投稿日: Sep 19, 2016 2:30:59 AM
著者がいろいろな相談事に何でも答えるもの。どれも著者が考えるその筋道が丹念でよく伝わってきて、なるほどものを考えるとはこういうことかと実感できる。その結論にどれも賛成できるということは多分誰にとってもなさそうだが、でも、それも著者の思考に誘われて考えたくなる。
その答のいくつかから感銘を受けたもの。
二番目に大事なものの方が一番大事なものよりも、うまく関係が結べたりするものです。その理由は、簡単で、上に述べたとおりですが、そこで大事なのは、しかし、それでも一番大事なものから目線をそらすな、しかもけっしてそれを敵視するな、それを畏れ、しかも憧れつづけよ、だというのが、僕の考えです。
自分の一部、自分にも触れない何かを、誰かに、受けとってもらう。それが、表現で人が求めていることかもしれません。自分の一部を、小さく、スプーンで掬い取り、受けとってもらう。
受けとってもらうのですが、誰が受けとってもらうのかはわからないのです。それが、贈り物とは違うところです。贈り物ではなく、ただの拾われものでもなく、売り物でもなく、人に受けとってもらう。奇跡のようです。そこに何かがある。夜の海に、灯籠を流す、というときには、祈りがあるのですが、祈りさえない。」
単純なままの言葉の語られるさまを通じて、その言葉にもう一度、チャンスを与える。そういう場合には、イヤな感じ、の逆で、心を動かされる場合も、あります。でも、これは芸術的表現に限りません。行動というものが、全部、そうなんでしょう。
(紹介:無藤 隆,2014年12月18日)