インタビューというのは日本語でも使われるように、人に質問して、話を聞くことである。世間でインタビューというといろいろなものがある。ニュース番組で街を歩いている人に尋ねることや世論調査で内閣について尋ねることもインタビューである。街で通りすがりの人にインタビューするのは研究という意味での調査ではない。世論調査で内閣支持率を聞くのは一人ひとりの答えた内容が重要なのではなく数量的なデータが必要なのである。どの政党を支持するという質問の内容は予め決まっているような標準的なやりかたである。それに対して、本書で扱うのは質的研究のためのインタビューであり、それは数量的なものとは異なる。
1章「インタビューことはじめ」では、インタビューの意味が書いてある。相手の人がどのようなことを経験し、感じ考えを持っているのかを知るために質問を投げかける。インタビューする人をインタビュアー、インタビューされる人をインタビュイーというが、インタビューとはその両者の間の相互行為の中で知識が作られる営みのことである。質問している人が物事をある捉え方で質問しているし、質問される人も物事をある捉え方をして答えている。英語では、Interviewer、Intervieweeと書く。インタビューは、本書ではInter-Viewとハイフンで結ばれている。Viewとは、景色、光景、眼差し、意見、見解という意味を持ち、Interは、間、やり取りのことである。つまり、インター・ビューとは、二つの見解があって、交流するということを意味する。そこにはインタビュアーの考え方とインタビュイーの考え方がある。ハイフンを入れることによって、情報を取り出すだけではなく、両者の間の相互作用的なやり取りだとしている。世論調査では、「あなたは内閣を支持しますか、支持しませんか」と尋ねているだけである。そこには、事柄によって部分的に支持するしないという選択肢は与えられておらず、決められている枠組みがあるのみである。質的研究で目指していることは、インタビュイーが経験していることを取り出したいということであり、そのためには両者のやり取りが必要となってくる。例えば、相手に夫婦関係について尋ねるとき、「あなたはパートナーを愛してますか?」という質問をすると、20年愛しているという言葉は使っていないし、配偶者のことを嫌でもないし、まあまあの関係という答えが返ってくるかもしれない。5段階評価で4などという評価を使えば量的な研究となる。この年になって離婚というのは面倒くさいし。好きなのか嫌いなのかはぼやけている。一応結婚生活に満足しているし、4という評価でもいいという切り取り方もあるかもしれないが、そこはニュアンスが微妙である。このあたりをどうやって取り出すかというのが質的研究である。そもそも量的研究とは目的が違う。
2ページのボックス1.1に示されているのは、デンマークの高校生が自分の成績評価についてどう考えているかという調査である。「成績についてもっと話してもらえませんか?」と尋ねると、高校生は成績に不満をもっていて、先生の意見と違うと間違っているということになってしまうと答えている。自分は成績は気にしない、試験で頑張る、など回答は何でも良くてどんな風に感じているのかを尋ねる。先生の意見に近いことを言わないと正しくなくて成績に影響することや、その生徒だけの意見ではなく生徒全体の意見である、ということも取り出している。こういうインタビューの仕方をどうすればいいのかというのがここでの問題である。3ページのボックス1.2に示されているのは、教師に対するインタビューである。この調査をした、ハーグリーブスはカリキュラム研究で有名な教育社会学者である。ボックス1.3にはパリの若者へのインタビューである。この調査をしたブルデューはフランスの有名な社会学者である。
6ページには、インタビューは古代ギリシャのソクラテスから来ているということが述べられている。プラトンが書いた本の中にソクラテスが出てくる。弟子みたいな人たちと哲学的な問答をやったものなどがインタビューの始まりだとされている。ジャーナリストが1859年にインタビューしたものがある。その後、1980年代以降にインタビューが広まった。フロイトの精神分析では、精神分析療法をやりながらのインタビューがなされたし、ピアジェの研究でも観察法の他にインタビューが用いられた。ホーソン実験では、工場労働者のやる気を調べる際に照明を明るくするか暗くするかによって生産効率がどのように変化するのかを調べた。驚くべきことに、当時より暗くした方が生産効率が上がったのである。2万人以上にインタビューしたところ、自分たちが研究に選ばれたということが彼らのやる気に火をつけた。暗くても負けなくてやるぞという動機付けにつながり、動機付けが大事だということがわかった。1950年代以降にマーケティングでインタビュー調査が始まった。つまり、何人かを集めて聞き取り調査をしたものである。1950年代、60年代以降、街角で味見をしてもらうものと、別室に呼ばれて試飲を頼み商品に対して話してもらうという2タイプがあった。今までの商品と比べてどうかを尋ねる。フォーカスグループでは何人かを集めて、例えば、何を飲むかを尋ねる。飲み物にはコカコーラやペプシもありますよねとまず最初に言って、対象者からいろいろな意見を出してもらう。コカコーラはペプシと味が違うなど、自由に意見を言ってもらう。マーケティングでは従来のやり方としてそのようなものがあり、研究とは違うところがある。それに対して1960年代に入って出てきたものが現在のインタビュー研究のもとになるもので2種類ある。8ページの下に、グレイザーとストラウトのデータ対話型理論、すなわちグラウンデッド・セオリーが紹介されている。それに対して、スプラドレーの手法にはエスノグラフィーがある。例えば、特定の小さな社会に入って行く際に、その土地の人々にいろいろ聞くような手法である。具体的には、あなたの部族ではお祭りの時にどのようなことをするのかなどを尋ねるときに用いる。現代では、インタビューというやり方が普通になってきた。街中でインタビューされて引き受けた人は答えてくれるというのはよく考えると不思議なことである。例えば、明治時代にマイクもないところでインタビューされてもインタビューの意味が分からずきちんと答えてはもらえないだろう。何についても答えられるというのは近代的な特徴である。インタビューというのは世論調査の広がりとともに広がってきた。共産圏での世論調査とインタビューというのはソ連崩壊以降である。それ以前はあらゆるところに情報提供者がいたため迂闊に政治批判ができなかった。そいういう社会ではインタビューは成り立たない。ある程度民主的な社会においてしか成り立たない。誰かが興味を持って聞き出すという構図である。今の社会は20年くらいでSNSやインターネットが広がってきて変わりつつあるが、インタビューは相手から情報を聞き出す有効な手段である。
10ページには、生活世界に関する半構造化インタビューについて解説されている。生活世界とは、その人の経験する世界のことである。社会人大学院生であれば昼間働いて大学院に通うということ、どこに勤めているのか、どのように時間を工面しているのか、大学院に通うことで具体的に何か得があるのか。大学院を修了して何を期待しているのかなどと聞くのが生活世界のことである。インタビューというのは相手の思っていることや感じていること、プライベートなことを尋ねる。余計なお世話であるが、研究する人はプライベートを侵害する人なのである。あなたが何を感じているのか知りたい、そこに倫理的、道徳的な問題が発生する。単なる興味ではなく、あなたが何を感じているのか知りたいが、しかし、そこには倫理的、道徳的な問題が発生する。
2章では、「インタビュー実践の認識論」に関わる問題を扱う。18ページには、インタビュー形式の12の側面について示しているがここでは主要なものだけ取り上げる。
1.生活世界の理解
相手がどう感じているのかどう考えているのかという意味を取り上げる。明快なこともあるが、あいまいなことも多い。長年連れ添った結婚相手について尋ねる場合、あいまいなこともある。整理されて語る場合は嘘くさい。つまり、整理されすぎているのである。一般の人は、普段考えていない。考えていたとしても明快な言葉になるようには考えていないだろう。その人にとっての意味を取り出していくことである。
2.質的であること
普通の言葉で表現されることが大事である。パートナーで共同経営者であって、みたいな、どこかで聞いた台詞みたいなものは、本当かもしれないけど嘘っぽい、その人の言葉ではない。
3.具体的であること
具体的に語ってもらうこと。「具体的に家庭を共同で経営するとはどういうことですか。お子さんへの関わりはどうなっていますか。」という質問に対して、「子育ては分担で、妻に任せている。働いているのは自分で子育ては妻に任せている。」など回答に独自性が多少出てくる。微妙なところをどう引き出していくかが重要である。
4.条件つきの純粋さ
ナイーブという言葉は、素朴な、純朴な、純粋な、無知なという意味である。英語でナイーブというと、世の中を知らない人間だという意味で使われる。条件付きの純粋さとは、無知であることを装うこと。インタビューをする人は内容をよく知っているはずだが、そのことを知らないふりをして、「そうなんですか?」と初めて聞いたようなふりをして感心して尋ねる。
5.焦点づけの方法
特定のことについて聞いていかなければいけない。家庭の共同経営について尋ねているのに、会社を経営しているという見当違いの話をずっとされても困るので焦点を合わせて話題を絞ることが必要である。
6.多義性への注目
いろいろなことを語る際に曖昧や矛盾がある場合がある。その人の語りの矛盾をついてはいけない。その人にとって矛盾と感じられるかどうかが問題なのである。一貫していないこと自体が意味があるかもしれない。曖昧ということを大事にしていかなければいけない。
7.変化の許容
そういえば確かにという風に考えが変化することがある。「(配偶者が)空気みたいな存在というのか。いや、というより、家庭があってこそ仕事するやりがいがあるのですよね。」と考えながら話している場合、インタビュアーの質問内容に刺激されて考えが変わることが多い。
8.感受性の必要
自分が何を知ろうとしているか分かりながらも相手を尊重している。相手の言おうとすることをつかみ取ることが感受性で、それについての知識も同時に大事である。夫婦間で配偶者のことを、パートナー、家内、奥さん、ワイフ、フラウとかいろいろ呼び方があるがそれぞれに独自のニュアンスがある。配偶者を尊重することが呼び方に現れる。そして、「フラウとは何のことですか?」とインタビューの途中で尋ねてはいけなくて、そういうことについての知識も必要なのである。配偶者のことをフラウと呼ぶ人は戦前の教養のある人で夫婦間で比較的対等な関係を作ろうとしている人なのではないかというのが瞬時に分からなければいけない。
9.対人的状況の考慮
インタビューが辛そうとか、答えるのに躊躇っているとか、インタビューをもう終わらせたいというあたりへ気づく敏感さが必要である。
10.肯定的な経験
対象者がインタビューを通して意味あることだと感じ取ってくれることが大事である。インタビューが終わった後に、これはこれで意味があったし、振り返られてよかったというようにしていく。
以上のように、インタビューとは相互的な関係であるものの、インタビュアーとインビュイーとの関係は一方的な関係でもある。尋ねる人と尋ねられる人という関係、たまにインタビュイーが逆に質問してくることがある。しかし、そのような逆の関係をそのまま続けてはいけない。インタビュイーの役割を引き受けるということは、尋ねられて答えるという役を引き受けたということである。そういうことを了解してやっているということは大きい。質問を切り替えることはインタビュアーにはできる。質問する支配権を持っている。インタビューとは、単なる仲良くする会話ではなく、研究目的があって道具的である。インタビュアーは取材目的があり、情報を欲していて、インタビュイーは情報を提供するという関係である。いろいろな形で聞いていく。夫婦関係を聞くときに、30年間の中で離婚を踏みとどまったエピソードなどがあるかを尋ねる。会社の都合で単身赴任があって、その時にはどのような夫婦関係であったのかなど少しずつ攻めていく。さらにインタビュアーはその内容を解釈し論文にしていく。公表する際にはインタビュイーの了解を得ていく。それに対してインタビュイーがどのように感じるのかも考えていく。そういうものと違うのは、24ページにあるようなソクラテスの哲学的対話、25ページにあるカール・ロジャースの臨床面接である。
28ページには、鉱夫と旅人という比喩について紹介している。「鉱夫」というのは、相手が隠し持っていたり、内面に宝物を持っている時、それを掘り出すというものである。相手が意識的に隠しているものをうまく掘り出さなければいけない。そうすると本音はどこにあるか探すことになる。それに対して、「旅人」というのはインタビュアーとインタビュイーが一緒に旅をし、相手が何を感じて考えているのかを振り返りながら聞かせてもらうこと。そこにはやり取りがある。どんなことに興味を持つのかを感じ取りながらやり取りをして、それを持ち帰るのである。
30ページから哲学的な理論が紹介されている。理論的な背景については保育Labの「ときがたり質的研究」に哲学的な背景を入れたものが掲載されているのでそちらを参照いただきたい。
3章では「倫理的な問題」を扱っている。夫婦関係について尋ねるときに、余計なことだけど知りたいので質問させてほしいとインタビューを依頼する。しかし、そこには倫理的な問題が出てくる。研究テーマというのは多角的な価値を持つと同時に意味のあるプラスになるものでもある。研究参加について十分に説明して了解を得ることをインフォームド・コンセントという。相手に手間をかけるだけでなく、しんどい思いをさせてしまうこともある。離婚した経験というのは辛いものであろう。病気になったとか、家族を亡くした経験もまた辛いものであろう。そのような辛い経験を尋ねられるのもまたしんどいことであろうと思われる。文字起こしとは、それらの回答をどうやって正確にしていくかが大事である。その分析において、新しい発見を伴うもの、十分に意味のあるものだからこそ時間をかける価値がある。検証では、より正確なものにしていく手間をかける。報告の段階では、発表する許可を得なければいけない。配慮事項を明記した上で、研究倫理委員会の審査を受ける。質的研究では前もって研究内容が全て決まっているわけではないので難しい。
41ページには、倫理的な問いが示されている。インフォームドコンセントがどのように得られるか、個人情報の保護、研究参加者に何をもたらすのか、法的な問題、インタビューとは治療的なものではない、公開の問題、役割の問題、資金提供の問題、都合のよい結果のみを出してはいけない、などである。
42ページには、インフォームド・コンセントについて解説がなされている。
45ページには、質的研究における研究者の人格性について述べられているが、当該のことについて十分に勉強していることを意味する。具体的には、インタビューについての経験があること、事柄について感受性豊かにあること、話せる限りにおいて話すこと、フェアであることである。
46ページには、専門的に相手と距離を置く、親しくなりすぎてはいけない、同時に仲良くなることもある程度は大事である。過激派、暴力団、暴走族とどう付き合うのか、どこまで関与するかというのは大事な問題で、適度な距離を置くことを考えていく。さらに、倫理には、特定の人との関係におけるミクロの倫理と社会全体に寄与すべきというマクロな倫理がある。
4章には、「インタビュー調査を計画すること」が述べられている。
57ページには、インタビュー研究の7段階が示されている。テーマを設定する段階、デザインする段階、インタビューを実施する段階、文字を起こす段階、分析、検証、報告である。やり方と目的が連動している。こういうやり方のインタビューが必要になるという関連を考えないといけない。同じインタビューでも丁寧に記述する、カテゴリーに分類しながらというのもあるし、インタビューをもっと数量的な調査の一部に使う場合もある。
60ページの「研究主題に関する知識」では、どういう質問をすればよいのかを考えておくことが述べられている。
63ページには、インタビュー調査のデザインについては、ぐるぐる回りをしていくこと、どこで発表するか、いつまでに発表するかを考えておかなければいけないことが述べられている。それには、ステップがある。研究の後の方のことを考えてから取り組む。研究手法では、より詳しく尋ねるようにする。例えば、夫婦間の対立が起こったときにどうしたかというのを具体的に詳しく聞くなどである。繰り返して先を考え、元に戻りしながら進んでいくというのが質的研究の特徴である。
66ページには、対象者は何人くらいが適当かについて述べられている。その研究に必要なだけの対象者というのが答えで、研究者が実施可能な範囲で許された時間で考える。100名の対象者をインタビューするというのは時間がかかりすぎる。例えば、離婚について研究する場合、離婚しそうな人を選ぶのかなど、サンプルの選び方も大事である。
68ページには、研究にはインタビューが向いている場合もあれば向いていないものもあることや、観察や質問紙法が向いている場合や、混合法が向いているものもあることが述べられている。いずれにしても質的研究法におけるインタビュー実践において大事なのは、研究者が調査の道具になる。その場でどう感じたのか思ったのかというのが大事で、その人の感じ方、鍛えていかなければいけない。それらは職人技、感受性とも言うが、テーマについて十分学んでおくことであろう。
5章「インタビューを実施する」では、実際に実施するにはどうしたらいいかということが扱われている。サンフランシスコで行われたインタビューのワークショップを紹介している。まず、インタビューの目的を言って寛いだ雰囲気を作っている。熱意とともにリラックスした雰囲気を作った後、ブリーフィングという事前説明をし、インタビューを終えるときにお礼を言う。さらに、言い残されたことはありますかと相手に尋ねる。調査者がこちらとしては実はこういう調査の目的がありましたと加えることもある。また、インタビューで良いこと良くなかったことを教えてくださいと尋ねることもある。調査者は、インタビューが終わって10分くらい静かな時間をとって振り返る。その時に、聞き忘れがあることなどもわかる。
次に、インタビューの台本作り、つまりインタビューガイドでは、研究のねらい、ポイント 主立った質問などが記載されており、それ以外は自由に聞く。漏斗型は最初広めに聞いておいて徐々に狭く聞くやり方である。例えば、「ご家庭やご夫婦について、どのように感じていらっしゃるのですか?」と茫漠と聞く。研究目的に沿った形で相手に和やかな雰囲気で本音を言ってもらえるようにする。分かりにくいことを押さえなければいけない。
89ページには、研究設問(リサーチ・クエスチョン)とインタビュアーでの質問が示されている。「学習の動機付けは支配的かどうか」という研究設問の場合、相手にくだいたわかりやすい質問をして、相手から具体的なことを話してもらう。イエス・ノーを避けて、相手が答えやすいようにする。相手が持っている本来的なものか、または曖昧さを深く掘り下げることも大事である。
91ページには、インタビュアーの問いのテクニックが示されている。導入のための質問、掘り下げのための質問では、うなずきや相槌をうちながら尋ねる。探索のための質問、具体化のための質問では、具体的な行動について尋ねる、直接的な質問では、インタビューが進んできたときに質問する。間接的な質問では、「成績を巡る競争についてみなさんはどう思っているか」とオブラートに包んだ質問をする。構造化のための質問では、こういうことをおっしゃいましたねと確認する、黙って待つとは、相手が考えているときに黙って待つことである。解釈を呈示する質問では、こういう意味ですかと質問して確認する。
95ページには、追加質問の技法が示されている。例えば、「先ほどのことの意味が分からなかったのですが、こういうことですか?」と追加質問をする。インタビューとはやり取りであるので、用意した質問をチェックしながらするのではなく、相手の言ったことを適宜とりまとめたりしながら言うと、インタビュアーが理解してくれていると相手が感じ、熱意を感じてくれ、相互作用的なやり取りができる。
6章「インタビューの多様なかたち」では、異なる文化を持つ人へのインタビューをする際に気をつけなければいけないことが述べられている。相手が警戒したり、研究インタビューに慣れている人ばかりではない、外国で調査する場合は、言葉の問題もあり、通訳が適当に解釈している場合がある。変なことを伝えたくなくて、省略してしまうこともある。子どもへのインタビューについては、ピアジェの研究を紹介しているが、批判的に扱っている。これは1920年代の研究であるが、今ではこのような決めつけた質問はしないだろう。その点が問題点がある。
105ページには、エリートや専門家にインタビューする場合のことが述べられている。かなり勉強してインタビューしなければいけない。詳しく分かっている人でないと答えようがないからである。
106ページには、事実探求型インタビューについて述べられている。質的研究とは違い、目撃証言に関するものである。誘導尋問になってしまいがちである。子どもの場合、セクシャルハラスメントや性的犯罪について、子どもにどこまで体を触られたか正確に聞き出すことは難しいため、人形を用いて被害状況を正確に確認する。
107ページには、概念探求型インタビューについて述べられているが、「保育とは何ですか?」「主体的とは何ですか?」など、その人の考えを聞き出すことである。
フォーカスグループ・インタビューについてはここでは解説を省略する。
ナラティヴ・インタビューとは、「どんなことをしてきたのですか?」と尋ね、小説のような物語のようなものを取り出す。これを取り出すにはどのように聞き出すかが大事である。人生を語るのが好きな人は多いので、関心を持って聞くとよいが、自分自身が語るにふさわしいとは思っていない人も多い。その辺の引き出し方が大事である。人生の中での迷いや転換となった出来事を尋ねる。
111ページには、ディスコース・インタビューについて述べられている。ディスコースとは談話のことであり、語る枠組みについていくつかの枠組みを混在させて語る。例えば、保育者が、保育指針の中で子どもは主体的にと語りつつ、子ども相手は疲れるという本音的な語り方がある。それらが衝突し、言い間違えがあったりする。
112ページの直面的なインタビューとは、論争をもちかけることである。例えば、「あなたは主体性というけど、子どもは躾が大事ですよね」と敢えて反対の立場のことを言う。相手が誘導されてしまうこともあるため、例外的な手法である。
7章では、「インタビューの質」について扱う。ここでは、よりよいインタビューのやり方について述べている。ポイントは、124ページによりよいインタビューについて示している。世論調査のようにイエス・ノーと答えさせるものとは違って、自発的で具体的に語ってもらう。何を詳しくするかはインタビュイー次第であり、インタビューの質問は簡潔にした方がよいが、それは簡単ではない。インタビュイーの話したことの中で重要そうなところを取り出して、さらに質問を重ねていく。質問を重ねながらインタビュイーの言葉で意味を語ってもらうようにする。インタビューというのは、インタビュアーの主観的な解釈が入りながら、相手に確認の意味でチェックしてもらいながら進めるものである。何を尋ねようとしているか相手に伝わり、相手がその言葉で語るようにするのが理想である。
ボックス7.3には、インタビュアーはどのような力が必要かということが示されている。1番目は、インタビューのテーマについてしっかりとした知識をもっていること。新聞記者などは十分に勉強してからインタビューする場合もあるが、インタビュイーに教えてもらうこともある。研究者は原則として先行研究を学んでから尋ねている(違う考えの研究者もいる)。その方が、相手が言わんとすることを把握しやすくなるからである。例えば、保育者相手のインタビューなどで、保育所の保育の問題について尋ねる際に、インタビュアーが保育所と幼稚園との区別がつかないような知識レベルだと、本当に言いたいことにたどりつかなくなってしまう。2番目は構成力であるが、インタビューがどういうことを目的としているかをまず伝え、インタビューの中で手続きの概略を述べた後に、最後にインタビューの会話の内容を確認するという流れになっている。3番目の明瞭さとは、簡潔に何を尋ねているのかが分かりやすく伝わるようにすることである。4番目の礼儀正しさとは、相手が言いたいことを途中で遮らないようにすることであり、途中、相手が話を脱線させたとしても行き着くところまで行ってもらう。5番目の感受性の高さとは、相手の言っていることが明瞭でないときにニュアンスをどう読み取るかであり、相手の感情面にも配慮しつつ、どこをさらに聞くべきか、逆にどこは聞かざるべきかを感じ取ることである。例えば、家庭の問題や夫婦関係についてなど、深く追求できるかどうかは様々な事情が関係してくる。相手が言葉を濁したときにどうするか。詳しく語りたくない事情があるのかもしれない。それを感じ取ることが大事だ。6番目の開かれた態度とは、実際、インタビュイーの中には適切に話せる人は少ないので、話題が脱線していること自体も大事かもしれない。そういうことも含めて聞き取っていき、連想を働かせながら聞いて感じ取っていくことである。同時に、7番目の舵取りの力とは、聞きたいことの方向に向けていかなければいけないということである。「ところで、先ほどの話ですが」と言って失礼にならないように軌道修正する。8番目の批判力とは、悪口ではなく、十分に吟味することである。相手の言っていることが当たっているのか、質問したことと関連しているのかということである。9番目の記憶力とは、本人が本当に経験した話なのか、それとも友達が経験したことなのか、または友達の話だと言いながら本人が実際に経験した話かもしれない。例えば、「最初の方でこうおっしゃっていましたが」というように確認しながら整理をする。10番目の解釈力とは、「こういう意味でおっしゃったのですよね」と整理しながら解釈を提示していく。難しい言葉でなく平易な言葉も用いながら明確に解釈を伝える。
129ページからは、質的なインタビューに対する問題を示している。ありがちな批判であるが、修士論文や投稿論文では査読でよく指摘されることである。それらの批判に対して本書の著者が上手に反論している。130ページからその反論として以下の10点を示している。
1)質的研究とは科学的なものと違う。
科学とは新しい知識のシステムを組織的なやり方で生成することである。
2)数量的でなく質的なものであるから非科学的である。
科学、特に社会科学では質的なものが成り立ちうる。
3)質的研究は客観的でなく主観的である。
実際、主観的であるが、その解釈が他の人にも共有しうるという意味で客観的である努力をすることは大事である。
4)質的な研究は科学的な仮説検証が行われず、探索的である。
それはそれで意味がある。細かく見ると、仮説検証的なこともできる。それは、インタビューなら質問して確認するやり方である。
5)個人とのやり取りに依存するため、インタビュアーの質問内容によって変わってくる。
熟達したインタビュアーや専門家が関わることによってその人ならではのインタビューの内容が生まれる。その視点と込みでの知識なのである。
6)インタビューの結果はバイアスがかかっている。
主観性というのを自己認識し、考慮に入れながらデータを集めて自覚的に解釈をする。
7)誘導的質問によるので信頼できない。
世論調査などで、「これについては、こういう問題があると指摘されているが、あなたはどう思いますか?」など問えばそれは誘導尋問である。それに対して、「こういう問題についてあなたはどう思いますか?」などは中立的な質問である。質的研究では「こういうことを言っている人たちがいるが、あなたはどう思いますか?」と特定の解釈を提示することもある。
8)質的研究は読み手によって異なる意味が見出されるため間主観的ではない。
間主観的とは人によって見方が違うが、人と人との間でやり取りすれば一致してくるということを意味する。ただし人によって視点が異なり、意味が違ってくるのである。それはバイアスと同じであるが、視点ごとに違うということはあってよくて、捉え方の違いを重ねていくことが大事である。
9)主観的な印象に依存しており妥当性がない。
インタビュアーの主観的な感覚に頼っているが、大事なことは知見をチェックして重ねていく。
10)インタビューの対象者は少ないので、一般化できない。
大勢に当てはめる一般性は目指していない。場合場合によって違う、人によって違うということを大事にしているが、他の場面でも当てはまる可能性はある。そういう意味で参考にすることはできる。
本章の最後に135ページには、学術的責任と倫理的責任について解説されている。倫理については、前回の「質的研究のデザイン」の中でも触れたが、倫理的とは、相手のプライバシーや立場に十分配慮し、その人に有用なものにしていくことである。それに対して、学術的というのはしっかりとデータを集めることである。そこにジレンマが生まれる。何でも聞き出した方がよいが、その質問内容はその人にとって辛いことかもしれない。それでもなお、相手に聞くことなのかは研究目的による。相手に了解してもらっているかどうかによる。ただやたらに詳しく聞くことをよしとしてはいけない。必要な時には聞くということは、簡単に両立するわけではなく難しい問題であるが、難しさを前提にしてよく考えなければいけない。
8章では、「インタビューを文字に起こす」ことについて述べる。通常、インタビューとは音声である。その場で文字起こししているわけではなく、録音したりして、それを文字に直す。それは機械的に自動的に決まる訳ではない。143ページにあるように、まずインタビューが記録として残っていることが大事である。記録がうまくいかないこともある。念のため、複数の録音機材を用意するなどしておくことも必要であろう。
次に、文字起こしをする際に、聞き取れなければいけない。外部マイクなどを取り付けることも必要である。いろいろな場面を想定して実施する。ビデオで撮影する人もいる。映像では表情や身振りがわかるが、ビデオ撮影は相手にプレッシャーを与える面もある。本人のメモや記録も録音すると同時に必要である。聞きながらメモを取ると目が合わなくなってしまう。新聞記者の中にはうつむきながらメモを取る人がいるが、それだと普通の人はしゃべれなくなってしまう。ある文化人類学者は調査対象の村に行ってインタビューする際に基本的にメモを取らないで、ポケットの中で簡単にキーワード程度をメモするらしい。また、ある臨床家は心理療法の際に、その場ではメモをとらずにその後に録音したものと比較すると9割くらい一致していたらしい。目的によって異なり、おおざっぱな場合は録音の必要はないだろう。そのうえで文字に直すことが144ページに書かれている。業者に頼めるがどの程度細かく文字起こしをするかは調査者自身が指定しないといけない。業者によって得意不得意がある。146ページに文字起こしの例があり、標準的な記号とともに電話のやり取りが示されている。その場の言葉の微妙な言い回しまで文字起こししていく。スペルを見ると”shoulda”の正式な綴りはshoud haveである。”w’s”はwasのaが抜けたものを示しており、「:」は伸ばすマークである。機械的に正確ではなく、言葉のニュアンスが出るようにしている。つまり強調の意味を表している。あらゆるところでそうすべきという訳ではない。二人の間の会話がどう重なるかを分析する。また、「彼女はきれいな子よね。」とその後の会話を「=」で繋げて共感を示している。”beautiful”の後の会話で”pretty”が出てくるが、これは、かわいいが美人であるとは言っていない訳である。この区別が必要なのかどうかは研究目的による。どこを強調するか。含み笑いや唸るのを文字起こしに入れるのかどうかは目的次第である。こういうやり方でなければならないという訳ではない。
文字起こしがどの程度信頼できるかであるが、149ページに信頼性、妥当性について述べられている。その場で聞いているのと録音されたものを聞くのでは違うし、何度も聞いているとわかる場合もある。それは信頼性のことであり、文字起こしが正確であるかである。妥当性とは、目的に応じて的確なもの、つまり地図みたいなものである。地図は南北が正確であるとは限らない。地下鉄の乗り換えの地図は距離はでたらめである。地図というのは目的に応じて現実を作り変えているので、それでよいものである。150ページにはコンピュータツールとして、文字起こしがソフトによって、目的によって作り替えなければいけない。文字化すればさまざまな分析ができる。文字数を分析したり、A、Bという単語が一緒に出てくる頻度で関連性をみることができる。ソフトを用いて分析することも増えてきた。しかしながら、ソフトがどこに注目したのかがわかりにくいので、人間の目で確認することが必要である。たまたまそのような結果が出たという場合もある。
9章では「インタビューを分析する」ことについて述べる。分析については156ページに示されている。集まった1000ページの逐語録を分析する方法について尋ねられた場合。本書の著者はインタビューする前に考えるように助言すると述べている。そしてそもそも量が多すぎる。1000ページはコンピュータでも分析できるが大ざっぱな分析となってしまうし時間がかかる。1年もかけると最後の方の分析が最初と違ってくる。質的研究はデータの量が多ければいいという訳ではない。質的研究はやりながら決める部分はあるが分析のステップは考えておかなければいけない。分析のステップは、相手が言葉を発する時点から始まる。2番目にその時、私はこういうことを言いたいと解釈を説明してくれることもある。あなたのライフストーリーについて、第2ステップでは、例えば、受験勉強しているうちに向いていることがわかり、授業で受けたのが面白くてとキャリアの意味づけが行われる。第3ステップでは、インタビューの中で解釈を返していく。例えば、「受験するときに専門を考えて、最初はこうだったけど、先生の影響で変わったのですね。」などと解釈を返す。第4ステップはインタビューが終わり録音したものを文字起こしをする段階、第5ステップはその分析を相手に戻していく。キャリアの選択について自己修正してもらう段階である。最近では、相手に内容のチェックをしてもらうことが増えてきた。第6ステップは、返すことによって相手がアクションを起こすかであり、アクションリサーチなどが例としてあげられている。一人だと考えにくいが、保育者数名にインタビュー結果を返すと、園の改革に取り組んだりする。実践に役立つことを目指すというスタイルもある。
159ページには分析のやり方を4つ紹介している。中心となるのは「意味の分析」と「言語形式の分析」である。意味に注目するとは中身のことである。キャリアを尋ねる場合、大工さんに対して、「どうして大工の仕事に興味をもったのですか」と尋ねると、「小学生の時、祖父のうちに遊びに行き、余った木ぎれで作り方を教えてもらい、面白くて、中学で勉強が嫌いで」など、という展開があったりする。祖父に学んだ、勉強は嫌いだけど物作りは好き、専門学校に行った、というキャリア形成を語る。それは、その人の中身に即している。そういう類いの分析が意味に注目するということである。どういうやり方があるかというと、160ページには内容分析について述べられている。いくつかの意味に分けて分析する。例えば、保守的か革新的かということで新聞分析をする。コード化とは、データを分けていくと、切れ目ごとに分けていくこと、その意味はどうかを考えて、a、b、cなどの記号に置き換えたりすることである。
162ページには、意味の縮約について述べられている。テーマの縮約はカテゴリとは違い、全体中で部分を捉え、そこでの言葉を使って、目的に応じた要約を作る。165ページの言語形式に注目した分析とは、ビューティフルとプリティとは敢えて違うことを言っている場合もあることや、I、Weというとニュアンスに注目するものである。「私楽しかったわ」と「私たち楽しかったわよね」では異なる。それに対して、会話分析はやり取りに注目する。167ページには、エスノメソドロジーが紹介されている。エスノメソドロジーとは、会話のやり取り、合間を開けずにすぐ言うことの意味、交代で言うこと、一方的にしゃべる、中断、言い方を変えることなどについて細かく分析する。面白いがエスノメソドロジーで分析すると手間と時間がかかる。
168ページには、ナラティヴ分析があるが、物語として捉える分析方法である。若い大工がいて、その人が大工になる前となった後の物語、それはファンタジーの物語に似ている。ある少年がある日、使命が与えられ、探検に出て、困難を乗り越えて、宝物を見つけるというのはファンタジーの原形である。キャリア形成の例のように、物語に類して語りを捉えることをナラティヴ分析という。それに対して、ディスコース分析とは、ある分野の語り方、言い回し、用語、文の続き方などがセットとなった分析である。例えば、大学の講義において、勝手に、「昨日さあ」など友達相手のような言葉遣いをすると、ディスコースとして違う種類のものにぶつかる。教師の専門的ディスコース、つまり通常は権力を持ったディスコースが支配するのである。しかし、幼稚園では子どもに対して「その話題は後で」と言えないだろう。種類の違うぶつかり合いは、大学と幼稚園では異なる。脱構築とは、男と女、教師と生徒、といった二分法を崩し、これらを作り変えていく。そういう対比が崩される場面に注目している。173ページのブリコラージュとはさまざまな技法を組み合わせることである。
10章では、「インタビューから得られた知の妥当化と一般化」について述べる。先入観から自由になると考えているわけではなく、先入観や自分の偏りを自覚して実施することは可能である。対話的な間主観性、つまり違う見方をする人同士がやり取りをすることによって、見方の違いが明らかになり、それぞれが真実をもっていて、複雑多様なものを浮き立たせることになる。3番目の対話的な間主観性とは、対象に適合したやり方をすることである。言葉によって表される世界をインタビューから取り出すこと。言葉にならない部分はインタビューには出てこない。その人が使っている言葉の世界のことをさしている。4番目の対象からの反論を可能にするとは、対象者、相手の言葉によって、確認し、こちらの解釈を相手に示すことで相手に反論されるかもしれないということである。科学史のラトゥールは、自然科学における客観性とは、物理的に測定されることによる反論であると示唆している。つまり、インタビューなどでも、思い込みへの反論、思い込みを崩し、確認すること、相手からの意見を聴取することである。
次に、インタビュー、質的研究における信頼性と妥当性を整理すると、信頼性とは複数の人が取り出しても一致するかということであり、妥当性とはこちらの解釈がどの程度目的に対して妥当であるかのチェックである。100パーセント妥当とは言えないが、知見やデータを相手に返してチェックすることが大事である。一貫しているかについて、さまざまなところでのチェックをし確認を重ねること。189ページには、知見を示し、繰り返し、問いかけを明確にすることが述べられている。そして、そこで生まれた理論をはっきりさせることが重要であると言っている。
191ページには、コミュニケーションによる妥当性とプラグマティックな妥当性について解説されている。192ページの表10.1に示されたように、インタビュイーにはメンバーによる妥当化、一般の人々には受け取り手である普通の読者になるほどと思ってもらえるかどうか。研究者の場合には同僚による妥当化があり、これはコミュニケーションによる妥当性である。それに基づけば、実践論文などは実践者の共同体による了解で理解可能となるものである。一方、プラグマティックな妥当性とは、プラグマティックは使えるかどうかを試してみることをさす。研究において実践の改善の必要性が明らかになった場合、それにしたがってやってみようとすることが含まれる。他に当てはまるかどうかを一般化という。194ページにある「分析的一般化」とは、調査対象者が10名くらいで少ない場合は自動的には決められないが、それなりに似たところには当てはめられそうな場合がある。どこが似ているかは読む人が決める。読み手次第であり、特殊な街の事例であっても、うちの街でも当てはまりそうだとかなれば一般化されたと言えるだろう。
11章は、「インタビューの知を報告する」ことについて述べられているが、論文にした場合にどうするかを扱っている。201ページには、最初からどういう論文にするかを、テーマ、研究計画、手順、分析、検証、報告などに分けて念頭においておく必要がある。202ページには、インタビューは文字起こしされたものの状況を説明する方法について説明している。インタビュー中の雰囲気はどうであったか、どのようにインタビューを構成したかなどを説明する。インタビュー研究では、事例やエピソードを引用するがそのポイントの文脈が分かるようにする。読みやすいスタイルにすることを心がけ、目的次第であるが引用はなるべくインタビュイーの習慣的な言葉を用いて忠実なものにする。例えば、幼稚園で3歳の子どもが「砂が冷たい」と言ったようなエピソードで、それを保育者が「温度が低い」と気づいたと書いてあれば、それは保育者の言葉である。幼児が「冷たいね」と言ったことが大事で、それは幼児が温度に言及している訳ではないので「温度が低いと気づいた」とは書かない。「冷たい」という幼児の発言とそれが温度につながると考えた保育者とのずれが大事なのである。引用の時にそういうことを気を付ける。読みやすさが重要であり、引用でできるだけ語るようにすると、引用にいろいろなことが含まれる。どういう事例を引用するかを考えることは大事だが、読みやすさをやり過ぎてしまうと元の事例から外れたものになってしまう。
12章は、「インタビューの質のさらなる向上に向けて」であるが、210ページは録音をもとに文字起こしをしてインタビューの練習をしてみようとある。どういう問題があるかを考えて、模擬インタビューをしっかりと実践する。そうするとインタビューの難しさが分かる。212ページに、インタビュー場面の観察の仕方が説明されている。インタビューの実際の研究を紹介すると、インタビューされる立場になって学ぶことができる。今後、研究するためには不可欠なことであり、そばでインタビューの様子を見ていると話し手の話を途中で切ってしまっていることなどに気づく。
最後にインタビューの知見は絶えず作り出されていることに気づくこと。インタビューの解釈が研究に影響することがあるが、解釈したものをインタビュイーに返しながら、同僚と洗練したものにしていくことが大事である。
(執筆:無藤隆,2018年4月23日・5月7日)
(まとめ:白川佳子・和田美香)