投稿日: Sep 18, 2016 5:10:15 PM
日本の庭園の歴史を縄文時代から現代にまで代表的な庭園の実証的な調査から述べたもの。
我々の多くがなじんているのは鎌倉時代あたりからのようなので、そこからの要約を引用しましょう。
鎌倉時代には、伽藍とその周辺にある自然や人工の優れた景観を「境致」として重んじる思想が禅宗の隆盛とともに定着し、南北朝時代の無窓疎石の作庭に結実する。さらに、中国の宋・元の文化と密接なつながりを持った禅宗寺院の美意識は、室町時代後期における枯山水様式の成立と発展にも大きな役割を果たす。また、戦国時代に町衆の間で始まった草庵風の茶は、安土桃山時代に千利休によって集大成される。その茶室や露地(茶庭)のデザインは、市中にありながら山居の趣を持つことを目指した、きわめて都市的で洗練された美意識に拠っている。一方、醍醐寺三宝院や二条城二之丸庭園に見られるような樹石の豪華さを競うがごとき庭園デザインもまた、乱世を制した安土桃山時代の天下人の美意識を反映したものであった。
さらに、江戸時代になると、池庭を基盤に露地の要素や局所的には枯山水のデザインを総合した回遊式庭園が成立する。大名庭園を含めた回遊式庭園では、社交・接待の場として、和漢の詩文に関する教養や共通認識を前提とした美意識が基調となったのである。
近代の日本庭園は、総体的に見れば、従来の象徴的な手法から脱し、等身大で写実的に好ましい景観を再現しようとする自然主義の方向性を持つものであり、その根幹にあるのは近代の合理主義的感性であった。
このように、日本庭園の構成とデザインは、各時代の社会や文化を背景にした美意識のもと、求められる機能ともあいまって変遷を重ねてきた。その一方、奈良時代以降の各時代の日本庭園のデザインの基調には、表現しようとするものの如何にかかわらず、変化に富み、四季折々に豊かな表情を見せる日本の自然景観があったといってよいだろう。言いかえれば、日本人にとって「理想的」あるいは「好ましい」屋外空間の規範は、現実の美しい自然景観の中にあったのである。その自然景観に倣い、あるいはモチーフとして再構成を試みながら、目指すべき屋外空間を造ってきたのが、日本庭園の歴史だったと言えるのではないだろうか。
京都や奈良やまた全国各地で見たことのある庭園を思い浮かべると、各々が位置付きつつ、共通性を感じられるところがあり、なるほどと思う整理だと思います。
(紹介:無藤 隆,2014年10月6日)