投稿日: Sep 23, 2016 10:17:56 PM
第1回は事例研究(ケーススタディ)について紹介する。しかしながら、現在、事例研究は保育学や発達・教育心理学に関連する学会誌においても掲載されることがそれほど珍しくなく、多くの研究があるのでここで紹介するのはごく一部のものである。
1.松永愛子・大岩みちの・岸本美紀・山田悠莉 2013 3歳児の子ども集団の「規範意識の芽生え」における保育者の役割―非言語的応答関係による「居場所」生成― 保育学研究,52,223-234.
(研究概要)本研究は、ある幼稚園の保育者Aが担当する3歳児クラスを対象として1年間の定期的なビデオとメモによる記録、保育者Aによる保育記録、保育者Aや園長、主任へのインタビューなどをもとに、3歳児の「規範意識の芽生え」とは何か、子ども集団の規範意識の生成過程における保育者の役割について検討している研究である。朝の日課や自由遊びの場面などの記録を事例化し、時期ごとに比較を行いながら、逸脱的行動を取りやすいB児やクラスの子どもたちの変化、保育者の援助のあり方を「ノリ」の概念によって分析を行っている。
★松永ら(2013)の研究は、B児の存在に注目している部分もあるが、基本的にはあるクラスの担当保育者もしくはそのクラスの子ども全員が対象となる事例研究である。ある特殊な事例に関する記録というよりも、あるクラスで偶然記録できたものであるが、その中に普遍的な事物の存在が期待できる日常的な事例研究といえる。「研究対象者一人」という事例研究に対する思い込みがありがちだが、クラスなどの複数の対象者を含む事例研究のほうが保育学や発達・教育心理学などの領域では一般的といえるかもしれない。また、日常的な保育実践に参加していく研究手法は、以後紹介する予定であるエスノメソドロジー的研究ともいえる。
2.久富陽子 2004 外国人の子どもと保育者とのコミュニケーションに関する一考察 保育学研究,42,1,19—28.
(研究概要)本研究は、幼稚園の3歳児クラスに4月から約7か月間在園していた日本語が理解できないE児の園生活における保育者及び他児との関わりの記録から、保育者の役割やそこでの子どもの変化を検討している研究である。本研究では、外国人の子どもの日本語の習得課程についてはあえて論じておらず、言葉が通じていない者同士の間のコミュニケーションの実態に焦点を当てている。研究者は、観察者として保育現場に参加し記録をし、補足資料として担当保育者へのインタビューや園の保育者が撮影したビデオなどをデータとして使用している。
3.伊藤恵子 2004 文字への関心を友達への関心へと変えていった保育者の存在一自閉傾向を伴う子どもに対する人的環境としての保育者一 保育学研究,42,1,29—41.
(研究概要)本研究は、自閉傾向を有する3歳の対象児と保育者及び他児との相互作用の様子の観察から日誌的観察記録を作成し、そこから人的環境としての保育者が、対象児の社会的相互作用の継時的変化に果たした役割を文脈に即して検討した研究である。研究者は観察者として保育現場に参加し記録を行っている。
★久富(2004)と伊藤(2004)の研究に共通していることは、特別な援助や配慮が必要とするある対象児を中心に対象児と保育者や他児の関わりの記録を分析対象としている点である。従来、事例研究というと、このような「研究対象者一人」についての報告が一般的であったと思われる。そういう意味では、先に示した松永ら(2013)の研究とは対照的な事例研究といえる。
4.岡田智・後藤大士・上野一彦 2005 ゲームを取り入れたソーシャルスキルの指導に関する事例研究一LD,ADHD,アスペルガー症候群の3事例の比較検討を通して 教育心理学研究,53,565—578.
(研究概要)本研究は、療育機関の小集団指導を受けている小学校高学年グループのなかでLDまたはADHD、ASをもち他の発達障害を重複していない児童3名に対するゲーム・リハーサルを含むソーシャル・スキル・プログラムの実施に関する事例研究である。
★近年、発達心理学や教育心理学などの実験系の心理学の学会誌に実践研究などの事例研究が掲載されることが増えてきている。岡田ら(2005)の研究はその中の1例といえる。これらの事例研究の特徴は、このガイドブックで「混合法」として別章で紹介されている研究手法が使われていることだと言える。まず、事前のアセスメントが各種心理的な尺度利用し客観的データにされている。次に、介入のプロセスが事前に細かくプランニングされている。さらに、介入の効果をみるために事後のアセスメントが数量的にデータ化されている、などがその特徴としてあげられる。例えば、本研究では事前のアセスメントはWISCなどの心理検査や行動観察などが実施されている。介入プログラムは8回のSSTプログラムが計画実施されている。分析対象として、自由遊び場面と話し合い場面での行動観察ではそれぞれの評定カテゴリーが作成され、それとともにソーシャルスキル尺度による評定が実施され数量的な比較を行っている。このように、事例研究に数量的な研究を組み合わせた混合法による質的研究も多くみられるようになってきている。
★さらにもう一歩★
以下の文献は、「発達心理学研究」が発刊された当初のリレー方式の書簡である。当時の心理系の学術誌において事例研究が掲載されることがまだ難しかったころ、「発達心理学研究」では積極的に事例研究を掲載していく方針が出されていた。当時、事例研究の取り扱いについて、厳密な客観主義的な立場でデータをとるべきという考えと、事例研究の独自性をより進めていくべきという考えで揺れていた時期である。今となっては、少し古くなった論点かもしれないが、事例研究を行っていく際に是非もう一度読み返してみることをお勧めする。
鯨岡峻 1991 事例研究のあり方について―第1巻第1号意見欄の岩立論文を受けて― 発達心理学研究,1,2,148—149.
山本登志哉 1991 「象徴レベルのやりとり」という対象の特性―事例研究論議に寄せて― 発達心理学研究,2,2,116—120.
(執筆:原孝成,2016年8月20日)