投稿日: Feb 06, 2021 9:14:20 AM
大好き!な絵本、
子どもたちと一緒に読みたくなる絵本、
思い浮かぶ誰彼に勧めたくてたまらなくなる絵本、
そんな絵本の数々を、
テーマに沿って毎回2冊~3冊一緒にご紹介していく
<「絵本大好き!」“番外編”>をお届けします。
読者のみなさんからの
「このテーマだったら…こういう絵本もありますよ!!」
というようなコメントも大歓迎です。
絵本大好き!のひと時をぜひご一緒に…。
王子さまとお姫さまは、絵本のなかにたくさん登場しています。白馬の王子さまに憧れたこと
現代の多くの子どもたちにとっては「プリンセス」というとディズニーの世界を思い描くでしょうか。でも、
王子さまとお姫さまは、絵本のなかにたくさん登場しています。白馬の王子さまに憧れたことはないし、お城の生活を夢見たことはないかもしれない。けれど、
現実が厳しい今、ハッピーエンドの絵本の世界に訪れるのもいいのでは……
ねむりひめ
フェリクス・ホフマン え
せたていじ やく
福音館書店
1963年10月1日 発行
グリム童話の「ねむりひめ」。表紙には王様が娘である姫を優しい目で包むように抱く姿。実はもう20年以上も前になるが、ホフマンさんが住んでいた町、スイスのアーラウに行ったことがある。町のいたるところにホフマンさんの作品があった。小学校の音楽室の壁画だったり、教会のステンドグラスだったり、街中を散策していると壁にフレスコ画があったり…。娘さんが療養していたというサナトリウムにはイソップの絵が描かれていた。それをホフマンさんの奥さんと娘さんに案内してもらうという贅沢な旅。そして、その時この「ねむりひめ」を描くにあたってモデルとしたお城にも連れていってもらった。
絵本の中にあるお城の塔が目の前にあらわれたときは、思わず「わーっ」と声をあげてしまったことを思い出す。ホフマンさんは3人の娘と1人の息子のために絵本を描いていて、この“ねむりひめ”は二女のために描いたもので、当初出版目的はなく、家族の中だけで読まれていたものと聞いた。この表紙の絵にはホフマンさんの娘さんに対する愛も描かれているのだと思う。
そして、グリム童話をホフマンさん自身が子どもたちに語っていたものが、絵本になっているため、語られてきたことを思わせる表現があちこちにみられる。たとえば、お城の人たちが眠りにつきました…だけではなく「うまやのうまも、にわのいぬも、やねのはとも、かべのはえも、それから、かまどで めらめらもえていた ひまでも、しずかになってねむりました。やきにくも じゅうじゅういうのを やめました」という具合に。これは瀬田貞二さんの訳のすばらしさからくるのかもしれない。
日本での初版は1963年。当時はむずかしい等あまり評価をうけなかったらしいが、この本の素晴らしさはだんだん理解され、なにより子どもたちに支持されてきたのだと思う。絵は本当に素敵で、うらないおんなたちのおしゃれな服にも驚く。そして、やはり王子が身をかがめて、ひめにキスをするページが構図も含め素敵!
久しぶりにじっくり読んで、ページを閉じてふと思う。もし、今、私たちは眠りの中にいるのだとしたら、100年の眠りから覚めた世の中が幸せを感じられる、地球に優しい時代になっていたらいいなあと……。
シンデレラ
文・絵 安野光雅
世界文化社
2011年7月20日 初版第1刷発行
シンデレラはディズニーのイメージが強すぎる。シンデレラについては、グリム童話のシンデレラは、本当は残酷な話なのだと言われたりもするが、この安野光雅さんのシンデレラは1974年にドレミファランドのシリーズの1冊だったものを復刻した絵本。ストーリーはとてもシンプル。お父さんが再婚したとか、継母だとか、そんな細かい説明はない。でも「シンデレラとは みんながつけた あだなで、はいまみれのきたいないこと いう いみです。」という説明がしっかりあり、シンデレラがとてもよく働いている様子が描かれている。ふたりのお姉さんのことは、いじわるなおねえさんという書き方ではなく、「ねざめの わるい ふたりの きょうだい」「おねぼうさんたち」「ふたりの ねぼけまなこさん」と表現しているところが安野さんらしい。
絵本としての出版は2011年なので当時公立保育園の園長だった私が、この内容はいいなあと思って、子どもたちに読みたいと思って購入した本。テラスに出てわたしが絵本を開くと子どもたちが自然に集まってくる日々だった。このシンデレラを真剣な顏でみていた年長の女の子たちが、読み終わると「やっぱり あの おばあさんずっとみていたもんね」「魔法が使えるからだよね」と話し始める。
改めて子どもたちと一緒にページをめくると、確かに最初からどのページにも、どこかにおばあさんが描かれていて、それは背景のように静かに存在していた。子どもたちに読む前に数回読んだはずなのに、私はまったく気づいていなかった。この単純な文章なら保育園の子も楽しめるだろうとうという気持ちで選んでしまっていた自分を反省。安野光雅さんは決して、小さい子のために単純にしたわけではない。もともとミュージカルを絵本にしたということもあるのかもしれないが、屋根の瓦の一枚一枚、柱や家具の木目まで丁寧に描きこまれた絵、その絵の中に隠れている子どもたちに対する思いや、優しさに改めて感心した。
あちこちで紹介しているのだけれど、残念なことに、今買おうと思うとどこも在庫切れ。重版されることを願っている1冊。安野光雅さんが亡くなられたことを残念に思い、改めて安野さんの思いを知りたくて、今、安野さんの言葉で書かれたエッセイを読んでいます。
王国のない王女のおはなし
アーシュラ・ジョーンズ 文
サラ・ギブ 絵
石井睦美 訳
BL出版
2011年11月1日 第1刷発行
お姫さまの絵本をさがしていたら、ひときわきれいで、かわいい表紙の絵の絵本が目に留まった。おひめさまがかわいいというだけでなく、カバーがキラキラ光っていたりする絵本。子どもたちがすぐ手にとることは間違いない装丁。
お姫さまの名前は“プリンセス”馬の名前は“”プリティ”というくらいなので、絵も含めかわいい絵本。しかし、かわいいだけではなく、どのページも美しいと感じるほどハイセンス?に描かれているので、見ているだけでも楽しい。
この見るからにかわいい王女はお金持ちではなく、王国を持っていない。やっかいな荷物を届ける仕事をしながら、自分の王国を探しているというストーリー。ある国の王子が国王になる戴冠式に、みすぼらしい身なりだけれど、この王国のない王女も参加。そこに居合わせた国王たちが、王女を自分の国の王女にしようと、王女にモーションをかける。そして相手に腹をたて、大人げなくケンカを始める。そのケンカはなんとパイやタルトの投げ合い! 王女は食べ物を粗末にするのを見ていられなくて、こっそり抜け出す。本当は王女をめぐっての争いだったのに、王女がこっそり抜け出しても気づかない…。こういう無駄な争いは大事な目的を忘れてしまうのだと思う。
王女が「ばかさわぎは、あのひとたちにまかせておけばいいわ」という言葉に思わず頷く。この“ばかさわぎ”という表現は、作家でもある石井睦美さんの訳の良さだと感じる。個人的にはTVでみていた、〇〇中継の場面と重なり、ため息が出てしまったのだけれど…。子どもたちにはどんな風に受け止められるのか…。
実はまだ、このお話を子どもたちに読んでいないので、どんな反応をするのか、読める日を楽しみにしている。そして、結末は、結局王国は見つからず、お城にいた道化師と(この道化師がかっこよく描かれていることはいうまでもない)結婚することに。そして、二人の王国の住所は「ここかしこ・いたるところ番地」。ふたりはここかしこ・いたるところ国の女王と王に。この道化師が「ぼくと、結婚して、くれるつもり!」とおどろきのあまりうしろにとびのき、口ごもる場面はなんともロマンチックなので大人にもぜひ、読んでもらいたい。幸せは贅沢な王国などなくても、みんなで過ごすことなのだとシンプルに伝わります。
(出版社サイト https://www.blg.co.jp/blp/n_blp_detail.jsp?shocd=b04897)
(絵本紹介:安井素子, リード:木村明子, 2021年1月30日)