う言えば少しは違って来るのに」と心の中で思います、そうやってジーッと動かない。動かずにして世界の情勢が手に取るように分かります。
時折、私がそちらに坐り、何方がこちらで喋っていただき、私が質問するというのはどうでしょうか。何故かと申しますとこの学問は先生がいない。皆、魂の中に皇祖皇宗がお住みになっていて虚心坦懐に「どうしましょう?」と聞けば「こうしろ」とちゃんと教えていただける時代になった。
ですから喋っている人も、聞いていただいている人も、同じ皇祖皇宗の懐にいます。私に質問をしていただくということは、その方が分からないから質問をされているのでしょうが、もっと分からない私を勉強させていただいている、だから「有り難い」、おだてて申し上げている訳ではありません。
一つ一つの質問にどう答えるか、これは禅問答と同じです。書いてあることを返事するのではなくて、その人にどう答えるか、二人いれば二人共に同じ答えではないはず。それを使い分けるにはどうしたらいいのか。心と言葉の学問ですから有用です。そういうことから私も一生懸命勉強させていただく。
特に自分の心を観るということは、やさしいようで難しい。何処にいようが、何をしていようが、心はいつも一緒です。ですが見えません、日頃から外ばかりを見るように教育されておりますから。頭の良い方は外から仕入れた知識で一杯々々、頭を何回も打つけて苦労するよりも、ご質問下さいませ。
言霊の学問に勇気を出して入ってしまえば、後は自分の力でパァーっと開けて行きます。戸口でウロウロ、あまり申し上げますと、諦めてしまう方もいらっしゃいます。「私は生まれて初めて人生の師に出会うことができました。ありがとうございました」と電話でおっしゃった方は、終ぞ一度もお見えになりません。皆さんとは同級生ですから、誰が偉い、先生、ということもない。
了。