投稿日: Sep 19, 2016 12:55:19 AM
丸山真男の座談その他を集めたもの。正編が4冊ほど、続編が3冊ほどある。順番に読んでいる最中なので、その一つを挙げておく。
「生きてきた道 1969年10月」では大学生の頃を振り返り、その学問的また政治的状況の思い出を語る。といっても、それがしばしば学問論となり、諸学者への批評となるあたりが面白い。かなりは丸山の自伝とも重なるが。
例えば、土着的なものに懐疑的である、民衆へもある意味で懐疑的でもあると述べた後で。
僕は日本は地理的環境、いわば、温室みたいにして、離れ小島でズーッと来て、異民族との接触ないし異文化との接触を大前提にしなかったにしては、驚くべき豊饒な文明を育てたと思いますね。
ところが今や、その条件というのは、決定的に崩れているということです。コミュニケーションと相関的だから、今後は全然違った環境になる。今度は世界の荒波に出てゆく。その時初めて日本の玲瓏の伝統は問われるんで、今までのような条件は存続しない。全然環境が変わっているから、今までの伝統でやっていこうと思っても、とてもダメだと。それは明治維新の時にそうだったんだけれど、一種の長い間の習性があるから、つまり自己保護のメカニズムが働いちゃって、すぐこうヒヤッという風になっちゃう。けれども、それは続かない、と。一度八方破れになって世界の荒波に乗りだして行かないと、どうにもならないんじゃないか。あの、伝統の中から発掘しろとか何とかという発想は、もうかなわんという感じがするんです。日本対外国、という、実に独特じゃないですか。どんな国でも自分の国と外国は、とは言いませんよ。例えば、イギリスとアメリカは、イギリスとフランスは、中国とフランスは、とかは言うけれど、日本と外国は、という言い方ね。・・・そういうこと自身が特殊。
正確に言わんとするところは分かるようで分からないのだけれど、例えば、福沢を研究してきた意味を考えるヒントになりそうでもある。
丸山真男の断簡までありがたく読むという姿勢がよいことかどうか分からないが、丸山はその著作と別に座談の名手とも言われていて、面白いのではある。
(紹介:無藤 隆,2014年10月19日)