八坂神社の御大典碑

大分県別府市八坂神社

2022年11月 大分県別府市を訪ねました。八坂神社に昭和3年に建立された「御大典」碑があります。神社の敷地内に御大典の灯篭が残されていました。昭和天皇の即位の祝賀記念碑です。当時、天皇=大元帥ですので、新しい大元帥の誕生も意味していました。軍部台頭から原爆という激動の昭和が始まったのです。祝賀ムードの中、この地域でも橋や道路の整備が行われました。しかし、この3年後には満州事変が起きるのです。この碑は戦争を考えるきっかけとなりうるものです。 

関連資料

由緒

碑文

八坂神社(古名祗園宮)別府市朝見三丁目十三ノ一

御祭神・・・素盞鳴尊・稲田比賣命(稲田姫)・少彦名命

伊弉諾尊・伊弉册尊・湍津姫命・思姫命

市杵嶋姫命・大己貴神(大国主命)

武運・医療・学問・産業振兴・家運隆昌等に靈験あり

由緒

「祇園社由来本記」に大己貴命・少彦名命の加持・山神楽の奉納百合若にまつわる薬湯伝説等が記されている古社で社地社殿は養老元年(七一七)正月山上に勧請され、その後建久三年(二九二)一月朝見川畔の現在地に鎮座したという。

江戸時代に入って享保(一七一六~一七三六)の頃には社殿社地の整備がおこなわれたものゝ如く、享保十三年の鳥居・大和南大寺の髙僧卓巌の筆になる「紫綺羅山」の扁額・享保十七年石柱等が残されている。幕末の頃は相つぐ天災や凶作のため、しばしば祈祷がおこなわれ社運は隆盛の一途をたどったが明治になって一時衰微する。しかし、神主・神社総代・氏子等相議するところとなり同四十年十一月社殿の新築成り旧に復した。

その後、大正昭和と次第に社地殿宇が整備され昭和六年十月には幣帛使の供進指定となり、村社に列せられ、更に昭和十一年五月には神楽殿の寄進により現在の姿となるも社殿については昭和四十七年大修理がおこなわれた。

昭和五十六年七月吉日

八坂神社

協力者 安部 巌  大野満田郎

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