第7回の講義では、第11章"Understanding systems theory and thinking: early childhood education in Latin America and the Caribbean / S. L. Kagan, M. C. Araujo, A. Jaimovich & Y. C. Aguayo"を参考にしながら、システム理論に基づいて幼児教育理論を論じる。第11章の標題を訳すと、「システム理論と思考を理解する:ラテンアメリカやカリブ海諸国における幼児期教育」となる。
本日は、ラテンアメリカを日本に置き換えた例を用いて、制度化における幼児教育の動きおよびサービスの質の問題に関する分析について説明したい。システム理論とは、幼児教育の場合に、幼稚園や保育所に保育者がいて、それを取り囲むものとして自治体があり、国や文部科学省、厚生労働省、大学があり、それらの相互作用を分析していく研究である。制度分析、すなわち、制度の下で幼児教育がどう動いていくかということや、政治的なあり方と絡んで分析するものである。システム理論の背景についての説明は省略するが、結局、幼児教育を囲む法令、政策、規制、指針(ガイドライン)、構造、その下における個々のサービス(幼稚園や保育園の保育・教育サービスを指す)、これらの間の関係をみるものである。法令には児童福祉法、認定こども園法などがあり、政策は予算と絡むので、どこにどういうお金をつぎ込むかは予算計画による。規制とは最低基準のこと、指針は日本では幼稚園教育要領、保育所保育指針。構造とはその間の関係のことを言っているが、文部科学省、厚生労働省、都道府県、市町村、自治体のサービスなどの間の関係のことであり、他にも、公立と民間など、経営主体には様々な法人がある。システム理論によって、具体的なサービスと保育者、保護者、子どものあり方や関係を検討するわけであるが、目指すところは、それを通して、とりわけ、幼児教育におけるサービスの質の問題、配分の平等の問題および時間を追っての維持可能性(sustainability)にある。
この論文の面白いところは、ラテンアメリカやカリブと似たような事情が、アメリカ、ヨーロッパ、日本にもあるということである。進み方や程度の問題は国によって違うが、あり方としては似たような分析ができるだろう。本章では、保育サービス・幼児教育サービスの質が規定され、子どもとの関係を分析しようという内容が述べられている。特に、システム的な観点から質の問題を考える必要がある。後にも話が出てくるが、日本では待機児童問題があり、それに応じていくということが保育の質を下げてしまうかもしれないという懸念がある。それは、よく指摘されるように量的拡大が質の低下をまねくかもしれないという問題である。そういうことをシステム的に分析するというのがここでの目的である。
世界中どの国でも、幼児教育への関心はまずいかにサービスを広げていくかということであり、量的拡大にある。次に、良質な保育園や保育者をそうでないものと分けていくとか、そこでの子どもへの影響をエビデンスとして取り出すことが広まってきている。それはよいが、その背景としてこれらのさまざまな問題のシステム的な関係にあり、それをどう捉えていくかが大事である。そう考えていくと、幼児(0歳から8歳)へのサービスと考えたとき、広い意味では、妊娠期から8歳までを指し、狭い意味での教育や保育と共に母子保健、福祉的サービスなどがある。サービスという意味は、通常、ある程度公的な立場から国民に提供されるものと定義される。提供されるものには2種類あって、現金、児童手当など貨幣に相当するもの、もう一つは、現物(つまり、サービス)を提供するものであり、教育、保健などが含まれる。保健サービスでは、予防注射を受けるときに、三種混合ワクチンなど義務的なものや義務に近いものは無料である。余談だが、予防接種を受けない人たちもいるわけだが、大人になってその病気が広がることがある。現在は養成校などでは麻疹等のワクチンを打っていないと実習に行けないし、妊婦が妊娠中に風疹にかかると聴覚障害に罹る危険性もある。このように、さまざまな保健サービスがある。世間では、サービスとはタダであげるものという誤解があるが、ある種の公的に負担の下で法令に基づき提供される活動として捉えることができる。幼稚園や保育所はサービスの中に含まれる。保育・幼児教育サービスとしての幼稚園と保育所、認定こども園は管轄官庁が違う。子ども・子育て支援制度の中では、自治体によっては統一されているところもあるが、保育所は福祉部局、幼稚園は教育委員会と分かれているところも少なくない。予防接種などの保健サービスは保健所、生活保護の類いは福祉課、保護サービスは児童相談所が担っている。さまざまなサービスがあり、所轄から見るとさまざまなところでやっている。その中で、特に、幼児教育は世界的に広がりつつある。日本で言うと、この4、5年で国レベルの幼児教育の予算が、幼稚園、保育所、認定こども園、学童保育などを含めると、2兆数千億円であったのが、本年度予算は8千億円ほど増額している。韓国や台湾や中国等も日本と同じ状況であり、西ヨーロッパ、アメリカについては、ここ30年くらいで、幼児教育のサービスが広がってきた。これは中南米でも同じである。本章で扱っているラテンアメリカ(中南米)とカリブ海諸国の話の元になっている調査は、過去10年間を中心に調べた数年前に出された論文である(この数年は資源不況のため事情が変わるかもしれない)。
さて、システム的な研究アプローチについて説明すると、個々の幼児教育のやり方、例えばモンテッソーリなどのプログラムがあり、それが各家庭に提供されていて複雑な制度を作っている。2年ほど前から、子ども・子育て支援制度の中でまとめられてきているが、それでも内容は複雑である。教育、保育の質をよくしていくのかを分析しているのだが、そこでの質というものは、個々の保育者が頑張るという話ではなく、そこにどの程度予算がつぎ込まれるか、国全体の予算が増えているのかに基づくものを意味している。日本のこの5年ほどで国および自治体の予算について見てみると、民間の幼保でいうと保育者の年収が10数%以上増えている。首都圏、特に東京の正規保育士の賃金が世間一般では安いと言われているがそれほど安くはない。地方公務員と比べると安いのだが、差は縮まってきている。非認可園、非正規、パートの人の賃金は安いかもしれないが、正規保育士の場合、結構賃金は上がっている。
そういったシステムのあり方の全体像を描いたのが、168ページの図11-1である。全体的な構造図であるが、真ん中に【C】有効な幼児教育のシステム(effective ECE system)があり、それを作ることが目的とされている。結果的には図の右側部分【D】【E】【F】を作り出す。つまり、【D】システムとしての成果(systemic outcomes)には、平等な分配(equitably distributed)が確保され、高い質(high quality)、さらに維持可能性(sustainablility)が確保される。平等な分配というのは、園、自治体、法人によって違わないということである。ちなみに日本はかなり平等な社会ではあるが完全に平等というわけではない。東京と地方では保育者の給与が異なる。地方では初任給が15万円いかない地域もある。認可保育所の正規保育士2年目で比較すると、住居手当をもらうと東京23区内で年収300万円から350万円となるようだ。住居手当を無視してもかなり高いであろう。違いは物価水準の違いで、地方では、保育所の正規保育士として勤められるのは結構よい仕事だとみなされる。これらの賃金の違いをどこまで平等にするかは難しいが、平等性を確保することが大事であるには違いない。東京の中でも認可保育所、小規模保育、家庭的保育事業、学童保育において保育者の給与に差がある。政策的な維持可能性とは、例えば、補助金や給与がどの程度長く維持されるかということである。【E】家族の成果(family outcomes)、つまり、家族への影響もある。保護者が保育者と十分連携できているか。家庭の生活が十分に支えられているか。結果的に、【F】子どもおよび家族の福祉(child and family well being)が保てるかということにつながってくる。では、【C】有効な幼児教育システムを作り出していく、政策的・制度的なものについては、【A】に次の3つをあげている。すなわち、教育(education)、健康/栄養(health/nutrition)、社会的保護(social protection)である。給食を出すことは保健サービス、子ども食堂や生活保護などの保護サービスがもつ保護機能とは、家族が経済的にやっていけるようにするための生活保護、虐待からの子どもの保護、そのような保護機能を持ったものである。【B】社会基盤/下位システム(infrastructure/ sub-systems)では、システム全体のもつ働きをいくつかに分けて個別に議論している。政治行政(governance)は、統治、行政的働きともいう、そのシステムを機能させていくための国や自治体の働きのことである。財政(finance)とは補助のお金を出せるかといった問題であり、幼児教育の経営が成り立つようにするための補助、保育料の補助のことである。プログラムの質の問題(program quality)では、質を保つとは抽象的に言えず、最低基準(standards)を設けること、移行(transitions)にかかわるもの、つまり、家庭から園に、園から小学校へ移行する際の援助のことである。アセスメント(assessment)とは、査定や評価のことで、個別の子ども、保育者、園の評価のことを指す。そのためのデータ(data)と説明責任(accountability)がある。例えば、園の保育が機能しているかどうかを、世間、保護者、自治体に向けて示すことや、情報公開、自治体の監査に応じなければならないなどがある。人間の能力、保育者の力量をどう育てるかという問題があり、養成と現職研修、家族や地域の関わり連携(family & community engagement)、それらをどのように巻き込みニーズに対応するか、システムの間の結びつきをはかる(linkages)。ここでの問題はそれぞれ別個の要素であるが、それらをどのように関連付けていくかということが問題である。
今年3月末に、幼稚園教育要領、保育所保育指針、幼保連携型認定こども園教育・保育要領の同時改訂(改定)、併せて小学校学習指導要領も改訂した。この改訂によって、幼稚園や保育所と認定こども園、さらに小学校との接続をより強化しようとしている。幼稚園、保育所、認定こども園、小学校との関連づけ、結びつけをどうはかるかということが重要である。10年前はそれぞれが別々であったが、ここ2、3年で関連づけるように変わってきたし、このことは世界中で共通である。本章では、さまざまなシステムの橋渡しを強調しているが、境界を橋渡しする仕組み(Boundary Spanning Entities;BSE)と呼んでいる。幼児教育システムというのは、多くの要素がそこにあり、互いがつながりが悪かったり、重なり合ったり、別々で不便だったりするため、橋渡しするシステムが必要になってくる。例えば、虐待は児童相談所で扱うが、幼稚園や保育園でも虐待の通報義務がある。被虐待児へのケアは10数年前から地域の要保護児童対策協議会で行うようになってきたが、それ以前は、被虐待児について保育園と児童相談所が連携することは個人情報の関係でできなかった。平成20年度の改定で保育所から小学校に要録が送られるようになり(幼稚園はそれ以前から)、子どもの情報についてつながるようになった。自治体によっては、就学支援シートなどを保護者と話し合って小学校に送るところもある。小学校、幼稚園、保育所の教職員が集まる連絡協議会、小学校入学を許可するための健康診断が行われる際に幼稚園や保育所と小学校とで就学相談をするが、数年前より保護者と相談して就学先を決めるというやり方になった。数年前に、子ども・子育て支援法により「子ども・子育て会議」を国および自治体で作らなければならないことに決まった。子ども・子育て会議では、その自治体内の幼稚園、保育園、学童保育、福祉などの代表が集まって、子どものことについて話し合うため、異なる部署をつないでいるという機能がある。現状、日本の場合は、子ども・子育て支援制度の元に、幼稚園、保育所が入っているが、一部の私立幼稚園は私学補助を受けていて市町村管轄になっている。さらに、部署で統一している自治体もあるが、大きい自治体だと複雑で、公立幼稚園は教育委員会、私立幼稚園は私学担当で、保育所は別の担当などに分かれたりしている。
次に、胎児期を含めて0歳から8歳までのサービスの改善を目指すということが述べられている。制度とか法的な枠組みがどう動いていくか。境界を橋渡す仕組み(BSE)がうまく機能していくか。どういう難しさがあるか。たとえば、東京都内にも外国人の方がたくさん住んでいる地域があるが、もし、その人たちが住民登録をしていない場合にどのようにして把握するか。または、住民登録を別の自治体でしていたり、夫のDVから逃げている人への支援をどうするかは難しい。自治体からそういう人たちは見えないし、本人たちが自治体に助けを求めてこないとその存在が分からない。不法就労の人や日本語が分からない人、書類が書けない人などの問題がある。生活保護の申請も大変である。書類作成のお手伝いをするサービスをやっている自治体もある。そのような実情が日本でもあるように、本章ではラテンアメリカの5か国(ブラジル、チリ、コロンビア、グアテマラ、トリニダード・トバゴ)で調査した実情について色々と述べられている。
ラテンアメリカでのさまざまな問題点が170ページに書かれている。幼児教育サービスが拡大しつつあること。設計図がうまくいくかは、実行可能性(implementation)というが、予算をつけても有効に使われているかどうかはわからない。その問題を実行可能という視点から考えていく。ラテンアメリカの国々や日本、そして世界中で幼児教育の重要性が1990年代から広がってきた。アジアでは2000年代、特に、2010年前後で、例えばシンガポールはこの10年で幼児教育の重要性が広がってきた。
重要な変化には以下の3点がある。まず1つ目の変化は、重要性の認識が高まり、サービスが広がり、多様化をもたらしたことである。日本で考えると、待機児問題には認可保育園を作って対応し、国や自治体は小規模保育、家庭的保育、幼稚園の認定こども園化などの対策をしてきた。このことに対して擁護や否定をするわけではなく、日本の状況の変化や多様化があったことを客観的に述べたい。たとえば、北関東三県は以前は保育所が多いわけではなかったが、このところ認定こども園が増えている。幼児教育サービスの多様化と拡大が東京では顕著である。質が担保されているのか、維持可能性があり確保されているのか。質の問題としては資格のある保育者が確保されるかということが重要である。認可保育園は全員が有資格者でなければいけないが、認証保育園では努力目標でありながらも、100%近くは有資格者である。資格がある保育者を確保するのは簡単なことではない。
2つ目の変化は、幼児教育を受けることが子どもにとって基本的な権利であるということが世間で合意されてきたというものである。この子どもの権利の共通理解により、ここ20年くらいで量的拡大という変化が起こった。基本的な子どもの権利であるならば、それを国が保障しなければならない。または、公立保育園、認定こども園で対応し、民間による提供を補助する必要がある。
3つ目の変化は、さまざまな幼児教育を包括的にしていくこと。福祉サービスや保健サービスも統合されていく。全部のサービスとしては地域包括支援サービスがあり、一方で別々のサービスがあり、さまざまである。境界を橋渡しする仕組み(BSE)が必要とされている。妊娠期は産科で、子ども出産後1ヶ月になると小児科と、子どもの成長に伴い病院では窓口が違ってくる。産婦人科専門にかかっていると、その後、小児科へ母子の情報が伝わらない。それでも、日本では母子手帳の存在があり、子どもの情報を母子手帳によって伝えることは可能である。母子手帳のシステムは国際的に有名であり、BSEとしても大事なツールとなっている。しかしながら、母子手帳に母親の情報は書かれないので、産後うつに対するケアについての対応がなされにくい。ネグレクトの原因は母親のうつであるとする研究結果も多い。BSEを考えて行く際に、水平と垂直で考えることができる。水平的協調(horizontal coordination)とは、保健、栄養、公衆衛生、教育、文化、スポーツ、労働、社会的保護のような部署間のサービス提供の連携を目的にしたものである。一方、垂直的協調(vertical coordination)とは、国、地方、自治体の間のサービス提供の一貫性を促進することを目的としたものである。都道府県が市町村をサポートし、監督し、コントロールし、要望を聞くという仕組みである。どのくらいうまくいっているかは、動いているかどうかが問題となる。市町村は、人口が何千人という小さなところから何万人という巨大なところまであり、それによって話は違ってくる。つながりや方法のやり取りをどうしていくか。システムの各々がうまく動くかは、調整作業や連携作業が大事だが、面倒な作業でもある。極端にいうと、それぞれの部署の関係者が集まる日程さえなかなか決めることは難しい。小学校側が幼稚園や保育園と協議する時間さえ取れないと言っているところもある。個別のところがどう動くか、関連をどう捉えるかは個別の要素である。保育所保育指針や幼稚園教育要領などは大きな方針を示しており、遵守義務はあるが、満たさなければ処罰が与えられるわけではない。違反かどうかをチェックする仕組みそのものがないのである。これは、よいことなのか、よいことでないのか判断は難しい。質を良くするのか悪くするのかは色々な議論がある。仕組みの構造をどう作るか。子ども・子育て支援制度の下、基礎自治体で処理するのがいいのか、その方がうまく動くのか、児童手当をどう作っていくか、などが問題となっている。
さらに、それぞれが機能していくためには、それを動かす人たち、リーダー、サポートして動かしていく人たちが必要である。結果的に維持可能性がどのように成り立っているのか。平等性、サービスにアクセスできるのか。保健制度へのアクセスはどの国でも平等である。乳幼児教育サービスについては、3歳児以上は幼稚園か保育所に入れるが、0、1、2歳児までは待機児童があり、不平等である。日本全国的には幼稚園がない地域もある。保育所や認定こども園が幼稚園に代わるが、以前は、保育所が幼稚園的な教育部分を担っていなかった園もあり、そういう意味では不平等であった。予算や補助金などの仕組みの不平等性もある。これは、保護者が出すところの保育料は日本全国さまざまである。収入がない家庭は無料だが、乳児の保育料は月に3、4万円、高いところで10万円である。しかし、一人の乳児にかかるコストは40万円以上で、ほとんどを補助金で賄っており、補助金の額もさまざまである。幼稚園や保育所の公定価格は自治体によって異なる。東京都23区への補助は、区、都、国という三重の補助があり、地方と比べると2倍、3倍と違っていて公平かどうかという問題がある。保育者への報酬や年収には相当の差がある。公立と民間の園で働く人たちとの10年間働いた時の差や幼稚園と小学校教員の年収の差は大きい。報酬が低いということは、仕事の内容が評価されていないということや資質能力が高い人が志望しないということを表しており、人材上の問題がある。
最後に、質の問題について論じる。指導のあり方、人材の育成の問題があり、幼稚園教育要領のような緩やかな基準を示すかどうか、子どもの学習の結果を評価することで質の評価を厳しくすることもありうる。子どもに与えるサービスのやり方を規定するやり方もある(日本などはそれに近い)。保育者の資格や研修を決めていくやり方もあり、なお、日本の資格は世界的にみると高い。構造的基準には保育室の面積などが含まれ、過程的基準には指導の仕方などを細かく決めていくことが含まれる。日本では、細かく決めていなくて緩やかであるが、カリキュラムは全体的計画や指導計画を作らなければならない。ただし、監査(monitoring)、いわゆるチェックする仕組みが日本ではほとんどない。イギリスやシンガポールにはその仕組みがある。人材育成には、養成校教育と現職研修がある。日本の養成は比較的しっかりしているが、実習期間が短いという問題点がある。また、日本の民間の園の研修は組織的でない。キャリアに応じた研修の仕組みを作って、どのようにレベルをあげていくかが重要である。保育所の場合は保育士資格の一種類で上級資格はないが、幼稚園の場合は、2種、1種、専修がある。研修の仕組みをどのように作っていくかが課題である。
維持可能性の問題は、予算の問題がかかわっており、日本は比較的に安定している。単価ベースの決め方は義務経費となるので、毎年の予算として安定している。あるいは、保育士で7年以上勤めた人には月に4万円以上の払われることになったが、これについては今はまだ維持可能性は低い。質の問題と絡んでデータを収集することや情報公開する仕組みについて、日本はまだこの点が足りていない。各園がどうしているのかについて、在園の子どもの数は分かるがそれ以上の質の情報は集められない。保育の質をモニターし、情報を集めるという仕組みがまだできていないのである。幼児教育のさまざまな様子を国や地域ごとに検討することができるが、問題は今まで説明したようにさまざまな学問領域によって変わってくる。心理学的、政治学的、経済学的な分析が必要であり、さまざまなセクションが協力していかなければいけない。あるいは例えば、幼児教育と小学校教育をつなぐことが大事だが簡単にはうまくいかない。このことが、日本においても大きな課題となっている。
(執筆:無藤隆,2017年5月29日)
(まとめ:白川佳子・木村明子)