光尊寺の防空壕

熊本県菊池郡大津町

20233月、熊本県菊池郡大津町を訪ねました。菊池郡は陸軍飛行場のあった菊池市にほど近く、白川沿いの山すそに軍需工場である三菱航空機製作所(熊本市健軍)の地下工場跡が残されているのです。つまり、米国からの空襲の標的になりやすいところです。それで、地域の防空壕が各所に造られました。新たに掘ったものだけでなく、横穴を利用したものもあります。その一つが石橋で有名な光尊寺の丘すそに残っています。

光尊寺への石橋

壕と私

説明板

大津地蔵祭の由来

今より約二百年前(天明の初年)ここに細川藩の「お高札所」があって一反歩余りの広場がありました。「おふれ書」や「諸法度」の掲示や、毎年一回の切支丹絵踏(カゲフミ)の行事が行われていました。その特科人(トガニン)の「サラシ場」ともされていました。又藩命により弥護山での鹿狩りの矢開きの式場に利用され多くの獲物が食膳に供されていました。その時々の野獣の冥福を祈ると共に、その年天明の大飢キンと悪疫のため死亡した子供達をあわれみ、その幼い霊をなぐさめるため祠堂を建て、地蔵導尊を祀ったのが大津地蔵祭の始まりで、その時の地蔵さんがこの地蔵さんです。死んでゆくわが子に涙しながら再建と復興のため苦しい生活に堪えて、この郷土大津を守りつづけて来られた先祖様に感謝し、その当時を偲んで、ここにお祀りしています。

〇〇〇〇月二十四日

毎月二十四日は大津地蔵祭 

参考資料

現地は往来の中心地であったので、高札を掲示するのに好都合だったそうだ。

また、高札の掲示以外にも様々な目的で人々が集う土地であった。具体的には、軽犯罪者の晒し場・巻狩りの獲物のお披露目の場・「影踏」の場などとして用いられた。

「影踏」とは、キリスト教弾圧のための行事である。「絵踏み」をするために大津各所から人々が集まったため、「影踏」の期間は現地に露店などが立ち並び大きな賑わいを見せた。


(参考資料:大津町,大津町公式webサイト『高札場跡(こうさつばあと)』

https://www.town.ozu.kumamoto.jp/kiji0036657/index.html,2023年4月9日閲覧) 

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