投稿日: Nov 09, 2016 2:7:34 PM
第2回は、エスノグラフィーに関する論文を取り上げる。エスノグラフィーは文化人類学などで使われていた手法であるが、保育や心理の研究領域にもその手法が導入され、現在その手法を使った研究は少なくない。学生時代心理学を学んだ筆者は、観察するときに対象と関わってはいけないと学んでいたが、観察対象の中に積極的に入っていくその手法を当時斬新なものだと感じたことを覚えている。また、そのような手法が保育の領域とは親和性が高く、研究手法として広がっていたといえる。
1.柴山真琴 2009 エスノグラフィーにおける保育実践の記録 保育学研究,47,2,134—138.
★論文を紹介する前に、まず柴山(2009)を紹介したい。これは「保育学研究」第47巻第2号の保育フォーラムに掲載されたものである。この時、保育フォーラムでは「保育の質を高める記録」をテーマに、エピソード記述、エスノグラフィー、「日の記録」、連絡帳、園内研修などの視点から保育実践にいかせる記録のについてまとめられており、これはその内の一つである。記録されたデータから文化的規則性(行動パターン)を明らかにするエスノグラフィーによる参与観察を保育実践に取り入れる意義、「全体的観察」→「焦点的観察」→「選択的観察」という三つの段階の観察や、「フィールドの人々との対話」、「集まりつつあるデータとの対話」、「先行研究・関連研究との対話」、「自分自身との対話」という四つの対話などの方法論について大変コンパクトにまとめられている。これからエスノグラフィーをやってみようと思われる方は最初に一読されることをお勧めする。
2.佐川早季子 2014 幼児の造形表現におけるモチーフの共有過程の検討:身体配置・視線に着目して 保育学研究,52,1,43-55.
(研究の概要)観察場面は幼稚園4歳児クラス4クラスと5歳児クラス5クラス、5月~11月の週2回の合計27日間、自由遊びの時間に参与観察を行っている。観察中に随時メモ(筆記記録)を取り、子どもたちの視線や会話を分析するためにビデオ記録とICレコーダーによる音声記録もとっている。また、保育終了後保育者と話した内容についても補足データとして記録をとっている。筆記記録、ビデオ記録及び音声記録から分析対象となる制作場面のフィールドノーツを事例ごとに作成し、分析の視点として、身体配置(位置取り・向き)、視覚的なかかわり(見る・見せる)、モチーフの共有(有無)を設定している。幼児がモチーフを共有する前の位置取りや視線の交差などについて考察されている。
★佐川(2014)は、保育や心理の研究領域でみられるエスノグラフィーの手法を用いた研究としてはオーソドックスな研究といえる。これらの研究は、記録の中から文化的な規則性(特定の行動パターン)を見いだすものである。その点は前回紹介した、クラスなどの集団を対象とした事例研究はエスノグラフィーの手法を用いた研究と類似性が高いといえる。
3.村本由紀子・遠藤由美 2015 答志島寝屋慣行の維持と変容:社会生態学的視点に基づくエスノグラフィー 社会心理学研究,30,3,213—233.
(研究の概要)伊勢湾内の離島4島のうち最大の面積を有する答志島の答志町には「寝屋慣行」と呼ばれる地域共同体における一種の疑似家族の仕組みが残っており、「寝屋慣行」という文化的慣習の維持・再生産プロセスについて社会生態学的アプローチから検討を行っている。方法としては、様々な世代の寝屋子・寝屋親経験者への面接を行い、答志島というフィールドの生態環境の中での寝屋慣行が果たしてきた役割、時代の流れとともにいかなる変容をしてきたか、現在もなお存続する理由は何かについて考察されている。
★村本・遠藤(2015)は、保育に関する研究とはいえないので、本稿の趣旨とは異なるが、ここではあえて紹介したい。エスノグラフィーには社会学的アプローチ(村本・遠藤,2015では社会生態学的アプローチ)と心理学的アプローチの二つがある。心理学的アプローチとは、個々人の微視的な行為や心理的プロセスに主たる関心を示すもので、先にあげた佐川(2014)などがこれにあたる。保育に関するものでエスノグラフィーの手法を使う研究も、多くはこれにあたると思われる。それに対して、社会学的アプローチでは、観察された行為の意味を取り巻くマクロな社会・文化的文脈にみいだそうとし、そのフィールドの歴史や社会構造、人間関係など諸変数を丹念に探っていくことに主眼が置かれている。
4.佐藤智恵 2011 自己エスノグラフィーによる「保育性」の分析―「語られなかった」保育を枠組みとして― 保育学研究,49,1,40—50.
(研究の概要)研究者本人である保育者(当時保育経験年数12年の中堅保育者)が6年前勤務していた当時1名の男児に対して9か月間実施した個別活動(個別活動案、個別活動の様子のVTR、活動直後の記録メモ)に対して当時を振り返りながら記述した記録物(6年後の回顧的記録)を分析対象としている。また、元同僚保育者(保育経験年数16年)に対するインタビューも行っている。保育者特有のものの捉え方や考え方を「保育性」と定義し、「専門性との葛藤」、「無意識下での気づき」、「自己の保育の意味づけ」という三つの事象から検討している。
★佐藤(2011)は、自己エスノグラフィー(auto-ethnography)の手法を使った研究である。自己エスノグラフィーは「自己の文化の中の自分自身の経験を対象化し、自己について再帰的に振り返り、自己―他者の相互行為を深く理解しようとする」のであり、エスノグラフィーにおける当事者研究ともいえる。研究者が保育というフィールドに参加していくのではなく、保育者自身が研究者として自身を振り返るという研究手法は、保育者と研究者の垣根を取り除くという意味からも、また保育者自身が自己の専門性を向上させるという意味からも今後さらに期待される研究手法と考えられる。