投稿日: Sep 14, 2017 11:33:23 PM
本書は、生殖補助医療(ART)がもたらすモラル・ジレンマを、映画を素材に取り扱った、生命倫理学に関する文献である。生殖補助医療は、子どもがほしい、親になりたいというニーズを応えるべく高度化してきた技術である。高度化が進むがゆえに、様々なジレンマが生じているのが現状である。
序章を含め7章から構成されるが、個人的には「第3章 自分の「半分」を知りたい-生殖ビジネスで生まれた子どもたち」が最も興味深かった。第3章で取り上げられる生殖医療は、非配偶者間人工授精(ドナーによる人工授精:DI)である。つまり、夫婦間ではなく、妻の卵子と夫以外のドナーの精子を用いて人工授精を実施し、子どもをもうけることである。
そして、ここで取り上げられるジレンマは、「ドナーのプライバシー(秘密保持) 対 子どもの出自を知る権利」である。ドナーのプライバシーに関して、ドナーと病院とが秘密保持契約を結ぶ、病院がドナーを公開しないという対応をとることが多い。これは、①自らのプライバシーを守りたいというドナー自身の要望、②精子ドナーが減るという病院の懸念、③家庭にドナーの影響を持ち込みたくないというDIを利用した夫婦の要望、のためだ。ここでの問題は、DIで生まれてきた子どもの視点が欠如していることである。
一方、ドナーを知ることは、自分の基本的人権であることを、成人したDI児が声をあげはじめた。DIで生まれた人は、自分の出自を知らないことは不安や欠落を意味するという。さらに、親が子どもに事実を隠そうとすることは、親との信頼関係や自らのアイデンティティの崩壊を意味する。
スウェーデンは世界に先駆けて、「人工授精法」(1984年成立、1985年施行)において、DIで生まれた子どもの出自を知る権利を認めている。2000年に入ってからは、ノルウェー、オランダ、フィンランド、イギリス、ニュージーランドなどで同様の法律が成立・施行されている。この背景には、子どもの権利条約の第7条1などが挙げられる。とはいえ、DIで生まれた子どもたちは、親がその事実を伝えなければ、そもそも子どもは出自を知る権利を行使できない問題が残る。
生殖医療の問題は、その技術を利用する当事者のみを視野に入れればいいものではない。「生殖医療に特徴的なのは、そこに新たな人格が誕生することである。それゆえ、生殖医療技術を利用する当事者たちの幸福追求権や自己決定権の問題として片付けることはできないのである」(本書24頁)。しかし、これまで「生殖医療では、生まれてくる人たちの権利や福祉を考えることがずっと置き去りにされてきた」(本書204頁)のである。
本書は、保育には直接関係ない。しかし「誰が当事者なのか」を考える上では示唆を与えるものであろう。
(紹介:鶴 宏史,2017年9月1日)
目次
序 章 倫理の追いつかない生殖技術
第1章 生物学的時間を止める-卵子凍結で、ライフプランを意のままに?
第2章 王子様は、もう待たない?-精子バンクと選択的シングルマザー
第3章 自分の「半分」を知りたい!-生殖ビジネスで生まれた子どもたち
第4章 遺伝子を選べる時代は幸せか?-遺伝子解析技術と着床前診断
第5章 生みの親か、遺伝上の親か?-体外受精と代理母出産
第6章 「ママたち」と精子ドナー-多様な夫婦と新しい「家族」
あとがき
主要参考文献・資料