投稿日: Sep 19, 2016 2:40:36 AM
「学校でしか学べない豊かな学び」とは何か。このように問う著者の鹿毛氏は学校現場に足繁く通い、教育心理学の理論と現場との結びつきを実践に関わるな中で可能にしつつ、こう語る。学校とは、「子どもたちと教師たちが出会い、体験を通して気づいたり、感じたりした様々なことをともに振り返ることを通して、互いに問いを生み出しながら探究を深めていくような学び」の成立を目指すところである。
では、それは心理学的にはどのようなところで理論化できるだろうか。動機付けの理論を専門をする著者の整理によると、こだわりが肝腎である。学ぶ内容にこだわり(中身を知りたい・出来るようになりたい)、効力感を感じる。人間関係にこだわり(先生が好きで友達と共に頑張る)、受容感を感じる。条件にこだわり(周りからの求めに応じる)、必要感を感じる。自己にこだわり(よい自己像を作り出したい)、有能感を感じる。それら4種類の意欲の統合体として学ぶ意欲が形成されるのである。
それが形をなすようにするには、子どもが学ぶことを、「子ども自身が体験を通して学習対象を意味づけていく行為」であるととらえるところから始まる。それに対して教師の仕事は、「価値ある学びが個々の子どもに生じるように教育環境を柔軟にデザインすることである」。教師は子どもの学びを直接的にコントロールすることは出来ないが、「子どもたちの「体験の幅」を調整する地道な営みを通して、一人ひとりの子どもに価値ある学びを成立させようとしなやかに努力する」のである。
そのために、教師は授業の中で、子どもの学びの成り立とうする「教育的瞬間」をとらえねばならない。そこに教師の出番がある。「手を差し伸べる必要がある瞬間」である。子どもが気づきやこだわりを表現した瞬間であり、「みずからの興味の発露を他者に向けて表現したい瞬間」である。
著者の鹿毛氏を私はひそかに、「ミスター教育心理学」と呼んでいる。教育心理学の理論的先端にありながら、授業での瞬間をまさに把握できる学者なのである。その著者と私は以前何回か一緒に小学校の授業研究会に助言者として参加したことがある。そこで著者が教育的瞬間を指摘する様子を授業に即して共有できることは生きた教育の理論の展開の場となる。本書を読むことで、そのような生き生きとした学びを読者なりに得られるに違いない。多くの現場の教師とまた教育研究を志す若き方々に勧めたい。
なお、鹿毛さんの動機付けについての理論的著作がその後出ているが、それはまた次の機会に紹介したい。
(紹介:無藤 隆,2014年12月29日)