質的データを集めた後で、どのように分析するのかということが述べられている。実用的な話である。カテゴリーに分けたりする話と、後半は、コンピュータソフトを使った話などがある。コンピュータソフトについてはどんどん新しくなってきているので有効でないかもしれない。
1章「質的研究の特質」は今まで議論されたものが出てきているので、省略する。
2章「データの準備」では、インタビューでは録音データ、録画が元になるが、それを文字に直さなければいけない。それをトランスクリプト(transcript)という。文字化するという意味である。スクリプトというのは文字、トランスは移るという意味。名詞形ではトランスクリプションという。100%正確に文字化するというのは、そもそもできない。ビデオなどの映像をすべて文字化することはできない。言葉だけの音声データであったとしても、イントネーションまですべてを入れることはできない。このように、文字化するときに全ての情報を入れることはできないが、ある程度は入れることができる。音楽の場合も同じで譜面に起こすことができるがさまざまな程度がある。同じ楽譜でも同じように再現されるわけではないことから、それは理解できるだろう。またそれらは、猛烈に手間のかかることであるため、どの程度まで詳しくするかというのは、目的によるのである。つまりトランスクリプトのルールは、一概に一律に決まる訳ではない。いずれにしても、元のさまざまな情報や感覚が失われてしまうので気をつけないといけない。一番よいのは、その場に居ることだ。その場所に居たか居ないかで、だいぶ違う。また、何度も元データに戻ることが大切。一般的に言えば、文字化したほうが見やすいし、文字化したものの方が一望しやすくなる。10分間を一度に見ることもできる。このように、文字化する際、インタビューをどこまで起こすのかを考えないといけない。
22ページ。文脈を正確にするために、登場人物の名前をつけた方がよい。仮名にしたり、アルファベットにしたりすることがある。本名のままがいい場合もあるが、その場合はデータを紛失したときに困ってしまう。匿名化したほうが安心である。山手線などの駅名を使う人もいる。電話帳の名前から取ることもある。同窓会名簿から取るなどもある。大事なことは、データとは別に、名前と仮名の一覧表を付けた方がいい。リアルな名前をつけた方が実感や雰囲気が出る。会話を起こすのは難しいが、書き言葉風に喋っている場合は比較的起こしやすい。だが、会話風になってくると、言葉を口ごもってしまった時などが難しい。言葉の省略、「えー、うー」、咳払い、沈黙など、必要な時と必要でない時があるため、そこの判断が難しい。もしかすると、ためらいが大事かもしれない。また何かを発言する前に、「そうですね、あれはねえ」など前置きがある場合、どこまで文字に入れるかが問題である。整えすぎても解釈の時に間違うこともあるし、全部入れると猛烈に手間がかかる。どこまでを採用するのかは、目的によるのである。「えー」とか「うー」は、聞いている分には気にならないが、文字化されると読みにくくなってしまう。そこで要点のみ、逐語、方言を含む逐語、ディスコースレベルなど異なるレベルのトランスクリプションがある。それが25ページから26ページにある。ディスコースレベルでは呼吸音としてhhhの記号を入れたり、沈黙の秒数を入れたりする。(0.8)や(0.2)は、沈黙の時間を示している。
次はトランスクリプションを誰に頼むかという問題である。お金があれば人に頼めるが、ない場合は自分でやるしかない。人に頼む場合、「えー」とか「うー」とかの音声を入れるか、言い間違いを直すのかどうかなども決めておく必要がある。文字に起こす場合に専門のタイピストに依頼することがある。業者の場合も、細かいマニュアルを作らないと、どのように起こしていいかわからない。以前はカセットテープで録音して再生したものを文字化していた。現在ではデジタルデータを用いることが一般的になってきた。iPhoneなどに録音する人もいる。ある種のソフトを使うとスピードを落とすことができて、止めずにタイピングすることができる場合がある。一時間のものを一時間半くらいで起こすことができる。その場合でも分からないことや微妙なところをリピートすることになるが、ソフトによっては、自動で数秒リピートすることができるものもある。ポーズを解除した時に、自動的に少し戻ってくれるものもある。プロのタイピストはフットコントローラーを用いてスピードを変えたりして両手が使えるようにしている。手書きで起こす人もいるが、最初からワープロに入れた方がよい。ひらがなで入力して後で漢字変換をしたり、自動変換を用いたりする。その場で変換すると時間がかかるため、そういうものは後でする。自動変換も、あるキーを押せばできるということもある。テレビのニュースで流れる聴覚障碍者用のテロップなどはリアルタイムのものはその場で入力している。猛烈なスピードで入力している。
32ページには、トランクリプションの間違いの例が示されている。用語を知らないと間違いやすい。恐ろしいことに意味が反対になる間違いもある。ever meant toがnever meant toになってしまうと分析でも反対の結果になってしまう。このようなこともあるので文字記録からだけではなく、元を聞くことが大事である。何回も聞いていて、突然、意味の違いに気付くこともある。文字起こしの時の工夫としては、33ページにあるように行番号をつけるやり方がある。これはワープロソフトで自動的に付けられる。後で探すときに便利である。ページの余白や行間を空けておいてアイディアやコメントを書くことができるようにしておくなどがある。
36ページ。メタデータをつけておく。誰が話しているのか、いつ取ったデータなのかなどの情報を入れておくことである。オリジナルのデータに連動するようなものを別ファイルで付けておく。これはとても大事で、これをしないと後でわからなくなる。オリジナルなものの他に、起こしたものがいくつかあると、データ全体の整理が必要になる。全体のデータの整理をするためのソフトとしてはCAQDASがある。ワードも検索機能があるので使うことはできる。管理をするためにパソコンのフォルダーを作って整理をする。ハードディスクやクラウドに保存する方がよい。しかし、ハードディスクが壊れることもあるのでバックアップは取っておく必要がある。3か所くらいに保存しておいて、同時に更新していくのがよい。
3章「書く」では、45ページに2つの黄金律として「早めにかつちょくちょく書く」ことと「ちゃんと書こうとせず、とにかく書く」ということが述べられている。早めに書かないと忘れてしまう。また、十分に時間があるなどという日は永遠に来ないかもしれない。確実に言えるのは、忘れるものだということ。忘れるから書くのである。今日の思いと一週間後の思いは違う。新鮮なうちに書かなければならない。早めに書くほど、書くことが楽になり書くことが習慣になる。その日のうちに研究日誌を書くのがよい。忘れないうちに24時間以内にメモを書いた方がよい。覚えていても一日経つと勘違いしてしまうことがある。ビデオを見直すと違っていたりする。二つのエピソードがごっちゃになっていたりすることが結構ある。頭に浮かんだ全てのことをその場でメモなどに記録することが大事である。思いついたことは、その場で書く。スマホのメモ書きでもよいから書く。そのような日誌の他に(重なってもいいけれど)、フィールドノーツと呼ばれるものがある。そのフィールドで見たり、聞いたり、考えたことを新鮮なうちに書くようにする。時間が経つと、段々と気持ちが変わってくることがある。2週間後には印象が変わってしまうかもしれないので、最初の印象を書いておく。園を訪問した時の第一印象の際に不思議に思ったことを書いておく。何が重要になってくるかその時にはわからないからとにかく書いておく。電源が切れる、予備電池を忘れる、録画機器が故障してしまうことなどがあるかもしれないのでノーツにはしっかりと書いておくようにする。録音していないときに大事なことを教えてくれることもあるのでそういうものもメモをしておく。起こったことと自分が考えたことやしたことを分けて書いておく。その場で書いたり、帰りの車に乗ってすぐに書いたり、駅のベンチで書いたりもする。
50ページにはフィールドノーツを書く際の方略が示されている。その場がよくわかるようなスケッチ、立ち位置、視点、自分の感情なども書く。フィールドノーツはその場で起こったことを書くが、それについて考えたことも書く。これをメモとか覚書という。
新しい所に行った時の違和感、困惑、驚き、アイディア…こういうことが大事である。
グラウンデッドセオリーでは、観察ノート、方法論ノート、理論的ノート、個人的ノートなどに分けている。53ページには、メモの用途が示されている。
そのうえで、研究ノートとか論文を書いていくのであるが、とにかく書きやすいところから書いていく。書き始めていきながら、膨らませていく。後でストーリーになるように組み替えて、中心概念を見つけて全体が整理されるようにする。そのためには何度も書き直すことが大事である。それが一貫したストーリーになることが大事。何が一番中心か、ということを見つけていく。その中心によって全体を膨らませていく。57ページには時間をおいて読み直したり、指導教官に読んでもらったりして書き直したり、それぞれのスタイルを自覚して書き直すことが大事であるというようなことが述べられている。
4章「主題コーディングとカテゴリー化」のコーディングとカテゴリー化とはほぼ同じ意味である。文字化されたものを、ここではテキストと呼ぶが、その部分部分を分類することがカテゴリー化である。例えば「説得する」というカテゴリーを作ったら、他の場所でも「説得する」という言葉が同様に捉えられるようになる。さらにそれが階層化する、種類わけすることをコード、インデックス、カテゴリー、テーマなどと言う。いわゆる分類のことである。分類していくと、そのテキストの見るべきポイントが見えてくる。文章を分けていって、a、b、cとコーディングしたり、a1、a2と同種類にしたりする。逆に言えば、コーディングできないところは捨てていく。つまり、焦点化するのである。分析可能にしていく。コードを分けた時に、そのコードがどういうものかという注釈が必要で、それを覚書という。レベル、名前、日付などを覚え書きとして書いておく。例えば、「見守る」の定義が文脈によって違うかもしれない。子どもが転んだ時の「見守る」と、子どもが遊んでいるのを「見守る」では、その「見守る」の意味が違ってくる。そのため注釈をつけるのである。一生懸命読んでいき、何について書いてあるのか、どういう文脈の関係でこの事が起きているのかを考える。このように、このコーディングの際に「集中して読むこと」が求められる。何が起こっているのか、人々は何をしているのか、その人物は何を言っているのか、何がこれらの行為や意見を当然のこととしているのか、どのような構造や文脈がこれらの行為や意見を指示、維持、妨害、あるいは変化させているのか、ということに対して「集中して読む」ことが、コーディングの助けになる。その違いを注釈で書くか、覚書で書くか、というように考えていく。このように言葉がコードによって一貫した形に分けられていくと、研究で使えるデータになっていくのである。
68ページの1つの例では、ある夫婦のことが書かれている。アルツハイマーの妻がいて、調査では夫に尋ねている。これをどう分析するか。全体の意味を考えながらカテゴリーをつけていく。これまで夫婦で行ってきたが、現在はやめている活動と、現在も継続している活動という分け方。また「ぼくら」という表現と「私が」という表現があるとか、細かく分析することもできる。コーディングの仕方は唯一ではなく、色々な考え方がある。それは、分析の目的によって変わる。
叙述的コードとは発言を取り出してカテゴリーに分類するものであり、分析的コードは意味づけをして、カテゴリーに分類するということである。72ページには、コーディングの仕方の例が示されているが、マーカーを使って色をつけたり丸をつけたりしている。このような分析は標準的なカテゴリーを細かくしていくやり方(概念駆動型)と、トランスクリプションを何度も読み直してそこから浮かび上がってくるカテゴリーをつけていくやり方(データ駆動型)がある。どちらかを使う場合もあるし、両方を使う場合もある。
74ページには、何にコードをつけるかが示されている。このようにすると検索が可能になる。一覧を取り出すことができる。気を付けなければいけないのは、よく似たものがあるので、それを整理し直さないといけない。例えば、「見守る」として、他のところでは「子どもの様子をよく眺める」としていたら、そのような似たカテゴリーを整理しないといけない。これはコンピュータではできにくい。そのためには作ったコードをリストアップして関連を考える。コーディングをやり直す場合もあるし、階層的にする場合もあるし、似てるけれど違うものとして捉えることもある。コーディングに当てはまらないものがあるかもしれない。このようにコード間の関連を考えたり、どのような文脈のもとでパターンが変わるのかを考えたりする。それぞれの関連づけを考えるのが、質的分析の大事な部分である。
81ページでは組織的なやり方が紹介されている。コーディングに用いられる最も一般的なアプローチの一つは、グラウンデッドセオリーである。ここでは、そのテクニックについて述べられている。「オープン・コーディング」これは特定のカテゴリーを設けずに、データから考えていくやり方、「絶えざる比較」とは、二つのデータの違いを比較して違うのか同じなのかを絶えず考え、比較すること。「組織的比較」とは、二つの現象を探索するために「もし~なら」という一連の問いを、問うてみること。似た場面を想定して比較していくことである。「遠く離れた比較」とは、極度に違う場合、例えば若い人と年齢のいった人を比較して違いを考えていくとか、あるいは共通な部分を考えていくというようなことである。83ページには「危険信号に敏感になる」ということが述べられている。「決してない」「いつもそうである」「そういうことはありえない」というような極端なことが述べられた場合、敏感になった方がよいと書かれている。何かを隠しているかもしれない、というような可能性があるからである。
85ページには一行ごとのコーディングについて述べられている。トランスクリプト全体に対して、テキストの一行ごとにコードを取り出す。つまり、一般的カテゴリーを使わないで、一行に書いてあることをもっと短く要約するというやり方である。そして似たものをまとめていく。例として86ページにあるが、大きな分類のもとで具体的カテゴリーをまとめていくようにする。87ページにはこの手順を、「コーディングのタイプと方法」として、抽象的にまとめて書いてある。「オープン・コーディング」とは、関連するカテゴリーを見つけるために、繰り返し読むこと。繰り返し読んで、一行コーディングしながら、次第に大括りにしていく。「アクシャル・コーディング」とは、カテゴリーを精錬し、発展させ、関連付け、相互に連結させること。アクシャルとは軸のこと。精錬して、カテゴリーの似たものをまとめていく。「セレクティブ・コーディング」とは、一番中心となるものを見つけて、選択して取り出し、他のカテゴリーと結びつけること。こういうものは、方法論というか、テクニック、コツみたいなものである。
5章「伝記、ナラティヴ、言説的要素の分析」である。これまでの話(コーディング)は、小さいまとまりだったが、大きく括ることもある。それをここではナラティブ、ライフストーリーとして扱う。物語として、小説、お話などがある。このような形は、人生を語ってもらうときには良く出てくる。誰もがではないが多くの人は、ある種のストーリーを時間に沿って話をする。92ページの例では、時間を守れないという話があり、遅れた電車に乗ることができて会議に間に合うことができたという内容が書いてある。私は時間が守れない、私はだらしないところがあって時間が守れない、そういう風に簡潔にまとめて語るやり方と、実際のエピソードを小説のように語るやり方がある。インタビューなどで語るときは、たいていそこに教訓やポイントがある。「約束を守れないが何とかしている」という例として語っている場合もあるし、私ってこういう人だということをエピソードで説明している場合もある、私というのを個別化して生き生きとしたものとして伝えている。エピソードで語る方が、リアリティがある伝え方になる。
修辞的とは、レトリック、つまりよりリアリティがある語りである。読み手を楽しませたり納得させたりするために、効果的に話したり言葉を用いたりすることである。生き生きとした迫力のある語り方、そういうものでリアリティが増しているのである。こういう語り方を好む人も好まない人もいる。やたらにストーリー化をする人もいる。これらは唯一の語り方ではないが、人生を語ってもらう時に人生は時間軸で成り立つものだから、そういう語り方が多い。
それから、94ページには、比喩で語ることを紹介している。人生を山に登るようなものだと言うとき、その人なりの捉え方としては有効である。
説明というのがあるのだが、これは弁解したり正当化したりすることである。「あなたは、どうしてそういうことをしたのですか?」と尋ねた際に、ナラティブによって合理化、弁明をすることがある。そういうナラティブの機能というのがある。ナラティブの共通した機能には以下のものが含まれる。「ニュースや情報を伝達すること」「心理的要請」「集団的なあり方」「説得すること」「良いイメージを表したり信頼性を与えたりすること」などである。ある種のことわざも、ナラティブの短いものである。また、自分というものを振り返るときに物語をもとにして自分を振り返るということもある。
98ページには、自伝、ライフストーリーが紹介されている。私はどこに生まれて親の仕事は…と語る。伝記的な内容である。小学4年生になって大工さんに出会ってかっこいいと思って専門学校に行って…というと、履歴書ベースの語り方になる。これをライフヒストリーと言う。伝記ということがあるが、ライフヒストリーという時にはどちらかというと履歴書的な内容になり、ライフストーリーと言うと、その人の主観的な捉え方がかなり含まれてくる。大工のおじいさんに会ったことがターニングポイントであり、そのような出会いをエピファニーと言っている。誰かとの関係、主観的な関係、移動した、大学に入った、職場を離れた、恋人、結婚、人生の初期に起きた出来事、など大事な出来事がある。これを分析していくにあたって、そこでの大事な経験(ターニングポイント)、そのようなキーとなる人物についてみていく。物語の始まり、中盤、終わりがあるというのは当たり前のようでそれほど当たり前のことではない。語るときにそれが重要だとして語るかどうかということがあるが、多くの人は始まりと終わりを大事にする傾向がある。大工の仕事をするということについて、建物を作るという面白さを感じているということであれば、それはテーマである。
102ページには、マリーの別離の物語が紹介されている。別離のショックから立ち直るきっかけは孫娘であった。この語りは典型的な成功物語である。夫の浮気というショックな出来事から立ち直り、新しい恋人ができてというストーリー、いくつかのストーリーをドラマチックに重ねていき、ハッピーエンドになる。このようなハッピーエンドをロマンスという。ロマンスとは物語のジャンルである。反対が悲劇。それ以外にはコメディがある。コメディとは秩序が乱れて、それに対応して、元に戻していくような物語。シェークスピアの真夏の夜の夢は、一晩で恋人が入れ替わるというコメディである。風刺という典型的なストーリーがあり、それで語る。有名なところでは、アーサーフランクという人のものである。医療の質的研究をして、癌患者に対してインタビューをした人だった。病を抱えた人の分析である。フランクは、物語を3つの典型的なタイプに分類した。「再構成のナラティブ」「混沌のナラティブ」「探求のナラティブ」である。この3つの典型的なタイプに沿っていくと、再構成では、病気になりショックがあったけど、頑張って治療して復活したという内容。混沌では、色々あって打ちのめされたままで結論が出ていないという内容。探究のナラティブとは病に立ち向かっていくような内容。どうやって本人が立ち直って新たないアイデンティティを確立したか、というようなことである。
110ページのラボフが提唱するナラティブの要素としては、要約、話のポイント、単純な始まり、中盤、結末という流れがある。
ディスコース分析とは、言葉の社会的な働きを言っている。微細な分析をしている。114ページにはサムがジーンに窓を閉めてほしいことを伝えている事例があるが、そこでは「ドナという人が寒い」という愛他的な戦略を使っている。それによってある種のメンツやパワーを間接的に動かそうとしているのである。事実をうまく使っている。客観的に寒い、近い人が閉めるということを、客観的な理由として持ち出している。こういう分析をディスコース分析という。批判的ディスコース分析は社会批判に使われる。どのようなディスコーススタイルをとるのか。そこでいう主体、主体者になっているのか、他者によって決められる立場なのか、それを動かす権力はどこにあるのか、制度や慣例などを使うか、このようにさまざまなものから考えていく必要がある。
6章「比較分析」では、データを比較して分析する方法について紹介している。現在、データとしてあがってきた時に大抵は録音・録画されている。それを文字化し丁寧に考えるのであるが、比較的多いのは何らかのカテゴリーに分類する方法である。ここではコード化のやり方が説明されている。大雑把に言うと分類して分類名をつけることである。例えば、保育士、男女とか社会的に与えられた名称をつけることもあれば、独自に命名することもある。コーディングしない研究もあるが、多くの研究ではコーディングしているであろう。
多くが分類するだけでなく階層化している。126ページには、あることを「評価する」ということを巡って分類しているが、「サービス」と「ものの見方」というカテゴリーが出てきている。階層のことをツリーというが、枝のことをブランチ、上と下の関係を親子階層、同じレベルのものを兄弟階層と言ったりする。
127ページには、コード階層で割と多く使うやり方が紹介されている。「タイプ」というのは、例えば、保育士という分類でもよいが、経験年数や学歴による分類、公立・私立という分け方をタイプという。あるいは、分類すればカテゴリーであるし、初心者、中堅、ベテランというタイプで分けることもできる。また、原因、結果という観点で親子階層を説明することもある。
128ページには、離婚の事例で、破綻の原因、破綻の行動、破綻の結果に分類して、それぞれに階層レベルの利点が紹介されている。まず1番目に、比較的、具合よくするためには、コード化すると、さまざまな整理ができる。まず階層化することによって関係が見えてくる。次に、コードをどんどん増やしていくと、横にたくさん増えていき見通しが立てにくい。そのため、階層化すると、整理されやすく、分析できやすくなる。3番には、コードの重複を防ぐこと。似ているカテゴリーが出てきた場合に整理しておかないとコード化に意味がなくなってしまう。似たものは一つにしたり階層化したりする。4番目に、範囲を捉えるのに役立つ。つまり、行動、反応、意味などのバリエーションの範囲を捉えるのに役立つことである。
129ページには、「離婚」について、破綻の原因、破綻の行動、破綻の結果をディメンジョンごとに考察したものが示されている。ディメンションとは連続次元であり、程度として提示されるプロパティの一種である。
コーディングはデータ数が多くなるとコード数が多くなって広がっていくが、元に戻って分析し直さないと定義がずれてしまうことがある。コンピュータを使うというのも一つの手であるが、その前にすることが述べられている。データのコードをより分析的で理論的に抽象化していくやり方である。ここでは、破綻の原因を「感情的な問題」と「経済的な問題」と大くくりにしておくやり方が紹介されている。131ページには、階層を浅く保つというのもよいと述べられている。コードの名前を付け替えて、階層を2段階に減らすなどのやり方である。
次に、分類するだけでなく比較をすることについて解説されている。比較するとは、特徴を取り出すこと、パターンを見つけることである。具体的にどうするかというと、コード化したのち、コードの元になっている文字列に戻り検索をする。文脈の前後関係がわかるような特徴をそこに書いておく。検索して取り出すことでコード化が一貫してできているのかどうか確認する。その上でパターンを見つける。Aタイプの人、Bタイプの人、Aタイプの場所、Bタイプの場所の特徴を見つけるなどである。何らかの分け方があって、AかBかCがあって、その特徴であるプロパティ、ディメンションがある。A、B、Cにそれぞれサブカテゴリーがあり、それぞれにどのような共通の特徴や組み合わせがあるのかを取り出して分析する。このあたりは、量的な研究でも扱うが、質的研究ではコーディングのパターンを探し出し、できるだけ元の文脈に戻りながら意味を検討していかなければいけない。
135ページには、役立つやり方として、表を使うことが紹介されている。表の中にはある程度詳しく、ある程度簡潔に述べられていることが望ましい。表6.2には、ジョンとジューンの友人と家族状況について示されている。ジョンというのは友人がたくさんいて、家族は妻と子ども2人いる。それに対して、ジューンは近隣の少数の友達がいて、家族とは離婚して一人暮らしをしているということ表から分かる。大きい表を作ると見にくくなってしまうので、パソコンの画面を複数使うというやり方や大きい紙を用いるという方法もある。
137ページの表6.3には表のセルに入れる内容が示されている。元のデータに近いものにした方がよいというのが質的研究である。セルの中には引用データを入れること、要約して入れること、研究者の説明、評価などが入る。研究者の説明ではその人の言わんとすることが入る。評価では、自責心が強いなどが入る。分析しているときの気になる情報はセルの中に残しておくとよい。それは自責心が強いというのは結論であるので、分析している段階で変更する可能性もある。
139ページの表6.4には、バリー、パム、ジェニスら3人の介護に対する意識が示されている。介護に対する姿勢や他の介護者との交流を元に、類型化、タイプ化していく。141ページには、類型化の例として学習障害の子どもを持つ親を分類している。逃げる親、先延ばしにする親、議論している親、行動を起こす親の4分類にしていて、あるポイントに注目して分析している。例えば、「逃げる親」は子どもたちと離れた経験が少ないからそうなるということを見い出している。
143ページには、ルーチン、偶然、企業家的という3分類にしていて、男性と女性に分けて特徴を記述している。144ページの表6.6には、一つの事例を3回のインタビューという時間軸によって「痛みの管理」、「親族の援助」、「自立」についてそれぞれを示している。
145ページには、アクシャル・コーディング(axial coding)について述べられている。言い換えると、軸コーディングのことであるが、つながりを考えるやり方である。方略になりそうな該当するものを見つけて理論化するのである。ある現象とある現象をつなぐこと。表6.7にはアクシャル・コーディングのモデルの要素が示されている。こここそが現象の中心というものが出てくる。ホームレスの話ではホームレスになること、依存することを中心として説明していく。特定のことから説明を加えた方が理論として強くなる。最終的には質的であっても現象を記述するだけでなく理論を説明する。既存の理論を使うこともあれば、新しい理論を開発することもある。一つの事例にとどまるのではなく、ある程度一般的な事柄にしていく。
151ページには、特に理論化するときに有効な方法が述べられている。両極端な事例を示したり、遠く離れた比較を用いる。例えば、レジリエンスとか弾力性とか立ち直りを使い、現象の整理を容易にしていく。
152ページには、倒置、文字通りが紹介されている。倒置の例としては、ゴフマンのドラマツルギーの比喩である「日常生活を劇場であるかのように研究せよ」に対して、アトキンソンは、「劇場のように日常生活を研究せよ」と指示を逆さまにして言ったなどが挙げられる。文字通りとは、工芸職人の熟練の手について、文字通り、手だけでなく身体全体に注目した。
7章「分析の質と倫理」では、158ページに通常の量的研究において大事なことは、研究の結果が妥当性があり、信頼性があり、一般化可能性があることであると述べられている。それは質的研究では使えないが、同様の概念があり、それがそういった特性を持つようにしていく方法論であり、以下に述べる。
160ページには、リフレクシヴのことについて述べられている。研究者の立場を明示し、カテゴリーがどこから出てきたのかをきちんと説明できなければいけない。データのトランスクリプトを引用して分析を透明化して示していく。そういうパターンを打ち出したときに合わない例や矛盾するものをきちんと示す作業をすることが大事である。それを丁寧にやっていく必要がある。
162ページにはトライアンギュレーションについて述べられている。三角測量ともいうが、他の視点からの分析をすることが大事である。163ページには、回答者に結果を戻して妥当性を確認していくことが大事である。回答者は自覚的に話していないかもしれない。回答者から公表するのは嫌だと言われたらそのデータは使わないが、矛盾があること事態にも意味があることかもしれない。
何ヶ月も分析をしていると精緻化していき、前にしていた定義そのものが違ってくることがあるが見直すことにも意味があるのでそういうことも大事である。包括的データ処理とは全てのデータをそれで処理すること。165ページには、反対の否定事例のデータを使い、検討することも大事であると示されている。
166ページには、エビデンスを示すことが述べられている。引用が長すぎると誰も読んでくれないし分析のポイントが分からなくなってしまう。短すぎると説得力がなくなってしまう。引用と解釈のバランスが大事である。引用は長すぎてはいけない。長いものは分割し、分析で分かりやすいところは示す。訛りをどこまで再現するかは分析の目的による。
168ページに定義の漂流について述べられている。論文の最初と最後で定義が変わっていくことであるが、それは防ぐ必要がある。次に、過度に一般化しないこと。質的研究は少数のデータを元に語っているので、全体を語らず限定的に語っていく。選択的逸話主義では、典型的でない例を使う。見守る、共感的というのにぴったりの例があるのはよいが、一回しか起こらなければ、頻度をチェックして、どの程度典型的か外れているのかを見てみることが大事である。
172ページの豊かなデータとは、詳しいデータのことであり、状況、文脈、表情、声の大きさなどを入れていく。ただそうすることで、匿名性を確保できなくなってしまう。詳しすぎると問題がある。これはよいか引用したものを回答者に見せて確認して許可を得る。どこまでを回答者に見せるかは難しい。
174ページには、データをどこまで保存するかが述べられている。日本では、最近、文科省が発表後10年間保存するべきだと言っている。欧米ではアーカイブに預けて永久保存し他の人が再分析していくというやり方がある。日本ではまだアーカイブのシステムがないが、今後はそのようになるかもしれない。
175ページのフィードバックの話が述べられている。観察した事実はあったが解釈については見せないということもある。それに納得してもらえなかったらそのデータは使えない。
8章「コンピュータを用いた質的データ分析を始める」では、コンピュータを用いた分析の仕方が解説されている。
コンピュータを用いると検索ができるという利点がある。特定の語彙や言い回しを決めて取り出す。離婚だけをコードにすると見つからないかもしれないので、類似語を見つけて探していく。218ページには、仕事探しプロジェクトが紹介されている。運命論の根拠を探す際に、それに似ている言葉を探して、諦める、先がない、罠にはまるなどの類似語についても検索するとよい。キーワードを決める。例えば、選挙予測では、トランプ対クリントンの場合、どういうポジティブな言葉、ネガティブな言葉がSNSなどで出てくるかを調べて、どのような関連が見られるかを分析した。220ページには、機械的にやるのではなく、さまざまな用語で検索したり、比喩的な言い回しで検索したりを丁寧にする必要がある。ソフトウェアだけに頼っていてはいけないのである。
9章「ソフトウェアを用いた検索やその他の分析手法」
この章は、ソフトウェアの使い方が述べられているため省略する。
10章「すべてを総合すると」では本巻のまとめが述べられている。自分のデータを十分に解釈すること。複雑なあり方を層に分けて分類し読み込むこと。それはどうすればよいのかというと集中して読む。思いついたらフィールドノーツなどに書き出す。分析を全てやってから論文にするのではなく、思いついたらメモを取り、文章化することが大事である。コーディングの手前があり、気づいた点にマーキングしておくとよい。コーディングに頼りすぎてはいけない。それをどう越えていくとよいか。あいまいなところ、どちらとも言えない、コーディングできないものの方がむしろ大事である。
238ページには原因結果以外にもつながりがあることを取り出していく。さまざまな情報を集めて厚い記述をしておき、その場面でその人がなぜしているのかを考えていかなければいけない。例えば、保育者が見守っているとは子どもに対してどのように関わっているのかを丁寧に分析する際にも厚い研究が必要である。
(執筆:無藤隆,2018年6月11日・6月18日)
(まとめ:白川佳子・和田美香)