2022年11月 大分県豊後大野市朝地を訪ねました。ここに戦病没者の芳名・忠魂碑があります。支那事変、大東亜戦争の文字も刻まれています。地域の方々の慰霊のためです。陸海軍は、それぞれの墓地を持っていました。しかし、地域の人たちは、その無念さをそれぞれの地区でかみしめ、墓地や慰霊碑などを建設したのです。忠魂碑は大正9年5月、揮毫は元帥子爵・川村景明。芳名碑は昭和30年、8月15日(終戦記念日)の建立です。
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碑
忠魂碑
碑文
碑文
忠魂碑建設紀念碑
噫吾人一度我光輝なる歴史を繙かん 未だ曽て異國に蹂躙せられし〇な是れ実に世界に比類なき皇統連綿たる皇室を中心として三千年来鍛錬せられたる我国民忠君愛国の精神に基くものと云ふべし抑も吾〇大野〇士これに数次の国難に殉し懦夫も奮起し鬼神も慟哭すべき盡忠にて〇斃〇て後世の報国の精蕐を発揮し以て国民の亀鑑たるもの既往〇人なるかを知らず茲に於て殉〇諸士英靈を永久に祀り且つ其偉烈を表彰し以て精神教育の一助となさんが為めに現〇長甲斐仏四郎在郷軍人〇會長大塚由彦二氏発起村内有志者の義援金を募〇此碑を建設す其総費額約一千五百円之れが碑石運搬より地均し等労力を要する場合は在郷軍人之れが〇に當り且つ在郷軍人は協力一致或り〇〇により得た労金全部を建碑の費途に投じ以て其成功に努む茲に建設主者の梗概と義〇者人名の〇部の〇を石に刻し以て後世に傳ふと云〇・・・
大正九年五月建之 發起人誌
解説
忠魂碑建設記念碑
噫 (※1) 吾人 (※2)一度我光輝なる歴史を繙かん(ひもとかん)
未だ曽て(かつて)異国に蹂躙せられし〇な是れ実に世界に比類なき皇統連綿 (※3)たる皇室を中心として3,000年来鍛錬せられたる我国民忠君愛国の精神に基くものと云ふべし
抑も (※4)吾〇大野〇士 (※5)これに数次 (※6)の国難に殉し懦夫 (※7)も奮起し鬼神も慟哭すべき尽忠 (※8)にて〇斃〇て後世の報国の精華を発揮し 以て国民の亀鑑 (※9)たるもの既往 (※10)〇人なるかを知らず 茲に於て殉〇諸士英霊を永久に祀り 且つ其偉烈 (※11)を表彰し 以て精神教育の一助となさんが為めに現〇長甲斐仏四郎 在郷軍人〇會長大塚由彦二氏 発起村内有志者の義援金を募〇此碑を建設す
其総費額約1,500円 之れが碑石運搬より地均 (※12)し等労力を要する場合は在郷軍人之れが〇に当り 且つ在郷軍人は協力一致或り〇〇により得た労金全部を建碑の費途に投じ 以て其成功に努む
茲に建設主者の梗概 (※13)と義〇者人名の〇部の〇を石に刻し 以て後世に伝ふと云〇・・・
大正9年 (※14)5月建之 発起人誌
※1ああ。感嘆などの意味や呼びかけとして用いられる
※ 2ごじん。私。一人称
※3こうとうれんめん。皇室が途絶えることなくずっと続くさま
※4そも。そもそも
※5このあたり読み取りが難しかったが、「大野」と書いているようなので、大野出身者の戦争での報国をたたえる内 容だと思われる。
※6すうじ。数回
※7だふ。意気地なしの男
※8じんちゅう。忠義を尽くしつかえること
※9きかん。手本
※10きおう。過去
※11いれつ。偉大な功績のこと
※12ちきん。地面をなだらかにすること
※13こうがい。あらましのこと
※14西暦1920年
戦跡写真部
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