投稿日: Apr 13, 2017 1:29:23 AM
ミニカーで遊ぶ2歳の男の子。彼は手に持ったミニカーを、「ドイージャー、ドイージャー」と言いながら動かしています。さて、この車は何でしょう?
ショベルカーです。このとき耳を澄ませると、戸外の河原で護岸工事が行われており、よく聴けば、確かに「ドゥィーン、ジャー」とショベルカーの音が響いていました。まだ、車の名前を言葉で言い表せないからこそ、聴いた音を忠実に模写していたのだと思います。
こうした「オノマトペ」について苧坂(1999)は、それが「感性のことば」であると述べ、「乳児の喃語の繰り返し音節のもつリズミックな表出音声は、擬音語、擬態語の様相を帯びている。ことばにあらわせないものを感じたときに、それが感覚や感性のことばである擬音語・擬態語となって自然と口に出ることは多い」と解説しています。
当時この男の子は、往来の外国人を指差して「アッ、レラレラ、レラレラ」と[L]あるいは[R]の発音を繰り返したり、救急車のサイレンに対しては、「ピーポーピーポー、ピーポローピーポロー」と、ドップラー効果による音の変化を擬音で表したりしていました。「ショベルカー」、「外国人」というような言葉をまだ知らないために、あるいは、まだ発音できないために、自分の耳に入ってきた音や声の特徴を、耳で聴いたとおりの擬音へと置き換えていたのですね。
ある幼稚園に伺ったとき、フラミンゴ怪獣になりきって遊ぶ男の子のグループ(年長児)がありました。戦いごっこをしていたのですが、彼らの発する言語は、「フラミンゴ怪獣」語です。つまり、「ギャオー」だけの発声なのですが、彼らはそれを自由に操りながら、威嚇、驚異、悲痛・・・・といった表情をそれぞれに表現して遊んでいたのです。犬は「ワンワン」、カラスは「カーカー」。対象を表現する語彙としての擬音語は一様であっても、彼らの発する擬音からは、それらの鳴き声が一辺倒に捉えられているのではなく、感情や状況等による鳴き声の変化が明確に感受されていることがわかります。ちなみに、先だって中等教育学校の1年生に行った「耳の思考〜よく聴くことから見えてくるもの」の講演の冒頭で、「犬の鳴き声は?」と問いかけてみたのですが、まずは一斉に「ワンワン」との回答。そこで、「喜んでいる犬は?」「お腹の空いた犬は?」「眠い犬は」・・・と問うてみましたところ、100匹の犬がそこに居るかのような教室になってしまいました(笑)。
また、ある保育園で、関根栄一作詞、湯山昭作曲『あまだれさんおなまえは』を歌唱していたときのこと。「雨だれさんには、他にどんな音があるかな?」と5歳児に問い掛けたところ、「ポッチョン」、「ピッタン」など[P]の子音で始まる擬音語ばかりが挙げられる中、一人の男児が「ボチャン」と答えました。すると他の園児から「それだと大きな雨だれだから、雨だれじゃないよ〜」と指摘され、笑いが広がりました。雨だれのイメージに、子どもたちは共通して子音[P]の響きを重ね、一方、子音[B]の響きには、雨粒が大きくなるイメージを抱いているのです。子どもたちのやり取りを聞き、雨の日に、雨だれを見ながらその音に耳を澄ませている姿が目に浮かびました。
このように、子どもたちは身のまわりの音に耳を澄ませ、その微細な音の表情を感受しています。しかし、いったん語彙を獲得すると、擬音を用いて伝える必要が無くなってしまうので、私たちの耳は身の回りのほとんどの音を聞き流すようになってしまうのかもしれません。そのことを小学生になった件の男の子に話したところ、「それはね、小学校になると、そんなこと言っても先生が“面白い”って言わなくなるからだよ」と、予期せぬ答えが返ってきました。なるほど、「共感」が得られなければ、それをわざわざ声に出すようなことは無くなってしまいますね。
当たり前に聞いている音の擬音化を試みること。それは、「幼子のような感覚」で音の世界を捉え直してみることにつながるのではないでしょうか。
私は、保育・教育職を目指す学生に、サウンドウォーク(特定の場所を歩きながら聴こえてきた音を記述する)や音日記(一日を振り返り、印象に残った音を記述する)などの、聴いた音を忠実に擬音化するサウンドエデュケーションの課題を例年課しています。その感想として、学生はまず、「言葉に置き換えるって、とても難しい」と言います。そして、「どの音も、漫画などで目にしたことのあるような擬音語でしか書く音ができなかった。“食器がふれあう音”と“キーをタイプする音”は同じ“カチャカチャ”という擬音語を用いたが、この二つは言葉で表現すると同じでも、実際の音はまるで違うものである」、「自分の聞いた音や、その音を聞いて感じたことを言葉で表現することは少し難しい。音を自分なりに言葉で表現する力も必要で、その力は聞くことで養われるのだと思った」といったことに気付いています。さらに、「耳で楽しむことって、こんなにおもしろい!」「子どもたちにも伝えたい!」との歓喜あふれる文章に、まさに「幼子のような感覚」を見取ることができました。
文献:苧阪直行編著『感性のことばを研究する-擬音語・擬態語に読む心のありか』新曜社 1999
(執筆:吉永早苗,2017年4月10日)