第5回の講義では、第9章"Converting the science of early human development into action: Closing the gap between what we know and what we do/ Mary E. Young"を参考にしながら、発達研究の成果をどのように実践に活かしたらよいのかについて論じる。第9章の標題を訳すと、「初期の人間発達にかかわる科学を施策に役立てる:私たちが知っていることと私たちがすることとの間のギャップを埋めていくこと」となる。発達研究の知見をベースにしながら、いかに子どもや大人たちの問題を解決できるかということに焦点を当てている。
ここで問題としているのは、発達的な困難、学力の低さ、社会的な問題、中心となるのは発達障害というものではなく、通常の発達が妨げられているとか、発達が遅い、発達のレベルが低い、発達が悪い方向に向かうというものである。例えば、鬱状態、心臓疾患、犯罪にどう対応できるかということ。世界的に見ると、そのような問題は途上国に多いが、先進国においても貧困層に起こりやすい。小さい子どもやその後の大人においても起こるとされている。本章では、生理学的レベル、心理学的なレベルの研究を扱っており、初期発達と言っているのは、胎児期から乳幼児期くらいまでで、具体的には、主に、胎児期、新生児期、3歳頃までをさす。
初期の人間発達についての知見を以下の4点にまとめている。
1番目の原則は、スキルの構造とプロセスについて述べている。スキルとは、技術を含めて、能力を具体的に適応できる場合にスキルと言っているが、対処能力(coping)、認知能力、非認知能力(感情とそのコントロール)、健康(健康行動、精神的健康)を含む、一方、プロセスとは、それらが形成される過程のことをさす。スキルとスキル形成のプロセスの両方が、遺伝と初期の発達環境と経験との力動的な相互作用の結果生じた神経回路によって強く影響を受けているのである。なお、神経回路がどう作られていくかについて扱うのは、発達神経科学という領域である。発達心理学、発達神経科学などを合わせたものを発達科学という。この2,30年はそれぞれの研究領域が融合されてきている。脳科学、神経科学、心理学の研究分野に所属する研究者はそれぞれ異なるが、学問領域的には一体となって扱われるようになってきた。初期の発達環境とは、胎内から新生児期までが研究されている。遺伝子の種類によって異なる。
2番目の原則は、前の時期に作られた神経系の道筋とスキルの熟達に基づいて後の時期のものが作られるということである。もちろん、例えば、思春期の始まりは初期発達と関係がないわけではないが関係は薄いだろうから、決定的関係ではないが。多くの場合に、初期発達がどうかによって発達の方向性が変わってくる。
3番目は、認知、社会、情動的発達、言語発達が相互依存的であるということである。初期発達に依存しながら並行しつつ相互作用しながら発達していく。どれも重要で互いに影響し合っている。
4番目は、適応というのは生涯を通じて絶えず続いていくということである。同時に、敏感期(sensitive periods)というものがあり、その時期だと最も環境の影響を受けやすく、その時期に獲得されたものが次の時期に影響していく。その後に回復できるものもあるが、良くも悪しくも環境の影響を受ける。言語発達については、1歳から3歳前後を逃すと回復するのが難しくなる。そうなってしまうのは、その時期の脳の発達が顕著であるからだが、脳の発達や心理発達なども初期で発達が終わるわけではなくその後も続いていくので、いつの時期でも問題は起こり得る。
初期は大事だとは言っているが決定的だとは言っておらず、その後、思春期や成人期も重要であり、同時にリスクもあり改善の余地も常にある。ただ、一般的に言えば、問題が起きてそれを改善していくときに、なるべく早めに手を打った方がよく、後になればなるだけ難しくなる。
次の節では、脳に依存した発達とは脳も経験に依存して発達するということが述べてある。脳がいつ顕著に発達するかということが図9-1に示されている。これは、Thompson & Nelson(2001)の論文からの引用であるが、まず胎内において神経胚形成(neurulation)の発達が起こり、その後誕生する。一つは、乳幼児期を中心にして、満期出産を基準として、マイナス2ヶ月から生後5歳から10歳までに髄鞘形成(myelination)が起こる。5歳までを中心として動き、その後も続く。10歳頃になると神経細胞が減少し始める。そして、それぞれの脳の部位ごとの発達が出てくる。一番重要な発達は前頭前野(prefrontal cortex)の発達である。前頭前野は大脳皮質(brain cortex)の、特に額の奥のあたりにあり、思考を司る働きが生後2ヶ月くらいあたりから動き始めて、最初に顕著に発達するのは0歳児である。また、見ることや聞くことを司る視覚野(visual cortex)と聴覚野(auditory cortex)が発達する。言語領域(Broca’s area)、受容言語域(receptive language area)、言語産出(speech production)が満1歳くらいで発達する。細かく言うと、生後6ヶ月から8ヶ月、10ヶ月から12ヶ月で変わってくる。例えば、生後10ヶ月くらいになると音声が言語(日本であれば日本語)らしくなってくる。それに応じた言語野の成長があり、引き続いて、10ヶ月から1歳前後で大脳皮質の発達が目立ってくる。なお、5歳から10歳以降、大脳皮質の発達は効率化して分量としては減りながら(プルーニング)、大人と同じになるのは15,6歳くらいである。感覚器官の発達は生まれる2、3ヶ月くらいから胎内で始まる。胎内にいるのは40週であるが、それを4つの期間にわけて、それぞれをセメスターと言い、第4セメスターというのが、出産前の2、3ヶ月である。聴覚器官が先に発達し、出生後にしっかりと機能するようになる。もう一つ重要なのが、脳の中の大脳辺縁系(limbic system)であり、ストレス、情動処理、記憶などを司る。ホルモンの中でもアドレナリンと関係しており、興奮すると出てくる。感情のコントロールやストレス反応を担っている。ストレス反応というのは軽度であれば問題ないが、不安が起こるなどの気持ちの変化のことである。例えば、空腹で気分が悪いとか排泄時の気持ちの悪さなどもストレス反応である。胎内では母親のストレスホルモンが臍の緒を通じて胎児に伝わる。それを治そうとし逃げようとするのが急性ストレス反応である。頑張って動かないようにするとアドレナリンが活性化する。一時的にエネルギーを使うと、その後、ぐたっとしてしまう。それが長期的に継続すると回復しきれない状態になる。そうすると、社会経済的に貧困である場合は、あらゆるストレスが持続的に高いことが多く、さまざまな問題が継続的に生じてしまいやすくなる。発展途上国では、栄養不足、アルコール、ドラッグ、たばこの喫煙や受動喫煙の問題がある。たばこの量にもよるが、妊婦が数十本吸っていると、胎児の体重が小さくなり、不健康になって様々な病気にかかりやすくなってしまう。
ただし、環境が一方的に影響するというのではなく、環境刺激の影響はそここそであり、どの程度影響を受けるかは遺伝子次第ということになる。逆に言うと、さまざまな遺伝子がどう働くか、また特定の遺伝子のスイッチが入るか入らないかということに特定の環境の影響があるのかもしれない。胎内のある時期に特定の環境の影響を受けて、その時期がずれることによって発達に影響してくる。さらに、その影響がどの程度持続するものなのかということが影響してくる。発達生物学の分野では、遺伝子と環境との相互作用について検討している。この研究領域では胎内のことについて細かく分析が行われており、人間ではなくラットを使った研究が多いが、しかしまだ、人間についてそう確定してきていないようである。そういうことを背景に置くと、生まれてきてからの様々な環境がどのように影響するか、親の養育がどのように影響するか、貧困の問題がどのように影響するかという場合に、ほとんどの場合、お金がないこと自体よりは、それによって親の養育の仕方がうまくいかないことの問題の方が大きい。貧困でなくても親が鬱状態にあると子どもへの対応が悪くなり、発達に問題が生じていく。それは人間の調査でも動物の調査でも示されている。例えば、ラットをうまく育てる場合とそうでない場合がある。うまく行かない場合どのような問題があるのか、大人になってもその問題が残る場合がある。母親が赤ちゃんを舐めたり触ったりする回数を実験で減らしたところ、それがラットの赤ちゃんのコルチゾールレベルを増加させた。コルチゾールは唾液で調べることができるが、多くの場合ストレス反応があると上昇する。それが大人になると、色々な異常行動を示した。アディクション、薬物中毒などの異常行動も起きやすい。コルチゾールの異常は、大脳辺縁系に影響するものであるが、ストレス反応に関わるHPAシステムに影響する。視床下部-下垂体-副腎系(hypothalamus-pituitary-adrenal)のことである。一時的な緊張は問題ないが、緊張しっぱなしとなると、感情、行動、学習、記憶への悪い影響、また心身の状態、特に過度な肥満や生殖の不調をもたらし、さらに特に多いのが鬱状態をもたらすことである。
言語発達についての影響については、大脳辺縁系からある程度独立している。胎内で7ヶ月くらいに聴覚が動き出す、胎児期の最後の4週間から6週間では、胎内で母親の話す言葉や言葉のリズムを聴いている。出生後に、母親の言語を多少区別することができるということがいくつかの研究で明らかになっている。生後10ヶ月以降、乳児の音声は母国語化していき、1歳児以降に言語を獲得する。Hart & Risley(1995)の研究では、親の社会的階層や経済状態によって、子どもの語彙に差異が見られることを明らかにした。図9-2では、子どもを、生活保護レベル、労働者階級レベル、専門職レベルに分けて、満3歳の子どもの語彙を比較したところ、1時間あたりに子どもが聴く単語量が、生活保護616語、労働者1251語、専門職2153語となり、生活保護レベルと労働者、専門職レベルで、2倍、3倍も異なることが分かった。これを3年間の累積言語経験で比較すると、生活保護1300万語、労働者2600万、専門職4500万語となり、3歳児時点での獲得語彙数が、生活保護500語、労働者700語、専門職1100語となり、生活保護レベルと専門職レベルでは2倍以上の開きがある。日本では、インフォーマルな印象として、公園や電車の中で、親の子どもへの応対の仕方がさまざまであり、それが普段の家庭での姿の現れであるとすれば、このような研究結果の差異が現れるのも納得できる。また、家庭における蔵書量や読み聞かせの度合いも家庭によって大きく異なる。この研究で3歳児において語彙量の差異が現れているということが明らかになったが、このことからすでに小学校就学前の環境差が大きいことが言える。
認知的発達へ悪影響があるものとして、ストレス、たばこ、お酒、ストレスが高い場合があげられるが、典型的には、出生体重が低い、感覚運動発達の問題、注意欠如・多動性障害(ADHD)の可能性、情動の制御がうまくいかないなどの問題があげられる。大人の海馬を測定したときに、その大きさに違いが出てくる。海馬は、短期の記憶を担うが、海馬の大きさが小さくなると、記憶する力が弱くなり、さまざまな気持ちや考えをコントールする力が弱くなってしまう。日本でここ10年くらいの新生児の体重が軽くなることが起きていて、新生児の体重減少が発達障害に影響する可能性について産科医が警鐘を鳴らしている。日本では、小さく産んで大きく育てるという言葉があるが、実はこれにはリスクがある。
また、貧困というのは親の鬱と結びつきやすく、体罰、子どもの要求を無視するという問題に影響する。親の子どもへの扱いが悪くなる。しょっちゅう子どもを叩く躾となってしまう。そこには、親の収入と学歴が影響しているという研究結果もある。例えば、親の学歴の低さは、子どもの言語発達に影響を与え、実行機能(executive function) の問題を引き起こす。例えば、情動コントロールがうまくいかず、鬱になりやすく、カッとしたときにそれを止められないなどである。幼稚園や保育園で、子どもが相手の子どもを殴ったり噛みついたりというのが多くなる。さらに、健康面では、精神的健康や行動的健康、身体的健康についての研究がなされており、小さいときのストレス、不適切な養育、免疫システムがうまく動かず感染症にかかりやすいことが明らかになっている。問題を引き起こしやすい家庭側のリスク要因は、身体的、情動的、性的虐待、アルコール、麻薬などの中毒、家庭のメンバーが逮捕されるなどである。慢性的鬱状態その他各種の精神的障害、自殺傾向、自殺、夫婦間のDV、離婚、情緒的な育児放棄、身体的な育児放棄があげられる。そういうリスク要因が一個では必ずしも問題ではないが、リスク要因が複数重なってくると、服用効果(dose effect)となってしまう。要因がいくつも重なると、問題が出やすくなる。大人における糖尿病、冠状動脈疾患、心臓疾患、肥満、がん、抑鬱、アルコール中毒、たばこなどさまざまな問題につながる。また、勾配効果もあり、一つひとつのリスク要因の程度が増えていくと、それに応じてリスクが少しずつ上昇していく。1日にたばこ10本はそれほど問題ではないだろうが、2箱吸っていたら問題につながるかもしれない。
他に、リスク要因としてあげられているものとして、極端な環境剥奪や暴力はかなり問題が大きい。この分野で一番有名な研究は、ルーマニアのチャウシェスク政権の時に、人口を増やすために人工妊娠中絶を禁止し、育児放棄のために養護施設に入れられた子どもたちがたくさんいた。1989年12月の発見時に、推測では、5万人から15万人もいたとされている。その後、その子たちはイギリスやカナダ、アメリカに養子にもらわれ、追跡調査がなされた。イギリスでの追跡調査の中心がRatterである。6ヶ月以前に養子になった子どもは発達の問題が起こらなかったが、1歳を過ぎて養子に行った子どもたちの多くは大人になっても問題が残った。特に、体重、身長、知能、実行機能、愛着等の問題が残り、対人接触がうまくいかなかった。ただ、データを丁寧に観ると、もう少し複雑で、Ratterの計算では、1歳以降に養子になった子どもの5分の2に異常があったというのである。逆に言うと、5分の3には大きな問題は見られなかったという点で希望もある。何百人を超える研究対象者がいるというのは滅多にない貴重なデータである。
研究を施策に生かしていくことの中心となる部分は、親と子どもの微妙なやりとり、つまり、相手の状況に配慮できるようなやりとり、そのほかに、知的な刺激を用意すること、絵本を読んだり、一緒に絵を描いたりということも大事であるということである。そのような養育において、どういうことが重要であるかには以下の3つの原則がある。
1つは、その大人と子どものやりとりの特徴が発達の初期に存在しており、生後2、3ヶ月から1歳の間、その中でも特に、6ヶ月から10ヶ月くらいまでの時期が重要であること。そして、かかわりの頻度が高いことも重要である。真面目なお母さんがたまに自分の子どもを叩いたと気にしていることがあるが、日頃から何度も叩いていれば問題であるが、そうでなければ気にすることはない。また、微笑むことを全くしていないということであれば問題になるだろう。その問題が数週も続いていれば問題である。1ヶ月続くとシビアになるかもしれない。親子関係が大事なのは親子が入れ替わることなくずっと続く同じ関係であるからである。核家族だと拡大家族と違って祖父母など他に代わる人がいない。
さらに、悪いかかわりは、世代間で伝達される。極度に悪い家庭に育った場合に、良い育児ができなくなる可能性がある。どうしてかというと、ストレスにあってしんどい思いをしたから良い親になりたいと思い、よくしようと思ってもそうできない。赤ちゃんが泣いた時にどう対応するかという時に次のような悪循環が起きる可能性がある。親子関係が安定した中で育った人は、赤ちゃんの泣き声に対して嬉しく感じるだろうが、不安定な親子関係で育った人は、赤ちゃんの泣き声によってストレスが高くなる。ストレスを低くするための習慣的な行動をとってしまう。典型的なのは内にこもり反応しない、アルコール依存、リストカット、人を殴るなどの暴力行為に至ってしまう。そういうことが繰り返されていく。なお、そこには遺伝子が介入しており、子どもの遺伝子の個人差によって影響を受けるか受けないかが分かれる。そこに複雑さがあるのである。そういった悪循環を断ち切ることを介入という。介入の時期は乳幼児期がよく、最近では、胎児期、妊娠中の母親への介入がなされるようになってきた。
2番目は医学モデル、つまり病気を治すことである。病気を治す手立てをしたいが、そう簡単には治らない。本章では、公衆衛生モデルや生理学的なモデルが紹介されている。栄養不足には栄養を与える、下痢を起こした子どもには綺麗な水道を用意する。発展途上国で多いのは下痢で、赤痢の原因となる。慢性状態になると、栄養が足りなくて死んでしまう。そのため、ユニセフその他や色々な国が経口補水(きれいな水)を援助している。しかしながら、影響の受け方には個人差があり、平気な子どももいる。生き延びて大人になる人もいれば、倒れる子どももいる。ビタミン剤を与えたり、蚊帳を寄付してマラリアを防いだり、感染症にしない綺麗な水、栄養の偏りをなくす、などの援助がなされている。親子のあり方については、親子関係への介入や心理的健康を維持していくような親教育、幼児教育、例えば、赤ちゃんでも声をかけた方がよいということを教育していく。人工乳は水が綺麗な状態や哺乳瓶を煮沸しているならよいが、途上国では水が綺麗ではなく、煮沸がなされていないことも多い。人工乳によって乳児死亡率があがったため、母乳の方がよいとされている。また、教師訓練をしていく必要がある。途上国などの幼稚園では、4、50人の子どもが詰め込まれているだけの状態や、100年前の教育のようにムチを持って子どもをたたくような教育がなされていたりする。こういうことを変えていくために科学的な知見がある。
3番目は、実際のデータと施策を結びつけていき、有効かどうかのチェックをする。途上国支援に膨大な資金がつぎ込まれていて、現場に届く前に独裁者に搾取されてしまっているということも多い。どうやって現場に支援を届けるかが大事である。善意でやっていてもうまくはいっていないことがある。インドでは公教育に補助金を与えていて、効果が上がっていない地域を調査してみたら、教師が給料をもらったら出勤せず助手任せとか、何もしていないということがあった。このようなこともあるので、補助金の費用が有効な使われ方をするようにチェックをして効果を調べることが大事である。将来の課題は、これまで得られた研究の知見を使って、さらに行っていく研究課題がある。どういう場合にどのような有効があるのかを細かくみる。特に、影響の個人差をみる。虐待で影響が出るのは遺伝的な影響があることが分かっており、その遺伝子が特定されてきた。今後は、ハイリスクの問題に集中的に取り組んでいき、限られた資金の範囲で有効な結果が生み出せるように研究結果の詳細を見ていくことが大事なのである。
(執筆:無藤隆,2017年5月15日)
(まとめ:白川佳子)