殉空之碑
大分県竹田市
大分県竹田市
2021年9月 私たちは各地に残る戦争関連碑を訪ねています。今回は大分県竹田市にある殉空之碑を訪ねました。遠藤周作の「海と毒薬」のモデルになった事件と関りがある碑です。1945年5月5日、この上空で、大刀洗飛行場を爆撃後の米軍機(B29)と日本海軍機(紫電改)との戦闘があり、紫電改が体当たり攻撃をしたのです。B29はこの地に墜落。その地滑りの跡も残されています。日本人少年兵は母の手紙を胸に死亡、米兵11人(一説には12人)は落下傘で脱出したものの、ある者は自殺、ある者は住民との戦闘で死亡、機長を除く生存者は九州大で生体解剖の被験者にされたと伝えられています。(当時、死刑判決(後年撤回)を受けた医師の姪御さん(熊野以素氏)は「九州大学生体解剖事件・70年目の真実」という本を書いています)
碑文の最後には、こう書かれています。
「戦後三十三年たって当時を回想するにこれら犠牲者たちの姿が悪夢のように脳裏より去らず、ここに恩讐を越えて日米犠牲者たちの鎮魂供養の儀を行いご冥福を祈るとともに、かかる戦争の悲劇を二度と繰り返さぬための貴い教訓ともなればと念願しこの碑を建立する」
「昭和五十二年五月五日 三十三回忌 建立者 工藤 文夫 七十八歳、文 東野 利夫 福岡県中央区草香江、協力者 折立老人クラブ、地元有志」
関連資料
大分県竹田市
442号線
案内板
細道を入る
案内板
山道
山道にも案内板
最終案内板
殉空之碑
殉空之碑
殉空之碑
殉空之碑
碑文
敷地内の小さな広場
墜落の痕跡地
墜落の痕跡地
墜落の痕跡地碑
石碑
休憩所
休憩所
休憩所
休憩所
休憩所
GoogleMapより