2016.4.18
無藤 隆 子ども学研究特論(2)
第4章・第5章 倫理の問題
テキスト The SAGE Handbook of Qualitative Research, 4th ed. SAGE.
いかなる研究も倫理的でなければならないが、相手との了承の関係が必要である。文献研究の場合は倫理的には問題ないが、存命中の人などは許可が必要となる。本章では研究倫理をしっかり守るべきであるということが述べられている。歴史的に、研究をさかのぼると非常に難しいこともあるので、いくつか研究倫理に反する紹介する。
1) ミルグラム(Milgram, 1974)のアイヒマン実験(p.67)
1960年代に、ミルグラムは被験者が上からの指示でどこまで残酷なことができるかを実験した。実験室では、被験者が実験協力者(サクラ)に電気ショックを与える。実は電気ショックというのは嘘であるが、実験協力者(サクラ)は演技をしている。アイヒマンというのは、ヒットラー時代に、上司からの指示で、ユダヤ人を強制収容所に送る任務を担っていたが、普通の人間であった。そのため、この実験では、普通の人間がどこまで残酷なことができるのかを検証した。
相手に痛みを与えていると思うと辛くはなるが、段々とエスカレートしていくという結果が見られた。実は、演技であったということを被験者に知らせるが、最終的に種明かしすれば実験してもよいのか倫理が問われることになる。現在はこのようなアイヒマン実験はできないであろう。当時は研究倫理があいまいだったのである。
2) タスキギー梅毒研究
研究倫理も問題は、もともとは医学研究から取り上げられた。世の中には倫理的にひどいものがいくらでもある。アメリカのアラバマ州メイコン郡タスキギー(Tuskegee)での梅毒研究である。1932年にアメリカ公衆衛生局がアフリカ系アメリカ人の治療協力を得て研究を開始した。1972年にニューヨークタイムスがこの梅毒研究の被験者を40年間も放置したことをスクープし、1997年にクリントン大統領が患者で生き残った人たち87歳から110歳に対して、ホワイトハウスで公式に謝罪した。
1906年に、梅毒の病原体であるスピロヘータが見つかり、治療法としてサルバルサンが開発されたが、サルバルサンだけではだめだとわかって、さらにネオサルバルサンが開発された。厚生衛生局はその治療薬の効果を見たが、一方で、もうひとつは、梅毒の病原体スピロフェータに感染しても自然治癒する人や発症しない人がいることもわかった。そのため、梅毒が自然治癒するのかを、治療せずに経過観察するという研究を行った。タスキギーでは、3千数百名の梅毒患者がいた。治療もするはずだったが、大恐慌もあって、予算がなくなりちゃんとした治療ができなくなった。1929年に検査し、1931年にもう一度検査をしたら、男性の22%が梅毒に感染しており、そのうち、62%が先天性の親族感染であった。その後、第二次世界大戦中も治療されないようにし、観察が継続された。被験者は結婚して、その子どもにも感染が確認されている。
その後、1946年にはペニシリンが梅毒治療に用いられて有効であることが分かっているにもかかわらず、研究費の不足のため治療をせずに脳脊髄液の採取をして梅毒の進行状況を調べるなどの追跡調査が行われただけであった。
最初に梅毒治療を全く受けていないということで自然観察の対象として選ばれた399人の被験者のうち28人が梅毒で亡くなり、100人ほどが失明、精神障害に罹患し全米中のスキャンダルとなった事件であった。
3) ウィローブルック肝炎研究
1956年から1972年にニューヨーク州スタッテン島にある知的障害児施設ウィローブルック州立学校には、かなり重度の知的障害児が多く、なぜかその地域は、A型肝炎になる人が多い地域であった。肝炎にはA型、B型、C型があり、A型肝炎は比較的軽いもの、B型肝炎は、慢性肝炎、その後、肝硬変になる。
NY大学では、クルーグマンが肝炎のワクチン開発をしようとした。ガンマ・グロブリン注射の効果が高いことがわかった。1954年に、グルーグマンはウィローブルックの顧問医になり、肝炎予防法の研究に着手した。治療効果を見るには、注射した人と注射しない人を比べないとならない。
まず、免疫をつくるのだが、免疫をつくるには、被験者にウィルスを軽く与える。軽く肝炎を起こすことによって免疫をつくるのである。とりあえず、発症させて、免疫ができたかできないかをチェックする。一連の研究を通して、750人から800人の知的障害児が人為的に肝炎に感染させられた。タスキギー梅毒研究は研究の手続きが隠されていたが、ウィローブルックの肝炎研究の方は、NY大学人体実験審査委員会において承認されていた。ガンマ・グロブリン注射が肝炎の予防に効果あるという研究成果があった。被験者の保護者に対してインフォームド・コンセントもしていた。
ところが、グルーグマンの研究を取り上げて、1970年に、それを批判した人たちが複数いた。それらの批判の論点は、知的障害児の子たちは肝炎に感染する可能性があったこと。親には同意をとったと言っているが、1000人に一人か二人は、劇症肝炎で死亡、また、慢性肝炎から肝硬変になった子どももいた。保護者への同意書についても、新しい治療法予防法であると説明し、障害児施設に入所するためには同意しないとならないという一方的なものであった。
グルーグマンの発見は、十分なものではなかった。ブランベルグ(オーストラリア原住民アボリジニーの血液からオーストラリア抗原を発見した人)はB型肝炎の病原体を発見し、ノーベル賞を受賞した。
ここでの問題は何かというと、被験者の保護者に十分了解を得たものではなかったことと、ワクチンを開発するよりも水道水を清潔にする方が肝炎を予防する効果が高かったかもしれないということであった。これらの問題点があったため、非常に強い批判を浴びた。
しかしながら、グルーグマン自身も反論し、彼の論文を掲載した医学雑誌の編集者たちも彼を擁護した。これらの論争を経ても、グルーグマンは、ラッセル賞や米国最高の賞と言われるラスカー賞を受賞し彼の名声は衰えることはなかった。
梅毒研究はほとんど犯罪だが、肝炎研究は医学的研究ともいえるが、現在の基準では研究倫理の観点から実施は無理であろう。ミルグラムの研究は心理学の研究で、かなり激しいやり方だが、それほどまでではないものについては、そこまで害は与えない。しかし、相手のプライバシーにかかわるものについては、個人情報を聞いてしまっていいのかどうか。現在では、そういうことについては、研究倫理委員会に申請して許可を受けることになっている。
研究倫理審査委員会の原則:
1) 説明責任…インフォームド・コンセント
=説明と同意 …今は、手術のために、治療法を選択できるよう患者に説明する。すると、保育園幼稚園で子どもを見て観察するとしたら…。保育園幼稚園の先生の許可だけではなく、保護者の許可も必要。許可は、研究の趣旨と合わせて、研究にともなって害はないか、嫌になったらやめてもいい(参加を強制されない)。
アンケート調査などは、いやなら返さなければいいが、直接インタビューなどの場合は同意が必要となる。
2) 偽り(Deception)
全部正直に話したら研究ができない場合はある程度ぼやかすこともあるが、不必要に偽りを言ってはいけない。被験者に誤解を与えてはいけない(ミルグラムの研究では、被験者に対して偽っていた)。
3) 個人情報
プライバシーの問題。侵害していないかどうか。ただ、そもそもプライバシーを尊重しないことはない。ただし、公衆の場面では観察しても構わないかもしれないが、急に車内で女性の顔写真を撮ってはいけないだろう。
4) 正確さ(Accuracy)
データを歪めてはいけない。全てのデータを論文に書くことは不可能だが、何を選び出したか基準を示す。求められたら元のデータを示さなければいけない。
さらに考えると、道徳的基準が必要である。
1) 協力者を人格的に尊重する。respect for personあらゆる個人は調査対象者ではない、生活している個人である。自立した存在であるため、許可を得なければいけない。子どもの場合は保護者の許可が必要である。
2) ウェルビーイング(幸福)
well-being beneficence 相手に害を与えないことが大事である。昔は、幼稚園の最初の学年で、ある程度駅に近い園であったが、観察を頼んだら、観られて不快であるという理由で断られた(だが、子どもは平気だろうが…)。
3) 正義(justice)…公共の利益が害よりも勝るのかを考える。B型肝炎は注射針を変えなかったことで広まった。つまり、研究とは、公共のためになるものであるかを考え、研究に参加したことにより被験者にとってプラスになるかも考えることが大切である。
5章
本書の4章と5章では、従来のやり方ではいけないという点が記されている。
ひとつは、質的研究の中では、1) ~4) では、倫理を守るのが難しい例はどうするか。
幼稚園での観察において、A幼稚園、B幼稚園としていたとしても、とても特殊な事例の場合、例えば、白梅の近くの幼稚園とあったら、白梅幼稚園なのではないかとすぐに分かってしまう。また、東京にある国立大附属幼稚園と書いてあれば、お茶大附属幼稚園だとわかってしまう。さらに、その論文内で「主任」などと書いたら誰か分かってしまう。
エスノグラフィ―で、「島の名前を書くな」と言われても、匿名にしてしまうと、その特徴が分からなくなってしまう。京都の「地蔵盆」で、その祭りの名前を書くなと言われても困る。なぜなら、特定の明神の祭りという固有名詞を持ったものであることが大事なのである。個人情報の特定については、質的研究では難しい問題である。
エスノグラフィでは、マリノフスキーが、調査対象者に対して、研究内容を洗いざらい明かしているかというと決してそうではない。調査目的や内容を明かしてはいない。
ある幼稚園でアルバイトをしていたとして、子どもの様子をメモして論文に書くのはどうか。10年分の資料をもとに論文を書いたとして匿名にしようがない。いくら匿名にしても分かる人には分かる。そういうのを考えると、すべて説明はできないかもしれない。一部の発表を偽ることもある。心理臨床学会などでは、いくつかの事例を混ぜて、その人の身元がわからないようにするなどの研究は許される。
質的研究の場合の研究倫理はどういう形であるべきか。量的、統計的研究とは異なる。研究倫理委員会に収まらないものが、ある種の質的研究はある。ただ、保育関係の場合は大丈夫であり、「どの幼稚園か」で決定的な差が出るかというとそうでもない。また、障害児は別である。もう少し具体的に細かく描いていけば、どこかで知っている人がみれば誰か分かってしまう。個性的な記述であればあるほど、倫理委員会にひっかかってしまう。なかなかいい解決法はない。
★批判的社会科学(critical social science)の第一人者は、本書の編著者であるDenzinとLincolnである。
単に批判的に相手をとらえるのではなく、社会的正義を実現するためには、社会の中の不正義を批判していかなければならないという考え方である。社会における正義を正すために役立つ研究手法であり、そのためのクリティカルな役割は、社会で抑圧されている人たちの声を拾い出していくためには、連帯や協働することが必要であるという主張である。抑圧されている側にたって、その声(voice)を拾っていくことが必要である。その代表はフェミニズムであり、男性中心の社会の中で、不利な女性の立場に立って批判するものである。
あるいは、植民地主義への批判である。ポスト・コロニアリズム(post-colonialism)であり、解放されても経済的社会的抑圧は続けられてしまったという現状があり、その抑圧されている人たちの声を聴いていこうとするものである。1980年代には、欧米が中心となった。例えば、女性の教育を取り上げた人として、キャロル・ギリガンが有名である。彼女は、妊娠中絶する人たちをインタビューした。妊娠中絶の手術には男性は来ずに病院には女性ばかりである。ここに性差別の問題があると、1982年『もう一つの声(In a different voice)』の中で述べた。
1970年~1980年代、にはマルクス主義の流れで、政治的立場に対する幻滅が起こる。ソ連が崩壊し、カンボジアにおいてはポルポト政権がマルクス主義に近いことになっているが、その間、100万人が虐殺されたというようなことがあからさまになった。宣言すればいいというものではない。
批判的倫理において必要なことは以下の4点である。
1) 多様性(diversity of realities)
過去25年間、単純な主張が出しにくい。抑圧されている集団の中でさらに抑圧が起こった。それがポルポト政権であった。今まだに男性が女性を抑圧している例が多い。例えば、インドでは12歳で女性が結婚させられるという現状がある。その社会や部族ごとに、いろいろな多様性があるが、女性の権利を考えていかなければいけない。
2) 相互作用(the webs of interaction)
さまざまな相互作用の網の目があり権力構造がある。例えば、ある園の観察に入ろうとしたとき、その園について書くとしたら、誰に聞いたらいいのだろうかというあたりも権力構造の一例であろう。
3) 正義
さまざまな問題を社会的正義を考える方向へ位置づける。1970年代、1980年代は、批判的な立場は強気であったが、現在は誰が正義とは言えなくなってきた。研究に客観性はいらないという立場の人もいる。しかし、正確さは必要である。研究活動をすることが特権的であり、偏りを持った見方である。実践者の立場に立つことがよいわけでもない。子どもの立場に立っていることによって、他者を抑制しているかもしれないということを自覚すべきである。
ポルポト政権が正義の旗を掲げて虐殺を行ったことを忘れてはならない。
4) 連帯/協働