本書の第1章のテーマは、「質的研究とは何か?」である。
質的研究とは、量的研究ではないものであるが、もっと積極的に定義すると、基本的には具体的な状況の中で考えることである。そこで、当事者と呼んでいる人たち、例えば、保育では先生、子ども、保護者であるし、病院では、医者、看護師、患者であるが、その人たちの経験や具体的にやっていることを取り出していくことを考えていくことである。その人たちの経験というのは、その人たちの意味づけにもよるが、病院の患者が手術を受ける際に、当事者がどのような経験をした人たちなのかについては医学的なものとは違う。例えば、その人の不安などは、その人のそれまでの経験や考え方、病気への理解によって変わってくる。当事者が子どもだとすれば、小さい子どもへのインタビューはできないにしても観察するなどして、ある程度取り出すことができる。質的研究ではそのようなものを捉えることが大事だと考えられている。
質的研究自体は昔からある手法ではあるが、いくつかの現代につながる流れがある。一つは文化人類学から来たものである。未開部族と称されていた人々を理解する際に、その人たちのやっていることを西洋文化から決めつけるのではなく、その文化独自のやり方があると捉える。19世紀には進化論的な視点から未開部族の文化水準の遅れが指摘されていたが、20世紀に入ってからは独自の文化が理解されるようになってきた。それらは欧米の人々を理解する枠組では理解できない。他にも、中流階級に対して、下層の人たちやスラムの人たちというところではまた違う面がある。病気の人や障害の人はまた違う捉え方をしているかもしれない。西欧的あるいはいわゆる科学的ないし実証的なまた一般的な記述を否定する必要はない。例えば、3歳の発達的なあり方を想定するとして、個別に発達の違い、幼稚園や保育園での振る舞いの違いなど、具体的な部分をどう捉えていくかを重視している。3歳児という大きな捉え方は発達心理学や神経発達科学の分野で扱うが、障害のあり方が周囲の子どもたちとの関わりによって異なることもあるというような個別の特徴については質的研究で扱うことができる。これらは経営学や看護学でよく扱われる。経営学は各企業によって異なることを扱い、看護学では患者のあり方や病気の種類によって違うということを扱う。看護的にはそこまで扱わなければならないという必要性があるからである。
心理学ではここ3、40年かけて質的研究の手法が広がってきた。一つは質的な記述を通して、科学的な成果を出していこうということ。もう一方では、その当事者に役立つ情報を提供していくということである。障害のある子にはこういう効果的なやり方があるとか、砂場の設計にはこういう良いやり方があるとか、丁寧にやっていかないと調べることはできない。これら2つのやるべきことは支え合う関係にある。やるべき強調点は異なり、どちらを強調するかも異なっている。ただ世の中に役に立つというだけではなく、世の中をより良くしていくということを考える。貧しい状況にあって、よりよくするためには、家庭のやり方、子育ての支援のやり方を大きく変えなければならないかもしれず、そこに力点がある場合、科学的なものよりも当事者に寄り添って、住んでいる場や、病院の看護のやり方を変えていくとか、手術の前後の患者への対応の仕方を変えていくことに特化したやり方もある。折衷的に科学的なものを大切にしながらすることもできる。また、量的と質的を組み合わせるやり方も増えてきた。他にもさまざまな組み合わせが考えられる。修士論文や博士論文の中では量的研究と質的研究を組み合わせたものもある。
テキストの10~11ページに、量的、質的を組み合わせる混合法(ミックスドメソッド)について11種類の結びつけ方をあげている(Bryman, 1992)。
1.チェック
アンケートでこういう研究が出て、事例研究でも同じ結果が出るように複数のやり方で同じ結果が出ることをトライアンギュレーション(三角測量)といい、質的研究の結果をチェックする方法である。
2.サポート 量的研究→質的研究
質的な方法を量的な方法で確認すること。
3.サポート 質的研究→量的研究
量的な方法を質的な方法で確認すること。量的なものがメインとなる。
4.全体像
いろいろ組み合わせて全体像を作っていくこと。
5.構造―過程
量的なものは構造をみて、質的なものはプロセスをみる。プロセスを通して具体的な様子を見ていくので見えやすい。4月に子どもが保育園に入園する際の適応のよさを調べる場合、慣らし保育をしているとか、親が送り迎えの際に保育者が温かく励ましているとか、家庭での子どもへのケアがよい方が適応がよいかもしれない。ある程度量的に調べられるが、質的に調べる場合には、慣らし保育では保育者が抱っこするなど細かいところを見たり、子どもと別れるときの保育の丁寧さや、保護者が迎えに来たときのコミュニケーションの仕方を丁寧に見ていく。
6.研究者の視点―被験者の視点
研究者の視点では、量的な方法により変数の組み合わせによる構造的枠組みを作る。質的研究では当事者の経験を見ようとしている。例えば、子どもの視点に立って、子どもがどのように感じているかなど子どもの経験を見る。普段は元気であっても、母子分離やお昼寝のときのむずかる様子を見ていく。適応がいいと言っても、子どもが頑張っている場合とリラックスしている場合がある。
7.一般性
一般性とは、いかに知見を広げていくかである。質的研究では、事例を詳しく見ていくが、100名の調査などはできない。そのかわり一つひとつの事例を深く分析する。一つの保育園で調査したことは他の保育園でも同じことが言えるのかを考え、他の園についてはアンケート調査など量的研究で広げたりする。
8.変数間の関係の解釈
変数間の関係が出てきたときに質的な研究で考えていく。適応を考えたときに、家庭の温かさ、保育園の受け入れ状況、保育者の対応など変数間の関連を細かく具体的にみていく。
9.ミクロ―マクロ
ミクロは小さい部分、例えば、一つの保育園、個別の子どもなどを指す。それに対して、マクロは大きい部分、日本全体などのことである。その組み合わせにより解明を図る。
10.研究の異なる段階
質的研究から量的研究に持っていったり、また、その反対に、量的なところから質的に移行する。それらが往復することもある。
11.ハイブリッド
擬似実験デザインなど大きな研究をする際に、10園だけ質的に見ていくなど、量的研究と質的研究を組み合わせる。
13ページには、質的研究における研究視角(パースペクティブ)について述べている。パースペクティブとは、研究枠組みのことである。研究アプローチの特徴は以下の3つに分けることができる。
1.主観的観点へのアプローチ
研究対象の感じていること考えていることを取り出すこと。例えば、親、子ども、保育者、に関心を向けるなど。
2.社会状況の形成の記述
その場において、どういうやり取りをする中でそれが作られているかについての分析のこと。例えば、小学校の授業で学級崩壊、すなわち、低学年では立ち歩く、高学年では、先生の悪口(うるせえ、死ね)を言うなどを取り上げてみる。そこでは、真面目な子どももいるが、だいたいは黙っている。社会状況で考えると、そういうちょっとしたことが小学校の授業が成り立つ前提を崩すことに繋がる。子どもが座っているから授業が成り立つのである。現代では教師は殴ったりしないため、授業が成り立つ前提が崩されると困る。大学の授業で、受講生が居眠りをすることはあるかもしれないが、おしゃべりは他の受講生に迷惑をかけるので困る。それぞれがルールに従おうとするから授業が成り立つ。おしゃべりに同調するものが現れるとそのルールは崩壊する。
3.隠れた構造の解釈的分析
隠れた構造についてはあまり扱わないが、精神分析で扱う深層心理を取り出すことである。
対比されるものとして実証主義があげられるが、実験的、統計的、量的なやり方のことである。外に客観的な現実があるとして、研究手法でそれを取り出そうとしている。さまざまな形になるが、もとは一つである面が取り出されると考える。それに対立するものを構築主義と呼んでいる。客観的で確固たる現実があるとは考えられない。研究協力者と作り上げてきたものであり、それぞれが授業と呼んでいる。または、それを社会構成主義と呼んでもよい。この現実を社会的にいろいろな人との間で構成していると考える。場において子ども教師などが一つの現実を作り出していて、研究者も入って新しい現実を作っていると考える。それぞれの人が意味を付与しているから成り立つと考える。授業は子どもにとって学ぶ場と思っているかもしれないが、友達と遊ぶ場、他に行く場所がないから行くところと考えているかもしれない。このようにさまざまな意味づけがある。これらをどういう風に取り出していくかが質的研究の形である。
次に、2章「アイディアからリサーチクエスチョンへ」では、研究というのはどこから始まりどこに向かうのかを扱っている。
アイディアがあり、リサーチクエスチョンが始まる。アイディアとは、何を研究したいと思うかである。本書の著者のフリックはドイツ人であり、ここでは研究が2つ紹介されている。一つは健康であることについての研究をした。公衆衛生に関わるものとは、清潔にする習慣、タバコを吸わない、アルコールを飲まない、運動するなどがあるだろう。そのときの問題は必ずしも多くの人がそれに従わないということである。科学的にタバコの害は分かっているから、やめればいいのにやめない人がいる。中毒によるとする生理学的な説明、例えば、やめたいけどやめられないなどがある。だがその一方で、その人たちにとっての健康の意味は何なのかを考えなければならないのではないか。健康をどう捉えているのかということが重要になってくる。そうすると、その次に研究視角、つまり、どういう立場で研究を進めるのかということが出てくる。どういう履歴で、どういう経験をしてきたのかを取り出す。あるいは、ライフヒストリー・個人史などを通して、重要な概念を取り出すこともできる。
個人が頭の中で描き出す像を表象と呼ぶ。それが社会的に共有されているとして把握されるとき、社会的表象と呼ばれる。例えば、健康とは世の中でどのように理解されているのか、健康である人とは世の中でどのように定義されているのかということを捉える。メタボ概念は、身長、体重、胴回りを測定して算出する。メタボの人が不健康とは言えないが、将来的に成人病になる危険性があるだろう。つまり不健康予備軍であるがそれは社会的に作られた。不健康の概念が世の中に広がったが、個人的に共有はされていないかもしれない。さまざまなメディアなどを通して伝えられていく。しかし、運動しましょうと呼びかけても、やらない人もいる。個人がどうやって行くのかというのが実践であり、その関係を調べていく。現代では、やった方がいいことと、やらない方がいいことが分かっている。健康になる習慣もほぼ分かっている。野菜、運動、適度なお肉を食べる、タバコをやめて、適度な飲酒など。研究で分かっているがその人なりにしないのはなぜか、そこにいかに介入するかが大事である。量的にも質的にも分析できる。
次に、リサーチクエスチョン、つまり、自分の研究では何を目的にしていくのかということである。どういう研究の立場であるかとともに健康概念、先行研究を調べながら、どうすれば新しいことが調べられるか、どう生かせるか、高齢者の健康の確保にどう役立てるかを考える。一日8千歩歩くことが群馬県から全国に広がった。そういう具体的に細かく調べるかをはっきりさせること。どう焦点化させていくかである。なんとなく不健康な人を健康な人にしたいとして、それを具体的にどうすればよいか焦点化するのがリサーチクエスチョンである。
3章「サンプリングと選択とアクセス」では、サンプリングやデータ選択などについて扱う。
誰をあるいは何を取り出して調べるかを、ここではサンプリングと呼んでいる。統計の分野では標本抽出と言っている。母集団を想定して、そこからサンプルを取り出す。健康行動で言うと、日本全国からサンプルを取り出して、特定の村で運動を取り入れるのは事例になってしまう。質的な研究では母集団から選び出すというのとは違う。ここではタイトなサンプリングとルーズなサンプリングがある。どういう人を選び出すかの基準がはっきりしているのはタイトなサンプリングである。それに対して、とりあえず始めながらどういうサンプルが必要か考えていくというのがルーズなサンプリングである。でも、ルーズなサンプリングでは目的に到達できないかもしれない。障害児を調べたいのなら障害児がいる園に行かなければいけないなど、ある基準で選ばなければいけない。ルーズから少しずつタイトに近づいていく。保育者、新任保育者など人、サイト(場所)例えば特定の園を選ぶ基準は必要となる。どういう場面を取り出すのか、自由に遊んでいる場面、集まっている場面、給食、登園、どこでもいいわけではなく、どういうものを見たいかによって選択的な判断が働く。何らかの意図的なサンプリングが必要である。
36~37ページに、7種類のサンプリングを示している。
1.極端
極端な事例や逸脱した事例を意図的に入れること。
2.典型
平均的な事例を探すこと。
3.多様
できるだけさまざまに異なる事例を扱う。
4.強度
興味深い特徴を持つ事例、例えば、自由な遊びが多い・少ない園などを探す。
5.決定的
明確に見えるような事例を探して選び出す。エキスパートの意見を取り出す。例えば、ベテランの人に聞けば、その園のことがわかるなど。
6.微妙
典型事例ではない事例、つまり学級崩壊など問題が起きているケースなどを扱う。境界的な事例を意図的に見ていくのである。
7.利便
とにかく調査に協力してくれるところから見ていく。それだと意図の通りにはならない可能性がある。
上述したように、いずれにしてもさまざまなサンプリングのやり方があり、どれを使用するかは自覚的でなければいけない。自分の研究目的によって異なる。協力してくれるいくつかのところを思い浮かべながら可能な研究を考えるという逆もあるだろう。砂場場面はうまくいっていないから、積み木場面に変えることはあるだろう。また、人、場所、出来事を選ぶということがあるだろう。例えば、子どもがけんかしている場面を取り出すなど。
41ページで扱っている「集団とは」、女性、3歳児、LGBTで結婚している人とか子どもがいる人とかの集団を意味しており、そのような集団からサンプリングしてデータを取り出すということが考えられる。
次に、コーパス(corpus)とは、分析するための資料やデータのセットのことであり、例えば、幼稚園などのおたよりをデータベース化した言語資料も含まれる。サンプリングは一定のインタビューや観察をしていき、どこを分析対象にするか、一段進んだサンプリングが必要となる。それは研究の目的による。いざこざだけを取り出すとか、さまざまな基準がある。さらに詳しく調べるものを取り出さなければいけない。どの事例で説明するかが重要になってくる。もう一つの問題は、サンプリングをする場所について、そこにいる人がサンプリングとして望ましいということがわかったとして、それをどう見つけるかという問題がある。研究依頼をしてどう承諾をもらうか。これをインフォームドコンセントという。幼稚園で観察をする場合には、園長や保護者に同意書をもらうことが必要になる。研究をする前につまずくことがある。調査を依頼して園に断られることもある。では、どうやって依頼するか。どのように信頼関係を作るか。担任や保護者、教育委員会の了解をどう得るか。家庭での観察はもっと難しいであろう。
フリックのもう一つの研究は、10代のホームレスの健康イメージを調べている。どうやって見つけるかということで、ソーシャルワークをやっている人と一緒になって研究の了解を得る。食事を食べるドロップセンターに行って依頼する。いかに接近して許可を得るということが問題になる。
4章「質的研究のデザイン」のデザインとは、研究の計画をたてるということを意味する。何のためにそのデータを集めるかというのはリサーチクエスチョンといい、問いを見い出すことが大事であるとしている。
51ページに研究デザインの双方向モデルの図があるが、「意図」とはどういう意図で研究をしようとしてるのか、どういうことを問題としたいのか、「概念的文脈」とは研究の知見がどこまでわかっているか、「手法」とはデータの取り方、「妥当性」とはその研究がその目指す目的を果たしうるものなのかどうか、をそれぞれ示している。
52ページには、研究デザインの構築を示している。「デザインに影響するもの」として、研究の枠組み、つまりパースペクティブ、リサーチクエスチョン、「資源」としては、できる範囲、研究時間、資金などである。「デザインの構成要素」とは研究計画の中身のことであるが、誰のために、誰にむけて論文を書くのか。修士論文は狭い意味では審査する先生に向けて、広い意味では学会発表であり、保育現場に伝えて保育をよくしてもらいたいという対象がある。一般化、意図された比較、この場合の比較とは、A保育園とB保育園、AクラスとBクラス、先生間の比較などがある。サンプリングとはどう人を選び出すか、場所、場面、質保証、その中身が妥当なものであるかどうか。トライアンギュレーション(三角測量)とは複数の手法によって確かなものにしていくということである。これらのことは次ページ以降に詳しく解説されている。「意図された比較」とは、何かと何かを比較する際に、意図的に優れた園と比較したり、自由に遊ぶ場面と一斉に集まる場面とを比較する場合や、事例を丸ごと扱う場合とある次元を扱う場合がある。次元の例としては、経験者と初任者の経験年数などがある。または、園をどう選ぶかという時に、都会の園と田舎の園というので選ぶ場合がある。このように比較といっても様々に考えられるのである。
54ページには、比較のレベルを示している。次元には、事例などの最小単位から文化などの最大単位まであるが、どちらがよいというわけではなく、比較する際にはどの次元の比較をするのかを意識した方がよい。
次に、「意図された一般化」には、内的一般化と外的一般化がある。内的一般化とは研究した状況内や集団内での結論の一般化を意味し、外的一般化とは状況や集団を超えた一般化を意味する(Maxwell,2005)。ある先生の保育といっても、その人の保育全てを追いかけることはなく、例えば、月曜日の2時間を観察する。その先生の保育全般に通ずるのであれば内的一般化と言える。そうではなく、月曜日はその園として特別なことをしているかもしれない。外的一般化とはそのこと以外にも一般的に言える場合をさす。質的研究では、外的一般化は難しい。量的・数量的に大量にデータを取れば外的一般化になる。「保育園とは」となるとどの園でもあてはまらなければならないのだから、代表的なサンプルをかなりの量集める必要がある。質的研究としては、理論化してあてはまるかどうかを検証していく。
「質の問題」とは、例えば、インタビューするとしてある特定の質問の方法でとる場合、今の内閣についてどう思うかなどの質問は特定の構造化された質問であり、相手や場合によって変えることはない。質的研究では、標準化せずにやる。半構造化面接では、インタビューガイドはあらかじめ決めておくが、具体的な質問はインタビュイーによって変えてよい。あなたは幸せですかと言う質問でさらに、幸せってあなたにとってどのようなものですか、そこはもう少し詳しくなど。ある程度質問は決まっているが質問をその都度変えてよい。質の問題はタイトなデザインとルーズなデザインと結びついている、ルーズなデザインとは、緩やかでやり方をその都度変えていくものである。100%タイトなものもルーズなものもない。
研究を届ける相手が研究者相手なのか、実践者相手なのか、政策決定者相手なのか、によって論文の書き方が変わってくる。保育園の先生方にフィードバックするのであれば、あまり難しい表現は好ましくないだろう。
「焦点を限定する」とは、資源、時間、スキルも限定されているので、そこでできることを考えることである。例えば、3年間、一人でできる研究を考える。できる範囲を考える。ある程度焦点化しないといけない。研究の天才が出たとしても限界はある。できる範囲のささやかなテーマにしなければいけない。さらに、やって意味のあることをするのが一番の焦点化である。子どもにとって遊びは重要であるなどと結論するだけだったら、今さら研究をしてもしかたない。
61ページに「質的研究の基本的デザイン」の図がある。「スナップショット」とは一回きりの調査のことである。その短い時間の中で何が動いているかを調べる。事例研究や比較研究もできる。時間的に追いかけるのは縦断的研究で、繰り返し調査する。遡及的研究とは、調査対象者に振り返ってもらうやり方である。
65ページには「よい質的研究とは何か」について述べられている。みんなが分かっていることではあるが実現するのは難しい。
5章「資源と障害」の資源というのは利用可能な必要な資源、つまり、人的サポート、時間、資金、スキルなど手間がかかるものである。
70ページ、90分間インタビューしたものを文字起こしする際に90分ではできない。普通の速度でしゃべっているのをその場でPCに入力するのはできるだろう。グーグルでも音声化できる。今は、音声データを文字化するソフトも出ている。しかし、背景に雑音があると文字化するのは難しくなる。明瞭な音声はよいが、会話調や訛りがあるものは難しい。女子高生の今どきのおしゃべりはたぶんだめだろう。歯切れがよくて、アナウンサーみたいなものにもワープロミスがある。割と最近よいやり方としては、話し手の話を聞きながら自分がマイクロフォンに声を吹き込むという方法である。それでも、どのくらい細かく文字化するのかというのが問題。「えー」とか「あー」とか、「あのー、えっと」や沈黙などをどの程度入力するのかを予め決めておかなければならない。72ページの文字化の一例の中に「・・・」が示されているが、沈黙をどのように入れるかも決めておく必要がある。「?」マークは、は語尾が上がる場合につけるなど、細かいルールが大事になる。そうすると沈黙を細かく文字化するには、パソコンにデジタルデータを入れると、0.1秒単位で分析できる。一般的には0.5秒単位で刻んでおり、0.5秒間沈黙だとちょっと空いたなという感覚がある。会話で1秒空くと、通常、「どうしたのかな」と感じるものであり、そのため、0.5秒刻みで分析する人が多い。音声データ1時間分を入力するのに1日かかるかもしれない。ビデオ映像の文字化だときりがない。子どもの遊び状況を考えてみると、何人もの子どもが話しているため、全ての子どもにマイクを付けることができないこともあり、呟き声や遠くからの声などは文字化しにくい。特に、小さい子どもの場合は判別しづらい。にこやかに話しているかどうかなど表情の情報も必要であり、文字起こしにはきりがない。それを使ってどういう分析をするかという目的も大事である。文字起こしをしていてうんざりするのはミスがあること。見直すと、違っていて、解釈が変わることもある。目的と経験次第である。そういうことでソフトや機材を使うのだが、それ任せにはできない。労力を掛けて文字化することで見えることも多い。
共同研究で研究資金もある場合、誰かに入力作業をやってもらうことがある。インタビュー・データを入力のプロの人に起こしてもらう場合、会議録などは通常、「えー」などの言い間違いは直してくれる。逆に、研究ではそれをされたら困る場合がある。例えば、「えー」などの言い間違いも大事かもしれない。「それでね」「だからさ」というのが大事になってくる会話分析もある。一般的な入力業者の中にはそういうことに慣れているところは少ないだろう。安い業者に頼むと粗悪品になってしまう危険性があり、間違ってはいないが、要約的になったり省かれたりすることもある。
研究する皆さんたちがぶち当たる障害については76ページに記載されている。アクセスの問題とは、調査する場所、相手、組織のことである。相手に許可をもらうこと。どこかの保育園に許可をもらう際に、通常そう簡単でない。校長、担任、教育委員会、保護者、全てに許可を得る。それは、なかなか大変である。または、単に知り合いのところで許可してもらったとしても、他に、ここでやりたいという場所があって、断られてしまうこともある。こういうタイプのところで調べたいというときには戦略が必要である。私の院生が過去に実施したフィールド調査で難しかったのは、小学校の入学式の日からビデオ観察をするというものであった。もう一つは、中学3年生のクラスにずっと張り付いて、中学生と休み時間にお話ししながら、親しくなって話を聞くという調査である。中学校から見るとその研究が授業の改善に役に立つかということを気にする。中学生の男子と女子のやり取りなどは非常に興味深い。許可を得られずにできない調査計画の中には、養護施設の中での観察などがある。いずれにしても許可が得られる場合もあるが、その先に、インタビュイーの許可を得なければいけない。
開かれたフィールドでの調査としては、フリックの調査でホームレスを対象とした調査がある。いきなり調査に行ってもちゃんとしたことを答えてくれるかどうかは分からない。心を開いてくれなければ正確なデータを得ることはできないので、ボランティア団体と一緒に調査するなどが考えられる。調査の便宜を図ってくれる人、すなわち、ゲートキーパーをどう見つけて説得していくかがまず第一歩である。そして、次にインタビューをする段階になって、その調査が意義あるものと相手に感じられなければいけない。例えば、話すことが当事者自身の置かれた境遇や人生について客観的に整理する際に役立つなどである。余計なお世話だという反発を受けてはいけない。さらに、あなたのお話によってホームレスの改善をしますなど、できない約束をしないということも肝に銘じておかなければならない。
相手が忙しい場合、どのような場所で行うかも大事な問題である。保育士にインタビューする際にどこでするか。保育園には園長室などがないから、他の人に聞かれないよう率直に答えてもらうためにはどうすればよいかを考えなければいけない。このように実際的な困難は面倒なものが多い。こういうことがあり、理想的にはいかないから妥協しなければいけない場合もでてくる。現場で実施可能なものになるよう考慮していかなければいけない。
78ページには、インタビューで面白いことを見たり聞いたりするとき、理論的な批判をしていくことの重要性が述べられている。話し手はサービスして答えてくれる場合がある。特に、マスコミ相手だと面白い話をしてくれたりする。友達の話が本当かどうかわからないし、その人の経験と言っていいのかどうかチェックしないといけない。そういうことも含めて、嘘かどうか、しゃべったことを分析することが大事ということもある。
6章「質的研究の質」では、最初に言ったように、量的研究では、標準化し、コントロールし、決まったやり方で実行する。それに対して、質的研究では、ある程度決めるけれどその場に合わせて変えていくやり方を用いる。準備室のかたわらでインタビューすることもあるが、少しでも質をよくしていくためにはどうするかということを考えてみる。82ページに質のよい研究デザインとは、いくつかの要素について、前もってしっかり考えることや、行き当たりばったりではいけない。柔軟にやるというのもあるが、先行研究にあたることで考えていく。ある程度しっかり考えることが大事であると述べられている。
適切性とは、やり方や研究計画が、対象とするフィールド場所にふさわしいものでなければいけないということである。つまり、それはインタビューする側にふさわしいもの、インタビューされる側にとってもふさわしく不快なものでないことが大事である。
多様性とは、インタビューでも観察でもいいが、著しく異なることが起こっている場合、それをデータに入れるのかどうかを前もってある程度考えておくことである。例えば、ある子どもが調子が悪くて騒いだ時に、それをデータに入れるのか入れないのかを前もってある程度考えておく。そして、その研究計画を立てたうえで実施していく。
そこで必要なことは、厳密性と創造性である。厳密性とは手法、研究デザインのことで、忠実にきちっと正確にすすめていくことである。創造性とはその状況にあわせて変えていくこと。そこには緊張関係が必要である。決めたとおりに機械的にやることはできない。研究課題にふさわしいやり方をしていき、研究課題が変わっていくこともある。幼児のいざこざを調べる際に、いざこざになりそうでならないような場面も大事となると、研究を広げなければいけない。いざこざをなだめるのが上手な子どもがいるためにいざこざにならない。そうすると問題が少し広がっていく。
一貫性と柔軟性については、ある程度一貫させないと比較できない。それに対して、柔軟性は相手や場面に合わせて変えていくことである。その組み合わせが観察では大事になってくる。
基準と方略については、実験的研究では信頼性や妥当性が明確であるが、質的研究ではそうはいかなない。さまざまなやり方で質を高める。例えば、トライアンギュレーション、一般化、帰納などである。仮説に反するような場合、文字起こしした記録を何度も見直すことが必要である。
質的研究の報告というのは、論文を書くことである。そこでは、透明性、つまり、考察し、結論やその根拠が明示されなければいけない。こういうやり取りから考えなければいけない。例外事例や逸脱事例の扱いは、量的研究と違うところである。量的研究では100名調べたら70名がそうであれば、そういう傾向があると言える。質的研究では、10名のうち8名がそうで、残り2名が違うというのではタイプ差について議論しなければいけない。
フィールド、調査場所、相手とコミュニケーションをとることで妥当性を調べる。例えば、あなたが言おうとしたことはこれで大丈夫ですか、こういう分析をしたのだけど大丈夫ですかとチェックしてもらう。メンバーチェックや研究仲間、学会発表によってチェックしたり、さらに、指導教員の意見を通してチェックする。
最後にあるのが、読者であるが、上述したように、報告する相手の読者が、研究者なのか、保育現場、政策作成者なのかによってどのように書くのかを考えることである。
7章「質的研究の倫理」というのは、研究には相手があり、その人の許可を得なければいけないということを述べている。1970年代までくらいは相手の許可を得ずに実験や大幅に騙した実験がなされてきた。92ページにはアメリカのタスキーギ梅毒事件が紹介されている。165ページの用語解説には、住民が説明を受けることなく梅毒に感染させられたと記載されている。さらに住民は自分たちが梅毒にかかったということを伝えられなかったのである。92ページには、ハンフリーズの同性愛者を対象とした隠れ調査が紹介されている。ハンフリーズは、公衆便所で同性愛者の出会いの場を観察し、隠れて家を見つけて、許可を得ずに家を訪問した。その種のひどい事例がある。もちろん一番ひどいのはナチスの強制収容所での研究である。1970年代以降は許可が必要となってきて、現代では研究倫理委員会を通すことが必要となっている。
インフォームド・コンセントは、日本語では説明と同意と訳すことができる。子どもの場合は、担任、校長・園長、保護者などに許可を取らなければいけない。倫理的な基本原則としては次のようなことがあげられる。騙すことは避けなければいけない、発表するにしても匿名化する、いい加減な解釈で発表してはいけない、その人の意見、意思を尊重する。参加者にとって有益なもの、辛い立場にしないこと。正義というのは世の中に役立つものでなければいけない。研究論文として寄与するもの、有益なものでなければいけない。
94ページにあるように、意義のある研究でなければいけない。研究デザインの段階で意味のある結果、十分な準備、説明がなければいけない。保育を見るくらいは問題ないかもしれないが、例えば障害がある子どもが園に適応するかどうかの研究だとして、難しい点がある。公開されたくない人たちが多いであろう例えば同性愛者、病気の人たちを対象とする場合、難しい問題がある。リサーチクエスチョンは意味のあるもの、世の中にどう役立ち得るか。先行研究で調べられ過ぎていないか、プライバシーに触れすぎないかを熟慮する。保育者が結婚しているのかどうかを尋ねる場合、保育者の子育て経験が保育にどう影響するかを検討する場合には必要な質問かもしれないが、そうでないならば、余計な情報はプライバシーの侵害となる。
96ページには騙すということについて、全般的にはいけないことだが、調査する前に事細かく説明することが研究としてよいのかどうか。例えば、初任とベテランをあるところで十分でないので、そこを比較するということを事前に説明すると、初任者はベテランに比べてできていないという答えを言っているようなものである。研究の中身を100%全部説明しなくても騙されたとはならない。
アクセスとサンプリングでは、まず、インフォームド・コンセントを扱う。難しいのは署名ができない人、子ども、認知症の患者、などに代わって代弁する人、子どもの場合は保護者に許可を得ることになる。承諾はするがサインは嫌だという場合がある。正体を知られたくないなどが理由である。その場合、参加によって不利益を与えないようにする。
誰にインタビューするか、誰を選ぶか、その選択の基準が明確ならいいが、選ばれない場合、それをひがむ人もいる。調査に入ることはそこにいる人たちに影響を与えることである。当然ながら調査するということは害を与えないまでも邪魔ではある。ビデオをとると苛立つ人もいる。その辺を説明し理解を得られなければいけない。
インタビューでどこまで聞いてやめるかという問題がある。相手が嫌がる場合がある。同じ質問を繰り返してしまっている場合がある。そういうことを判断しなければいけない。インタビューをどのくらい待つかも難しいものである。インタビューが下手だと待つ時間が早すぎることがある。相手が「えーと」と考えているときに切り替えて次の質問にしてしまうことがあるが、本当は待たなければいけない。しかし、待ちすぎると相手に無理矢理答えさせてしまうこともある。
データ分析ではデータを何度も見なければいけない。人の価値を低める解釈はしない。「子どもを追い詰めて」など言い方を他の表現に言い換えていく。また、対立について中立であること。例えば、園長の愚痴を聞いた際に相手に味方をしたりしない。常にデータから言えることを考える。逸脱・否定ケースを丁寧に見ていく。匿名化については、データをそのままにしておいて外に出てしまわないように配慮する。最初から匿名化しておくなどの配慮が必要である。
データの保管については、最近では、研究終了後も一定期間データを保管するように国の方針が変わった。逆にそれを超えたら処分しなければいけない。音声記録も消さなければいかない。昔はデータを平気で取っておいたが、現在では数値化するものは取っておいてよいが、音声記録など元データなどは破棄する。
8章「言語データ」では、インタビュー、エスノグラフィー、ビジュアルデータ(写真・動画)、質的データの分析、カテゴリー化、会話分析、質的研究の質の管理について扱っている。8章、9章、10章は本シリーズの今後の巻の要点の要点である。
言語データとは、相手から言語的なデータを直接取って分析をすることである。要するに、インタビューでは相手が話したとき、ビデオに撮って分析するとは身振り手振りなども分析することである。フォーカスグループとは5、6人から7、8人が多いが、例えば、保育園の保護者を対象に保育園に預けて良かったこと悪かったことなどを考えてもらう。そこに問題はあるが、その上でどうするのかを考える。
104ページに今の整理が出ている。3番目に文書、映像記録、その組み合わせ、そのコード化である。そのうえでインタビューであるが、インタビュー・ガイド、主要な質問、方針をまとめたものがインタビュー・ガイド、インタビュアー1名、インタビュイー1名、録音2名のこともある。グループインタビューでは1名対3、4名、質問にQ&Aでなく語ってもらう、これをナラティブインタビューという。「初任の頃から20年どういうことをやっていたか話していただけますか。」「A保育園からB保育園に移ったのはなぜですか。」などストーリーを語ってもらう。エピソードを呈示し、「こういう場合はどのように保育していますか。」と質問するなどである。基本的にインタビュー・ガイドで、ある程度決めておくが、柔軟に決めたりする。質問に対して考え直している。20年の経験年数について振り返ってもらえば、そこでその人は単に思い出す以上に意味生成を行い、そこで個人の意味が作られていく。何をどのように語るのかが研究になる。ただ、そういうことができる人は全員ではない。20分で終わる人と、2時間語る人もいる。または豊かな経験が言葉にならない人もいる。そのような人はインタビューでは困ってしまう。語れる人を基準にせざるを得ないというのは長所であり、限界である。内的一般化とともに、外的一般化まで検討すると、一人のインタビューでは限界があり、違うタイプの保育者に尋ねる。例えば、大きな保育所と小さい保育所、できたばかりの保育所などがある。
109ページのところに大勢に聞くのと少数に聞いて比較することが示されている。どちらかに行ってもいいし、バランスをとってもいい。一人でもいいし、100名でもいいかもしれないが、質的に分析するのは膨大過ぎるだろう。問題設定によってできる。そこで大事なことは、検討を進める際に研究者が感じたこと考えたことをその都度、ノートに書きながら考慮して見ていく。
フォーカスグループについてはここでは解説を省略する。
次に、9章「エスノグラフィ・データとビジュアル・データ」について。
ここで起こったことを全て記録する。インタビューや観察などは、許可を得ないといけない。それをどうしていくか。そこでどういうデータを取るのか、その場にいて、考えたり、感じたりすること、エスノグラファーは道具である。感じたり考えたことを記録することが大事であり、記録するもののことをフィールドノーツという。
128ページにエスノグラフィーの難しさが述べられているが、ゴーイング・ネイティブ、つまり、そこに慣れすぎると対象化しづらい。知りすぎて、何が特徴がわからなくなってしまう。生活者なら語れるというわけではない。研究者がそこに入り込むことで、ゴーイング・ネイティブに近づき、同時に外からの目を持ちながらも内なる目で見ていくことが大切である。
生活に入って行くと、正規のインタビューはいいとして、給湯室でのおしゃべりをそのまま書いていいのか難しい。また、コード化、分類することが多い。AからZまでにわけることをコード化といい、カテゴリー化というのは大くくりにして分類すること、それによって分類がしやすくなる。そこには妥当性の問題がある。データとカテゴリー、コードの関連化を示さなければいけない。最近ではコンピュータを使ったものも出てきた。
10章「質的データを分析する」では、会話、ディスコース、ドキュメントの分析を扱っている。最初から文書がある園だよりなどは、独自のやり方があるが、ポイントは基本的に同じである。
11章「質的研究をデザインする」では、質的手法におけるデザインの問題を扱っている。
150ページには、図の中に質的研究におけるさまざまな手法が事例研究、比較研究、縦断的研究、遡及的研究の視点から位置づけられている。151ページには、質的研究の一連の手法であるインタビュー、フォーカスグループ、エスノグラフィー、ビジュアル手法、データのコード化とカテゴリー化、会話分析とディスコース分析、それぞれについて、簡単な特徴を示している。153ページには、研究計画書の構成が示されているが、研究計画書にできるだけ研究デザインと手法を載せるとしたら、それがそのまま論文となる。
(執筆:無藤隆,2018年4月9日・16日)
(まとめ:白川佳子・和田美香)