意識の宝座 意識の宝座
意識の宝座
(0) あめつち・言霊ウ<ア・ワ>イ・吾の眼を付けて地に成す=
(1) あめつち・言霊ウ<ア・ワ>イ・吾の眼を付けて地に成す=
(2) あめつち・言霊ウ<ア・ワ>イ・吾の眼を付けて地に成す=
(3) あめつち・言霊ウ<ア・ワ>イ・吾の眼を付けて地に成す=
(4) あめつち・言霊ウ<ア・ワ>イ・吾の眼を付けて地に成す=
(5) ・・・・・・・・
------------------------------
あめつち ・ 言霊ウ<ア・ワ>イ ・ 吾の眼を付けて地に成す=
先天 ・ 天の浮き橋 ・ 後天
国の御柱 ・ 八尋殿 ・ 天の御柱
天の御柱 ・ 八尋殿 ・ 国の御柱
------------------------------
あめつち・言霊ウ<ア・ワ>イ・吾の眼を付けて地に成す=
淡 伊 隠 竺 伊 オ 蛭 淡 島々
路 予 岐 紫 岐 ノ 子 島 島々
の の の の の コ
穂 二 三 島 島 ロ
狭 名 子 島
別 島 島
島
------------------------------
あめつち ・ 言霊ウ<ア・ワ>イ ・ 吾の眼を付けて地に成す=
先天世界 ・ オノコロ世界 ・ 後天世界
先天客体世界 ・ 主体世界 ・ 後天現象世界
------------------------------
あめつち ・ 言霊ウ<ア・ワ>イ ・ 吾の眼を付けて地に成す =
イ ・ ウ-ウ、オ-ヲ、ア-ワ、エ-ヱ ・ ヰ
チイキミシリヒニ
あめつち =
現象
あめつち・言霊ウ<ア・ワ>イ・吾の眼を付けて地に成す =
イ ・ ウ-ウ、オ-ヲ、ア-ワ、エ-ヱ ・ ヰ
チイキミシリヒニ
あめつち =
現象
--------------------------------
こころの領域形成
あめつち・吾の眼を付けて地に成す
先天意識の領域。
(一) 淡路の穂の狭別の島 という意識の領域
(二) 伊豫の二名島
(三) 隠岐の三子島
(四) 竺紫の島
(五) 伊岐の島
オノコロ島
後天意識の領域。
(六) 津島
(七) 佐渡の島
(八) 大倭豊秋津の島
客体世界。
(九) 吉備の児島
(十) 小豆島
(十一) 大島
(十二) 姫島
黄泉国。
主体世界。禊ぎ祓え。
(十三) 知訶島
自覚意思
(十四) 両児島
---------------------------------------
以下 http://www.futomani.jp/kototama_ver.1/chart/chart.htm からの引用。
(一) 淡路の穂の狭別の島
天の御中主の神 ウ
アとワ(淡路)の言霊(穂)が別れて出て来る(別)狭い(狭)区分(島) 言霊ウは主客未剖、アワはそこから分れます
(二) 伊豫の二名島
高御産巣日の神 ア
神産巣日の神 ワ
二名とはアとワの二音言霊のこと 宇宙剖判で主体アと客体ワに分れます この主と客に分かれることが全ての自覚の始まりです イとヰの現象を創造する働きの予めの区分
(三) 隠岐の三子島
天の常立の神 オ
宇摩志阿斯訶備比古遅の神 ヲ
国の常立の神 エ
豊雲野の神 ヱ
隠岐とは隠り神、三つ子とは三段目に現われる言霊という意味
言霊オ・ヲ(経験知)、エ・ヱ(実践智)は文明創造上最も重要な精神性能です
(四) 竺紫の島
宇比地邇神・妹須比地邇神 チ・イ
角杙神・妹生杙神 キ・ミ
意富斗能地神・妹大斗乃弁神 シ・リ
於母陀流神・妹阿夜訶志古泥神 ヒ・ニ
竺紫は尽くしの謎 八つの父韻は言霊イ(伊耶那岐神)の実際活動のリズム 「身一つにして面四つ」の意味は作用・反作用の陰陽一対四組の知性の律の島です
(五) 伊岐の島
伊耶那岐神 イ
伊耶那美神 ヰ
伊岐とは伊の気でイ言霊のこと
心のすべての現象はここから現われ出て、また此処に帰っていくのです
(六) 津島 (天の狭手依比売)
大事忍男の神 タ
石土毘古の神 ト
石巣比売の神 ヨ
大戸日別の神 ツ
天の吹男の神 テ
大屋毘古の神 ヤ
風木津別の忍男の神 ユ
大綿津見の神 エ
速秋津日子の神 ケ
妹速秋津比売の神 メ
津島の津とは渡し場の意 未だ言葉として名のつかない、秘められている区分 先天構造内に起った活動が津島という十言霊の現象を経て、頭脳内で実際のイメージにまとめられ行く過程です
まだ言葉として表現されていない内は全く個人的な恣意であって人間社会に通じることのないものです 先天の活動が言葉の社会、即ち一般社会に出て行く船の発着場という意味で、先天の何か分らない働きが表現された言葉の世界へ出て行く港の意です
未鳴、真名とも言います まだ言葉として発せられていない、考えがまとまっていく段階です
別名 天の狭手依比売(あまのさでよりひめ) とは先天の天名(あな)が狭い津島という区分(狭)を通って一つのイメージにまとまるよう手で探ることが秘められている(比売)区分ということです
(七) 佐渡の島
沫那芸の神 ク
沫那美の神 ム
頬那芸の神 ス
頬那美の神 ル
水分の神 ソ
国の水分の神 セ
久比奢母智の神 ホ
国の久比奢母智の神 ヘ
佐渡とは助け(佐)渡す(渡)の意 何を助け何を渡すのかといいますと先天の活動が一つのイメージ化され、そのイメージを誰にどのような表現で伝えたらよいか、が検討されて言葉として表現・発生される処の区分
どんなに立派な心中のイメージであっても言葉として、または絵や記号、詩などに表現しなければ人に伝わることがない心中の発想で終ってしまいます 宗教上の悟りや哲学上の発見も、それが人間の頭脳内のイメージとして捉えられただけでは、表現しない限り真理とはなりません 言葉となって此岸から彼岸に渡されます
真名とも言います
(八) 大倭豊秋津の島 (天津御虚空豊秋津根別)
風の神名は志那津比古の神 フ
木の神名は久久能智の神 モ
山の神名は大山津見の神 ハ
野の神名は鹿屋野比売の神 ヌ
天の狭土の神 ラ
国の狭土の神 サ
天の狭霧の神 ロ
国の狭霧の神 レ
天の闇戸の神 ノ
国の闇戸の神 ネ
大戸或子の神 カ
大戸或女の神 マ
鳥の石楠船の神 ナ
大宣都比売の神 コ
火の夜芸速男の神 ン
大倭は大和とも書きます すべてが共存調和するという意 三十二個の言霊がこの区分の言霊の誕生によって全部で揃い、それが豊かに明らかに現われる(津)区分(島)という意味となります
音声が空中を飛ぶ言霊フモハヌは「神名」ともいいます 電波、光波でも同じです
声は耳により入って聞いた人の頭脳内で「ああこういうことか」と了解され行動になります その後、言葉は先天宇宙に帰り、記憶として印画されて言葉の循環はここで終ります 耳から入って了解されるまでの言霊は真名です
別名 天津御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)といい先天の活動(天津御虚空)が豊かに明らかな音(根-ね)となって現われる(津)区分
火の夜芸速男の神 ン
神名の火とは言霊のこと、夜芸の夜は夜の国、夜見または読みとなります 芸は芸術のことで火の夜芸速男の神とは、言霊を読む芸術(業-わざ)が早く示されている働きということになり 明瞭に文字の事を指しています 真言に「言霊即実相、文字即涅槃」とあり、文字とは言葉が眠っているものという意味で、生きた人間がそれを読むと直ちにその文字の事が実相となって蘇ってきます
------------------------
(九) 吉備の児島
金山毘古の神
金山毘売の神
波邇夜須毘古の神
波邇夜須毘売の神
弥都波能売の神
和久産巣日の神
の子(豊宇気毘売の神)
吉く備(吉備)わった初期(児)の締まり(島)と言った意 五十個の言霊を集めて形だけは五十音図としてまとめたけれど、その内容はまだ詳細には確認されていない段階ということです
初歩的では有りますが豊宇気として先天の性質を受け持っているこの五十音の枠結びを天津菅麻(音図)と呼びます 菅曽(すがそ)は菅麻とも書き先天・大自然そのままの性質の音図(すがすがしい衣の意)のことです 例えばこの世に生れたままの赤ちゃんの心の性能の構造といえるでしょう
(十) 小豆島
泣沢女(大野手比売)の神
音図上で初めて確認された八つの父韻の締めくくりの区分 八父韻は音図上で小豆即ち明らかに続く気の区分のこと
泣沢女(なきさわめ)とは人間の創造知性の根本の響きのことです 音波、光波の大自然の無音の音(梵音)が視覚、聴覚のリズムとシンクロナイズする時、初めて現象が現われます 泣き沢め(なきさわめ)ぐのは父韻であり人間の創造知性の側の働きであり、その刺激により宇宙である五母音から現象が出て来るという意味であります
別名の大野手比売(おほのでひめ)とは大いなる横(野・貫)に並んだ働き(手)を秘めている(比売)の意 音図においては八父韻は横に一列に展開しています
(十一) 大島
(大多麻流別) 石拆の神
根拆の神
石筒の男の神
甕速日の神
樋速日の神
建御雷の男の神
闇淤加美の神
闇御津羽の神
大きな価値・権威を持った心の締まりという意 別名の大多麻流別は大いなる(大)言霊(多麻)が流露・発揚(流)する心の区分、ということです
伊耶那岐の命(言霊の原理・法則)が活用する十拳の剣の力(物事を十段階に分けて判断する)を明らかにする作業区分であります
(十二) 姫島
(天一根) 頭に成りませる神の名は
正鹿山津見の神
胸に成りませる神の名は
淤滕山津見の神
腹に成りませる神の名は
奥山津見の神
陰に成りませる神の名は
闇山津見の神
左の手に成りませる神の名は
志芸山津見の神
右の手に成りませる神の名は
羽山津見の神
左の足に成りませる神の名は
原山津見の神
右の足に成りませる神の名は
戸山津見の神
八つの神代表音神名文字(八種の文字原理)が心の宇宙の中に占める位置・区分
言葉を文字で表したものを比礼(ひれ)または霊顯(ひら)といいます 枚(ひら)の字を当てることもあります 大山津見の神(言霊ハ)は言葉のことです 山津見の山は八間でこの間に言霊父韻が入り、それが津見(渡して現れる)で言葉が出来ます
女(おんな)は音名で、文字のこと 文字には言葉が秘め(女)られています 人によって文字を読むと直ちに心の中に言葉となって甦ります また神代文字は全部 火の迦具土の神(言霊ン)から現われますから、別名、天の一根と言われます
黄泉国。
(十三) 知訶島
伊耶那岐の大神
衝き立つ船戸の神
道の長乳歯の神
時量師の神
煩累の大人の神
道俣の神
飽昨の大人の神
奥疎の神
奥津那芸佐毘古の神
奥津甲斐弁羅の神
辺疎の神
辺津那芸佐毘古の神
辺津甲斐弁羅の神
これよりは言霊学奥義である禊祓の区分となります
知とは知識の事、訶とは叱り、たしなめるの意です
外国の文化の知識をこの段階で言葉の意味がよく分るように内容を整理し、次の人類文明へ吸収する為の準備作業となる段階の働きの区分
(十四) 両児島
八十禍津日の神
大禍津日の神
神直日の神
大直日の神
伊豆能売
底津綿津見の神
底筒の男の命
中津綿津見の神
中筒の男の命
上津綿津見の神
上筒の男の命
天照大御神
月読の命
建速須佐男の命
言霊布斗麻邇の原理は心の要素である五十個の言霊とその運用法五十、計百の原理から成り立っています その要素五十言霊を上の五十音に、運用法五十を下の段にとりますと百音図ができます これを図の上と下が完成した原理として両児の島と名付けました
-----------------------------------------
原文。
かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。
ここに伊耶那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合いまして、
子淡路の穂の狭別の島を生みたまひき。
次に
伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。次に
隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。次に
筑紫(つくし)の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひわけひとわくじひわけ)といひ、熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。次に
伊岐(いき)の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。次に
津(つ)島を生みたまひき。またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。次に
佐渡(さど)の島を生みたまひき。次に
大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(もそらとよあきつねわけ)といふ。
かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。
然ありて後還ります時に、
吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。次に
小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。次に
大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。次に
女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。次に
知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。次に
両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。
-----原文ここまで。-----------------------
-----以下引用による解説。-------------------------
かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。ここに伊耶那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊耶那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合いまして、子淡路の穂の狭別の島を生みたまひき。
最初の子生みに失敗した岐・美二神は、心の先天構造の法則に立ち返り、今度は間違いないやり方で子を生むこととなります。伊耶那岐の命が先に「あなにやし、えをとめを」と言い、その後で伊耶那美の命が「あなにやし、えをとこを」と言います。そして二人の命は交わり合って、淡路の穂の狭別の島を生みました。子を生むと言いながら何故初めに島を生んだのでしょうか。
先天構造を構成する十七言霊の活動によって今後次々と三十二の子音を指示する三十二の神々が誕生して来ます。更に古事記は生れ出た言霊を整理し、それを操作することによって壮大な人間精神の先天と後天の全構造とその動きを明らかにして行きます。その結果、先天と後天の言霊数合計五十、その五十の言霊の整理、操作の典型的な動き方合計五十、総合計百の心の道理を明らかに示す事となります。更に子音言霊やその後の整理・活用を示す神々の名をただ無造作に生み出すのではなく、その生み出す順序と、それを整理する為の明確な区分を前もって明らかにして置く必要があります。即ちその言霊と整理の区分を島の名を以て示そうとする訳であります。言霊の区分と整理活動が心の宇宙に占める位置と区分を島の名によって前以て定めておこうとする作業が始まります。
島とは以前にもお話しましたように「締めてまとめる」の意であります。商店で夕方に帳簿を締めたといえば、それは今日の会計はここで終りとして、明日の会計との区別をつけた、ということです。今日の会計をここで締めて、まとめた訳です。古事記が今から創生する島々も、言霊五十神、その整理法五十神が次々と生まれて来る時に、この神からあの神まではかくかくの内容を持った言霊だ、と内容別に締めてまとめた事であります。
古事記神話に於て伊耶那岐・美の二命によって全部で十四の島々が生まれます。古事記の言霊百神を示す物語が「天地初発の時」より、言霊学原理の總結論である天照大神・月読命・須佐男命(三貴子)(みはしらのうずみこ)誕生までの小説だと喩えるならば、それは島の数十四の章を持った壮大な真理を黙示した物語小説であり、ドラマに喩えるならば、全部で十四幕にまとめられた神々の天上のドラマとなり、これを交響楽に喩えるなら、全章が十四楽章に分れた大シンフォニーなのであります。かく申上げることが出来ますように、古事記の神話は十四段に分れた物語であり、その一段々々が人間精神の働きの部分々々を明確に表現しながら、更にその十四段の全部が水の流れる如くに関連し合って人間の精神生命の全貌を残らず解明し尽くした精神学の完成品だという事が出来ます。
この神話の一節についてもう一つ話を添えて置きたい事があります。岐美二神はお互いに「あなにやしえをとめを」「あなにやしえをとこを」と愛情の言葉を掛けてから天之御柱を往き廻り子音を生みます。この愛情表現は何を示そうとしたのでしょうか。これから生まれて来るものは現象の実相の単位を表わす子音言霊であります。現象の実相は見る人が言霊母音アの次元(そこより感情が生まれる)に視点を置く時、最も明らかに見得るのであります。それ故現象子音創生の前に愛情表現を差し挟んだに違いありません。
子淡路(こあわじ)の穂(ほ)の狭別(さわけ)の島を生みたまひき。
古事記は右の島より始まり、次々と全部で十四の島々が生れ出て来ます。そこで島の一つ一つの説明は後にして、島の全部が現われ出る文章を先に書き記すことにしましょう。
次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、粟(あわ)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。次に隠岐(おき)の三子(みつご)の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。次に筑紫(つくし)の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ筑紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、豊(とよ)の国を豊日別(とよひわけ)といひ、肥(ひ)の国を建日向日豊久士比泥別(たけひわけひとわくじひわけ)といひ、熊曽(くまそ)の国を建日別といふ。次に伊岐(いき)の島を生みたまひき。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)といふ。次に津(つ)島を生みたまひき。またの名は天(あめ)の狭手依比売(さでよりひめ)といふ。次に佐渡(さど)の島を生みたまひき。次に大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき。またの名は天(あま)つ御虚空豊秋津根別(もそらとよあきつねわけ)といふ。かれこの八島のまづ生まれしに因りて、大八島国(おほやしまくに)といふ。
然ありて後還ります時に、吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。次に小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。次に大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。次に女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。次に知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。次に両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。
古事記の神話の形式による言霊学の教科書が天津磐境という十七の言霊で構成された心の先天構造を明らかにし、次にその先天構造の活動によって後天現象の単位である三十二の子音を創生する章に入ることとなりました。古事記は生れて来る子音の説明に入る前に、生れて来た子音が位置する宇宙の中の場所、これを島と名付けて、予め設定しておく作業を進めています。島の数は全部で十四有ります。その中の五島は先天十七言霊の区分、次の三島は生れる子音言霊三十二(三十三)の区分、残りの六島は言霊五十音を整理・運用して人間精神の最高規範(鏡)である三貴子(みはしらのうずみこ)を誕生させるまでの整理段階の順序とその内容を表わしたものであります。
島々の名の説明に入る前に、右の十四島の区分を御理解頂く参考として、私の言霊学の師小笠原孝次氏のそのまた師でありました山腰明将氏が作成しました十四島の区分と配列の図表を掲げることといたします(次頁参照)。初めの五島は既に出て来ました先天構造五段階を説明するものであります。それに続く九島に就きましては、古事記の話が進み、それぞれの区別が終る節々に於て説明させて頂く事といたします。
(一) 淡路の穂の狭別の島(あわじのほのさわけ)
先天構造の最初に出て来る言霊ウの区分を示す島名です。神話形式で言えば天の御中主の神の宝座ということになります。アとワ(淡)の言霊(穂)が別れ出て来る(別)狭い(狭)道(道)の区分(島)という意味であります。この島の名の意味・内容は古事記解説の冒頭にあります天の御中主の神(言霊ウ)の項の全部と引き比べてお考え下さるとよく御理解頂けるものと思います。「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神……」の古事記冒頭の文章自体がこの島名の意味を端的に表わしているとも言えましょう。
(二) 伊豫の二名島(いよのふたなしま)
言霊ア・ワの区分、高御産巣日(たかむすび)の神、神(かみ)産巣日の神の宝座。伊豫(いよ)とは言霊イ(ヰ)のあらかじめと意味がとれます。何物もない広い宇宙から主客未剖である意識の芽が現出します。言霊ウです。それが人間の思惟が加わりますと瞬間的に言霊アとワ(主と客)の二枚に分れます。人間は物を考える時には必ず考える主体と考えられる客体に分れます。これが人間の思考性能の持つ業であります。「分(わ)ける」から「分(わか)る」、日本語の持つ妙とも言えます。
この主と客に別れることがすべての人間の自覚・認識の始まりです。言霊ウの宇宙が言霊アワの宇宙に剖判し、次々とオヲ、エヱの宇宙剖判となり、終にイ・ヰの宇宙に剖判する事によって「いざ」と立上り、現象子音の創生が始まります。言霊イヰによる子音創生が始まりますのも、その予めに言霊アワに分かれたからでありますから、伊豫の二名(アワ)の島と呼ぶわけであります。
この島は身一つにして面四つあり。面(おも)ごとに島あり。
身一つ、とは一枚(言霊ウ)から二枚(言霊アワ)に分れることから、身とは言霊ウを指します。言霊アワから言霊オヲ、エヱが剖判します。そこで「面四つ」と言っています。
面ごとに名あり。かれ伊予(いよ)の国を愛比売(えひめ)といひ、讃岐(さぬき)の国を飯依比古(いひよりひこ)といひ、粟(あは)の国を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左(とさ)の国を建依別(たけよりわけ)といふ。
面四つのそれぞれを言霊に置換えますと、愛比売とは、言霊エを秘めているの意で、言霊エは言霊オから選ばれる事から、愛比売とは言霊オであります。飯依比古の飯(いひ)は言霊イの霊(ひ)で言霊のこと、比古とは男性で主体を意味します。言霊を選ぶ主体は言霊エ、即ち讃岐の国は言霊エです。大宜都比売(おほげつひめ)とは「大いによろしい都を秘めている」の謎で、都とは宮子(みやこ)で言霊の組織体の意でありますので、粟の国とは言霊ヲの事を指します。建依別(たけよりわけ)とは建(たけ)は田気(たけ)で言霊のこと、依(より)は選(より)で選ぶの意で、土左の国は言霊ヱを指します。伊豫・讃岐・粟・土左の四国は「面四つあり」の四に掛けたもので、それ以外の意味はないように思われます。
【註】当会発行の「古事記と言霊」の書の九十四頁、九行に「建依別全部で言霊を選り分けたもの、となり言霊エとなります」とある言霊エはヱの間違いであります。訂正を願います。
(三) 次に隠岐の三(み)つ子の島を生みたまひき。またの名は天の忍許呂別(おしころわけ)。
言霊オヲ・エヱの宇宙に於ける区分の事です。隠岐(おき)は隠気で隠り神の意。三つ子とは天津磐境の三段目に位する言霊を意味します。またの名の天の忍許呂別(おしころわけ)とは先天の(天)大いなる(忍)心(許呂)の区分の意。言霊オ(経験知)と言霊エ(実践智)は人間の生の営み、人類文明創造に於ては最も重要な心の性能であります。
(四) 次に竺紫(つくし)の島を生みたまひき。
(この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ竺紫の国を白日別(しらひわけ)といひ、豊の国を豊日別(とよひわけ)といひ、肥(ひ)の国を建日向日豊久志比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)といひ、熊曽(くまそ)の国を建日別(たけひわけ)といふ。
父韻チイキミシリヒニの八言霊の精神宇宙内の区分。宇比地邇の神・妹須比智邇の神、以下妹阿夜訶志古泥の神計八神の宝座のことであります。これ等八父韻言霊、八神は母音宇宙言霊に働きかけて子音言霊を生む人間の創造意志の智性の原律をすべて尽くしている、即ち竺紫(つくし)の島である、という事です。この島も身一つにして面四つあり、とあります。八父韻すべては言霊イ(親音)の働きであります。身一つといわれます。その働きは二言霊一組の四組から成っています。面四つあり、の意です。この面四つ、四組の区別を左に並べます。
竺紫の国 白日別 言霊シリ
豊の国 豊日別 言霊チイ
肥の国 建日向日豊久志比泥別 言霊ヒニ
熊曽の国 建日別 言霊キミ
右の如く並べて書きますと、三列目の肥の国を除く三行は白日別と言霊シリ、豊日別と言霊チイ、熊曽の国と言霊キミとしてそれぞれ五十音図表のサ行とラ行、タ行とヤ行、カ行とマ行と同じ行である事が分ります。また白日、豊日、建日と日の文字があり、日即ち霊(父韻)を意味します。以上の事から容易に古事記の編者太安万侶の意図を察する事が出来ます。然も編者は容易に謎を解かれるのを嫌ってか、三行目の肥の国だけは長い別の名を用いました。しかしこの長い名前も、八父韻解説の章で述べました如く、於母陀流(面足)が言霊ヒ、妹阿夜訶志古泥が言霊ニと解けてしまっている今では、建日向(面足)と日豊久志比泥(阿夜訶志古泥)は容易にその類似を知る事が出来ます。父韻ヒが心の表面に表現の言葉が完成する韻であり、その反作用として父韻ニが心の中心にすべての思いの内容が煮詰まる韻と分ってしまっているからであります。
(五) 伊岐(いき)の島またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)。
言霊イヰの精神宇宙に於いての区分。伊耶那岐の神・伊耶那美の神の宝座。伊岐の島とは伊の気の島の意でイ(ヰ)言霊のこと。天比登都柱とは先天構造の一つ柱の意であります。絶対観の立場から見ると、言霊イとヰは一つとなり、母音の縦の並びアオウエイと半母音の並びワヲウヱヰの五段階の宇宙を縦の一本の柱として統一しています。この統一した一本の柱を天之御柱と呼びます。伊勢神宮内外宮の本殿の床中央の床下にこの柱を斎き立て、これを心柱・忌柱または御量柱と呼び神宮の最奥の秘儀とされています。この心の御柱は人間に自覚された五次元界層の姿として、人間の精神宇宙の時は今、場所は此処の中今に天地を貫いてスックと立っています。一切の心の現象は此処から発現し、また此処へ帰って行きます。天比登都柱の荘厳この上ない意義を推察する事が出来るでありましょう。
以上で心の先天構造を構成する五段階の言霊の位置を示す五つの島名の説明を終わります。これ等島の名によってその区分に属す言霊の占める精神宇宙の位置ばかりでなく、言霊それぞれの内容を理解するよすがとなることをお分り頂けたことと思います。島の名はこれより創生される言霊子音並びに言霊五十音の整理・運用に関係する島名となります。まだ古事記の文章に登場しない言霊の位置を示す島の説明をしましても無意味な事でありますので、古事記の文章が進む節々に従って島名の説明をすることといたし、解説は三十二子音創生の章に移らせて頂きます。。
既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。
国とは組んで似せたもの、島とは締めてまとめたもの、共に似た表現であります。生れて来る現象子音言霊三十二の精神宇宙に於ける区分と位置が定まりましたので、いよいよ子音言霊の創生に取り掛った、という訳であります。
先に昔の人は人の言葉を雷(かみなり)に譬えた、という話をしました。天空でピカピカッと稲妻(いなづま)が光ると、ゴロゴロと雷鳴が轟きます。それは心の先天構造の十七言霊が活動すると現象子音の言葉が鳴るのに似ているからです。「喉が渇いたな。お茶が飲みたい」という日常茶飯の何でもない言葉を発するのも、実は言葉の原理から言えば、先天宇宙に雷光が走ったからです。人の何でもない平凡な言葉も精神宇宙の大活動の結果です。そこで人間が言葉を発し、それを他人(または自分)が聞き、次にどんな活動が起り、その言葉の役目が終ったらどうなるのであろうか、という事をまとめてみたいと思います。それによって生れて来る子音言霊の精神宇宙に占める位置や区分、またその内容がはっきり理解されて来ると思われるからであります。
先天の活動によって言葉が生れ、発声され、人に聞かれて了解され、言葉の当面の役目が終り、消えて行く。何処へ消えて行くか、と申しますと、元の先天宇宙に帰って行き、記憶として留められます。これが言葉の精神宇宙内の活動の全部であり、その他にはありません。此処に言葉の宇宙循環図を先師小笠原孝次氏著「言霊百神」(一○七頁)より引用します。
先ず精神の先天宇宙の十七言霊が活動を開始します。この際の十七言霊を天名(あな)と呼びます。この天名の活動にて現象子音が生れて来ます。先天十七言霊(天名)の活動は、先天と呼びますように、人間の意識の及ばぬ領域でありますので、其処で何事が起り、意図されたのか、は全く分りません。その分らない内容を一つのイメージにまとめて行く作業が、先程書きました「既に国を生み竟へて、更に神を生みたまひき。……」に続く文章に生れて来ました大事忍男の神より妹速秋津比売の神までの十神の言霊の処で行われる事となります。
(六) 津島(つしま)
この十神(十言霊)の属する島の名を津島(つしま)と呼びます。またこの十言霊の作業の処では、先天構造の活動によって起った意図がどんな内容か、がイメージとしてまとめられますが、しかしまだ言葉とはなっていません。この言葉にならない状態を真奈(真名)または未鳴(まな)と呼びます。
(七) 佐渡島
津島の後に佐渡島があります。この島に属する言霊が八つあります。この八つの言霊の作業によってまとまったイメージが言葉と結び合わされて行き、最後に発声されます。この状態の言霊を真奈または真名と言います。
(八) 次に大倭豊秋津(おおやまととよあきつ)島またの名天つ御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)なる島が続きます。
この島に属する十四言霊の作業で、イメージが言葉として組まれ、発声された言葉が空中を飛び、やがて他の人(または自分)の耳に聞かれ、復誦され、その内容が一つの意味に煮詰められ、最後に了解され、結果としてまとめられます。この間の十四の言霊の中で最初の四言霊(フモハヌ)が発声された言葉が空中を飛ぶ状態です。この四言霊を神名(かな)と呼びます。残りの十言霊が耳に入った言葉を点検・復誦して納得する作業となります。この時の言霊は再び真奈(真名)と呼ばれます。納得され、了解された言葉は役目を終え、元の宇宙に帰って行き、記憶として残ります。
以上、三島に属する三十二の言霊が後天現象の単位である子音言霊のすべてであります。これを三島に属すそれぞれに別け、更に生れ出て来る順に並べてみましょう。
津島――――――タトヨツテヤユエケメ
佐渡島―――――クムスルソセホヘ
大倭豊秋津島――フモハヌ・ラサロレノネカマナコ
以上三島で三十二の子音が生れます。子音言霊の数はこれで全部です。こう見て来ますと、読者の中にはちょっと奇妙な事になっていることに気付く方がいらっしゃるのではないでしょうか。そうです。狐につままれたのではないか、と思われる言霊の魔術?にかかってしまったかとも思われる事が事実なのだ、という事に気付くのです。それは、先天十七の言霊の活動で次々と三十二の子音が生れます。その生れ出て来る総数三十二の子音が、そのまま生れ出て来る順序をも示している、という事なのです。この様な奇妙な事が起るのも、言霊子音が現象の究極最小の単位であるという事、またこの三十二の現象子音の循環が現象宇宙のすべてを表示しており、少しの欠落も余剰もないという事に由来しているのであります。かくの如き言霊原理の魔術的表現を「言霊の幸倍(さちは)へ」と呼んでおります。この人間社会の生命の営みを言霊イ次元に視点を置いて見る時、其処には五十音の言霊しか存在せず、一切の社会的事物がこの五十音を組合せる事によってその実相を表現することが出来るという、日本語の本質が確認されるのであります。
以上の様な「言霊の幸倍へ」は言霊の学の他の箇所にも見られます。一・二例を挙げますと、言霊五十音(四十八音)全部を重複することなく並べて、人間の持つ一切の煩悩を打破する方法を説いた所謂「いろは歌」、また言霊四十七音を重複することなく並べて、世界文明創造の方法(禊祓)を説いた日文四十七文字があります。この日文四十七文字は奈良天理市の石上神宮に太古より伝わる布留の言本(ふるのこともと)と呼ばれています。
http://www.futomani.jp/kototama_ver.1/lecture/no168/no168.htm
http://www.futomani.jp/kototama_ver.1/lecture/no169/no169.htm
(九) 吉備(きび)の児島(こじま)
五十音言霊の全部が出揃い、次にその五十音言霊の整理・活用法の検討が始まります。以上金山毘古の神より和久産巣日の神までの六神が精神宇宙内に占める区分を吉備の児島と呼びます。「吉(よ)く備(そな)わった小さい締(しま)り」の意です。児島と児の字が附きますのは、弥都波能売(みつはのめ)という上にア、下にイ、その間にオウエの三音が入った事の確認を基準として五十音言霊を整理し、枠で結びました。吉(よ)く備(そな)わっている事は確認されましたが、その様に並んだ事の内容についてはまだ何も分っていません。極めて初歩的な整理である事の意を「児」という字によって表わしたのであります。
古神道言霊学はこの初歩的ではありますが、最初にまとめられた言霊五十音図を天津菅曽(あまつすがそ)(音図)と呼びます。菅曽を菅麻(すがそ)と書くこともあります。菅麻とは「すがすがしい心の衣」の意で、人間が生まれながらに授かっている大自然そのままの心の構造の意であります。これから以後の言霊五十音の整理・活用法の検討はこの音図によって行なわれる事となります。
http://www.futomani.jp/kototama_ver.1/lecture/no171/no171.htm
(十) 小豆島(あづきじま)またの名は大野手比売(おおのでひめ)
泣沢女の神の座。また五十音言霊の音図上の整理・確認の作業の中で、八つの父韻の締めくくりの区分を小豆島(あづきじま)と言います。明らかに(あ)続いている(づ)言霊(き)の区分の意です。大野手比売(おおのでひめ)とは大いなる(大)横に平らに展開している(野)働き(手)を秘めている(比売)の意です。八父韻は横に一列に展開しています。
菅曽音図の一番下の列、言霊イとヰとの間に展開している八つの父韻に泣沢女の神と名付けた事について今一つ説明を加えましょう。法華経の第二十五章の「観音普門品」に「梵音海潮音勝彼世間音」(ぼんおんかいちょうおんしょうひせけんおん)という言葉があります。梵音と海潮音とは彼(か)の世間で一般に使われている言葉に優(まさ)る言葉である、の意です。その梵音とは宇宙の音、即ちアオウエイの五母音の事です。また海潮音とは寄せては返す海の波の音の事で、即ちこれが言霊学で謂う八つの父韻の事です。宇宙には何の音もありません。無音です。もっと的確に言えば宇宙には無音の音が満ちているという事です。何故ならそこに人間の根本智性である八父韻の刺激が加わると、無限に現象の音を出すからです。八つの父韻は無音の母音宇宙を刺激する音ですから、泣き(鳴)騒ぐ音という事となります。父韻が先ず鳴き騒ぐ事によって、その刺激で宇宙の母音から現象音(世間音)が鳴り響き出します。梵音(母音)と海潮音(父韻)は人間の心の先天構造の音であり、その働きによって後天の現象音が現出して来ます。「勝彼世間音」と言われる所以であります。
お寺の鐘がゴーンと鳴ります。人は普通、鐘がその音を出して、人の耳がそれを聞いていると考えています。正確に言えばそうではありません。実際には鐘は無音の振動の音波を出しているだけです。では何故人間の耳にゴーンと聞こえるのでしょうか。種明かしをすれば、その仕掛人が人間の根本智性の韻である八つの父韻の働きです。音波という大自然界の無音の音が、人間の創造智性である八つの父韻のリズムと感応同交(シンクロナイズ)する時、初めてゴーンという現象音となって聞えるのです。ゴーンという音を創り出す智性のヒビキは飽くまで主体である人間の側の活動なのであり、客体側のものでありません。鐘の音を聞くという事ばかりではなく、空の七色の虹を見るのも、小川のせせらぎを聞くのも同様にその創造の主体は人間の側にあるという事であります。八つの父韻の音図上の確認の締まりを泣沢女の神という理由を御理解願えたでありましょうか。
http://www.futomani.jp/kototama_ver.1/lecture/no172/no172.htm
(十一) 大島またの名は大多麻流別(おおたまるわけ)
以上、石柝の神、根柝の神、石筒の男の神、甕速日の神、桶速日の神、建御雷の男の神、闇淤加美の神、闇御津羽の神の八神の宇宙に占める区分を大島と呼びます。大いなる価値のある区分と言った意味です。人間の心を示す五十音言霊図を分析・検討して、終に自己主観内に於てではありますが、建御雷の男の神という理想構造に到達することが出来、その理想構造を活用する方法である闇淤加美・闇御津羽という真実の把握とその応用発揚の手順をも発見・自覚することが出来ました。言霊学上の大いなる価値を手にした区分と言えましょう。またの名は大いなる(大)言霊(多麻[たま])の力を発揚する(流[る])区分(別[わけ])という事になります。
http://www.futomani.jp/kototama_ver.1/lecture/no173/no173.htm
(十二) 女島(ひめしま)又の名は天一根(あめひとつね)
以上の八つの神代表音文字の構成原理が人間の心の宇宙の中に占める区分を女島(ひめしま)と言います。女島の女(ひめ)は女(おんな)と呼び、即ち音名であり、それは文字の事となります。また文字には言葉が秘められています。即ち女(ひめ)島であります。またの名、天一根(あめひとつね)とは、神代文字はすべて火の迦具土の神という言霊ンから現われ出たものでありますので言霊(天)の一つの音でそう呼ばれます。
http://www.futomani.jp/kototama_ver.1/lecture/no173/no173.htm
(十三) 知訶(ちか)島またの名は天の忍男(あまのおしを)
以上お話申上げました衝立つ船戸の神より辺津甲斐弁羅の神までの十二神が人類精神宇宙に占める区分を知訶島または天の忍男と言います。知訶島の知(ち)とは言霊オ次元の知識のこと、訶(か)とは叱り、たしなめるという事。黄泉国で発想・提起された経験知識である学問や諸文化を、人間の文明創造の最高の鏡に照合して、人類文明の中に処を得しめ、時処位を決定し、新しい生命を吹き込める働きの宇宙区分という意味であります。またの名、天の忍男とは、人間精神の中(天)の最も大きな(忍[おし])働き(男)という事です。世界各地で製産される諸種の文化を摂取して、世界人類の文明を創造して行くこの精神能力は人間精神の最も偉大な働きであります。
http://www.futomani.jp/kototama_ver.1/lecture/no178/no178.htm
(十四) 両児島(ふたご)またの名は天之両屋(あめのふたや)
以上、八十禍津日の神より建速須佐の男の命までの合計十四神が心の宇宙の中で占める区分(宝座)を両児島または天之両屋(ふたや)といいます。両児または両屋と両の字が附けられますのは、この言霊百神の原理の話の最終段階で、百音図の上段の人間の精神を構成する最終要素である言霊五十個と、下段の五十個の言霊を操作・運用して人間精神の最高の規範を作り出す方法との上下二段(両屋)それぞれの原理が確立され、文字通り言霊百神の道、即ち百道(もち)の学問が完成された事を示しております。先に古事記の神話の中で、言霊子音を生む前に、言霊それぞれが心の宇宙に占める区分として計十四の島を設定しました。今回の両児の島にてその宇宙区分の話も終った事になります。
伊耶那岐の大神の顔に譬えられた左の御目、右の御目、御鼻から生まれました天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命の三神を三貴子(みはしらのうずみこ)と呼びます。言霊百神、布斗麻邇の学問の総結論であります。幾度か繰返す事ですが、古事記神話の始め天の御中主の神(言霊ウ)より火の夜芸速男(ほのやぎはやを)の神(言霊ン)までの五十神が心の構成要素である五十個の言霊、次に五十一番目の神、金山毘古の神より百番目の建速須佐の男の命までの五十神が言霊の操作法を示す神名であります。前の言霊五十神が鏡餅の上段、後の五十神が鏡餅の下段に当り、二段の鏡餅で言霊百神、即ち百(も)の道(ち)の原理となります。現在の伊勢神宮は五十の言霊を祭る宮であり、その古名は柝釧(裂口代[さくしろ])五十鈴(いすず)宮であります。また言霊の操作法五十神を祭る宮は石上神宮であり、太古より神宮に伝わる「布留の言本(ふるのこともと)」日文四十七文字は、言霊四十七を重複することなく並べて、五十音の操作法を教えております。
http://www.futomani.jp/kototama_ver.1/lecture/no180/no180.htm
Č