投稿日: Mar 15, 2017 2:32:59 AM
体力のいる遊び歌があります。
あついかな●(あついかな●) ぬるいかな●(ぬるいかな●)
かきまぜて●(かきまぜて●)
ゝお湯の中ではゆらゆらゆらら ゝ窓の外にはお星さま
* 最初の2行は、リーダー先行、かっこの中で子どもたち
* ●は1拍休み ゝはウンと詰まる
立って歌います。歌うといっても、タッカのリズムで唱えるだけです。
「あついかな」「ぬるいかな」の部分では、人差し指でお湯をチョンとさわるまねをします。
「かきまぜて」は、その指でお湯をかきまぜるようにまわします。
「お湯の中ではゆらゆらゆらら」部分では、両手を顔の前で軽くクロスしてゆらゆらさせます。
「窓の外にはお星さま」部分では、両手をキラキラさせながら一回転します。
これだけです。
ただ、何度もくりかえし、そのたびに「あついかな」「ぬるいかな」「かきまぜて」がエスカレートしていきます。声も動作も。
2周目の「あついかな」〜「かきまぜて」は、手首から先で。
3周目の「あついかな」〜「かきまぜて」は、ひじから先で。
4周目の「あついかな」〜「かきまぜて」は、腕全体で。
5周目の「あついかな」〜「かきまぜて」は、頭から半身をつっこむように。
6周目の「あついかな」〜「かきまぜて」は、体全体で飛び込むように。
6周目はもう息がハアハアとなる感じですが、何周目でも「お湯の中ではゆらゆらゆらら」〜「窓の外にはお星さま」部分はつねににっこり笑って、いい気分!というように歌います。
「あついかな」〜「かきまぜて」までだんだん声と動作の勢いが増してくる様子に加え、「お湯の中では・・・」以降とのギャップがおもしろく、いつも笑いの絶えない遊び歌になります。
芥川は、クレッシェンドは、ラジオのボリュームがだんだんにあがっていくような物理的現象ではなくて、精神的緊張感をもって、音勢がしだいに強まっていくことだ、というようなことを言っています(芥川也寸志『音楽の基礎』岩波新書)。
この遊び歌は、まさに、子どもたちが、声や動作の大きさ、動きの勢いからそのようなクレッシェンドを体感していくものになっているかと思います。
小学校の学習指導要領・音楽科では、表現や鑑賞を通して学習させる内容が〔共通事項〕として設定されており、「強弱」はその中に含まれています(「音が大きい」「音が小さい」は、『教育用音楽用語』(文部科学省編、教育芸術社)では「強い」「弱い」という表記です)。学生が「強弱」をもとに模擬授業をつくると、必ずといっていいほど、まず f や p の意味を教えて、曲の中でどこにその記号をつければいいか考えさせる、といった授業にします。もう少し f や p で遊べないか? f や p があると音楽がこんなに面白くなるんだと思えるような授業にならないか?と思うのですが、なかなかイメージが伝わらず、苦労しています。
f や p で遊べるものはけっこうあります。
たとえば、クラスの中である宝物(なんでもいい)を隠し、それを鬼がみつけるというもの。クラスの子どもたちは、鬼が宝物に近づいたら机や床を手で大きくたたき、遠のいたら小さくします。そのような音を手がかりにして鬼が宝物をさがすというものです(これは、千成俊夫・竹内俊一編著『視点をかえた音楽の授業づくり』音楽之友社59-60頁で山田潤次氏が「魔法の音楽」として紹介している授業プラン一部を少しかえたものです)。
だんだん大きくするんだよなどと指示をしなくても、子どもたちは一生懸命音を操作します。鬼も、その音量をよく聴きます。子どもたちも鬼も笑顔です。
また、リーダーの手の動きにあわせて、音量をつけるというものもあります。リーダーが両手を下から上にあげていくと、子どもたちは机や床を大きくたたきます。下にさげていくと小さくします。また、リーダーが両手を一瞬閉じてパッと開いたら、子どもたちは机や床をバンとたたきます(これは、熊木眞美子『創造的に取り組む身体表現』音楽之友社を参考にして少し変えました)。
リーダー役は、自分の手の動きによって魔法のように音が出てくることが面白いようですし、たたいている子どもたちは、音量が大きくなったり小さくなったりする臨場感や、そのなかにバンと入る刺激的な変化を楽しんでいるようです。
いずれも、「 f とは?」「 p とは?」「クレッシェンドとは?」などと言わなくても、また「そこは強く」とか「ここは弱く」とか「だんだん強く」とか言わなくても、自ら音量を操作し、またその操作して生じる音量の変化を楽しむことができます。
先の山田は、運動場で音楽の授業をするというプランも紹介しています。まずクラスを2つに分けます。グループAは、1小節のメロディーとリズムをくりかえし演奏するグループです。もうひとつは、聴衆役のグループBです。グループBは運動場の中にとどまり、グループAは運動場の端っこにいきます。そして、グループAが演奏しながらグループBに近づき、そのまま通りすぎてもう一方の端っこに進みます(上記の『視点をかえた音楽の授業づくり』56-70頁の一部です)。
この授業プランは私も実際にやってみましたが、グループBの位置では、演奏グループがせまってくるにつれて音が大きくなり、離れるにつれて音が小さくなっていくという音の遠近感が本当によくわかります。山田氏の授業プランでは、さらに続けて、演奏グループがこのように空間移動するのではなく、一定の場所で演奏し、聴衆が音量変化を意識するにはどのようにすればいいか、というところまで学習するようになっています。
大きい音、小さい音、だんだん大きくなる、だんだん小さくなる、を知るには、f や p などの表記と形式的に結びつけていく学習の前後に、たくさんの体感が必要です。先に紹介した遊び歌や宝物探しや手の動作で音量をつくるような活動がまずあって、音の遠近感をその場でつくっていくにはどうしたらいいか考えるような学習に進んでいくとどうだろうと考えています。
ところで、音の大きさは、楽譜では f や p であらわされます。 f や p は、いくつつけてもいいようです。より強く演奏してもらいたければ ff も、いやいや ffff だってあります。
チャイコフスキーは、なんと交響曲第6番1楽章で p を6つ、すなわち pppppp を使用しています(『音楽の基礎』芥川也寸志著、岩波新書にも掲載されています)。よほどそおっと、そおおっとした雰囲気を出したかったのでしょうか。演奏者の腕が試される表示です!小学校高学年から中学生にかけては、このような表記についての学習も面白いと思います。f や p をたくさん体感した子どもたちであれば、この pppppp に対しても、そのつけられた意味をよく考えていくのではないでしょうか。
(執筆:山中文 2017年3月2日)