第15回の講義では、第19章"Econometrics and the study of early childhood: a guide for consumers / Gordon Cleveland"を参考にしながら、幼児期研究における経済的分析について論じる。第19章の標題を訳すと、「計量経済学と幼児期研究:利用者への指針」となる。
本日が講義の最後となるが、このハンドブックの中でおもだったものは講義の中で扱った。ちょうど前回(第14回)の講義では質的研究の解釈的分析について解説し、実践研究に近い話であったが、今日はその反対で数量的で統計的な大規模研究である。この解説で統計的手法が使えるようになるというわけではない。具体的な統計的な計算方法は一回の講義では紹介できない。統計的手法を使う人は統計法を学んでいただきたい。いろいろな文献を読んでいると、参考文献の中に統計的なものを使った研究もある。どんなやり方が多いかを学んでいただきたい。計量経済学(econometrics)とは、量的な統計的分析手法で、経済学者、心理学者、社会学者などが数量的な分析としてよく使っている。
研究の対象となるものは、現実世界において起きていることであり、その影響関係を調べる研究手法である。具体的には、幼児教育に通うことが子どもの発達にプラスの影響があるかないかを検討する。子どもが小さいときに、母親が外で働くことと家にいることが、子どもにとってプラスかマイナスかなど。幼児期に話が限られているが、現実的な問題としてあって、世界中でたくさんの研究がある。
幼児教育の効果ということであるが、おおざっぱにいうと、幼児教育施設に通っている人と通っていない人とを比較して分析する。あるいは、幼児教育施設に通っている子どもを対象にして、幼児教育の質を調べて、高いと施設とそれほどでもない施設に分けて子どもの学力などを比べる。そうすると、日本でも素晴らしい幼稚園、さほどでもない幼稚園、いい加減な保育の園。認可保育所、無認可保育所、小規模保育所、株式会社法人の保育所、社会福祉法人の保育所、などを比較する。良いとされる保育所の卒園生が優秀だと、そこの保育所はいいということになる。親の養育がいいとされる家庭とそうでもない養育での子どもの何らかの育ちを比較する。小学校の成績や非行行動などを調べて比較する。マスコミでもネットニュースなどではよく紹介されている。研究として論文化されているものもあるのだろう。例えば、小さいときに自然にたくさん触れている子どもとそうでない子どもとを比較すると大学生になったときに前者の子どもの方が思いやりに富んでいるなどの研究もある。
これらの研究は共通した深刻な問題を抱えている。自己選択効果である。いい幼稚園とそうでもない幼稚園を選ぶ際に、すでに、その前から差があるかもしれない。いい幼稚園を選ぶ家庭はよい家庭である可能性が高い。親子関係でよい親の特徴があげられるが、親の学歴や親自身の育ちを考慮していない。その場合、研究結果から、いい親、いい学歴、教育熱心な親のもとではいい子どもが育つと言っているのかもしれない。某国立大学附属幼稚園はよい幼稚園だと思うが、そもそもあそこの幼稚園に入ろうと思う段階で教育熱心な家庭である。それほど教育熱心ではない近所の人たちも受けるから全部がいいとは言えないかもしれないが。そのような元々の家庭的背景の差異について批判されたとしてもデータがない。優れた卒業生を出しているし、卒業生の学力が高いという事実はある。附属小学校の6年生の学力が高い場合、附属小学校の教育がいいから学力が高いと言えるのか。受験するような子どもが元々その小学校に入っている。それが自己選択効果であると言っている。抽象的に言うと、それを選ぶと選択を相関してはいるが観察されないいくつもの変数がありうる。いい教育施設を選ぶということと、学歴が高いというのはおそらく相関が高い。教育熱心さ、家庭の収入、歩いて送り迎えをしないといけないなどの条件があると、ある程度経済的にゆとりがあって時間もある母親でなければ預けることはできない。送り迎えを父親・祖父母がやっていたり、人を雇ったりしているかもしれないが、いずれにしても教育熱心な家庭である。他の幼稚園でもスクールバスを使っていない場合、電車を使って送り迎えをしていることもある。幼稚園の結果なのか親御さんの元々の教育熱心さが影響しているのかわからない。元々もっている特徴の違いかどうかはわからない。隠れている変数を何らかの形でコントロールして影響をみる。例えば、学歴をそろえるなどである。大学、短大、高卒の中でそろえて比較をする。教育熱心さをコントロールするのは難しい。収入、教育費を統計的にコントロールするという手はある。そうすれば、比較的純粋な幼児教育の効果を取り出せるかもしれない。十分にはできないが、素朴に二つを比べて、こちらの幼稚園を出た人はいいよというよりもましな結果が得られるだろう。
この分析というものがなぜ重要かというと、質的研究は細かいところを調べて重要ではあるが、日本、欧米、アジア各国において、幼児教育を与えることが子どもにとってプラスなのかどうかなどを明らかにしたい場合には量的な研究が必要になってくる。某国立付属幼稚園では、保育者の学歴が高く、修士修了以上である。今後、日本の幼児教育はもっともっとよくなるかもしれない。フィンランドでは保育者の学歴は原則として修士修了である。世界的にみると、保育者の最低基準が高卒という国もある。高卒プラス少しの研修である場合もあるが、日本では短大または専門学校以上というレベル(高卒プラス2年以上)であり、世界的には高い方の部類である。ヨーロッパの国々の多くもニュージーランドなどもそんなに保育者の学歴は高くないところが多い。学歴が高い人と低い人が入り交じり、保育助手などでは高卒くらいの人もいる。ニュージーランドでもこの30年間で学歴の高い保育者に置き換えつつあるところだ。例えば、保育者のキャリアをあげるにはお金がかかる。お金に見合う教育効果があるのかどうかは国の政策として重要である。今年度から日本の民間の幼稚園や保育園で勤続年数7年以上の保育者に月に4万円の給与を支給するようにした。その施策のためには、日本全体では、1千億以上のお金がいる。保育者不足だけを解消したいのであれば初任から数年以内に予算を投入した方がいい。過去5年間は、初任から8年くらいの給与を上げる施策をしてきた。本年度からはそれに加えて、経験者処遇として勤続7年以上の給与を上げていった。なぜそのようなことをしているかというと、保育者不足に対して離職を防ぐだけでなく、保育年数の長い経験者をたくさん置くことによって保育の質が上がると見越しているのである。ただ、その根拠ははっきりしない。単に経験年数が多い方が少ない人に比べ、保育が優れているとは簡単に言えないだろう。世界中で経験年数と保育の質との関係を検討しても、単純な相関はあまり出てこない。つまりは、経験年数を重ねても、必ずしもよい保育をしているとは限らないのだろう。厚労省が始めようと考えているのは研修を受けた人に対して給与を上げていこうとするものであり、それは意味があるかもしれない。
そのポイントとしては、何十億から数百、数千億さらに1兆円をかけるが、その根拠はあるのかということである。そのときに民間の幼稚園や保育園の給与をあげると保育者は嬉しいし、辞める人も減るのは確かであろう。ただ、保育の質が上がるかという問いを出したときに、今のところ確かな根拠はない。むろん、園としては毎年保育者がコロコロと変わるのはたぶんだめだろうけれど。
このように、一体、幼児教育は必要なのか必要でないのか。誰もが受けた方がよいのかよくないのか。よりよい幼児教育をすべきなのか。そして、よりよい幼児教育のポイントは何なのか。統計的にしっかりとしたデータでものを言おうというのが過去30年間で盛んになってきた。最近引き合いに出されるのは、ジェームズ・ヘックマンという経済学者であるが、元々は労働経済学の人であった。ノーベル賞をもらった後に、幼児教育の調査を始めた。1960年代から1970年代にかけてアメリカのミシガン州で低所得家庭の子どもを対象に就学前プロジェクト(ペリー・プリスクール)が実施された。その当時、その地域は幼児教育が存在していなかった。それで、実験的に幼児教育を開始した。幼児教育に通うのと家庭訪問を組み合わせている。そのプログラムに参加する人と参加しない人をランダムに割り当てた。どうやって決めたかというと、そこに住んでいる人にくじ引きで行く人と行かない人を決めた。あなたは行けるのでどうぞ幼稚園に入園してくださいと言う。行かないようにするのは問題があるようには見えるが、その当時、幼児教育に行くのがプラスか時間の無駄かまだわからない。その子たちを1年間教育して、その後40歳になるまで追跡調査をした。ポイントはランダムに割り当てているので自己選択効果が働いていないということである。結果的には学力調査で見てみると、小学校半ばで落ち込んでいって効果がなくなるが、非行行動の影響については大人まで続いていた。アメリカの田舎のひどい貧困地域であるので、警察に逮捕された履歴、高校を卒業したか、刑務所に入ったか、結婚したか、収入などを調べ、プリスクールに行った方がいい効果があった。ヘックマンが実施した調査ではないが、彼はそれを再分析した。統計調査の専門家であるので、彼の論文には数学の数式が羅列してあり、厳密的な手法を駆使して確かに違いがあると結論づけた。知的な効果は消えるが、社会的・情動的な効果は残る。高校卒業するかどうかは、粘り強さ、頑張る、麻薬に手を出さないなどが影響していた。アメリカの高校を卒業するには毎日学校に行けばよいので、そういった学ぶことへのいわば真面目な姿勢が大事なのであろう。アメリカでもどの国でも今、高卒というのは大事であり、卒業しないといろいろな資格が取れない。例えば、日本でも保育士養成課程は高卒でないと入れないし、アメリカだと高校中退の多くが生活保護を受ける対象となってしまうようである。この調査はランダム割り当てをしたから注目されたのである。これと似ているけど少し違うのが、ミッシェルのマシュマロ実験がある。この解説は一般向けの本が書かれている。ミッシェルは、発達心理学者でマシュマロ実験は1970年代の論文である。4歳児にマシュマロを見せて、すぐに食べるなら1個だけあげるけど、待っててくれれば2個あげるという課題などいくつか行った。我慢できる子どもとできない子どもがいる。少し先を見て今を我慢できるかどうかをみたものであるが、これを非認知的スキルと呼んでいる。ミッシェルが幼児期に実験した人たちを探し出して、高校・大学を追跡調査した。その結果、我慢できる人とそうでない人には差があった。この実験はランダム割り当てではない。元々の子どもの差があるだろう。大学の付属幼稚園での実験であり、アメリカの大学附属幼稚園には何割かは貧しい家庭の子どもを入れないと行けないという決まりがある。それらの子どもは家庭背景も違う。この実験は幼児期の効果を示してはいるが幼児教育の効果ではない。ヘックマンのペリー就学前プログラムが有名になったのは元のデータがしっかりしていて、ランダム割り当てを同じ地域の似た家庭環境から選んでいるので純粋に幼児教育の効果を見ることができているのではないかと言われている。
それはいいとして、ヘックマンが意図したペリー就学前プログラムのようにコントロールされたものは少ないが、ポイントを考えてみると以下のようになる。
乳幼児期、小学校、中高、大学と学校制度があって、0歳から幼児教育に入る場合と、3歳から入る場合がある。1)影響関係を見るときに、元々の子どもの個人差があり、それが次の時期へと持続されていく。2)そこには家庭の影響がある。親の学歴などをコントロールしなければならない。その都度に知識とか能力などを学校や家庭の教育によって与えられる。それぞれの時期の家庭からの影響を考えながら見ていかなければならない。家庭の影響、特に、親のかかわりは簡単な量でいえば、関わる時間量で見ていくが、一緒にいる時間を調べても、実際には関わっていないかもしれない。一緒にいたとしても、その間、親が家事をしていて、子どもは放置されているかもしれない。親と子どものやり取りがうまく動いているかは観察しないとわからない部分がある。何らかの親の関わりを捉えないといけない。3)幼児教育(ECEC)の効果も見ていく。4)さまざまな物やサービス、例えば、おもちゃ、遊具などの影響、他に、家の広さなどの影響も見ていく。インドの研究では、一部屋に何人住んでいるかを調べ、子ども一人あたりの広さが狭いと、子どもの発達に問題があるという結果を示唆している。郊外のいい環境、近隣で犯罪が起きないなども含まれる。子どもだけで公園に行くというのは日本では行っているが、アメリカでは虐待扱いされるし誘拐にあってしまう。高級住宅街では家の庭でゆったり遊ぶ。家の中に、本がある、コンピュータ、ソフトウェア、習い事や趣味、旅行、図書館などの活動。これらもたぶん、乳幼児期の育ちに影響するものがたくさんあるであろう。
認知的、非認知的な影響というのがおおざっぱに言えばあるだろう。認知として例えば学力調査。非認知として例えば我慢することや先を見通して行動するなどを調べるものや、心理学的な調査ではないが健康行動について、疫学ではよく調べていて、例えば、思春期以降のたばこ、アルコール、運動不足、小児肥満を調べる。虫歯は日本では少ない。約50 年前は子どもに虫歯があったが、現在は虫歯がない子どもがほとんどで、歯磨き習慣が徹底してきた。幼児も歯を磨くようになってきた。以前は、乳歯は抜けてもいいとされていたため、乳幼児で歯を磨く習慣はなかったが、現在は磨くようになってきた。園でも食事の後に磨くようになってきた。実はおそらく大半の子どもで虫歯がなくなってきたが、一部の子どもで虫歯がある子もいて、その原因は経済格差であろう。親が面倒を見ないということと親が面倒くさがって歯医者に連れていかない、自己負担分を払えない・払おうとしないなどがある。
1) ランダム割り当て調査
幼児教育の効果を見る場合、さまざまな要因をコントロールしないといけない。認知的能力や非認知的能力をどのように測定すればよいのかを考えないといけない。そうすると、基本的にはペリー就学前プログラムの分析のように、実験群(treatment group)と統制群(non-treatment group)に分ける。したがって、問題はこの比較をどのようにするかということ。どうするかというと、まずはランダム割り当てになる。ランダム割り当てで有名になった研究であるが、テネシー州の小規模の学級実験を紹介する(STARプロジェクト)。小規模学級(13人~17 人)と普通規模の学級(22人~25人)をランダムに割り当てて、その差異を検討した。結論的に言うと、現在でも論争があるが、小学校にくっついている1年制幼稚園から小学校3年生まで4年間実験をしたところ、小規模クラスの方が学力が多少高いという結果が得られた。スター計画は、調査開始から25年後を追跡調査したところ、大学に入学している率が小規模学級では2.7%、普通規模の学級では1.6%上昇させることができた。特に、黒人グループにおいてその上昇が大きかった。しかしながら、この結果は微妙で予算を投入した割に少ないのではと言われている。小規模学級の効果については論争があり日本でも調査があるが、小規模がよいのかどうかは微妙でそんなに効果があるのかは疑問視されている。このように、ランダム割り当ての研究は望まれており、エビデンスベースドの研究では一番良いものである。しかしながら、完璧であるとも言えない。それは、ランダム割り当てに従わない層がいるからである。割り当てから落ちこぼれてしまう割合が大きいと実験がなりたたない。例えば、薬を与えた群と統制群としてプラシーボに小麦粉を与える群の比較をするような実験を使って考えてみる。非人道的というわけではない。それは、まだ薬の効果がわからないからである。悪い効果もあるかもしれないから。実験群の人がきちんと薬を飲んでいることを確認しないといけない。高齢者の半分近くが薬を捨てているというデータもある。ランダム実験は手間がかかるのでサンプルが少なくなる。そうすると、たまたまサンプルデータの偏りがある場合がある。50人くらいですべての子どもを代表させるのも無理がある。例えば、ある研究のレビューによると、ヘックマンの研究では、知的な効果は消えていくと言っている。知的に元々低い層は幼稚園で知的な効果は上がるが、小学校では消えてしまう。ヘックマンの再分析ではサンプル数が小さすぎるので効果が見られないが、大規模研究では効果があるとされている。さらに、もう一つの問題はランダムに割り当てた時に統制群が何もしないでいてくれるかという問題がる。イギリスでは健康保険制度で安く受診できる医療費を削減しているため手術待ちが出てくる。急速に悪化する癌もある。イギリスなどではそういう状況があるため、ウェイティング・リストに入った人が勝手な治療を先に始めてしまう可能性があるのである。コントロール群に割り当てられている人が自分なりに勝手なことをしているかもしれないから、それをチェックしないといけない。このように、ランダム割り当てだけではものが言えないのである。
2) 回帰分析
普通は重回帰分析を用いて、関連する変数をたくさん調べる。関心を持っている変数を軒並み調べる。例えば、小学校の学力、幼児教育の善し悪し、親の収入、一遍にそれらの関連を見ることができる。いろいろな変数をコントロールしたうえで幼児教育の影響を見ることができる。一番有名なものは日本語で少しだけ翻訳があるが、アメリカのNICHDが実施した保育所の効果の研究である。この研究結果によると、2、3歳で保育園に通い始めることがプラスの効果になっているとしている。しかしながら、保育所の質の効果はなかった。NICHDはたくさんの調査をやっていて、3、4歳で保育園に行っている子どもの調査では小学校に入るときの学力が上がっているというデータと、自己統制力が下がって攻撃行動が上がっていることを示すデータがあった。重回帰分析による難しさがあって、理想的に全部の関連するかもしれない変数を網羅することはできないという問題点がある。幼児教育に通っている、通っていないだけでなく、幼児教育の質の善し悪しのデータも入れて、質が高いときによいとか、年齢があがると良いなどいろいろでてきて、どこまで変数を入れ込めば十分になるのかわからないし、変数を入れたら結果が違ったりすることもある。
3) 傾向スコア分析(propensity score matching)
統計的には複雑になるが、傾向スコア分析は、2つのグループ、例えば、幼児教育を受けているか受けていないに分けて、その選択に関わるたくさんの変数を測定し、どのような変数が効いているのか調べる。いろいろな変数が効いているが、それらを測定しておいて、統計的に変数に重み付けをしてコントロールすることができる。親の学歴などを等しくなるようにして比較する。もちろん重回帰分析と同じ問題を抱えている。
4) 固定効果モデル(fixed-effects models)
親の関わりが同じはずである子どもを比較する。例えば、きょうだいを比較する。2人のきょうだいへの親の関わりは経済水準など同じである。一方には、幼児教育を与え、もう一方には与えないようにすると、幼児教育効果が実証される。ヘッドスタートプログラムでその方法を用いた研究で、21歳までフォローアップしてプラスの影響があることが確認された。問題点をあげると、家庭においてきょうだいに同じ教育を与えているか分からないとか、どちらを選択するかは親の影響があるということである。幼稚園に行ったら元気になったとか、幼稚園に行っている子どもの方に手間がかかるとか、その後の親の家庭での行動に違いが出るかも知れない。例えば、親がたくさん関わっているかもしれない。
5)自然実験(natural experiments)
実験者が意図した訳ではなく結果的に実験になるものである。印象的だったのは、東日本大震災の時に福島県の保育施設では子どもたちを2年間ほど屋外に出さずに室内遊びを中心にしていたところ、運動能力テストを実施してみると大きく体力が低下した。しかし、その後、屋外で遊ぶようにすると急激に元に戻った。何が自然実験かというと、そういうことは普通は実験しようと思ってもできない。運動しない幼稚園をランダムに分けることができた訳である。基本的にはランダムとなっている。よくあるのは、保育料を無償にする自治体とそうでない自治体の比較などは、かなりランダム割り当てに近い。一部の自治体は小学校卒業まで医療費無償としているが、これはランダム割り当てである。区長の裁量で決められる。ただし、何年も経ってしまうとランダムではなくなる。最初は突然政策が決まるため、ランダムであっても、その後はその医療費無償を目当てに転入してくるかもしれない。最初は自然実験に近い。そういうことで見ることができる。
保育料無償や保育所に通いやすくするという政策を入れた地域がある。例えば、カナダのケベック州では、保育料をある年に下げる政策を打ち立てた。待機児童がない場合、その前と比較することができる。また、他の州とも比較できる。完全なランダム割り当てではないがそれに近い。子どもが保育所に行くことで起きた変化としては、母親の働く率が高まったことである。1990年代に保育所の利用が高まった。その結果として、幼児の社会情緒面にマイナスの影響が出た。ケベック州の前のデータというのが十分にはないことも原因かもしれないが、ケベック州と他の州をランダムに選んで比較してみた。これもまた完全なランダム割り当てではない。それは州ごとの特徴が関与しているかもしれないからである。さらに、保育料が下がって親が働きに出るというのはいろいろなことが一気に変わることを意味している。マイナスの効果に何が効いたのかよくわからない。追跡調査では、8年間にわたって調べているが、保育施設が11万5千カ所あり、そのうち6万7千カ所がファミリーデイケア(保育ママ、家庭的保育)、また1万2千カ所が株式会社の保育であったが、認可保育所に比べてそれぞれ質が低く、保育者の訓練期間が短かかった。それが影響しているかもしれないし、母親の雇用が急激に増えたのは、特に、学歴の低い親で増えている。それがマイナスの影響をもたらしたかもしれない。さらなる問題は、保育料を下げたときに、保育所に預けて働き始めた人がいる中で預けなかった人もいるので、厳密にはランダム割り当てではない。預けなかった人もいるから、「預ける意向」を持った人の調査である。保育所の種類、家庭のあり方によってさまざまであり、中には矛盾した結果もある。始めて保育所に預けた場合に、子どもに否定的な結果が出ているが、ある程度の年数が経ったところで調べると、子どもにとってプラス、母親の精神状態にとってプラスの結果も出ている。ケベック州において、家庭にいる時間の中で母親の子どもへの関わりが非常に減ってしまったのではないかと考えられる。他の調査では、1989年にスウェーデンでは、育児休業を3ヶ月から15ヶ月に延ばした。その延長した育児休業を受けた家庭の子どもを追跡して、16歳の時の子どもの学力を調べたところ、学力にはプラスもマイナスもなかったが、学歴の高い母親の場合には子どもにプラスの結果があった。母親が時間を有効に使ったのではないかと考えられる。
5) 自然実験の中の不連続デザイン(discontinuity design)
小学校教育に入るときに、誕生日で分けるときと日本のように年度で分ける場合がある。3月生まれと4月生まれでは1ヶ月の違いであるが、幼稚園経験では11ヶ月ずれる。1年後を見てみると4月生まれは幼稚園での生活が1年間経過している、翌年は2年間の経験となり、それに対して、3月生まれは1年間の経験となる。そこを比較すると幼児教育の効果を見ることができる。
保育所の3歳児と幼稚園の3歳児を比較すると、保育所の子どもは対人関係がいいと言われている。家庭から直接入園してきた幼稚園の3歳児は当初は戸惑っているせいか、ボンヤリしていることも見られる。これは幼児教育の効果と言えるかもしれないが、厳密には比較できない。
6) 操作変数(instrumental variables)
選択効果に近いが選択効果が働かないものを見つける。例えば、喫煙の影響を調べる場合、本人が選んでいるので 衛生意識が高いかどうかが関係するが、たばこ税が高いと吸う本数が下がるだろうから、たばこ税がアメリカの州ごとに違うことを利用して分析する。これに近いことで幼児教育の効果も保育料などが地域によって機械的に割り当てられることで、操作変数として見ることができる。
このように、さまざまな統計的コントロールにより幼児教育の効果について調べられてきた。一つの研究では明らかにはできないが、様々な研究結果が積み重ねられて来ている。
(執筆:無藤隆,2017年7月17日)
(まとめ:白川佳子)