投稿日: Aug 23, 2017 5:36:13 AM
新しい幼稚園教育要領の領域「表現」では、「内容の取扱い」に、「風の音や雨の音、身近にある草や花の形や色など、自然の中にある音、形、色などに気付くようにすること」という文言が加わりました。そこで今回は、園庭で、自然の音を感受する子どもの姿をご紹介します。
<雨>
雨の降りしきる月曜日。東京都内の幼稚園。室内では、登園してきた子どもが順次自由遊びを始めていましたが、ふと外に目をやると、雨の滴が落ちてくるテラスの屋根の真下で、数個の水溜りを渡り歩きながら、その滴を身体に受けている一人の男児の姿がありました。テラスの屋根には樋が架けられていないので、降りしきる雨は、屋根のくぼみに合わせて数本の流れを作り、その真下には,流れの道筋の分だけの水溜りが出来ていました。男児は無心に、水溜りに勢いよく足を入れて水を跳ね上げたり、水溜りの中に佇んで上から落ちてくる雨の滝に打たれたり。
そしてその保育者は、一緒に雨の感触を楽しみ始めたのです。しばらくして保育者がプラスティック容器を持ち出して来ますと、複数の子どもが滴の下に集まり、それぞれの容器に雨水を溜め始めました。滴を容器に受ける行為自体が面白いと思いますが、雨水が溜まるほど重くなっていく容器と、それに伴う音の変化に、子どもたちはきっと気付いていることでしょう。一方件の男児は、他の子どものように保育者が持ち出した容器で遊ぶことはせず、じょうろで水を集め、その水を水溜りへ音をたてて注ぎ込みます。彼は、雨遊びのプロフェッショナル!、と思いました。
自由遊びの時間が終わる頃、園庭に飛び出して発泡スチロールのような容器を泥に突っ込んでは離し、突っ込んでは離しという行為を繰り返している二人組の男児を見つけました。私は雨に濡れないところでビデオカメラを構えていたのですが、レンズをズームした中の彼らは、発泡スチロールの容器が泥に吸い付く感触と、泥から離れるときの音の感触を楽しんでいるように見えました。何度も同じ動作を繰り返し飽きることなく泥遊びに没頭する二人。きっと、視覚、触感覚、聴覚の全てが全開していたのでしょうか、室内に戻って来るとザリガニの水槽の水換えを始めたときも、ペットボトルに水を入れる音、それを水槽に注ぎ込む音に対し、様々な擬音で愉快に表現していました。
<風>
岡山県にある、古い設計の園舎がそのまま保存されている保育園では、飛び石を渡って園舎から園舎へ移動する造りになっていました。その隙間は70センチほどなのですが、笹が植え込んであります。「風の音を感じますね」との私のつぶやきに微笑む園長先生の姿から、そのために、この場所に笹を植えられたのだなあと思いました。石を渡るたび、子どもたちは風の音を耳にするでしょう。葉の揺らぐわずかな音から風を感ずることの出来る仕掛けを、見つけました。
<虫>
広島県の幼稚園では、園庭の木の根元にロープが張られ、立ち入り禁止スペースが作られていました。わざわざ、雑草を生やしているのです。しかも、「風に運ばれてきた種子が芽を出して成長するのを待っている」とのこと。雑草が生えれば、虫が飛んでくる。草が生え、虫が集まれば、そこに生命の息吹が聴こえるようになる。その過程を観察する子どもたちの精神に、自然への好奇心と愛着、尊敬の気持ちが育まれることでしょう。
木葉のざわめきから、子どもは風の強弱を感じ取るかもしれません。虫の声を聴き、四季の移ろいを感じることもあるでしょう。鳥の声は鳥たちのおしゃべりと聴こえるかもしれません。こうした体験を重ねることで、子どもたちは、風の音や虫や鳥の鳴き声を、単に物理的な音として知覚するのでなく、生命の響き合う音として感じるようになるのではないでしょうか。
授業という形態をもたない保育の営みの中で、子どもは、園内の環境とかかわりあいながら学び、育っていきます。たとえば、そこに昔から生えていた樹木。折々の季節での枝の広がりや鳥のさえずり、紅葉や落葉、雨に打たれる音や風に揺れる音といったそれぞれの表情が、そのときどきの保育目標を持った環境=教材となります。子どもは環境の中で、保育内容の目的どおりの出会いを経験することもあれば、そうでないこともあります。偶然の出会いが、予測されない結果を生み出す場合もあるでしょう。なぜなら、子どもは好奇心の赴くままに、遊びや観察をとおして、モノや出来事との新しい出会いを繰りひろげていくからです。保育って面白いですね!
子どもは、環境(=教材)との出会いとかかわりの中で、「いま、自分がここにある」いう瞬間を、全身で感じているにちがいありません。その傍にいる者として、感性的な出会いを大切にし、その瞬間の感動を共感できる存在でありたいと思います。