ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依さしたまひき。かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、引き上げたまひし時に、その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、これ淤能碁呂島(おのろご)なり。その島に天降(あも)りまして、天の御柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。
前号まで七回の講義によって人間の心の先天構造(天津磐境)を構成する十七個の言霊が出揃いました。先天構造を説明いたしますのに七回もの講義を要しました。そのように長い説明が何故必要かと申しますと、次の様な事が言えるでありましょう。
心の先天構造が活動することによって、後天の現象(出来事)が発生します。意識で捉えることが出来る現象が現れるには、意識で捉えることが出来る以前の、意識で捉え得ない心の先天構造の活動を必要とします。先天活動があるから後天活動が発生します。この事を仏教の般若心経では「色(意識で捉えた現象)即是空(意識で捉え得ない先天現象)、空即是色」と言います。またこの時、意識で捉える後天の現象の姿を「諸法実相」と言い、これと即の関係にある意識で捉えることが出来ない先天構造の働きを「諸法空相」と呼びます。
「母親は何故子を叱ったのか」という問に「子が悪戯(いたずら)をしたから」という答えも確かに答えとなります。これは一つの現象をそれに関連するもう一つの現象で答えた事です。これは形而下の答えであります。しかし答となるのはこれだけではありません。叱られた子という事を捨象し、叱った母親の心というものだけに限定して「母親はあの場合何故叱る態度をとったのか」という答えを出すことも出来ます。こうなりますと、叱った母親の心の中、「叱る」という後天現象を生むことになった原因となる母親の心の先天構造を探ることも一つの答えとなります。この探究の仕方は「形而上学」と呼ばれる分野と言えます。
以上一つの例を挙げてお話申上げましたが、一つの現象を他の関連する現象から説明すると同時に、その現象を生じる先天構造の活動からも説明することが出来れば、説明は完璧なものとなります。形而下の説明と形而上の説明がピタリと合致した時、一つの現象の説明は完結されます。この事を逆に考えますと、一つの眼に見える現象を、それに関連ある他の現象だけでする説明は「風が吹くと桶屋が儲かる」式に、その説明は限りなく続かねばならなくなるでしょう。そして限りなく続いて行く内に原点の現象の説明の影は次第に現実から遠ざかって行きます。一切の現象の説明は、その出来事が起る主体と客体の諸法空想と諸法実相の立場から考えられるべきものであります。この為に、現象が起る絶対的な原因となる人間の精神の先天構造を事細かく解説して来た次第なのであります。心の先天と後天の両構造を、心と言葉の最小要素である言霊によって解明する事が出来た言霊学が世界で唯一つ物事の真実の姿を見ることが出来るのだ、という事を御理解頂けたと思います。
さて、心の先天構造を構成する十七の先天言霊が出揃い、その最後に現れました伊耶那岐・伊耶那美の二神(言霊イ・ヰ)が「いざ」と立上り、此処に後天現象の最小単位である言霊子音の創生が始まります。古事記は実際に子音を生む記述の前に、子音を生む時の状況、生れ出る子音の場所、位置等を予め設定する事から始めています。それがどういう事か、説明して参ります。
ここに天津神諸の命以ちて、
これを文章通りに解釈しますと「先天十七神の命令によって、……」となります。これでは古事記神話が言霊学の教科書である、という意味は出て来ません。ではどうすればよいか。「神様が命令する」のではなく、「神様自身が活動する」と変えてみると言霊学の文章が成立します。「さてここで先天で十七神が活動を開始しまして……」となります。