投稿日: Nov 25, 2016 7:1:7 AM
本著は、主に戦後の保育所づくり運動についてまとめたものである。序章では、女性の自立を求め、婦人問題に出会い、専業主婦になることに抵抗し、保育所づくりに参画していった筆者自身の歴史も生々しく語られている。1950~70年頃の保育所や無認可保育所を取り巻く様子、保護者、保育者の思いなどが詳細に記述され、当時を知る貴重な資料となっている。戦後被雇用者として働き始めた女性たちが、出産後も働き続けたいと願いを強めたのに対し、保育所整備がそれに追い付けない状況から、子育てや保育をめぐるさまざまな困難が生じていたことがうかがえる。
…当時、東京の公立保育所は約100ヵ所と少なく、保育条件は劣悪だった。保育料・保育者数も国基準並みで、1~2歳児は6対1、3歳以上は30対1の保育者数、3歳未満児は完全給食・以上児は弁当持参で補食が出された。調理は住み込みの用務員。60人(3歳未満12、以上48人)定員で、職員は園長他4人・用務員1人であった。保育時間は八時~一六時、職場の関係で一部一八時まで(お残りさん)であったが、人手不足のため保育者は過労となり、次々退職していくほどで、お迎えの時間厳守など親に対する要求・規制が強く、自営業かパート勤務でないと預けられない状況であった。(序章p26より一部抜粋)
当時の国基準と照らし合わせると、保育政策の60年の歩みは、一定の進歩を遂げているようにも見える。
「働く母親は増える一方です。しかし子どもを入れる保育所は絶対数がたりません。母親の要求は日増しに強まってきます。保育内容、長時間保育等々、そうした中で母親と保母の対立がみられるようになってきました。…保母の労働条件の悪さは母親にはねかえり…母親の労働条件の悪化は保母の労働強化になってゆきます。…」(第4章p166より一部抜粋)
1960年代のこの記録を、現在の訴えと見間違うものも少なくないだろう。現在、共働き世帯の増加や女性活躍推進法の制定など、仕事と子育てを取り巻く社会情勢は大きく変容し、それに伴って待機児童問題が看過できない社会問題として注目されるようになった。当時の記録が現在に重なって見えるのは、幼児期の教育・保育の一般化や保護者の就労状況の変化により保育の需要・供給が急激に拡大する中で、保護者の保育ニーズ、保育の内実、労働環境等において、よく似た状況や相互関係が生じやすいことを意味している。このように本著を読み進めると、現代の保育政策はある側面では発展し、進展したととらえることができるが、同時に取り組むべき保育課題も浮かび上がってくる。
本書はこれからの保育政策を考えるにあたっても参考となる良書である。巻末資料には、100頁にわたって保育者や保護者たちの声が掲載されており、こちらもかなりの読み応えがある。
(紹介:中谷奈津子,2016年11月17日)
目次
序章 私と保育運動
第1章 戦前における保育所と運動
第2章 戦後児童問題と保育要求
第3章 「ポストの数ほど保育所を」の国民的大運動
第4章 革新自治体と保育運動
資料
年表