住吉神社の国威宣揚の碑

大分県別府市の戦跡

2022年12月 大分県別府市を訪ねました。松原地区住吉神社に紀元2600年(1940年)に建立された「国威宣揚」の碑があります。松原地区と言えば、当時の繁華街でした。この碑には、国旗掲揚の支柱もついています。皇紀2600年行事が続く中、建設されたのです。満州事変(1931年)からの日中戦争が泥沼化し、太平洋戦争開戦となる激動の年です。国民(臣民)の士気を高め、戦争に対する意識を高揚させるため「国威宣揚」という明治天皇の言葉を利用したのだと思われます。紀元は神武天皇の即位を元年とする日本独特の暦によります。

関連資料

住吉神社

国威宣揚碑

国威宣揚碑

鳥居

由緒

住吉神社

社格 元村社 別府市大字浜脇字松原

祭神 三筒男命

表筒男命

中筒男命

底筒男命

気長足比売命、 加藤清正

由緒

宝永の始め、江戸中期(一,七四四年)頃、大坂に向った別府の舟人四右衛門が伊予沖で大暴風に遭ったが攝津堺の住吉大神に祈願した所、風雨がおさまり無事、大坂に到着出来ました。

其の後永井右京と言ふ人が住吉宮を別府の地に御勧請申し上げ、宝歴四年三月十九日(一,七五四年)万登浜に鎮座を見る。

其の後寬政三年頃(一,七九二年)現在の地に鎮座された。

加藤清正は松原の地に鎮座した所

明治十年(一,九七八年)本社に合併申し上げた。


祭典

新年祭(四月二十七日)

例祭(七月二十七日)

新嘗祭(十一月二十三日)

例祭は航海の安全と豊漁を祈る浜人達を始め、氏子崇敬者たちの変らぬ御奉仕により、いとも荘厳の裡に賑々しく執り行はれて居ます。

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