2016.5.30
無藤 隆 子ども学研究特論(7)
第19章 ナラティブ・エスノグラフィ
テキスト The SAGE Handbook of Qualitative Research, 4th ed. SAGE.
前章に「パフォーマンス・エスノグラフィ」があるが、質的研究の中のひとつの極端な立場である。
基本的には、研究者が、知らない世界について調べて報告するのがエスノグラフィである。
人々が暮らす社会がある。その暮らしぶりを生き生きと語り伝えるようにしたいが、論文的な、客観的な伝え方では伝わらない。例えば、小説のように演劇のように、文学的・芸術的な語り方、表し方を用いるという立場である。
本日の講義で扱う第19章は、色々な実例を用いて語っている。
最初に出てくるのが有名なベラスケス(Velazques)が描いた「女官たち(Las Meninas)」。
スペインのマドリードにあるプラド美術館に展示されている。ベラスケスは、1600年代のスペインの画家である。ベラスケスは、西洋の絵画史の中でベスト10に入るほど著名な画家で、その代表作がこの作品である。
「女官たち」は1656年の作品で、とても複雑な構成の絵である。その時代には画期的で、色々な人が絵画の謎を分析している。
左側で絵を描いている人が、ベラスケス自身。真ん中が王女、マルガリータの肖像。女官たちが周りにいて、右側にいるのが、小人。その頃の宮廷には道化(絵の中では小人)がいた。
この絵画には色々な不思議さがあるが、その一つは、肖像画を描いている画家本人が描かれていること。
1600年代は、レンブラントの絵などに画家本人の自画像はあるが(今、西洋美術館でカラバッジョ展を開催しているが、彼も自画像を描いている)、この絵には、大きなキャンバスに絵を描いているベラスケス本人の姿が描かれている。
そして、奥の窓は鏡になっており、その中に国王夫妻が映っている。ということは、この絵を、絵にいない人が見ているというややこしい構図。
つまり、描いている画家がいるだけじゃなくて、絵を見ている人が外にいて、その様子が絵の中に描かれている。
ドアの向こうに侍従もいるが、どういう役割かはよく分からない。遠近法の手法で、奥行きを与え、視点をはっきりさせている。
西洋美術史において、近代的なあるいは現代的な画家の描く視点が入ってきているという意味で重要である。ピカソもベラスケスを元にして描いている絵がある。
近代的な自我の始まりという分析をされている。
そういう分析を始めたのは、ミシェル・フーコー(Michel Foucault)。
この「女官たち」の絵は、プラド美術館内の独立した部屋に飾ってあり、後ろに鏡がある。観客は、この絵を鏡の中に見ることができる。
このように、本章の執筆者であるテッドロック(Tedlock, B.)は、この絵を見る観客は、何重にも反転(リフレクティブ)する構造の中にあると述べている。描く画家が絵の中に描かれていて、絵を見る人が、外にいる。絵を見る観客が鏡を通してまた見られる。観客は二重の立場にいる。一つは国王夫妻の位置、そして、二つ目は絵を鑑賞する人として、二重構造になっている。
絵について、反射しあっている関係がある。自己でもあり、他者でもある。内側でもあり、外側でもある。国王夫妻は内側にいる。
プラド美術館は21世紀に存在するが、国王夫妻の視点にもいる、というように二重の分析ができる。
思考過程と情緒的とが結びつく。現れた心情とイルージョンとの結びつき。
この絵に描かれたものは現実にはあり得ない。ベラスケスが描く場所が違うし、キャンバスの位置も違う。キャンバスがマルゲリータ王女の方向に向いている。
この絵の謎は、主人公が誰であるのかということである。一見すれば、王女が主役に見えるが、画家のベラスケスが偉そうに睥睨(へいげい)していて、位置が高い。他の人々が小さく描かれていて、ベラスケスが一番背が高い。意図的な構成だと思うが、構図を分析すると、犬がいて小人がいて、隣に子どもがいる。斜めの線があって。その三角形の頂点がベラスケスとなっているので、ベラスケスの肖像でもあるようにも見える。
たぶん、ベラスケスはそうしたのだろうが、それが露骨に出たら国王は怒るだろうから、光は王女に当てられている。たぶんこの構図は計算されて作られている。
それが、エスノグラフィとどういう関係があるかというと、作品自体の構図の分析もできれば、見ることについての分析もできるという点であろう。
現代芸術では、普通、作品を見ることが、作品に巻き込まれるような仕掛けとなっている。
例えば、影を描く絵の場合、照明によって自分の影が映り、それが絵画の一部となる。あるいは、歩いたら音がして、それが作品の一部として組み込まれる。それらはもう、20世紀的には普通のことになっている。
そのため、我々は、このような作品を見たときに、「歴史的」なものとして分析できるが、同時に、強い印象を受けるわけで、それによってある印象が残れば、それは「記憶」というものの二重の経験を我々はしている。
それを、本章では、「二重の意識(double consciousness)」と言っている。
客観的な現実があって、それを観察者、分析者として捉えることと、巻き込まれることの二重性。
「歴史」は客観的だが、「メモワール(memoir)」は主観的であり、それらが重なっていく。
次に、フィールド・エスノグラフィについて解説する。
フィールド・エスノグラフィとは、実際の現場に行って、その様子を探り出すことである。
特定の街に行って、その様子を記述するが、そこで暮らしていたり、そこでの生活に加わることによる感情や感覚がある。それは、客観的な記述では伝わらないので、それをどうやって伝えればいいかという中で考えられた手法である。
フィールドエスノグラファー、つまり、フィールドに行ってエスノグラフィを伝える人間は、日常生活における魔法というものを求めなければならない。本章では、”Field ethnographers seek the magical in the quotidian.”と文学的な文章で表現されている。
レモンイエローの花が灰色と紫の嵐の中に現れる(lemon-yellow flowers framed in grai-and-purple thunderstorms)、と表現したりする。
例えば、1998年に出版されたインドの写真集『色彩の川(River of Colour) 』。
文字は少なくて、インドのいろんな場面の写真が掲載されている。
我々が観光客としてインドっぽいなと感じる写真と東南アジアっぽい写真もある。写真家がかなり長い期間をかけて撮ったもの。写真集には、屋根にたくさん人がいたり、裸の人間の行進があったり、凧揚げしている風景があったり。
この写真集のポイントは、一点ごとの写真に解説がないことである。インドっぽい写真から庶民の生活まで撮影されている。
この写真集をずっと見ていると、インドってややこしいんだなと思う。
この写真集を出版したのは、ラグビア・シング(Raghubir Singh; 1942-1999)という人で、最も有名なドキュメンタリー写真家の一人である。
30年間、インドの大陸を旅して、特にベナレスとカルカッタ、ムンバイなど巨大な街を中心に写真を撮った。代表作が『色彩の川』。写真集のタイトルは、文字通りの色、という意味もある。
インドの生活を、街、場所、水辺と巡礼者などに分けて、きわめて神秘的な風景からインドの生活まで紹介している。タイムズやインデペンデントでは、素晴らしい本だとか最高傑作だという書評が載っている。
問題は、これがエスノグラフィなのか、ということである。
彼は、写真家と呼ばれているが、同時にエスノグラファーでもある。客観的な言葉による整理された記述がない。写真によって、インドの大都市の中心とした生活が出てくる。それを見た我々は何が分かったかと言われても難しい。カルカッタのお金持ちからスラムまで撮影されていて、強い印象を受ける。
それが、何か伝えるものは、むしろ、詩みたいなもので、インドという生活の中のある生き方を我々が感じ取ること。
そこでインドで暮らしている人たちの暮らし方と写真家と見る我々とが共に暮らしている、という感覚がある。
本章のキーワードは以下の3つである。
・共参加(co-participation)
・団結(solidarity)
・友情(friendship)
つまり、フィールドワークを考えたときに、二つの立場を生じる。
一つは、報告による観察への不参加(reportable nonparticipatory observation)である。
そして、もう一つは、参加してしまうことによって報告が難しい、または報告ができない(nonreportable total participation)、という立場である 。
例えば、祭りに対してのエスノグラフィを書くとする。
でも、参加してしまうことによって報告できなくなる、論文にするのは難しい。特定の役割を担っているため、祭りの一員だからメモを取らせてほしいとは言いにくい。
そこに出てくる報告をするとしたら、メモワール、思い出となる。本来の人類学者がする客観的報告はできない。
フィールドワークにおける二つの立場で、以下の表のような対比ができる。
このような対比はそれほど珍しくない。
「友情」に対して「ラポール」。ラポールは、カウンセラーがクライアントとの信頼関係を作る際に用いられる用語であるが、街の中で共に暮らす人間は、その間にあるのは友情関係である。
「感情の共有」に対して「慈悲心」。被災地に寄付しても、翌日忘れているのは慈悲心であり、感情の共有ではない。慈悲心というのは所詮他人事だと捉えられる。
「信じること」に対して「尊敬すること」。これも例えば、宗教家を考えたら、ある宗教の偉い人がいたとして、私はその人を尊敬するというと、その存在はとても遠いが、信じますというと近くなる。
「愛」に対して「賛美」。”admiration”は、驚嘆する、賛美するという意味があり、やはり、距離がある関係である。
すると、これらのどちらを選ぶかというと、客観的な立場のエスノグラファーは左側を選び、相手の立場に入り込んで共に生きていく立場のエスノグラファーだと、右側を選ぶ。
それは、二律背反であり、こちらの立場を取れば、違う方の立場を失うのか。これが大問題である。
執筆者によると、左側は「歴史」、右側は「思い出」であり、両方一緒には成り立たない。歴史の立場をとったら思い出にはならない。普通の歴史記述の時に、それを生きてきた人たちの思い出は資料になり、あの時こう感じたというのは、たくさんの人の思い出や記録の一部にはなるが、その思い出を生き生きと語ることを歴史書が選ぶ訳ではない。
そこが、歴史書と歴史小説の違い。歴史小説は、その人の立場で生き生きと語るものである。例えば、司馬遼太郎の『龍馬が行く』。坂本龍馬の生き方を描いているが、実際にあのようにしゃべったかは、誰も分からない。つまり、フィクションであり、嘘である。
「歴史」と「思い出」は、両立しがたいものなのかどうか。
つまり、我々はインドでの生活を報告する時に、そこに暮らして印象を語る。
それが何かを語る以上は、報告できなさを語る。「すごかった」と言われても、人は何か報告してくれと言いたくなるものである。
先ほど例にあげたインド写真集は、素朴なレベルでのエスノグラフィ。
すると、この二律背反が両立しにくい袋小路(impasse)に今いるが、どうしたらそれを乗り越えることができるのか。
その可能性として、写真集とかある種の小説がある。クリエイティブ・ノンフィクションというのは事実に即したもの。
例えば、乗り越えた事例として、ビートルズのジョージ・ハリスンが、1982年に『Go troppo!』というアルバムを出したが失敗した。その息子Dhaniが、2004年に出しなおしたら大ヒットした。つまり、この失敗と成功の間を埋めるのはギャンブルのようなもので、これというマニュアルはない。
エスノグラフィ―においても同じことが言える。著者の大学院のクラスメートTimothy Knabが、メキシコのナワトル族の言語の研究をした。その際、段々のめり込んでいって、最終的には、その部族のシャーマンの一員になってしまった。その経験をもとに1980年代に博士論文を書いた。なかなか出版できなかったが、ようやくある出版社が引き受けてくれて、1995年に出版した。たいへんな冒険である。彼のエスノグラフィの記述は、いかに心動かすものだったかという内容に満ちていた。その後、2004年にナラティブ・エスノグラフィの本が出版された。『大地と空の対話-夢と魂と治療と現代のアステカの地下世界-』
というタイトルの本であった。
p.332下
Bruce Grindalという文化人類学者が、アフリカのガーナでフィールドワークをして、死者を蘇らせる儀式を目撃した。死者周りを囲む歌い手がいて、それが踊りながらある歌を歌う。それを歌っていくと死者の体が動き出す。最後に死者が踊りだし、屋根に上り、みんなは熱狂して踊る。最後に、死者がドラムを叩いていた。そのような様子を私は確かに目撃したと書いてある。
きっと、麻薬の入ったジュースを飲まされて、幻覚を見たのではないか。でも、確かに私はそれを見て経験している、というのである。
冷静にメモをしていた訳ではない。メモをとっていたら、その体験や活動には入れない。
おそらく全てを一緒に行い、後から思い描いた「メモワール」なのだ。
そういう記述は、学問的な意味があるか。今言っている記述からすると意味ある。
ガーナでは、人が死ぬときにそういう経験をする、ということを書いている。それを思い起こして記述して、ガーナの人と同じ体験をする。
ここでは、エスノグラファーは、「信じる」という立場である。
そのような、ものの見方は、特定のある与えられたカテゴリーによって解釈するのではなく、現場に生き、現場で起きていることを生身で体験し、後で語る。
先ほど紹介した写真もあるし、小説もあるし、演劇もある。
そこで語っていくと、そこにはさまざまな矛盾、つまり二重意識が生まれてくる。
さきほど示した表において、左側は研究者としてかかわる、現代人としてかかわる立場である。それに対して、表の右側の立場で考えると、思い出すときに死者が生き返ると考えるはずもない。でも、そういう経験はした、のではある。自分の中に矛盾した新たな経験が生まれていくのである。
エスノグラフィで考えてみると、エスノグラフィをある種の劇と考える。劇場の再現ドラマ。見る人にとって本物ではない。色々な意味で、本当に起きていることとは異なる。
同時に、本当に起きていることの模倣や再現でもある。
ナラティブ・エスノグラフィーは、演劇に近いものと考えたら、1980年代に色々なものが出てきて、2000年代になると研究雑誌に引用されている。
例えば、2008年に引用されている研究は、音楽の研究雑誌に掲載されたもので、日本のどこかの太鼓グループに入って、太鼓を叩く人になって、その経験を書いたエスノグラフィがある。
そうやって広げてみると、珍しいところに行って経験して持ち帰らなくても、フィールドは色々ある。
我々は常に、内部者(insider)であると同時に外部者(outsider)である。エスノグラファは二重の生活に成り立つ。講義を聞くことは内部者であるが、外の視点を持ち込めるのは外部者である。
むしろ、エスノグラフィーはそれを演じることによって、自分自身のインフォーマット(情報提供者)に自分がなる。自分自身の失語症に対して、入り込む、食い込む、語る、それはエスノグラフィ。
エスノグラフィは自己理解でもあり他者理解でもある。そうだとしたら、エスノグラフィとは人間の経験というものを吟味する一つのやり方である。
実際には、人間生活、そこにおける経験は、身体化されるから、それを別の形で語るのは難しい。だから、新たな光をあてる。その光は客観的な言葉でなくてもいい。演劇的なもの、詩でも、なんらかの形での再演、パフォーマンス、実行する、演技する。
このように、この立場をリードする人たちは、解釈的な研究(interpretation study)からパフォーマンス研究へ移行した。
最初は、1980年代であったが、とりわけ2000年前後、パフォーマンスを中心としたエスノグラフィが強くなった。
例えば、今、教育心理学の世界でも、パフォーマンス派の人たちが増えてきていて、社会運動などを行っている。具体的には、学習グループを組織するなどである。それが、主流と言っているわけではなく、あくまでも質的研究の一部である。多数派は、客観的な手法を用いている人たちである。
このパフォーマンスを中心としたアプローチが、批判的教育学と結びついていることがある。また、フェミニズムとか、前衛演劇、マイノリティのための演劇とか、メキシコとアメリカの国境のあたりでゲリラ的活動をした公的には犯罪者たちが逃げるとき支援する人たち、など。
さまざまなひとたちの演劇によって、土着の文化に(特に、階層的に低い人たち)に光を当てた。
パフォーマンスということは、もう一つのキーワードはナラティブ(語り)である。ナラティブという言葉は、多義的であり、「語る」のもナラティブで、ナラティブのナラティブ性を強調すると、ナラティブでの顕著な意味は、「知る(knowing)」ということ、になる。
それに対して、何かについて語ることは、telling aboutである。
幕末の歴史は、何があって何があってと語ることもできるが、坂本龍馬の伝記的なストーリーの場合、主人公がいて、いろいろな出来事に出会ってと語る。
物事が起きていて、そのあり方や実際に起きていることについて資料通りに語ることはknowing。しかし、資料の間を切れ目なしに埋めていくような語りはtelling aboutとなる。それがナラティブである。
ナラティブ・エスノグラフィは、客観的なライフヒストリー(生育史)とメモワール(思い出、自伝)がクロスした部分において始まる。
例えば、ある女性が植民地などに生まれて、こういう苦しみがあったと本人または誰かが本の中で語る。植民地での苦しみと、女性としての苦しみと、二重のマイノリティを語る。そして、クリエイティブ・ノンフィクションに近づいていく。
事実を述べて、語りの部分は、存分にエキサイティングに、そこに生きている人の言葉を引用しながら語ってもらう。その場生きる人たちの、生き生きとした生活スタイル、つまり、情熱、苦しみ、というようなものを語ってもらう。
そういうような方向に、そもそも踏み出していたのは、フランスの人類学者ジャン・マローリ(Malaurie, J.)で、他の国でも新しいことをしようとした。例えば、生き生きとした小説のようにエスノグラフィの資料を語る場として『人間としての大地(Terre Humaine)』を作った。
最初からミックスする場合もある。1955年に出したレヴィストロース(LeviStrauss)の『悲しき熱帯(Tristes Tropiques)』というエスノグラフィーがある。彼が博士論文を書いたのは遅いので、おそらくは院生の頃のものであろう。ブラジルの学校の先生になり、長期休暇を利用などして、アマゾンの奥地に住み込んだ。彼が20代の頃に書いたこの旅行記は青春日記の小説のように面白い。
その後、類したものがたくさん出てくる。マーガレット・ミード(Margaret Mead, 1963)のサモアの記述などがある。
これらの記述の重要な要素というのは、①自分が直接に経験したことを記述すること(firsthand experience)(情報提供者(現地の人。バイリンガル)からの情報が中心ではなく)、②厚い記述(thick description)をすること、③登場人物を決めて、その人の活動や行動の展開を中心に記述すること(character development)、④視点を決めること(point of view)、⑤生々しい言葉遣い(voice)をそのまま引用していること、である。
さらに、全てを能動的(active)に語り、「私は見た」と一人称で記述し、情熱的に(passionate)、生き生きとした文学的表現(theatrical)で語っていることである。
本章の著者は、アメリカインディアンと白人の間に生まれた人。祖母がアメリカインディアンの部族のようで、子どもの頃、よく祖母の家に遊びに行ったそう。そこでは、アメリカインディアンの遊び方を見せてもらった。キリスト教徒は、守り手であるガーディアン・エンジェルズ(guardian angels)「について」語るが、その時、インディアンたちは精霊(guardian spirits)「に直に」語りかけた。これが信じる人であり、信じるという経験の中に生きる。
祖母は、「ガーディアン・スピリットは部族の動物、これらは我々の兄弟姉妹」と主張した。でも、白人にとっては動物である。
祖母はどちらかの考え方を選べとは言わなかった。どちらでもあることに美しさと強さがある。
私は、二重に使命(a double calling)を与えられている。私は二つの世界の端の触れ合うところでバランスをとって歩かねばならない。
両方を尊重しながら二重性を尊重すること。それがナラティブ・エスノグラフィであり、二重でありつつ、ナラティブをメモワールにできるかぎり近づけていくことが大事なのである。