投稿日: Jan 08, 2018 4:4:0 PM
私たちは、意識的あるいは無意識のうちに、音声に感情や意図を込めて発話しています。ちょっと試してみましょう。「あー」と言う音声を、「驚き」「喜び」「落胆」「怒り」といった感情で表現してみてください。抑揚や大きさ、声色などを変化させることで、多様で且つ複雑な感情を表現することができますね。長さや発声の鋭さを変えると、さらに様々な表現が可能になります。
ルソーは『エミール』の中で、「抑揚は話の生命である。それは話に感情と真実味を与える。抑揚は、言葉よりもいつわることが少ない」と述べています。今、「あー」の発声で試していただいたように、私たちは音声に感情情報を込めたり、話者の周辺言語から感情情報を読み取ったりして、音声のコミュニケーションを行なっているのです。音声の感情情報獲得について、それが乳児期から始まっていることが明らかになっていることは「その4」でお伝えいたしました。今回は、保育において頻繁に使用されている「ハイ」に着目し、その2音に対して子どもたちが、何を感じ、何を連想しているのかといった状況を調査してみました。
「ハイ」は、返事やあいづちといった使途以外に、様々な意図あるいは感情を含んだ表現が可能です。私は、下に示す10種類の「ハイ」の音声サンプルを作成しました。みなさんも、声に出してみてください。
調査では、子どもたちに聞いてもらう前に、138人の保育者及び小学校教諭に音声の評価をしてもらいました。その結果、それぞれの「ハイ」に込めた感情や意図は、ほぼ正確に伝わっていました。つまり、①間投詞的応答表現「ハイ」の発声に微細な調整を施すと、感情の表出だけでなく、多様な機能の表現が可能となること、②保育者は、音声表情の異なる「ハイ」を聞いて、それぞれの声のニュアンスから、感情や意図の細かな違いを識別することができることがわかりました。
音声サンプルに妥当性が認められたので、5つの幼稚園・保育園の5歳児111人に協力してもらって、それが、どのような場面での「ハイ」であるかを回答してもらう調査をしてみました。調査は保育園内の静かな一室で行い、CDデッキから聞こえる音声サンプルについて、その印象を答えるように伝えました。1回目は自由に回答、2回目は自由回答と共に選択項目(「笑った・怒った」「いいですよ・ダメですね」「返事をした・呼びかけた・尋ねた」)について、例えば「笑っていますか?それとも怒っていますか?」のように一つずつ尋ねて判断を求めました。なお緊張を避けるために、年齢ごとに3人ひと組のグループでのインタビューとしました。
自由回答として記録した子どもによる音声評価の具体例のいくつかを、以下に示します。この内容から、子どもは、音声の印象を感じているのみならず、その音声の表情から、その場に繰り広げられている会話のやりとりの情景を思い浮かべて回答をしていることがわかります。
例えば、同じ短音「ハイ」に対しても、その機能の差異をしっかりと読み取っています。音声1は「よい返事」、音声2は「わかんない感じ」、「なになに?って感じ」、あるいは「お父さんが面倒な時に言う」、音声4は「機嫌が悪い」、音声7は「わかった時」、「集まっていて先生が外に出るよって言う時」、音声8は「びっくり」、「急ぎなさい」、音声9は「緊張していた」といったように、その音声機能のもつ個性的な特徴が表現されています。
さらに機能や印象にとどまらず、そのときの情景をイメージしながら詳細な説明をすることのできる子どもも多くいました。音声1では、よい返事の中身が、「先生に呼ばれて手を挙げる感じ」「小学生が手を挙げた感じ」と具体的です。「部屋で検診をしている時」の緊張した「ハイ」、「お兄ちゃんが勉強してって言われて」発するどうでもいい感じの「はい」、「お腹がすいたのでお母さんにパンを作ってくれるように頼んだとき」に面倒そうに言われた「はぁ↓い↑」というように、情景と音声を関連付けて回答した内容から、子どもたちが日常生活で、話者の言葉の内容だけでなく、音声に込められた表情とそのニュアンスをも、しっかりと感受していると言えるでしょう。
このような子どもたちの感受性の鋭さは、話者が意図的に発しない場合の音声にも及んでいます。例えば音声4の「どうでもいい感じ」の「はい」に対する、「先生みたいなハイ」、「(先生の話を)聴いてなくて睨んでいる感じ」という回答は、保育者の無意識の感情の表出を敏感にキャッチしていることから来るものではないでしょうか。
また、サンプル音声に込めた意図とは異なる内容ではありましたが、「なるほど」と思わせる回答もありました。例えば、音声5は呼びかけを意図して作成したのですが、「みんなが楽しい気持ちになって元気が湧いてくる」、「やりたいことをお母さんがやらせてくれてうれしい」などと、自分自身の内面の喜びを表現する返事として、いきいきと捉えています。音声9は命令の機能をもち、急かすイメージを意識した音声でしたが、「好きな人に呼ばれてドキドキ」の回答に驚きました。あらためてその音声を聴き直してみると、たしかにそのようにも聴こえます。CDレコーダーから聴こえてくる2音の「ハイ」に対し、これまでの体験を手掛かりとして、自分なりの文脈をつくっているのですね。
概して保育者は、声のもつ機能を意識して、自らの発する音声を使い分けています。しかしながら、ときには話者の意識の及ばないレベルで、聞き手に対し、自分たちの感情の本当の姿を伝えているということもあるかもしれません。今回のインタビュー調査に立ち会ってくださった園長が、「こうして調査に来てくださることが園の研修につながります。日頃、言葉かけの中身には配慮しているけれども、音声にこれだけの意味があることを初めて知り、これまでほとんど意識してこなかったことを反省しました」とのコメントをくださいました。保育者が、自らの音声の使い方について意識的に振り返ってみることもまた、保育の質の向上につながると言えるでしょう。
引用
ルソー; 今野一雄訳『エミール(上)』岩波書店 2007 p.117.
* 音声サンプル及び詳細なデータは拙著『子どもの音感受の世界』2016 萌文書林 をご参照ください。
* 4つの保育園の3歳〜5歳(124名)を対象に、①「10種類のハイ」に対する音声評価、②4種類の表情に対する「おはよう」の音声表現の調査を行っています。ご関心のある方にはお送り致しますので、送付先をyoshinaga●fhw.oka-pu.ac.jp(●を@に変更)までご連絡ください。(『幼児の音声情報解読とその表現の発達状況』:平成26年度〜28年度科研費研究基盤(c)成果報告書)