九大温泉治療研究所

大分県別府市鶴見

温泉の町 別府市。戦前から保養地としてにぎわいました。戦時下においては、傷病兵の治療を期待されました。陸海軍の病院のほか、昭和7年(1932年)に小野寺直助教授の尽力により事業を開始した九州帝国大学温泉治療研究所も同様でした。ここは陸軍石垣原分院(現・西別府病院)からわずかに200mしか離れていません。1932年は5・15事件が起きた年です、軍部が力を持ち、戦争への道を進んでいく、そんな時代でした。軍部が特に別府に期待したのは毒ガス被害に対する温泉治療効果の研究でした。そのため多くの動物実験が行われ、ここにはその慰霊碑が残されています。なお太平洋戦争に幕を引いた重光葵外相は別府に治療に訪れ、ここにも入院しています。

関連資料

現在の姿

小野寺先生の碑

動物慰霊碑

境界碑

碑文

小野寺先生像

小野寺先生は明治四十一年京都帝国大学福岡医科大学(九州大学医学部の前身)を卒業大正五年十月九州帝国大学医科大学の教授となられた。大正十二年先生は温泉治療学の普及発展を図るため研究所の設立を提唱され温泉の湧出量と泉種の豊富な別府を候補地としてその実現に努力を続けられた。そして昭和六年十月三十一日勅令第二六六号をもって本邦唯一の温泉治療学研究所が九州帝国大学附置研として誕生した。

四十五周年にあたり、創設の基礎を築かれしかも兼任所員又所長として本研究所の発達に尽力された先生の偉大な功績を讃えここに胸像を建立したものである。

昭和五十一年十月三十一日

九州大学温泉治療学研究所 同窓会


解説

小野寺先生像

小野寺先生は明治41年[1]京都帝国大学福岡医科大学(九州大学医学部の前身)を卒業 大正5年[2]10月九州帝国大学医科大学の教授となられた。

大正12年先生は温泉治療学の普及発展を図るため研究所の設立を提唱され温泉の湧出量と泉種の豊富な別府を候補地としてその実現に努力を続けられた。

そして昭和6年10月31日勅令第266号をもって本邦唯一の温泉治療学研究所が九州帝国大学附置研として誕生した。

45周年にあたり、創設の基礎を築かれしかも兼任所員又所長として本研究所の発達に尽力された先生の偉大な功績を讃えここに胸像を建立したものである。

昭和51年10月31日

九州大学温泉治療学研究所 同窓会


[1] 西暦1908年

[2] 西暦1916年


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