投稿日: Sep 18, 2016 4:58:1 PM
著者は経営学者。ポランニーの暗黙知の理論を手がかりに、経営のかなめとなるインサイトの現れ方をケース・リサーチにより探る。経営学の方向を知るためにも、質的な研究の展開を知るためにも面白い。
ケース討議において三つの段階を区別できる。
第一のレベルは、セオリーづくりをフォローするレベル。第二は、セオリーに棲み込むレベル。そして第三は、セオリーを相対化して使いこなすレベル。
伝統的なケース・リサーチと著者の提案するものの違いについて。
(1)まず、同じケース・リサーチであっても、両者はケース記述の目的が違う。伝統的なリサーチでは、成功要因や失敗要因を明らかにするといった課題の下、成り立った現実の因果関係の分析に焦点が置かれる。...他方、新しいリサーチでは、事物や出来事、知識などの誕生、変容、消滅という変化を分析する。
(2)記述の焦点は、構造の記述とプロセスの記述として特徴づけできる。伝統的アプローチでは、因果関係を確認できるよう少数の要因あるいは概念に抽象化して事態を整理する。他方、新しいアプローチでは、逆に、それら要因・概念を、原因であれ結果であれ、一つの要因として閉じるのではなく、他の要素との多様な関係や意味をもつものとして解きほぐす。
(3)分析の焦点は、一方は現実に潜む構造の記述、他方は現実が構成されるプロセスの記述にある。
(4)現実を見る眼もそれとともに異なる。現実を実在物と見るか、構成される存在と見るかである。伝統的な方法では、唯一無二の岩盤の上に築かれた客観的な現実が想定される。他方、新しい方法では、現実を、人、事物、知識のネットワークの中で構成され、創発するものと見る。
(5)伝統の方法では、現実とは距離を取り、客観性を確保して、現実を、それでしかないという必然の論理で構成する。他方、新しい方法は逆に、陥りがちな現実についての必然の理解を解きほぐして、偶有の世界へと回復させる。
(6)リサーチの効用は、伝統的なケースでは、汎用性にある。他のケースとの比較参照は用意である。概要や全体像は把握できるが、理解は、しかし、浅いままにとどまる。他方、新しいケース・リサーチの効用は、特定性にある。他のケースとの比較参照は難しい。しかし当事者の視点から見た現実の動態を理解するというプロセスを通じて、当事者の体験を追体験するとともに、自身の問題に照らし合わせて「深い腹に落ちた理解」を得ることができる。
(7)因果関係を徹底すると、悪い結果を作り出した要因が浮き彫りになり、それに関連した犯人探しが起こりやすい。一面的で決定論的な見方に陥りやすくなってしまって、当事者同士の対話も起こりにくい。他方、新しいリサーチは、その点で当事者の誰に与するわけではないという意味で「中立的」で、いろいろな当事者の立場に立つことができるという意味で「相対的」であり、その点で、現実を構成する当事者同士の対話を促す可能性がある。
経営の実例をなしに理屈だけだと、社会構成主義の紹介のようだが、そうではなく、その実例に密着しつつ、当事者がいかにして「インサイト」を見出すかの過程を取り出そうとする試みに即している。どの学問にもよく考えている人はいるものだと思える。
(紹介:無藤 隆,2014年8月31日)