投稿日: Jul 19, 2017 7:48:28 PM
前回の担当の時、私は、「音に注目するような活動を体験している子どもたちは、自ら音を操作して行くような行動も見せるように思います。そのような小学生の例をご紹介します」というようなことを述べました。
今回はそのお話をしたいと思います。
小学校4年生に、「音日記」を2週間つけてもらったことがあります。「音日記」は、もともとR・マリー・シェーファーの『サウンド・エデュケーション』に記載されている100の課題のうちの15番目に出てくる課題です*。聴いた音(その日一番大きな音とか、お気に入りの音とか、なんでもいい)の記憶と状況をあわせて綴っていく日記です。「音日記」については、この項のもうひとりの担当者、吉永早苗先生もよく述べられています。私もならってやってみました。
そして、それだけでなく、2週間の音日記の間に3つの授業を入れました。音に関する、調理・環境・音楽の授業です。1週間の音日記が終了してから3つの授業を入れ、その後もう1週間音日記を書いてもらいました。
調理の授業では、ぎょうざの皮を用いたピザづくりをする中で、ピーマンなどの食材を横に切ったり縦に切ったりして、その匂いや音、食感を確かめたり、ピザが焼けていく時の音や匂いを記録していったりしました。環境の授業では、中に物を入れたブラックボックスを動かして音を聴いたり、手を入れて触ったりして中の物を当てていきました。そして、鳴き声を聴いて、虫を当てたりするクイズを行ったりしました。
最後に行った音楽の授業は、「音であそぼ!」というタイトルでミッションを5つ成功させていく、という構成にしました。
ミッション1は、「音で助ける」。これは、『子どもと音楽』の中の記事「007 大きい音、小さい音」でご紹介している、音を手がかりにして鬼が宝物をさがす、という活動です。
ミッション2は、「音をつくる」。これも同じところで紹介している、リーダーの手の動きにあわせて、音量をつける活動です。
ミッション3は、「音を追いかける」*。これは、教師がトーンチャイムを鳴らしながら教室内を歩き、子どもたちは目をつぶってその音が聞こえた方向を指で示していく、という活動です。
ミッション4は、「音をみつける」*。これは、5分間耳を澄まし、聞こえる音を短冊にひとつひとつ書いていく、という活動です。
ミッション5は、「音を並べる」*。これは、班ごとに、各自聞こえた音をもってきてならべる活動です。班ごとに並べるルールを設定し、「大きな音から小さな音に並べる」「長く聞こえた音と一時だけ聞こえた音で分けて並べる」「機械音や自然音か人がたてる音がで分けて並べる」にしました。
この「音であそぼ!」の授業は、子どもたちにそれなりに好評でした。「小さくしたり、大きくしたり、とめたり、パンとたたいたりがおもしろかった。だけど、ぜんぶがおもしろかった。ともだちとかと、いっしょにしたいとおもった」などという感想もありました。
さて、これらの授業では、聴覚、触覚、味覚、嗅覚などを働かせる活動を取り入れ、最後の「音であそぼ!」の授業では、音を操作したり、聞き分けたりする活動を入れていました。このような活動が、音日記にどう影響を与えるかが、この時気になったことでした。
二人の子どもの音日記を紹介しましょう。
児童Aの2日めの音日記です。
「学校のチャイムの音」 私は学校のチャイムが好きでもあり、嫌いでもあります。好きな時は、じゅ業の終わりのチャイムです。好きなじゅ業の時は少しいやだけど、きらいな授業の時に終わりのチャイムがなると、うれしいです。きらいな時は、休み時間の終わりのチャイムです。次のじゅ業の科目が好きならともかく、嫌いなじゅ業ならとてもいやです。
児童Aの13日めの音日記は以下のようになりました。
「人が歩く音」きょう、わたしはおもしろいことに気づきました。せや、体けいだけで人の歩く音の大きさや音のひびきがちがうことを。せが小さくて、やせている人は<…トン…トン>と音がなるのに、せが高く太っている人が歩くと、<ドシンドシン>とおとがなっていました。小さくてやせている人でも足ぶみをすれば、、<ドシンドシン>となるし、高くて太っている人がそうっといくと、<…トン…トン>となります。
児童Bの4日めの音日記はこうです。
きょうの音は「ピンポーン、ピンポーン」というおとです。それは、家のチャイムでした。きょうは、何人も人が来て、6回ぐらい、「ピンポーン、ピンポーン」となりました。その後、みんなで、遊びました。その後、Yくんが来ていっしょに遊びました。楽しかったので、来週の土日も遊びたいです。
児童Bの13日めはこうなりました。
きょうの音は、水どうの「ジョー」という音でした。なぜこんな音がしたかというと、ズボンをお風呂で洗っている時に、音がでました。弱くひねると、「チョー」といい、強くひねると「ジャー」といいました。弱くもなく、かといって強くもなくひねると、「ジョー」といいました。とめると、まさに音楽の演奏みたいに、ピタッと音がやみました。
児童Aも児童Bも、日記のつけはじめと終盤では、明らかに目のつけどころ、いや耳のつけどころが違っています。日記のつけはじめはチャイムや「ピンポーン」など音そのものはひとつだけで、それに対する状況や気持ちを書いています。それに対して、授業がおわって、2週目の音日記の終盤では、背丈や重さで音が異なるが歩き方でそれを変えることができること、水道のひねり方で音が違うことなどが書かれていて、音を操作して音の変化や新しい音をみつけようとしている様子がわかります。
このような日記の変化は、最初は面白いなあと考えていました。音そのものに注目するだけでなく、自分でつくろうとしているのですから。
でも、私には、なんだか、二人の児童のはじめの日記も捨てきれません。同じチャイムの音が気分によって好きになったり嫌いになったりするのは、「わかる!」と共感できる内容に思います。「ピンポーン」の音は、聞こえるたびに友達が増えて楽しかったんだろうなあ、ということが状況的によくわかります。
どちらも、音としてはひとつなのに、書いた本人の気持ちがよくわかるのです。読んでいて、「フフフ」と笑顔になりそうな日記です。
もちろん、終盤の、音の実験のような内容が悪いわけではありません。実験的に音をいろいろさがしていて、それはそれで頼もしい内容です。
ただ、そのような内容でないといけない、というように追い込んではいけないなと思いました。この時のような、「音日記+3つの授業+音日記」の活動が、子どもたちに幅広い音の聴き方を提供していたなら幸いですが、やり方によっては、追いこんでしまうこともあり得るということを感じた次第です。
みなさまなら、この音日記の活動、どのように見られますか?
(執筆:山中文 2017年7月10日)
*『サウンド・エデュケーション』の原著は、以下です。 R. Murray Schafer, A Sound Education:100Exercises in Listening and Sound-Making, Arcana Editions,1992 日本では、『サウンド・エデュケーション』(R.マリー・シェーファー著、鳥越けい子・若尾裕、今田匡彦訳、春秋社、1992年)などが出版されています。本文のミッション3、4、5は、この本の11-15を参考にして行いました。