第13回の講義では、第17章"Documentation in early childhood research: practice and research imforming each other / Margaret Carr, Bronwen Cowie & Linda Mitchell"を参考にしながら、記録の取り方について論じる。第17章の標題を訳すと、「幼児期研究におけるドキュメンテーション:実践と研究の情報共有」となる。
最近はドキュメンテーションというカタカナ用語が幼児教育の世界では定着してきたが、本来、documentは文書という意味で、documentationという名詞形で記録することという意味になる。保育の記録を作るというだけではなく、別の意味も含んでいる。ドキュメンテーションの考えは世界中にいろいろあるが、世界的に影響したという意味で、イタリアのレッジョ・エミリアとニュージーランドのテファリキがドキュメンテーションの由来である。レッジョの方が歴史的には古く、テファリキのカリキュラムは1990年代の半ば、1996年にスタートした。その中心になっている人が、マーガレット・カーである。マーガレット・カーの本には翻訳本として、『保育の場で子どもの学びをアセスメントする』大宮勇雄・鈴木佐喜子訳(ひとなる書・2013年出版)がある。原著は2001年に出版され、翻訳本は2013年に出版なので、この本にはカーの初期の考えが述べられている。2001年というと、時期的にニュージーランドのテファリキの初期段階なので、まだ現在ほど進んでいないが、基本的な考えであるラーニング・ストーリー(Learning Story)つまり学びの物語について述べられている。子どものエピソードを書いて、そこで子どもが何を学んでいるかを分析するものである。なお、子どものストーリーを捉えて、子どもが何を学んだのかを分析するということをしたのはニュージーランドが最初ではなく、日本でも公立幼稚園などですでになされていた。たぶん戦前にもすでにそのようなことはなされていたであろう。そういう取り組みをマーガレット・カーが、たぶん多くの欧米の理論・実践に学びつつ、命名して理論化したのである。ラーニング・ストーリーの使い方には、アセスメントなどのほかに、以前に授業の中で話したナラティブの考え方を導入している。そのため、カーに代表されるラーニング・ストーリーを実践者が書いて、それを改善していく仕組みをニュージーランドの国全体で作っていったというのが特徴である。
本章の元となっているのは、2012年にマーガレット・カーとウェンディ・リーが出版した"Learning Stories"である。この本は、社会学、心理学、哲学の視点から述べられている。ニュージーランドの国としてのカリキュラムの中に、ラーニング・ストーリーを組み入れて保育の改善を行っている。
本日は、ニュージーランドの保育の紹介ではない。他にもニュージーランドに関する本・論文はたくさんある。研究雑誌としては、保育学研究にも紹介されているし、大学紀要でもいくつもニュージーランドの保育の紹介に出合える。大宮・鈴木の2013年の本は、翻訳そのものはきちんとしたものであるが、社会学、心理学、哲学それぞれの専門的分野の用語の定訳にはなっていないところもあるため、英語版と見比べながら読んだ方が安全である。ニュージーランドの保育の勉強をするには2010年以降に出版されたものの方がよい。
では、ドキュメンテーションはどういうものなのであろうか。細かい書き方が問題ではなく、誰が作り、誰が共有し、何のために作るのかが重要である。日本ではエピソードの書き方を論じることがあるだろうが、それは本質的な問題ではなく、実践者が自分の保育について語ることを思い浮かべていただきたい。その際に、ドキュメンテーションとは、リフレクション(reflection)のためにあるのである。リフレクションという用語も最近よく使うが、ふりかえる、省察と訳す場合が多い。反省するとも訳される。リフレクションとカタカナで使われる場合も多いが、それを反省というと少し意味がずれる。ふりかえるという意味である。ドキュメンテーションとは、そのふりかえるための道具である。そのためには、思い出すこと、つまり想起(recalling)をしなければいけない。あるいは、その後の相互的関与(mutual engagement)、すなわち、保育者と親の関わり、保育者と保育者、保育者と子どもの間の関係を作っていく道具である。関係を作るとは、保育することや子どもが育つことにお互いが関わるということである。要するに、保育をする、それを記録する、それによって保育したことを想起して、振り返って、考え直すことを通して、保育のあり方について理解を深めるのである。そういう考え方を、ニュージーランドでは、マーガレット・カーを中心に、ラーニング・ストーリーを書くことを保育者の義務としている。他の国でそこまで切り込むのは難しいが、ニュージーランドが人口の少ない小さい国だから実現できたのかもしれない。
ちなみに、日本の幼稚園教育要領の改訂などに提案された「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」は、一つには、ラーニング・ストーリーなどや日本における良質な保育実践などを念頭において作成されたものである。
次に、ラーニング・ストーリーの特徴について述べる。特徴は以下の6点である。
1.幼児教育のカリキュラムをラーニング・ストーリーを中心に作ること
2.幼児教育と小学校の接続
3.教師の独自性(teacher freedom)
4.ナラティブ・アセスメント
5.マオリ語
6.実践者と研究者の協働
4の「ナラティブ・アセスメント」は、エピソードの記録のスタイルのことを、ナラティブと言っている。 ナラティブとは、実践者が自分たちの言葉で子どもがしたことを語ること。アセスメントとは、子どもの学びを見取ることである。アセスメントの訳し方は「子ども理解」が一番近いだろうと思われる。幼稚園教育要領の解説書の中でも子ども理解という言葉を使っているし、文科省の指導資料集第4集でも、「子どもの理解と評価」という言葉を使っている。「子ども理解」とは、文字通り、子どもを理解するのではあるが、一般的な意味での子どもの性格を理解するというのではなく、その場でのあるいはその前からの子どもの活動の流れの中で子どもの様子を捉えるという意味である。子どもを理解した上でどういう風に保育していくかという方針を取り出すものである。その手立てがラーニング・ストーリーである。ラーニング・ストーリーから学びを取り出し発展させていく時にどうしたらよいかをアセスメントするのである。
5の「マオリ語」は、ニュージーランドでは、ヨーロッパ由来英語ベースとニュージーランド原住民のマオリ文化という2つの文化が共存している。テファリキとは、ニュージーランドのカリキュラムの名前だが、マオリ語を用いている。ラーニング・ストーリーやナラティブ・アセスメントでは、二つの文化をつなぐことを大切にしている。
6の「実践者と研究者の協働」では、ラーニング・ストーリーは、実践者が書くものだが、研究者が協力して一緒に作っていくものでもあり、共同研究や対話を可能にするものである。ラーニング・ストーリーを核とした保育の振り返りの仕組みとして用いられる。ラーニング・ストーリーは、実践者と研究者の協働により、実践者の言葉によって語られたものをベースにしている。実践者が考えていくことがベースになる。実践者と研究者、実践者と親、実践者と親が協力し、対話していく時に用いるものであり、ナラティブ・アプローチのやり方と重なっていく。また、当事者である実践者が語ることをベースにしていくものである。
次に、ドキュメンテーションを教育現場でどのように用いていくのかについての考えを丁寧にみていく。
まず最初に、研究者としての実践者、つまり幼児教育の実践者は研究者でもあると定めた。2002年に、COI(Centre of Innovation)という幼児教育における新しいやり方を作り出すセンターをニュージーランド全土に指定し、新しいやり方を作り出すよう指導した。あるところでは、コンピュータを使った教育を考えた。2002年以降、15個のプロジェクトを作った。ニュージーランドの人口は約460万人である。このような事例をみてみると、COIというのは研究開発センターという意味合いがあることが分かる。国家が研究資金を投じて始めたものである。色々な事例が出ているが、例えば、プロファイル・ブック(profile books)が紹介されている。これは、子どもの記録を集めて、子どもごとにまとめたうえで、さらに子どもがその記録を見て、さらにその子が写真を見ながら自分の言葉で語ったものを保育者が記録してまとめる。2005年に発表されたものである。それ以外にもビデオテープを集めたものもある。ポイントは、それをただ研究しただけでなく、実践をより良くしていくという使い方にポイントがある。色々名前が紹介されているが全てマオリ語である。別なプロジェクトでは、子どもと家族がラーニング・ストーリーをマオリ語で表す。学びのエピソードをめぐって対話していく。それによって、特に子どもの主体性をどう育てていくかというのをやったものもある。こういうアプローチも、日本ではこの数年で出てきていて、子どもに写真を撮ってもらい、子どもに活動内容を尋ねて、子どもの活動の展開を支えて励ましていく。子どもが遊んでいる様子を撮影した映像をお昼ご飯の時に見せて、明日どういうしようかと子どもと一緒に展開をはかる。保育者自身はニュージーランドの保育に学んでいるという意識はないであろうが、このようなプロジェクトを勧めている人たちの中にはニュージーランドの保育を参考にしながら実施している人たちもいる。保育現場でみんなで考えるとき、一人の保育者が子どもとのやり取りを見直し、再記録するなど色々なプロジェクトが紹介されている。
2番目は、ナラティブ・アセスメントである。先ほど述べたように、実践者が自分の保育を見直し、語り、写真や子どもの作品を織り交ぜることもある。保育の改善をはかることを形成的アセスメント(formative assessment)と言っている。実践を見直して良くするためには、自分たちの保育の記録を取り、見返す、子どもがどのようにしていたか、保育者はどのように関わったか見直す。どうすれば質の高い実践に持って行けるかを考える。そうすると、まずは子どもの学び、活動の集中、学んだか学ばなかったかを見るのがアセスメント(assessment)、そして、指導計画をたてる(planning)、実践を評価する(evaluation)というプロセスとなる。元々、”evaluation”の”value”は価値、価値づけるところからきている。良かったとか良くなかったなど、自分の保育についての反省である。幼稚園教育要領の中の評価も英語に直せば”evaluation”であり、保育の価値付けである。カリキュラム理解を深めることを指している。日本では、カリキュラムとは教育課程(及びそれに準じる「保育課程」であり、最近では「全体的な計画」と呼ぶ」と指導計画のことである。中核に、アセスメント、つまり、子どもの様子を捉えることがある。そして、カリキュラムの理解が密接に連動している。簡単に言うと、「人」、「場所」、「もの」との対話である。場所(place)とは、砂場などの空間との対話である。より丁寧に言うと、相補的(reciprocal)で応答的な関係である。砂場という場にあって、ごっこ遊びの道具、水遊びの道具、子どもが数名いたりする関係性の中で影響を与え合う。子どもが学ぶとは、人との協働、他者を観察することで学ぶ、導かれて学ぶ、探索して学ぶなどがある。教師が子どもを教え込むというスタイルではない。子どもがその場を探索していく。日本では環境を通しての幼児教育と呼んでいる。要するに、アセスメントいわゆる「子ども理解」が、計画、評価につながっている。子ども理解というと世の中では子どもを取りだして、その場の状況から離れて分析すると思う人がいるが、幼児教育では違う。このあたりの徹底ぶりに関しては、ニュージーランドが世界的に言ってもすごい。国レベルで実施している国は他にはない。レッジョ・エミリアの場合は、イタリアの中の特定の地域であるし、また実施していても特定の園ではあるかもしれないが、国レベルで実施しているところはない。
3番目には、ドキュメンテーションを通して、家族や子どもを巻き込んでいくということ。ここでは、家族の関与(family engagement)と言っている。日本でも園と保護者の連携という。連携という言葉は弱い緩やかな関係であるが、関与(engagement)はもっと強い意味合いがある。保護者に幼児教育を手伝ってもらうというのではなく、幼児教育の中身を具体的に理解してもらい、幼児教育と家庭教育を連動させる。ラーニング・ストーリーを保護者に渡して保護者がコメントを書く。ラーニング・ストーリーには、ストーリーみたいなナラティブとそのストーリーを分析する部分がある。小学校の通知表みたいなものと似ているが、通知表には数字があり、ラーニング・ストーリーには数字の表かはなく具体的なエピソードが書かれている。さらに、ラーニング・ストーリーには、子どもにも語ってもらったものを加えていく。例えば、保育者が書いたストーリーには、園で凧の話があってみんなで凧作りをしたことが書かれていて、親のコメント欄には、園での凧の経験について子どもが家庭で語り、家庭でも凧を飛ばしたことやその後父親に凧を作ってと頼んだということが書いてある。
4番目には、ナラティブとしてのアセスメント。子どもの成長をラーニング・ストーリーで描き出している。子どもがこういうことを学んでいる、または、興味をもっているなど。子どもの強み・良さ・興味(strength-based; interest-based)を見取る。得意なところや興味がありそうなところに注目してラーニング・ストーリーを作っていく。例えば、Aちゃんが砂場でこういうことをやってよかったということなどを書く。ラーニング・ストーリーは、子ども一人ひとりにつき、例えば、月に1回程度書くことになっている。特別支援教育などにある、外部の専門家が子どもを取りだして、専門的にアセスメントを行うのを”skill based”と呼んでいる。標準化したスケールを用いて、何が出来て何ができないのかを取り出していく。例えば、多動の傾向があるなど。幼児教育や特に特別支援教育では、” strength-based”と”skill based”の2つのアセスメントを組み合わせて専門家による評価も入れていこうとするものである。このように2つの異なるものを組み合わせるという特徴がある。
5番目は、実践者と研究者の協働的な関係を作っていくこと。最初に述べたように、実践者が研究者に一方的に従うというのではなく、むしろ実践者が主体であるという考え方。実践者の集まりを実践共同体(communities of practice)と言っている。実践についての記録をとって、それを共有して、コミュニティとしてのあり方を作っていく。ドキュメンテーションを共有する場、共同体のことである。ドキュメントという記録は具体的なものである。文章、写真として描かれているとともに、実践者の言葉によって語られるものである。具体的なものであるから、そこに関係する人々の参加を可能にしている。参加(participation)については授業の最初の回で解説したが、参加とは、すべての参加者が発言できて貢献できることを意味しており、誰かの言うことにただ従う存在は参加とは言わない。参加するということは園の実践者全員が参加すること。それに、親や子どもも実践共同体に加わり、研究者も参加していく。実践者と研究者が一緒に研究をし、考察をしていく。実践者と研究者が具体的な記録を作り、どういう場の中で誰がどうしたという具体的な状況を込みにして作られる実践の記録である。研究情報は個別の情報を離れた一般的な抽象的なものであるが、共同体の中では具体的に組み込まれていく。実践者と研究者が対話することによって実践情報を具体化していくことなのである。
さらに、6番目は協働的な研究プロジェクトを作ること。実践者と研究者が一緒にプロファイルブックを作ったりする。ニュージーランドでは、政府が研究資金を提供する。実践者が研究の提案をして、現場を中心として実践者と研究者が特定の研究をしている。それは小学校などではTLRIと呼ばれ、Teaching and Learning Research Initiativeの略である。日本語では、教授・指導、学習、研究、計画するという意味になる。研究プロジェクトで取り上げられるものは、ニュージーランドにとって重要なテーマである必要がある。実践に基づくエビデンスを作ること、結果がしっかりしたもの、他の実践現場でも使えるもの、研究者と実践者の協働関係を含んでいるもの。同時に、実践者が中心、子どもが中心ということを位置づけることを基本設定とする。ドキュメンテーションが「境界物(boundary objects)」というのは、違う人・世界・場の間の橋渡しをするものという意味である、実践者間、実践者から親、子ども、研究者に渡されるものである。親の役割を重視しているので、例えば、開発されているものの1つに、家庭学習ブック(home learning books)というものがある。これは、 子どもが家庭で疑問に思ったことや学校で学んだことを書いておくものである。それを、クラスの中でも共有していく。学校と家庭の間で学んだことを書くことによって、学校という場と家庭という場の2つをつないでいるのである。家族とのやり取りを記録し、子どもが考えたことや調べたことを記録するものである。
7番目は、ラーニング・ストーリーなど特定の学校やセンターを超えて共有する場を作ること。実践記録を集める雑誌やサイトをニュージーランドの教育省が作っている。それによって、国としての共有ができるようになった。一部は英語だがインターネットサイトにあるものは日本でも読める(www.tlri.org.nz)。特定の園、学校、特定の教室で作ったものが他の人先生の参考になる仕組みを作った。一番簡単に見られるのは、NZCER(New Zealand Council for Educational Research)が ICTを使った教育実践、家族を巻き込むために記録をどう使っているかというプロジェクト。実践者たちが資質・能力(Key Competency)をどう伸ばしたらいいかという教師の発表などがサイトに紹介されている。
8番目は、幼児教育と小学校教育の境界を越えるための記録である。ポートフォーリオ(portfolio)、幼児が小学校を訪問して、そのときの学びをストーリーにまとめる。子どもと保育者が一緒に、持ち帰って話し合ったりするものである。ここでは、学校訪問ブックを作ったというのが紹介されている。一人ひとりの子どもごとに学校訪問ブックを作り。さらに、教師ポートフォーリオには先生の自己紹介を作った。そこには、教師自身の名前や自分の子どもについて書いている。幼児教育から小学校教育への移行については、2007年に改訂があって、Key competencyとして5項目が打ち出された。幼児教育のカリキュラムの姿については、テファリキのプログラムに書いてあるが、幼児教育のプログラムから小学校のカリキュラムに移行していく時に、移行のカリキュラムをどう作るかを考え、記録、幼児教育の5つのカリキュラムの姿、小学校の5つのキー・コンピタンシーで表すことになった。小学校の先生はその記録を見て教育をする。
本日の講義で紹介したのはドキュメンテーションという記録の取り方であるが、具体的な記録の取り方は実践者に任されていて、写真だけが連なっていてもいいが、その記録を見て実践を想起し、ふりかえる道具にしているため、記録を他の人と共有していて見る視点としてカリキュラムがある。幼児教育、小学校教育でも記録を通して境界を越え、それらをつないでいく。世界中どこに行っても幼児期教育と小学校教育との間には断絶があるが、そこをどう超えていくかということが述べられている。ニュージーランドでは、実践研究に研究資金を提供している。実践研究をする時に、教師自身が研究し、研究者がパートナーとなって協力する。しばしば、実践論文を実践者と研究者が共同論文として書いている。
こういう風に書くとすごいことのようであるが、ニュージーランドの全ての実践者がこれをしている訳ではない。ニュージーランドでは全てがそんなにうまくいっている訳ではない。例えば、ドキュメンテーションの使い方がうまくいっていなかったり、それを作成するのを嫌がっている実践者もいる。実は、以前ニュージーランドの幼児教育の質は日本よりも低かった。1990年代は高卒から高卒プラスアルファ程度だったのを大卒まであげてきている。高卒プラス研修や短大なり四大が入り交じっている。キャリアを積んだ人は実践力も研究力もあるだろうが、保育者の中には記録作成をやりたがらない人もいる。しかしながら、ニュージーランドはイギリス式で国の評価が厳しいため、記録を作成しないと園への外部評価が下がり、大幅な改変が求められるという仕組みになっている。ともあれ、レベルの高いところでは、記録を使って実践研究をしていて、幼児期全体の縦のつながり、小学校へのつながり、実践者同士の横のつながり、子どもや保護者との横のつながりなども提言されているというのがニュージーランドの特徴である。ナラティブ・アプローチを使って実践研究をしており、実践者と研究者の協働の一つのモデルとして書かれている。
(執筆:無藤隆,2017年7月10日)
(まとめ:白川佳子)