投稿日: Jan 27, 2017 12:29:44 AM
本書は1974年に出版された同タイトル書の復刻版です。本書の原題は「Adventure Playground」ですが、当時日本には「冒険遊び場」は一般に紹介されていなかったため、「新しい遊び場」と銘打って世界各地の冒険遊び場を紹介しました(その後1979年に、日本の常設の冒険遊び場第1号、羽根木プレイパークが開園しました)。ちなみに、訳者夫妻は、日本の冒険遊び場の立役者として著名で、IPA(子どもの遊ぶ権利のための国際協会)の日本支部長、NPO法人日本冒険遊び場づくり協会代表を務められていた方です。
本書の復刻にあたり、木下勇氏は、「冒険遊び場とは、原っぱみたいなものである。何もない原っぱで穴を掘ったり、廃材で小屋をつくり、要らなくなった木っ端でたき火をして、時には焼き芋を焼いたりと、(略)遊びの活動によって常に様相が変わるのである。」(本書冒頭の「復刻にあたって」より引用)という、訳者である大村氏の話を回想しています。多くの公園や公共施設では完成した形があり、使った後は原状回復しなくてはならないのですが、冒険遊び場は子どもの遊びの内容によって形を変えていくことができるのです。
冒険遊び場の発祥は、知られている限りでは、1943年10月15日、ドイツ占領下のデンマーク・コペンハーゲンの郊外にある、エンドラップの廃材置き場で、労働者協同組合住宅協会とソーレンセン教授によるものです。ソーレンセンは、子どもたちが既成の遊具で遊ぶのではなく、落ちていた木片や鉄くずなどの廃材を使って遊具を自分でつくって遊ぶ姿に心を動かされました。このような子どもの姿から構想を得て、その12年前に著書「都市と農村のオープンスペース」にのちに冒険遊び場となるものの構想を記していました。
エンドラップに開園された冒険遊び場の初期のリーダーはジョン・ベルテルセンです。先に紹介したソーレンセンがこの遊び場の創始者であり、ジョン・ベルテルセンが、それに哲学を与えたとされています。ベルテルセンは、開園当初から記録を残しており、その一部が本書に紹介されています。そこには、彼が与えたという「哲学」が垣間見える文章があります。
例えば、エンドラップ冒険遊び場に集まる子どもは、「比較的裕福な者からたいへん貧しいものにまでいたっていた」(p.16)そうです。しかしながら、子どもにとって幸せかどうかは家庭の社会的階層に関係なく、子どもたち自身が自分の生活を愛し受け入れていたかどうかであることを指摘していました。これは、開園当初に子どもたちは、モミの柱の大きな円錐形の小屋をつくり、旗を掲げ、自宅とは違う公共の場としての自分たちの居場所をつくっていたこと、そして、そこには椅子やテーブルを配して最終点検する者がいたり、テーブルには花を飾る子どももいたりしたことから導き出した哲学です。
また、さらに彼は冒険遊び場に集まる子どもたちの様子から、子どもたちの置かれていた環境や遊びの意義について言及していました。それらが本書に紹介されていますので、一部を紹介します。
大人は、単に遊びの施設を準備することだけでは十分ではない。遊びを通して子どもの幸せと成長のための環境がつくられるように遊びに対する積極的な姿勢を社会に提案しなくてはならない。
遊び場があまりスマートな外観をもっていないという世間の苦情に対しては、この遊び場は大人には豚小屋のように見えるが、子どもの遊びは大人が見るものではなくて子ども自身が体験するものである、と反論する。
何もしないで感覚を働かせながら過ごすのもひとつのゲームである。なまけ遊びは空想の世界への展望を与えてくれる。
ソーレンセンは1943年の開園当初から1947年までの間、遊び場にやってくる子どもたちの仲間にリーダーとして加わり「大いにやろう遊び」(p.17)をしました。その期間にここを訪れたのがイギリスのアレン卿夫人です。アレン卿夫人は冒険遊び場に集まる子どもの様子から子どもの環境を社会問題にしました。イギリスでは、スカンジナビア半島を凌ぐくらいに数多くの冒険遊び場が創設されましたが、彼女は遊び場を子どもの攻撃性の発散の場とも捉えていたことが興味深いです。
ここに紹介する先人たちは、子どもと場を共有し仲間として遊ぶ一方で、子どもの環境、あるいは社会における遊び場について冷静に捉え、社会に発信していたのです。社会に発信すれば、当然賛否両論あるでしょう。1955年の8月と9月にグリムズビー・イブニング・テレグラフ紙(イギリス・グリムズビーの地方紙)の投書欄には地域住民の声が紹介されていましたが、それは「多くの意見から、遊び場が不快なものであることは確かだった」(p.27)と評されるものでした。それでもなお社会に発信し続け、今日のように世界各地に冒険遊び場が広まったのはなぜでしょうか。その答えは、本書とともにアレン卿夫人の著書、「都市の遊び場」1からヒントが得られるのではないでしょうか。
(注)1.アレンオブハートウッド卿夫人著 大村虔一・大村璋子訳 鹿島出版会 2009.
(執筆:中田 範子/ 2017年1月13日)