兵士壮行の場郷社若宮八幡

大分県宇佐市安心院

2022年11月 大分県宇佐市を訪ねました。安心院地区の郷社・若宮八幡は地域の兵士壮行の場だったのです。明治政府は1906年(明治39年)から神社合祀政策を進めます。自然発生的に存在した神社を統合し、地方自治の中心としたのです。神社は宗教ではなく「国家の宗祀」であるという明治政府の国家原則によった政策でした。その頃の経緯が案内板に残されています。こうして自治の中心である郷社は、地域からの出兵者壮行会を行ったのです。また、碑は「創立1200年」の碑が建立されています。若宮神社は、715年に創始なので、1915年、つまり大正4年。この年は、第一次大戦のときであるとともに 日本が中華民国の袁世凱政権に対華21ヶ条を要求しました。書は尾立 維孝(おだて これたか)によります。明治期の検察官。錦鶏間祗候でした。これは天皇の学問所の名称です。軍部がどのようにして、国民の戦意を高揚し、軍国主義を徹底していったかをうかがえます。

関連資料

尾立 維孝

案内板

楼門案内板

戦跡写真部

社殿

石碑

狛犬「あ」

狛犬「うん」

石柱

彫刻

扁額

扁額

関連地図(googlemap)