第6回の講義では、第10章"Theoretical insights from neuroscience in early childhood research / Mike Anderson & Corinne Reid"を参考にしながら、神経科学の研究成果が幼児期研究にどのように応用されているのかについて論じる。第10章の標題を訳すと、「幼児期研究における神経科学からの理論的洞察」となる。
著者は発達障害の問題を扱う心理学の研究者であろう。神経科学と呼んでいるのはニューロサイエンス(neuro-science)である。なお、神経心理学はニューロサイコロジー(neuro-psychology)、神経生物学はニューロバイオロジー(neuro-biology)である。「脳科学」つまりブレインサイエンス(brain science)という言い方は専門家が使う用語ではない。ここでは、神経科学が明らかにしつつある乳幼児期の発達を考える。本章では、基本的なことを扱っている。詳しくは日本語の本も出ているが、きちんとした学術的な本を読むとよい。というのは、一般向けに書かれた本の中にはかなりの間違えや誇張が入っているからである。ただ、神経科学の分野は進歩が早く話が細かいので、応用面について明確にこうすべきだとは言えないことが多い。
さて、本章で言いたいことの一つは、発達障害を捉える枠組みを変えることである。発達障害の多く、つまりADHDや自閉的な障害が典型であるが、それ以外には学習障害や知的障害など、そういうものの共通性に注目していこうというのがその基本的な考えである。その共通性に注目するということは、認知の発達とそれを支える神経発達との関連を考えながら、その歪みが発達障害に影響するという考えに則っている。その支援に対する介入、軽減、予防的に働きかけること、その働きかけのポイントというのが発達的に分かってくるのではないかというのがこれらの研究の目的である。神経科学、神経発達心理学の分野からの研究結果はこの点に関して有力な知見となるであろう。
では、本論に入るが、本論で幼児教育の世界というのは、幼稚園、保育園だけでなく発達障害への対応としての療育、早期教育など、広い意味で使われているが、そのような幼児教育の世界において神経科学とはどのような意味があるのかを考えていく。
神経神話(neuro-myth)というのは一つの言葉として定着しているが、その代表は、脳の中のあるところが働きかけにより発達して賢くなるとか、小さい2,3歳の時期にゲームや教材をすると脳が良くなる、などがある。本屋さんに行くと、色々な教育的な手立てで脳がよくなるという類いのものがある。その中の一つは、漠然と脳がよくなるというもので、その中身は子どもの知的な成長にプラスであろうというのを、脳によいと言い換えているもの。簡単な見分け方があり、「脳によい」というのを「頭によい」と言い換えても、議論が同じなら、脳科学的、神経科学的によいという根拠がないだろう。実際、知的働きの100%全てが脳の働きによるものであるとは言えないが、脳の働きに大きくよっていることは誰も否定しない。何らかの脳の働きによるものであろう。びっくりする話ではない。虐待を経験することによって例えば、海馬が萎縮するというデータが出ているが、脳に何らかにの違いが見つかること自体は驚くに値しない。脳は、行動、感情、言葉を司っているので、何らかの関係が見られるのは当然であるが、どこの部位が影響されているのかが見いだされるなら、進歩と言える。明確に見つからないものの代表としては、自閉症がある。自閉症の場合に、脳の中のどの部位、あるいはどの遺伝子に原因があるのかまだ明らかとはまでは言えない。ADHDなどはある程度どの部位(実行機能のあたり)に原因があるのかが分かっている。自動車の運転に例えると、一定の道路で一定のスキルの運転手が運転した場合に、自動車の動きに不具合があるなら、自動車のどこかの部分に原因があるなどと推定できそうだ。だから、例えば、脳の前頭前野が1ミリあるいはもっと小さな単位で動いて変化していることを研究で追跡できるとよいが、そこにはそれぞれの測定機器の限界がある。脳の活動のすべてがそのままが測定できるわけではない。脳の測定機器に依存しているのである。脳は構造と機能が複雑であるので、どこを見るかが大変である。ニュースなどで脳の異変が見つかったなどの報道があるが、実はなかなか見つからないことの方が多い。ただしかし、機器の進歩により、今見つからないものでも例えば5年後くらいには見つかるだろう。脳の中のどこの部位にあるか、海馬のあたりか、視床下部のあたりなのか、あるいは、特定の部位ではなくそれぞれの部位の連絡がうまくいっていないことを見つけていくか、そこまでいくと研究として意味のあることになる。
脳で起きている処理のメカニズムがはっきりしてくると、同時に治療可能性につながるかもしれない。脳神経科学の研究の応用的中心は発達障害、その他の障害が中心である。脳の部位やホルモンの異常が一つのかなりおおきな原因であることがある程度分かっている。もしかすると、大人で調べても分からなくて、胎児期や生後4ヶ月の時期に何かが起こるなど発生的に追求していくと分かるかもしれない。ただし、神経科学の発見は簡単に応用できるわけではない。
神経神話の根拠で一番多く言われているのは、人生の最初の3年間が大事で、神経細胞が急激に増える、その時期に学習すればいい、学習しないと大事な時期を逃してしまう、というものである。よく早期教育で持ち出される。問題は2つあって、一つは神経細胞が増えることは事実だが、学習するということが直結しているわけではない。神経細胞が増えることが学習に最適とも言えない。第二に、早期学習として、学校学習については、教師があることを子どもに教える、学習機器を用いて子どもにやらせることも多いが、形式的な学習がその時期の子どもにふさわしいかというのも別の話である。ふさわしいかどうかは調べてみないとわからない。
今のところ(2010年くらいまで)、通常の環境に育っている子ども、特に乳幼児期前半に、組織的・形式的な教育が有効だという証拠はない。特に、神経科学レベルでの変化に対応した根拠はない。そのため、そういうことを言っているのは、ここでいう神経神話ということになる。効果があるという十分客観的な証拠を早期教育を主張する側が出すべきであろう。批判側は効果が見られないという証拠を示すことが望まれる。そういう神経神話の代表としてここで引用されているのはDore programである。グーグルで検索すると、英語圏を中心に広がっており塾のように定期的に通うシステムのようである。プログラムの内容は、身体運動や身体のバランスを鍛えることによって、言語発達の問題を改善したり、自閉症を治すプログラムである。なぜ、脳と関係しているかというと、身体を動かしリズム運動をすることによって、小脳(cerebellum)の働きを良くするという理屈である。確かに、小脳は、言語発達、特に音声、リズムと関係している。そのため、小脳が言語発達の障害や運動発達の障害にも関係していると仮定している。身体運動によって小脳を刺激するバランス運動がよいとされており、Doreという人が始めたプログラムである。ちなみに、感覚運動的な治療は日本でも実践されている。障害児を抱えた人はすでに実践しているが、発達障害や知的障害への感覚運動のプログラムとDore programとの違いは、Dore programの場合は、それをすると極めて多くの発達障害が治ると主張している点である。検証する研究がいくつかあり、例えば、Dore programを使って読字障害(dyslexia)を再検討した論文があり、効果があるとは言えないことが実証された。そこでは、効果があるとしている研究には方法論的に致命的な欠陥があり、コントロール群と介入群との統計的な差異が有意でない、その他、効果がないことが明らかとなっている。
世界中のエビデンスを集めているサイトがある。自閉症のエビデンスに関わるサイトでも、Dore programは効果がないと評価されている。Dore programを信奉している人たちは効果があるとしているが、研究の中でコントロール群を用意していなかったりして、効果があることは実証できていない。特に、自閉症のさまざまなアプローチについては、研究上の証拠はないとしている。さらに、読字障害の研究も効果があるとは言えないとしている。ちなみに、このプログラムは子ども一人あたり3千ドルから5千ドルほど費用がかかる。日本円に換算して50万円ほどかかるものである。1日に2セッションで20分ほどのエクササイズを6ヶ月間ほど行うらしい。
エビデンスのチェックは色々な問題があるが、研究を重ねればいつかは効果の有無が明らかになるかもしれない。効果がないという場合に、研究がなくて効果がないという場合と、研究したけれども効果がないという場合もある。自然科学的常識に反している研究は消えていくが、神経学的・心理学的なものは実証が難しくなかなか消えない。なお、限定的なスキルが訓練すれば上達するということにのみ焦点を当てている場合、検証はさほど難しくはない。検証したければ出来るはずであるが、ただそれを通して「天才」が育つなどと主張されると、あまりにあいまいでかつ多様な指標と長期に渡る調査が必要で、その検証はかなり困難がある。
脳に関係するデータは専門家がチェックするが、効果がないと明言できるものも出てきている。それには早期教育を一つひとつチェックする必要がある。感覚運動的なセラピーというのは日本でも数十年前からあり、着実に実践と実証を進めているものも多い。だが、Dore programの前にも、極めて過剰な効果を主張する似たプログラムが著名になったが、多くの検証で効果がないと指摘されている。神経神話に陥らないようにするためには、エビデンスベースドで研究をする枠組みを作っていかなければいけない。
著者が主張していることの一つは、発達障害などの分類体系を見直す必要があるということである。どう見直すかというと、神経発達、認知発達の中で捉えるということである。自閉症と多動性障害は違うと思うが、障害の併存率が自閉症と多動性障害と学習障害はかなりあるのではないだろうか。自閉症のかなりが知的障害を抱える場合も多いが、自閉症の特徴を従来の診断名でアスペルガー症候群と呼んだりするが、それは知能が高かったり才能があったりする。その重なりを見てみると、発生的メカニズムが重なっている可能性がある。分類として分けられたにしても初期の発生的には絡み合った発達をしている可能性がある。分類体系は世の中に出ているが、さらに次元的な分類をするべきだという考えがある。それは、程度問題のことを意味し、自閉症的傾向が強いか弱いかという程度のことを指している。知的障害は、軽度、中度、重度など程度の問題である。子どもが自閉症なりアスペルガーだとして、親もその傾向があったり、双生児が両方ともその傾向があったりする。次元的だと考えると発達的に言いやすくなる。
そう考えてみると、定型発達または典型発達(typical)というが、そうでないものは非定型発達(atypical)という。典型的と非典型的という考えは、多くの人に当てはまるか、少数の人に当てはまるかということである。カラオケの得点を考えた時に、平均的に85点くらいとして、99点を取るというのは非典型である。だから、典型とか定型ということに価値が高いという意味はない。ただ、脳を取り扱うと途端に価値付けが起こりやすい。だから、アブノーマルという言葉を使わずに非典型と言っている。典型的なのがいいのか、非典型的なのがいいのか一概には言えない。発達の道筋は、3種類、4種類とありうる。一人で歩行できるまでの発達を考えると、ハイハイがあったり、寝返りがあったり、つかまり立ちをして、1歳を過ぎて歩行できるようになるのは定型発達であるが、つかまり立ちしないというのは非定型発達となる。そのどれかが正常で、他は異常だとは必ずしも言えない。ADHDというのは、基本的に脳の自己コントロール部分の問題である。大脳皮質のある部分の量的な次元的な発達の問題である。ADHDか否かを確定的に決めることは連続的な次元の程度であるので難しい。頭が良い悪いを見分けるのは、知能検査のIQで例えば75点を基準に知能障害かどうかを決めたりする。脳には大脳、小脳、辺縁系などなどがあり複雑である。問題があることを見つけても、他の研究では脳の他の部位に問題を見つけることもある。脳の関連性や結合性の問題であり、年齢などの要素も入ってくる。最近では、典型発達と非典型発達とを連続的に比べていかなければいけないという考えに変わってきた。
このように発達の見方が変化してきているわけだが、神経科学として何ができるか、脳を測定するというところに特徴がある。細かい解説は省略するが、MRI(磁気共鳴映像法)とfMRI(機能的磁気共鳴映像法)、PET(陽電子放出型断層撮影法)、EEG(脳波図)、赤外線を使うなどもある。それぞれに特徴があるが、どれも万能ではない。それぞれに測定の特徴があるが、どれも1ミリなどの単位で細かく見ていく検査方法である。どこにも万遍なく焦点を当てるというわけではなく、どのあたりかの場所を決めて、表面や深部までを見たり、時間的な変化を調べるなどする。どの手法にも得意不得意と誤差があるので、情報を重ねていき、その情報を浮き立たせる。それぞれに特徴を持っているので、研究上はそれらを組み合わせていく。
幼児期でわかってきたのは、脳神経系の質量は6歳までに大人と同じくらいになり、完全な発達は20歳代前半までに完成する。新生児の脳神経系の細胞数は1千億くらいと言われており、大人はその4倍以上である。ここが難しいわけであり、理想的には大人の脳神経系の数は4千億であるが、巨大コンピュータを用いても、今のところ、一つひとつにセンサーを当てて測定することはできないだろう。髄鞘化とは神経細胞を囲むものができて伝導が外に出なくて効率がよくなる状態である。さらにニューロンがつながる際に樹状突起の広がりが増えていく。そうすると、幼児期にそれが活発となり色々な結びつきが大きいのは事実である。同時に、幼児期の終わりくらいから効率化のために神経細胞の数が減っていくプルーニング(pruning)が起こる。灰白質(gray matter)と白質(white matter)とがあり、灰白質は、皮質部分の神経を司り、7歳がピークで主に大脳皮質を構成する。それに対して、白質は、髄鞘化されることによって脳と脳の働きを結びつける働きを持ち、20歳代まで増えていく。たぶん、乳幼児期の7、8歳までは広い学習が起こっていて、その後特定した学習に移行していき、思春期にまた変化する。個人差を見たときに、今のような発達がその後の発達を予測するのか。ADHDの場合には、灰白質の厚さが重要でその発達に遅れがあるのではないかと言われている。何らかの行動や情動のコントロールの弱さであり、そこを司る部位の発達が遅れるのではないかと考えられる。さらに、難しいのは、脳はその部位ごとに相互に関連しつつも並行して発達するため、ニューロンの数や重さ、発達の時期には違いがある。聴覚を司る皮質部分は7歳までに成熟している。これはよく知られたデータであるが、だから語学はそれまでに学ぶべきだとか音楽や絶対音感もそれくらいまでに学ぶのがよいなどとよく言われる。前頭前野は思考の中心であるが大人になるまで発達する。部位ごとに学習する中身がいつどうなるかというのはかなり事柄の内容によって別々に考えなければならない。
図10-1には、2つの認知心理学のモデルをくっつけたものが示されている。左側は一般的な情報処理を示しており、処理の速さが重要となる。処理の速さの個人差というのは、神経回路の速さのことを指し、処理の速さの個人差は生後6ヶ月から8ヶ月で測定でき、幼児期の終わりの知能をある程度規定する。そして、情報処理の速さを促進する要因と後退させる要因がある。右側のモデルがモジュール処理である。刺激の種類による脳レベルの処理の部位が大きく異なるというのをモジュールという。3次元の空間の知覚(Perception 3D of space)、文法処理(Syntactic parsing)、音声的符号化(Phonological encoding)として処理する。顔の表情処理は、乳児期を中心としている。他に心の理論(Theory of mind)は他の人の心の理解のことであり、他の発達とは独立して発達する。心の理論には生得的な規定因が働くと言われているが、この一般的な情報処理とモジュール処理の組み合わせで考える。知識や行動処理をするのだが、モジュールと一般的な情報処理とつなぐ。その間に実行機能が働く。実行機能とは、自分の行動や感情、思考の処理をコントロールする力であり、ワーキングメモリーなども含まれる。
その働きをどのように測定するのかというと、脳の部位の働きが知能とどう関係しているのかを調べるのである。著者は一般知能というのを考えていて、general intelligence すなわち”g”と捉えている。情報処理の速さについては、生後6ヶ月から8ヶ月以降の乳児で測定することができる。実行機能の中で、感情、考え、行動をコントロールして切り替えることができるかを調べるが、乳幼児期には難しく、その間に少しずつ発達する。実は、大人でも切り替えは難しい。例えば、いつもとはルートが違うのに、駅でいつものホームに並んでしまうなどは大人でもルーティンとなっている行動を切り替えるのが難しいからである。あるいは、それをコントロールするには他の妨害を排除することが必要となる。
そのような情報処理の速さとの関係では脳波α波が関係しているらしい。白質の統合性、神経の結びつきの強さ、自分の行動をコントロールするのは脳波のθ波と関係している。それは、前頭頭頂部を結び、いろいろな課題を並行して行うことに関係している。5から10位のいくつもの仕組みの組み合わせや行動・情動的な発達の組み合わせが起こるのであるが、そこのどこかにうまくいかないところが生まれるのが発達障害であろう。
最後に、発達障害の療育に変えていく測定法の提言が述べられている。発達の障害を規定する要因を測定する場合、一度に測定しなければならない。そして、一致数をあげていく。ネガティブな刺激の処理、例えば、損失、脅威など。また、ポジティブな刺激の処理、例えば、報酬をもらえるかもしれないという期待がある。認知システム(思考その他)。社会的システムも本当は広いので、愛着関係とか人と親しむとか自己の感覚である。調整(モジュラトリー、睡眠や賦活を司る生理学的な調整)など、こういったものを並行して測定しなければいけない。それに、さらに実行機能を加えて測定するのである。子どもを何百人と測定して、その月齢で追跡調査をして発達的な変化を調べる。そして、典型発達と非典型発達を見いだそうとしている。乳幼児期の介入としては重要なのは時期である。どうやればよいのかを見つけるためにこのような実験をする。基礎研究で見つかったから現実場面に応用するというのではなく、例えば、音声の処理は8歳くらいがピークになるというのは現実場面にすぐに直結してはいるが、さらに、そこに介入法や教育法を入れて、その影響や可能性を考えていく。
そのための測定法がここでは提案されている。それぞれの子どもを2日間大学に集めて課題をさせる。その課題は遊びの中に組み込まれていて、テストを楽しい雰囲気でやっている。一個ずつの課題は30分以内で終わるようにしていて、脳の測定もコンピュータゲームの一環として行われる。最近は脳波も帽子みたいなものを被るだけで測定することができて負担感がない。それらの測定を組み合わせていく。現在、世界中ではさまざまな工夫がなされており、あと5年くらいで発達心理学の世界が変わることが期待されている。幼稚園などで、子どもがiPadで遊んでいるだけでパフォーマンスを測定することができたり、親にも来てもらって測定したりする。このプロジェクトは「プロジェクトキッズ」というプログラムで、さまざまな学問の研究者や協力する場を作るということを通して共通言語を作ること、そして、実践者が一緒になりながら、新しい教育方法を作ることを提言している。
このプログラムの目的通りにうまく行くかは別のことである。おそらく強く反対したり警戒する立場もある。しかし、有力な立場として、神経科学と発達心理学、教育科学、そして教育・保育・療育の実践などをつなぎ、具体的なものとして、発達障害へのアプローチをどうしていくかを考えることで大きく動き出している。注目点は、脳システムやそれをどうコントロールしていくかという仕組みである。システム全体の組み合わせで考えていくことが重要である。自閉症には、ソーシャルな問題、顔の認知、相手の気持ちを推し量ることの苦手さなどがあり、ADHDやそれに近い障害や問題行動の場合はネガティブな情報への過敏さが自閉症に近く、ポジティブなフィードバックをうまく捉えられないこと(微笑み返せないことや微笑みとして捉えられない)など、細かいところが捉えられてきている。そのバリエーションや個人差を捉えて、その人の弱いところを明らかにしてサポートしていくというのが今後の研究で求められていることである。
(執筆:無藤隆,2017年5月22日)
(まとめ:白川佳子)