投稿日: Feb 23, 2021 10:31:9 AM
子どもたちと一緒に読みたくなる絵本、
思い浮かぶ誰彼に勧めたくてたまらなくなる絵本、
そんな絵本の数々を、
テーマに沿って毎回2冊~3冊一緒にご紹介していく
<「絵本大好き!」“番外編”>をお届けします。
読者のみなさんからの
「このテーマだったら…こういう絵本もありますよ!!」
というようなコメントも大歓迎です。
絵本大好き!のひと時をぜひご一緒に…。
春はくる!
今年はいつもより、春が待ち遠しい気がします。
この時期になるとうたいたくなる、新沢としひこさん作詞・中川ひろたかさん作曲の“あたたかい日さむい日”。「いったりきたり くりかえす あたたかい日 さむい日」というフレーズがぴったりの季節。いったり、きたりでいいから、すべてがちゃんと春に向かいますようにと思わずにはいられない。
そして
春を感じる絵本のなんとたくさんあること!
道端にオオイヌノフグリのブルーやホトケノザのピンクをみるとちょっと心がワクワクしたりするのは、誰もみんな同じなのでしょうね。
何があってもちゃんと春はくる………。
ウルスリのすず
ゼリーナ・ヘンツ:文
アロイス・カリジェ:絵
大塚勇三:訳
岩波書店 1973年12月10日 第1刷発行
ウルスリというのは男の子の名前。ウルスリの住む町では、子どもたちが鈴をならして街中を歩き、春を呼ぶ祭りがあるのです。この鈴というのは「カウベル」のこと。わたしは、「小さな絵本美術館(武井利喜館長)」の主催するツアーで、この『ウルスリのすず』の舞台となったスイスのグァルダという町に行ったことがある。暗くならない白夜の季節、カウベルの音で目を覚ましたことを覚えている。公用語がロマンシュ語。また行ってみたいと思う素敵な場所です。
そこで行われる春を呼ぶ祭りの主役が子どもだということがとても魅力的。
小さい鈴しかもらえなかったウルスリは山小屋に大きな鈴があったことを思い出し、一人でとりに出かける。雪は深く、なかなかたどりつけなかったけれど、思った通り、そこには誰より立派な鈴がある。ウルスリはホッとしたのと、疲れたのでそのまま寝てしまう。ウルスリが帰ってこなくて、すごく心配する両親。
次の日ウルスリが元気に帰ってくると、大喜びする大人たち。この町では子どもたちも、大人と同じように働き、とても大事にされていることがわかる。
子どもたちは、ウルスリになったように、ドキドキしながら、静かにこのお話を聞く。子どもが主体というけれど、それは子どもがしっかり生活を作る一員として扱われるということなのだと、この本を読むとすとんと心に落ちる気がする。なんといってもカリジェの絵が素敵だ。物語なのだけれど、街並みは現実のものがそのまま再現されている。もう20年も前に行ったのだけれど、あの表紙の絵のドアの家はそのまま残っているのだろうか…。
はなをくんくん
ルース・クラウス:文
マーク・サイモント:絵
きじまはじめ:訳
福音館書店
1967年3月20日発行
背表紙は破れ、色も褪せ、子どもたちの手あかにまみれた手元にある“はなをくんくん”。自分の保育室に常に100冊以上の絵本を置いていた。子どもたちがいつでも手にとれるように本棚も工夫していた。ほとんど自分の本なので、園長先生に私物は持ち帰ってくださいと言われたこともあった。しかし、こうやって子どもたちに読み込まれた本を手にすると、なんともあったかい気持ちになるではないか。
しかもおはなしは春を喜ぶ内容。けれど振り返ってみると何度も「読んで!」と子どもたちがわたしのところへ持ってきたという記憶はない。穴の中で眠っていた、のねずみ、くま、かたつむり、りす、やまねずみが目を覚ます。そして鼻をくんくんさせながらかけていく。一度読んでもらったら、もう子どもたちは絵をみているだけで、お話の世界に入ることができるシンプルさ。
4歳のケイくんが「お花しかないよ」と一輪だけ黄色く咲いている花をみつめてつぶやいたときのがっかりした顏を思い出す。でも、そのあと何度も自分でページをめくっていた。踊っているりすたちの真似をしている子も。そういえばやまねずみがおおきいと驚いていた子もいたなあ。今ならタブレットを使ったり、パソコンから写真を印刷して、これがウッドチャックだよと見せたりしてしまうかもしれないが、当時は「ほんとだね おおきいねずみもいるんだね」とさらっと言っていた気がする。それはそれで良かったのかな…。
おはなをあげる
ジョナルノ・ローソン:作
シドニー・スミス:絵
ポプラ社 2016年4月第1刷
モノクロの絵におんなの子が着ているパーカーと手に持っている花だけが着色されている表紙。一緒にいるお父さんと思われる人の持つ袋にはバゲットや野菜が入っているので、お買い物の帰りなのだろう。この絵本には文字がない。
女の子は買い物の帰り、町の中のコンクリートの間や電信柱の下に咲いている小さな花を見つける。大人のだれもが気づかないような場所に。見つけては摘んでいく。そんな春の花が手にいっぱいになると、道端で死んでいる鳥をみつけ、その鳥にお花をあげる。寝ているおじさんの靴や、犬の首輪に女の子はお花をあげる。お花をあげているうちに、モノクロだった景色が色づいてくる。町の中はみんなコートやセーターを着ていて寒空の中の小さな花だったのだけど、帰ってきた家は緑に包まれている。
最後のページ。女の子が空を見上げて、自分の髪にも花を挿し、パーカーをかぶりなおし、花の中を歩いていく。わたしにはこの子がパパとママと3人の子どものうちのひとりだと思えない。一生懸命生きている小さな花のような“春”そのものなのではないかと…。
深読みなのかもしれないけれど、小さな子どもたちはみんな大人にとって、辛いことや悲しいことがあっても、大人の心にあったかいものを灯してくれる“春”なのではないかと。そう思って、作者の紹介を見たらカナダの詩人と記されていた。そうか、文字がないのにいろんなことを考えさせられるのは、彼が描きたかったのは極めて詩的な世界だったから? 作者と絵を描いた人と、どんなやりとりがあったのか、とても気になる。
原題は「Sidewalk Flowers」。
見開きの歩道の隙間から顏だすだろう小さな花たちがとても好きです。
(出版社サイト https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/2730053.html)
(絵本紹介・画像撮影:安井素子, リード:木村明子, 2021年2月15日)