2024年3月 福岡県久留米市を訪ねました。久留米市には山川招魂社があります。ここに龍工兵団の慰霊碑があります。フィリピンやビルマなどの南洋諸島での戦争で戦死した兵士たちの慰霊碑です。輜重兵の慰霊碑と並んで、大東亜戦争の慰霊碑とされています。
碑
碑
碑と私
碑文
「碑文」
昭和16年12月8日大東亜戦争勃発 龍兵団第56聯隊は同月15日久留米工兵隊内に編成され 既にマレーシア作戦中の菊兵団に続き、海軍援護のもとビルマラングーンに上陸、直ちに重慶軍を排撃しつつ、兵団の進路を確保しラシオに突入せり。南方作戦に先発せる坂口兵団所属の第1中隊も追求し来り。ビルマ公路を雲南に向かい追撃す。
昭和19年5月、重慶米英連合軍は我に10数倍の兵力をもって猛反撃を開始 兵団は各地で包囲され、聯隊は水上兵団と今岡部隊に夫々1ケ中隊を配属、聯隊本部と残余の兵力にて龍常備隊の主力となれり
垃猛謄越陣地を攻略せる敵は更に兵力を増強し昼夜をとはず猛烈な放火を浴びせ、遂に部隊長戦死、ミチナ陣地の中隊も敵の砲爆撃により殆ど壊滅龍陣地で果敢に戦える勇士も斃れるもの300を越え、止む無く軍馬を斃し陣地を撤収、追随する敵と交戦しつつケマピュに至り、濁流渦巻くサルウイノ河に友軍の渡河作業中終戦の報来り、戦ここに終わり。
今首途の地に有志相はかり慰霊之碑をたて戦友の御霊を慰む。
嗚呼、雲南ビルマの山野における激烈なる戦闘に倒れし英霊よ!
願わくは吾等の哀情を汲み給え!
「副碑」戦歿者名、帰還後の物故者名。
「魂・碑文」
わが輜重兵第56聯隊は大東亜戦で不滅の武勲を建てた龍兵団の輝かしい功績の影となり、5年有余の長期に亘り、南方フィリッピン、ボルネオ、ジャバ、ビルマ、垃猛。謄越と転戦し、常に凶敵とまみえ、炎熱と戦いながら作戦輸送の任務を全うした。
殊に日本の勝利を信じながら敵弾に倒れた336柱の英霊を偲び、大東亜戦争が正しく理解される日のあることを念じ、生存者一同、部隊発祥ゆかりの地に碑を建立してその武勲を永く記念するものである。
昭和42年10月吉日
ビルマ派遣軍龍兵団輜重兵第56聯隊生存者一同
「副碑:ビルマの月」(左側)
雲濃く低き北ビルマ どこまで続く山の峯 涯はチベット ヒマラヤなるや
起伏重畳 夜は更けて 飛ぶ黒雲よ 月早し
「従軍者名」の碑(後部)
関連地図googlemap