投稿日: Dec 05, 2016 2:1:52 AM
ある幼稚園へ、「トーンチャイム」を持って音楽遊びに出かけた時のことです。自由な遊びの時間、遊戯室にやってきた子どもたちにトーチャイムをランダムに渡し、輪になって座りました。まずは座っている順に一人ずつ音を鳴らし、「音送りのリレー」。楽器の使い方に慣れるためです。その後、誰かに向かって音を鳴らし、自分に音を投げかけられたと思った人が、次の誰かに音を送るというルールによる、トーンチャイムによるコミュニケーションゲームをしてみました。
誰かに向けて音を鳴らし、それを受け止めた人が次の人に向かって音を送るという説明を聞いただけの子どもたちでしたが、タイミングよく音を次々と運びました。しかも、やさしい音にはやさしい音をつなぎ、ときに鋭く打ちつけるように鳴らされた音には鋭い音で返す。まるで、テニスのラリーのような音のやりとりが続きました。
このゲーム、子どもたちは音の方向を判断するだけでなく、音の性質までも捉えてタイミングよく音を次の人へと送っています。トーンチャイムを打つ動作が視覚に訴えることで、流れに乗った表現が容易になるのでしょう。
そうしているうちに、ある年長児が真向いの年少児へ向けて、ゆっくりとした動きで音を高く打ち上げるように鳴らしました。「ぽ~~ん」という響きで。年少児は実習生の膝に座っていたのですが、どうしたと思いますか?
彼は、音を鳴らしませんでした。虚空を見上げ、音を見送るように首を後ろに向けたのです。音は目には見えないけれど、五感で感じとった音は、その軌跡を空中に残して消えるのかもしれません。そんな3歳児の音感受に、みんな息を呑んで見入ってしまいました。
音をキャッチするのは、聴覚だけではありません。作曲家の西村朗は武満徹との往復書簡にのなかで、日本人の音の聴き方について「一瞬一瞬の響きの質感とでもいうべきものに耳を傾けたのではないか」(武満,2000)と述べています。そして、「“質感”を聴くとは、ただ単に響きを“聴く”ということにとどまらず、響きの匂いを“嗅ぎ”響きを“味わい”、響きの光輝を“見つめ”、響きに“触れる”という、五感統合的な感覚であったのではないかと思います。耳というひとつの感覚器は、“聴く”だけではなく、あるいはこうした五感機能のすべてを秘めているのではないでしょうか。人間の五感はそれぞれバラバラに機能しているのではなく、脳の内部で生理的に結びつき、そのことを反映して、各感覚器の生理には、他のすべての感覚器の性質が内包されているのではないかとも思います」と言及しています。そうした「音感受」の在り様を見せてくれた、3歳児の姿でした。
響きの質感をとらえることは、音のインプットを豊かにします。音のインプットが増えれば、アウトプットも多様になります。乳幼児の音楽表現について、表出された音(音楽)だけではなく、子どもたちの「聴いている姿」に目と耳を向けてみましょう。どんな遊びにも、音が伴っています。音の面白さが遊びを発展させていることもあるでしょう。
音環境・音感受研究のきっかけになった一つのエピソードをご紹介します。それは、ある学会での園長先生のお話です。幼稚園で開催された研究大会に参加した際、手作り神輿での遊びがにぎやかに行われている園庭の隅っこで、団栗の木の下にじっと座っている3人の園児。何をしているのかと近づいてみると、3人は団栗の落ちてくる音を聴き比べていたそうなのです。落ちる高さが異なれば音も変わります。土の上に落ちるのと枯葉の上に落ちるのとでも違います。乾いた葉っぱと湿った葉っぱとでも、風の吹き様によっても変化します。何て素敵な光景なのでしょう。しかし、その姿に気付いている参加者は、その園長先生以外に誰もいなかったとのこと。
このように、聴くこと自体を遊びとしている事例は他にもあります。東京のある幼稚園で観察をさせていただいた時のことです。響きの良い玄関ホールの横で、一人の男児がラップの芯を耳に当てて座っていました。近づいてみると、「ねえ、聴いて!音が変わるんだよ」と言います。
子どもたちって、私たちが考える以上に、身のまわりの音を敏感に捉えています。息子の話で恐縮ですが、岡山の後楽園を散歩していた折、弧を描いて流れる小川のせせらぎがよく聞こえる場所で、彼は二つの箇所を行ったり来たりし始めました。何をしているのか見ていると、しばらくして「あっちとこっちと音が違う」と言い始めました。近づいてみると、流れる水の速さが変化しており、聞こえる音が確かに違っていました。並んで歩いていても、聴こうとしなければ聞こえない、わずかな音の違いです。
子どもの音感受の世界をのぞいてみましょう。子どもの音感受に気づくことが、私たちの「耳」を、瑞々しい音の世界へと再び導いてくれることでしょう。
(執筆:吉永早苗/2016年12月1日)
引用文献
武満徹『武満徹著作集3』新潮社 2000 p.42(往復書簡による西村朗の記述)