投稿日: Sep 18, 2016 4:54:35 PM
政治学の大家による民主政治の基本の解説。とはいえ、通り一遍のものではなく、その基本の原則を見直しつつ、現今の日本の政治のあり方への警鐘と打開の方向を述べています。その緊張感が読み手にも伝わるものです。
丸山真男に則り、
現実を「可能性の束」としていわば知的に「噛み砕く」ことの必要性を訴える発想は、今でも鮮烈な響きを持っている。現実を「モノ」のように考え、われわれの認識や思考といわゆる現実との相互影響関係を遮蔽する発想は、市民の政治に対する関心を減衰させる典型的なロジックの1つである。
日本の民主制は丸山真男が期待した政治的思考法の開発に無縁であったし、むしろ、政治的思考の矮小化の中で基本的に営まれてきた。従って、こうした緊張感との闘いと無縁な中で続いて...きた点で明らかに異質であった。その何よりの証拠は、有権者から白紙委任を当然の前提にした、官僚制と一体になったインサイダーによる政治しか構想できない政治家集団がなお牢固として存在していることである。そうした中では政治的統合といった概念すら忘れられかけている。還元すれば、未だに一九六〇年代、七〇年代の政治構造が思考停止したまま続いている。当然のことながら、現代において民主制を「政治家による支配」と読み替えるためには、政党や政治家のどれほどの自己変革が必要かについて十分な緊張感を期待することは難しい。
かつてのバブル崩壊以前の「日本株式会社」と呼ばれた時代の日本は、トクヴィルの言葉を借りれば、さながら国民が「勤勉な動物の群」であり、政府はその牧人であったように思われる。「個人主義」は全盛を極め、利己主義から距離を置いた「柔らかい個人主義」といった教説が流布していた。「個人主義」は決して利己主義のようにがつがつした品の悪いものではなかったが、社会的な連帯関係は縦割り組織の枠に封じ込められ、終身雇用制度によって市民の政治的能力は無力化されたように見えた。実際、社会的な出来事に対する積極的な関心は国際比較でみても最低水準にあり、「見て見ぬふり」の「個人主義」ばかりが大量発生した。そこでは未曾有の豊かさの中で物質的な安楽の執拗な追求と政治的・社会的無力感(行動力の欠如)がきれいに同居していた。それはトクヴィルの予言をほとんど地で行くような時代であった。
政治は「安心・安全・安定」をスローガンとし、国民のほとんどが生活水準で「中の中」に属すると考え、平等化はほとんどその完成に近づいたように見えた。物質的安楽を揺さぶるものはアメリカとの貿易摩擦しか思い浮かばなかった。行政を中心とした利益配分の仕組みは精緻に組織化されていた。政権交代といった話題は論外であり、自民党のパターナリズムは健在であった。冷戦はなお終結していなかったが、日本は世界で最も完成された「社会主義国家」ではないかという嫌味な見方が外国メディアには流れていた。「日本株式会社」という命名そのものが示しているように、全体は一糸乱れぬ精緻なシステムにより管理されているとされた。古い政治運動は衰退の一途をたどる一方で、新たなエネルギーは政治の世界に供給されることはなかった。政治を作り変えるエネルギーは枯渇し、地方からは「もっと利益をよこせ」というメッセージばかりが政治に寄せられた。「お任せ民主主義」の全盛の下、政府はひたすら後見人の役割に追いまくられた。それは専制と呼ぶには余りに司令塔と中核部分がはっきりしないものであり、論者によっては単に「システム」と呼ぶしかないという議論も見られた。いずれにせよ、「個人主義」とセットになったパターナリズムの現実は明白であり、自由の構造的な不活発化、軌道修正能力の貧困化によって一方的に爛熟するしかなかった。バブルの発生とそれによる自己破壊はまさにその社会的・経済的な帰結であったといえよう。
見事な分析であり、その後の状況にも通じるようです。
(紹介:無藤 隆,2014年9月14日)