投稿日: Sep 23, 2016 4:29:37 PM
今回は、無藤隆先生が2016年8月23日にFacebookで投稿された、2つの記事を紹介させていただきます。
幼稚園での教育実習で、はじめて行う保育が絵本の読み聞かせでした。本実習が始まって4日目のことでした。本実習が始まるまでに絵本を3冊ほど選び、指導案を書く必要がありました。どのように絵本を選んだかというと、本実習の前に行われる事前実習で見た子どもの姿や、わずかな時間でしたが本実習が始まってから目にした子どもの姿、そして運動会前の時期だったことを踏まえて、絵本を選びました。つまり、子どもの興味・関心が何にあるのかということと行事が選択理由でした。
この絵本を読むことで子どもたちにどのようなことを感じてほしいのか。そのためにどのような読み方の工夫ができるか。子どもたちのどのような姿から、それを感じとっていることが分かるか。絵本を読むだけのように思えるかもしれませんが、このようにたくさんのことを考えなければなりませんでした。
実際に子どもを前に絵本を読んでみると、多くの学びがありました。登場人物に対して「がんばれー!」と叫ぶ姿、隣に座っている友達と絵を指さして笑い合う姿、友達と感想を言い合う姿、みんなで大笑いする姿・・・。大勢の子どもの前で絵本を読むのが初めてだったため、子どもたちの姿に鳥肌が立ったことを2年経った今でも覚えています。様々な子どもの姿を見て、私が思っていた以上に、子どもたちは絵本から様々なことを感じとること、それを表現し、友達と共有することを楽しむということを知りました。そのような姿から、絵本を1冊読むにも、保育の計画をしっかり立てて準備することが重要であることを感じました。そして、実際に読み聞かせをしてみて「ここはこうしたらよかったな」と思うこと、子どもの反応が予想と違っていた場面などを記録として残して、次に生かすということも学びました。
無藤隆先生は8月21日にFacebookで投稿されたノート「絵本、その多様な世界」において、以下のようなことも述べられています。
園で子どもたちを集めて、静かに座らせ、保育者が5分とか10分とかただ話し続け、子どもはそれを聞くだけ。おしゃべりをしてはいけないわけでもないが、たいてい、制止される。話の中身は子どもが注文することもあるが、たいてい保育者が選んで決める。
こんな活動を毎日やっている園が多いと聞く。いいのだろうか。教師主導の活動を止めて、子どもの主体的活動を大事にしているのではなかったのか。
別に皮肉ではないです。絵本の読み聞かせって面白い活動だなあと思うわけですね。ほんと、魅力的で謎めいている。
(なお、これは本を読むという活動の受動性という問題の一部でしょう。読書とは作者の思うがままに引きずり回される活動か。それは近代的主体と見合ったものなのか。もちろん、これが近年の読者論やその後のラカンその他の議論につながるわけですが。そう考えると、絵本って何?、の答がよく分からなくて。)
教師が子どもを指導して話しまくる。それは教師主導で子どもが受け身だろう。でも、子どもが本を読んでも同じなんですよ。作者のするがままに文を読み進む。構造は同じ。
そこにどう子ども主体は可能か。芽生えるのか。
そこに近代の教育の根源的問いかけがある。(とはったり的に言ってみましょう。)読書の歴史的研究にはそういう問題意識があることは確かです。そういった作者の受け身に立つことがどのようにして近代的主体を作り出したのか。
こういった多様な可能性が絵本という世界の魅力を形作っています。その解明は絵本一つ一つ、またそこでの本の読み聞かせの場の丁寧な記述により進んでいくでしょう。そのため、絵本という作品の分析とその読み聞かせの場の検討を進める必要があります。作者や編集者の見方、読み聞かせる側の保育者や家庭での親のあり方、さらにそれを受け止める子どもの気持や感性や想像力への推察のどれもが必要になるのです。
(全文はこちらをご覧ください。)
「絵本の読み聞かせは子どもの発達にとっていいこと」という考えは広く受け入れられ、ほとんどの園において、さらには家庭においても、読み聞かせが行われているのではないかと思います。絵本の読み聞かせに限らず、子どもにとっていいことだと疑うことなく行われているものについて、改めて考えてみることが大切なのではないかと、無藤隆先生の記事を読んで考えました。
(執筆:清山莉奈,2016年9月19日)