投稿日: Oct 14, 2018 4:2:38 PM
「島原の子守唄」を何気なく歌っていて、子どもたちに「もっと歌って」と何度もせがまれたことがあります。特に、ある歌詞の部分を楽しみに待っていました。
下は、「島原の子守唄」の歌詞です。子どもたちが待っていたところは、歌詞の中のどこだと思いますか?
‘おどみゃ島原の おどみゃ島原の 梨の木育ちよ
何のなしやら 何のなしやら 色気なしばよ しょうかいな
はよ寝ろ泣かんで オロロンバイ 鬼の池ん久助どんの 連れんこらるバイ ’
「梨の木育ち」とは、「貧しい家の育ち」という意味です。「梨の木」と「色気なし」をかけているのはご愛敬でしょうか、それとも「からゆきさん」のことを歌っている全体の意味からきているのでしょうか。「鬼の池」は、島原対岸の天草の地名であり、「久助どん」は、架空人物ながら、当時多くいた女衒(遊女として売る周旋屋)という設定のようです。全体として、「泣いてないで早く寝ないと、久助どんが連れにきて、売られてしまうぞ」という内容を歌っています。
内容を知ってしまうと、‘鬼の池(おんのいけ)ん久助(きゅうすけ)どんの連れんこらるバイ’のところで震え上がりそうですが、実は、先の子どもたちが待っていたのは、この部分でした。
この歌を楽譜にすると、以下のようになります*。
‘鬼の池(おんのいけ)ん…’のところは、矢印で示したように、前の小節から1オクターブも下がって、ぐっと低くなります。ここを歌うと、歌詞の意味を知らない子どもたちも、音高の急な下がり方で不気味さを感じるようです。歌う方も音程を下げるために身構えますので、ちょっとタメも入って、余計に怖さをつくることになります。
幼児期の子どもたちは、曲の山の部分で盛り上がる歌も元気に歌いますが、このような、歌の陰の部分の雰囲気もちゃんとつかむことができます。たとえば、「おへそ」(作詞・作曲:佐々木美子)の歌でも、子どもたちの同じような様子を見ることができます。
この歌の1番はこんな歌詞です。
‘ おへその中には何がある ピッピ
おへその中にはゴマがある ドンドン
おへそのゴマは くらいくらい つぼの中
おへその中には何がある ドンドン ’
はじめの2段の‘おへその中には’が上向きの旋律なのに対して、3段目の‘おへそのゴマは’の旋律は、ぐっと下がってから上がるU字型の旋律になっています。それまでの旋律を笑顔で、そして’ピッピ‘や’ドンドン‘を子どもたちと一緒に動作しながら楽しく歌っておき、‘おへそのごまは’を少し大層な感じで歌うと、‘くらいくらいつぼの中’あたりは、「なになに!?」という感じの雰囲気になります。
この歌の2番3番では、おへそのしわが暗い暗い細道に、おへそのでこぼこが暗い暗い階段にたとえられており、それぞれで、どんな‘くらい’ものが出てくるんだ、という雰囲気になります。
こういう時は、思い切り表情や動作、声色、速度、強弱など変えて、少しデフォルメして歌うことをお勧めします。4段目になったら、もとの笑顔で歌います。
「おばけなんてないさ」(作詞:槇みのり、作曲:峯陽)もおもしろいですね。この曲の山(?)は、3フレーズ目の‘だけどちょっとだけどちょっとぼくだってこわいな’の部分です。これは、先の2曲と違って特に低くなっているわけではないのですが、他のフレーズが同じリズム型でつくられているのに対して、ここだけ違うのです。この部分の歌い方を大きく変えて、ちょっと身をかがめるようにこっそり歌うと、リズムの変化と歌詞の内容をうまく伝えられ、とてもイメージがわきます。曲の山は大きくなることが多いのに対して、こっそり小さい声になるのですから、子どもたちはハッとします。
就学後になると、ABA形式だとか、反復と変化だとかいった形式のことを学習していきますが、それらは言葉としてだけ覚えても、子どもにとっての音楽になりません。言葉として定着するのは、それまでの体験があってこそです。逆に、幼児期の体験の中で、そのような言葉を使う必要はもちろんありませんが、子どもたちと一緒に歌う前に先生がそのような歌の構造を意識しておくと、子どもたちと楽しむ表現がずいぶん違ってくると思います。もちろん、そのように豊かに表現されている先生方が多いのですが、時々、どの歌もただ一本調子で元気がよくという表現にも出会います。旋律の形やリズム型などのちがう部分と歌詞の内容とのリンクはぜひ考えていきたいところですね。
ところで、「島原の子守唄」には、次のような歌詞もあります。
‘山ん家(ね)は かん火事げなばい 山ん家(ね)は かん火事げなばい
サンパン船は与論人
姉しゃんなにぎん飯で 姉しゃんなにぎん飯で 船ん底ばよショウカイナ
オロロンオロロン オロロンバイ オロロンオロロン オロロンバイ’
これは、「からゆきさん」を乗せた船が出航する際、きまって山手の民家に放火があったことを歌っているといわれています。人の目を山の方に引き付けて、出航を目立たなくさせるためです。みなが火事に目が向いている間に、姉さんは握り飯をあてがわれて船底に放り込まれている、という様子です。
「島原の子守唄」は、このようにどの歌詞も当時の「からゆきさん」事情を赤裸々に語るものになっていますが、一般的には1番のみうたわれることが多く、そのために、歌が知られている割には内容が知られていません**。
幼児期に歌われている歌にも、このように表面には見えない背景をもった歌が多くあります。またそのようなお話もしていけたらと思います。
(執筆:山中 文 2018年10月13日)
* 「島原の子守唄」には、さまざまなものがあります。たとえば、取材した当時(1993年)の島原市の観光パンフレットでは2拍子で前奏・後奏付きで書かれています。また、1983年5月22日付の読売新聞記事では4拍子でハーモニーもつけた楽譜が掲載されています。ここでは、単純化して、4拍子で主なメロディーとリズムのみ書きました。
**「島原の子もり歌」の発祥については諸説あります。詳しくは、拙稿「歌唱教材指導に関する一考察−「島原の子守唄」を中心に−」(『新見女子短期大学紀要』15 55-72頁、1994)をご覧下さい。