投稿日: Sep 20, 2016 3:49:14 AM
オハイオ大学はアパラチア山脈につながる山間にあります。川沿いの「尾根地区(The Ridge)」と呼ばれるエリアにCDCはあります。
子どもたちは、園庭を飛び出して、大学内の公園や林、小川などを歩き回ります。山の中腹に園があるので、起伏や変化のある場所を歩くちょっとした冒険です。車の心配はほとんどありません。全員で行くこともありますが、4~5人から10人程度のチームで出かけることもあります。そうすると半分以上の子どもたちは後に残るのですが、複数担任制ですし、大学生や教育実習生が2名程度各教室についていますので、2人の大人が一緒に出掛け、他の先生たちが教室や園庭での遊びにつくことができます。
小グループで出かけるときは、特に子どもどうし、子どもと先生の会話を拾い上げるチャンスです。興味の種(Seeds of interests)や、これまでのプロジェクトからの発想(expansion of thoughts)をとりこぼさないように、メモしたり写真をとったりしながら散策します。こうした散策で子どもたちが集めてくる木の枝や、石、葉っぱ、やまぶどうのつるなどが、製作の材料になります。改めて何かを買い揃えて製作をすることはあまりないようで、あるもので工夫しているように見えます。
213教室は、3~4歳児のクラスでエイミー先生とクリスティン先生の二人担任です。エイミー先生は、担任をしながら大学の修士課程で勉強していました。彼女は、教室のリチュアル、儀式がクラスの一体感や子どもたちや家族の安心感を生んでいることに気づき修士論文の研究テーマにしました。
この「儀式(リチュアル)」という視点で日々の実践を見ていくと、一人ひとりの子どもにも儀式があることが見えてきました。毎日同じ場所で親と少し遊んでから行ってらっしゃいをしている子ども、朝必ず尾根に沿った道路を見渡せる窓から外を見ている子どももいました。儀式には「情動」を伴います。お誕生会で親が教室に招かれているのは、「保護者へのサービスや子育て支援といった意義にとどまるものではない。子どもたちの生活に、保護者が参加していることに意味がある」のだと、エイミー先生は言っています。教室コミュニティは、先生の努力だけで生まれるわけではありません。子ども一人ひとり、保護者一人ひとりの参加・貢献によって築かれるものだと議論していました。
こうした視点で教室を見ていたエイミー先生たちは、親子のかかわりについてもドキュメンテーションにしていました。
教室のイベントに保護者が参加するたびに、また毎日子どもたちが家庭でのできごとをみんなとシェアするたびに、教室の生活文化がつくられていきました。先生もそのクラスの一員です。自分の家庭の文化であるパイづくりを子どもたちに提案しました。子どもたちはおいしかったその「お料理」の活動を、保護者を招いてのパーティにしたいと、クラスのミーティングで提案しました。
そうして始まった3か月に1度、ランチタイムのパイパーティは、中に入れるものを考えたり、飾りつけを考えたり、誰を招くかを考えたりとたくさんの楽しみを生みました。楽しんだ思い出を、子どもたちはたくさんの絵に表現し、それをエイミー先生たちは小さな本にして、家族みんなと共有できるようにしました。
パイパーティは、どういう意味があったのかを探究するのがこのドキュメンテーションの趣旨です。その中からいくつかを取り出してみます。
省察:パイ・パーティって何?
パイパーティは、定義するのが難しい。本当に理解するには、経験してみるしかない。見た目には、学校で保護者と一緒に食べる昼食にすぎない。しかし私たち、213教室のコミュニティの一員にとっては、もっと大きな意味がある。なるべく簡単な説明を試みたが、意味や、気持ちや経験を表そうと、ことばばかりが踊ってしまう。
子どもたちにとっては、期待して、用意して、経験して、そして思い出にするイベント。おとうさんやおかあさんに、お昼ご飯の時に会う喜びといったら、おとぎ話のような気分。子どもたちは、パイパーティの全てに携わり、接待役になる。迎える側になるなんて、そんなにできる経験ではないが、実は子どもたちはその力がある。
親にとって、パイパーティは、自分の子どもの学校生活を一緒に経験する機会である。他の家族と結びつくきっかけをつくり、人間関係を強くする。
先生にとっては、パイパーティはカリキュラムを導き、学校と生活を結ぶ機会になる。
こないだのときは、パンプキンパイは好きじゃなかったけど、今は好き (エメリア)
クリームつきのパンプキンパイがほしい! (ゲーリー)
早くこないかな!(ジュリア)
テーブルがひとつ。ひとつのおっきなテーブル (ケイシー)
パイパーティのうたパイパーティはたのしい
パイパーティはたのしい
パイが食べれる
パイが食べれる
う~ん おいしい
う~ん おいしい
木から生えてくるふりをしてもいいね
木から生えてくるふりをしてもいいね
ドゥ、ドゥドゥドゥ、ドゥ、ドゥ
ん~ん パンプキン・パイ
音楽や歌は、とっても大事だと思わない?(キャサリン 保護者)
あなたがこのクラスからいなくなったあと、それでも私たちがパイパーティをしていると思う?
イアン:うん
どう思う?
イアン:悲しい
どうして?
イアン: だってさ、ぼくはそこにいられないもの。
省察:儀式(ritual)としてのパイパーティ
時が経ち、3か月に1回のパイパーティは、213教室の子どもたち、保育者、保護者にとって意義深い個人の儀式になった。パイパーティは、共にいる事、所属感、思いやりと分かち合いを象徴している。キンダー(小学校の最初の学年)に進むメンバーは、この儀式を失うことによって悲しい気持ちになるが、同時に誇りも感じる。
クラスに残る者にとっては、疑いもなく、パイパーティは続けられなければならないものだ。季節により、子どもたちや保育者の興味により、変化してきたパイパーティ。でも、基本的な要素は変わらない。友達、家族、そしてパイ。それらは、教室での生活に欠かすことができないものだ。213教室の一世代から次の世代に固い決意を持って受け継がれていく伝統になった。
私たちの園は、より大きな文化に属するために祝日を祝わない。そこで、私たちは、毎日を、毎週を、そして毎年を一緒に生活する中で、自分たちの伝統をつくった。
あなたのパパとママはパイパーティのことをどう思っていると思う?イアン:いいもの。だって、顔をみると笑ってるもの。
あなたはパイパーティをどう感じる?
ニコラス:幸せ。だってママもパパも来てくれるから。
じゃあ、パパとママはどう感じていると思う?
ニコラス:幸せ。だってパパとママはぼくに会うのがうれしいから。
サラは、この間と同じように今日もくるはず。
この前の時と同じように。
この前の時と同じようにみんなで全部動かすんだ。
そして、こんどはぼくが全部手伝うんだ。去年は
かざりを手伝ったよ。(フランキー)
ぼくは、去年(パーティに)来た時と同じように、同じのをしたいんだ (ゲーリー)
こうして、213教室で、子どもたちと保護者と先生たちがつくった伝統は受け継がれていきました。
上記の事例から8年以上経ちました。この1~2年でCDCの園長、副園長は定年退職し過渡期を迎えています。クリスティン先生は、同じ園で副ディレクター及び研究リーダーとして活躍しています。エイミー先生は、少し離れた場所の大学の先生になりました。
地域のモデル園として、次の世代の保育者を育てる場所として、CDCのこれからの発展が楽しみです。
(執筆:内田千春、エイミー・コリンズ・ウォルフ 2016年9月11日)