投稿日: Sep 26, 2017 11:58:23 AM
今年の5月に第3回保育Labシンポジウムで登壇する機会がありました。タイトルは、「保育者の養成課程において“表現系”教科目で何を教授するのか」でした。
シンポジウムにおいて、私は、保育教諭養成課程研究会による「領域に関する専門的事項」のモデルカリキュラム1で示された教科目「幼児と表現」の、次の目標に着目しました。
「身体・造形・音楽表現などの様々な表現の基礎的な知識や技能を通し、幼児の表現を支えるための感性を豊かにする」(下線は引用者)
そして、この目標の中の「表現の基礎的な知識」を —ここでは音楽表現に関する「基礎的な知識」にしぼって— どうとらえるか再確認することの必要性について述べました。
「幼児と表現」は、いうまでもなく、保育者養成課程における“表現系”教科目の例として示されたものですし、着目した「表現の基礎的な知識」という部分は、「幼児と表現」における「(2)様々な表現における基礎的な内容」で一般目標として書かれているものです。ですから、これを再確認することが、シンポジウムで問題提起されている、「“表現系”の教科目で何を教授するか」の答えのひとつになるのではないか、というつもりでお話をしました。
「表現の基礎的な知識」とは誤解を受けやすい文言でもあります。幼児と表現について、私たちが養成課程で教科目を教えるにあたっては、そして保育現場で実際に子どもたちを前にするにあたっては、何よりも対象となる子どもたちがどのように表現を創造しているか、ということから見ていくべきだと思います。そこで、このコーナーを担当するという立場からも、この観点でもう一度この文言に触れてみたいと思います。
「表現の基礎的な知識や技能」ときけば、音楽記号などを記号の説明として理解したり、ピアノ伴奏等に習熟したりすることを想像する方が多いようです。ひいては、「四分の四拍子とは一小節に四分音符が四つ入る拍子のこと」といった説明をペーパーテスト用暗記もののように学習したり、ピアノの演奏技術を追求したりすることばかりに目がいっているように思います。
でも、そもそも「四分の四拍子とは一小節に四分音符が四つ入る拍子のこと」(これは、実際に小学校の音楽教科書に書かれていた文言です)という文言は、そもそも「拍子」を理解していてはじめて腑に落ちる文言です。先の文言は、ちょうど、「雪」が何かを知らない人に「細雪」や「ボタン雪」などについて説明しているようなものです。「細雪」や「ボタン雪」という名称や意味が理解できて味わいを感じることができるのは、雪そのものについて、その状態、季節、生活とのかかわりを経験したり、科学的な知識を持ったり、イメージしたりすることができているからではないでしょうか2。「雪」を知らずに「細雪とは細かい雪のこと」と覚えることに、なんの意味があるでしょう。同じように、拍子の音楽における面白さを知らずに四分の四拍子の説明だけを暗記しても、面白くないし、音楽的でもないのです。
教育現場においては、音楽は「知識」を教えるものではない、音楽は楽しさや感動を教えるのだ、という意見が多くあります。このような音楽教育の成果でしょうか。学生が学習指導案を作成すると、季節の歌を味わう、楽しく歌う、気持ちをこめて表現する、というような文言を並べます。模擬授業では、「楽しく歌いましょう」などということばを多く投げかけます。
でも、ほとんどが何度も同じように歌わせては「上手に歌えたね」でおわってしまいます。また、どうしても、「表現の基礎的な知識」が必要な場面が出てくると、にわかに「音楽記号どおりに」とか「リズムに合わせて」という呼びかけになったり、音楽記号の一方的な説明になったりします。
これは、「表現の基礎的な知識」を「四分の四拍子とは一小節に四分音符が四つ入る拍子のこと」といったように記号の説明としてだけ理解しているからではないでしょうか。そのために、「表現の基礎的な知識」は字義的内容にとどまり、歌の何が楽しいのかを分析したり、子どもたちは何を楽しんでいるのかを見たり、そこから活動を展開したりしていくための知識になっていないのではないでしょうか。
倉敷のシンポジウムでは、私は、算数の「小数」の話を例にすることからはじめました。「小数」は、たとえば「数や量で、単位1に満たないはしたの部分を、位取り記数法に従って表すようにしたもの」3というような説明がされています。しかし、この説明そのものを子どもに教えるわけではありません。算数教育の世界では、もう30年以上も前に、「小数とは何か」の指導プログラムができています。はしたの大きさを表す「小数」を子どもたちが必要と感じるまでにはいくつかの過程があります。どんな時に測ることが必要になるのか、小さなはしたの数を測る場合どうしたらいいのか、はしたの数は単に小単位をつくっただけでいいのか等々です。この指導プログラムは、この観点から、ドン・ガバチョ村という村でのお話をもとに子どもたちがいくつかの過程を経て小数をとらえていくようにつくられています4。
この例は小学校の例ですが、「小数」を字義的説明だけではなく「小数とは何か」から考えていくように数概念をとらえると、幼児期においては、その素地として、どっちがどれだけとんだ?どっちがながい?どうやったらわかる?というようなことを実物に触れて遊びながら、オープンエンドにたくさん考えたり、共有したりしていく経験が必要ではないかということが想像できてきます。また、実際に子どもたちがそのようなことを遊んでいる場面が見えてくるのではないでしょうか。
拍子に話をもどしましょう。拍子は、なかなか面白い時間のグルーピングです。「小数とは何か」のように、「拍子とは何か」について考えてみましょう。
日常的によく耳にする音楽には、一定の規則正しい時間間隔である拍があります。私たちには、一定の規則正しい音がずっと聞こえた場合、それらをグルーピングする習性があるようです。時計の音はずっと同じように「チッチッチッチッ」と鳴っているはずですが、よく「チクタク チクタク」というように、二つのグルーピングして表します。汽車の音を「ガッタンゴットン ガッタンゴットン」と表現するのも同じです。右足出す—左足出す、押す—引く、上げる—下げる、開く—閉める等々、私たちの行動には二つにまとまることが多いので、二つのグルーピングというのはまとめやすいのかもしれません。
二つの拍にまとまるようにリズムをグルーピングしているのが二拍子です。ところが二拍子だけでは、日常的すぎますよね。あわせて三拍子があるところが、拍子の面白いところです。三拍でグルーピングすることで、音楽の表情が変わります。
たとえば、「あわてんぼうのうた」(まどみちお作詞、ドイツ民謡)という歌があります。これは、以下のように二拍子です。
“あわてん ぼうの ”“おつ かい”“よう じも”“きか ず ”
(下線一つを一拍として拍手しながら読んでみてください)
これをもし三拍子に変えるとこんな感じです。
“あわ てん ぼの”“お つ かい”“よ う じも”“き か ず ”
(同じく、下線一つを一拍として拍手しながら読んでみてください)
「あわてんぼ」なのに、すっかりあわてず、のんびりした歌になります。まるで、顔の絵を描くときに、目や鼻や口といったパーツは同じでも、顔の輪郭を三角にするか四角にするかでずいぶん変わるように、イメージが変わります。
このように、音楽における「拍子」の面白さをあじわったり、自分で操作したりしていくためには、「四分の四拍子とは一小節に四分音符が四つ入る拍子のこと」といった用語を覚える前に、二拍子と三拍子の違いをたくさん楽しむことが必要なのです。
さらに、拍子は拍のグルーピングといいましたが、そもそもすべての音楽に規則正しい「拍」は存在するでしょうか。答えは否です。現代音楽にも拍の感じ取れない音楽は存在しますが、ずいぶん昔から、世界のところどころに「拍」のない音楽は存在するようです。日本の追分様式もその一つです。拍があることによって、私たちは息をそろえて演奏することができますが、一人で演奏する分には必要ありません。追分様式でうたわれていた唄は、馬子が客を馬に乗せて引きながら自由にうたっていた唄なので、特に「拍」を必要としなかったのでしょう。
そのように考えると、そもそもどんな時に拍は必要だったのかとか、身の回りの音にも拍が感じられる音・感じられる音があるのか、といった、拍の存在そのものにも目がいきます。また、たとえば子どもが体を規則的に何度も揺らして楽しそうにしている様子から、拍に同調して身体をコントロールできていることを読み取っていくことにつながるでしょうし、その時にはどういうかかわりがいいのか等にも視野が広がるかと思います。
さらに、日本も含め民族や地域によっては拍子感が違うこと、二拍子と三拍子があることによって四拍子だけでなく五拍子等の混合拍子や八分の六拍子などの複合拍子ができていること、頻繁に拍子を変えたり、拍子感を狂わせるヘミオラのようなリズムができたり、複数声部が異なる拍子でできたポリリズムが誕生したりといった拍子に関する様々なアレンジも存在していること、等々を考えると、音楽における拍子の楽しみ方には様々な可能性があることがわかります。
このような観点から、私は、養成課程では「表現の基礎的な知識」を、字義的な知識ではなく、概念的にとらえていくことが必要だと述べました。
保育の現場では、子どもたちの様々なつぶやきや気づきに驚かされることが多々あります。でも、比較的音楽的なそれは見落とされているのではないでしょうか。たとえば雨降り時に雨にあたったり、雨を容器でうけたりして遊ぶ子どもたちを前にして、子どもたちがその感触を楽しんだり、子どもたち同士が関わっているような時、子どもたちは、身体的感覚や子どもたち同士のかかわりを楽しむとともに雨の音色やリズム、強弱を遊んでいる場合も少なくありません。それは、このコーナーのもう一人の担当である、吉永さんが書かれているとおりです。「表現の基礎的な知識」とは、保育者が歌ったり演奏したりするときのみに必要なものではなく、このような子どもたちの遊びを音楽表現の原初的な姿として見ていく視点を持つためにも必要なのです。
三国は、音楽教育は長らく「情操教育」ととらえられてきたが、仮に、「情操」やコミュニケーションとしての音楽がもたらす「一体感」あるいは「共感」を「非認知能力」と呼ぶとしても、それは様式および様式を形成する音楽構成要素に関する「認知能力」に支えられたものである、と述べています5。
このような三国の観点からも、「表現の基礎的な知識」に該当する音楽構成要素は、概念的にとらえていくものであり、また子どもの音楽表現の原初的な姿に共感しながらそれらの認知の様子を読み取っていくためのものであってほしいと考えて、コーナーを担当したいと考えています。
(執筆:山中 文 2017年9月21日)
1 保育教諭養成課程研究会が文部科学省の幼稚園教諭の養成の在り方に関する調査研究の委託を受け、「平成28年度幼稚園教諭の養成課程のモデルカリキュラムの開発に向けた調査研究 −幼稚園教諭の資質能力の視点から養成課程の質保証を考える−」としてまとめた報告書によるものです。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/youchien/1385790.htm
2 八木正一、出口誉子、三国和子、山中文、音楽科の授業における指導過程構成に関する一視点(その1):「拍子」の指導を中心として、日本教科教育学会誌8(3・4)、143-149、1983より。この中で三国が述べています。
3 算数用語集 https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/03/page3_24.html
4 須田勝彦、「小数とは何か」による授業、教授学の探究3、73-119、1985より
5 三国和子他、社会保育学の試み(2)−音楽のとらえ方を事例として−、日本保育学会第70回大会発表要旨集、2017より