閤地区の陸軍演習・皇太子駐蹕碑

大分県宇佐市

2022年11月 大分県宇佐市を訪ねました。閤(ごう)地区に「皇太子駐蹕 (ひつ)碑」が残されています。これは大正9年11月に宇佐平野で行われた陸軍大演習の際に皇太子時代の昭和天皇が視察したことの記念碑です。同様の四日市北小学校にもあります。皇太子は次期天皇であり、次の大元帥です。宇佐にとって、とても重要な行事だったのです。碑銘は海軍中将小笠原長生書です。彼は、皇太子の教育を担う東宮御学問所幹事でもありました。

関連資料

碑文

演習の様子

宇佐平野

碑文

大正九年十一月陸軍大演習ヲ我北豐ノ野ニ擧行セラルルヤ畏クモ 皇太子裕仁親王殿下豐前善光寺驛附近ヨリ糸口村四日市町ヲ經テ〇館村ニ通スル沿道ニ堵列セル参加部隊ヲ閲兵アラセラレ終ニ此地ニ鶴駕ヲ駐メサセラレタリ因テ宇佐郡會ハ此光栄ヲ追慕シ建碑ノ議ヲ決メ驛館村ニ亦特別出資ヲナシ茲ニ之ヲ完成〇〇テ永ク後世ニ傳フ

大分縣宇佐郡長中村茂

大正十二年三月建之

解説

大正9年 (※1)11月 陸軍大演習を我北豊の野に挙行 (※2)せらるるや 畏くも皇太子裕仁親王殿下 (※3) 豊前善光寺駅 (※4)附近より糸口村四日市町を経て 〇館村 に通ずる沿道に堵列 (※5)せる参加部隊を閲兵 (※6)あらせられ 終に此地に鶴駕 (※7)を駐めさせられたり

因て宇佐郡会は此光栄を追慕 (※8)し 建碑の議を決め 駅館村 に亦特別出資をなし 茲に之を完成〇〇て永く後世に伝ふ

大分県宇佐郡長 中村茂

大正12年3月建之 (※9)


※1西暦1920年

 ※2きょこう。行事などを執行すること

  ※3のちの昭和天皇のこと

  ※4ぶぜんぜんこうじえき。大分県宇佐市にある駅

  ※5とれつ。垣根のように人々が横に連なること。堵はかきねの意味

  ※6えっぺい。整列させた軍隊の前を見回ること

  ※7かくが。皇太子の乗る車のこと

  ※8ついぼ。なつかしみ慕うこと

  ※9これをたつ。墓石や碑石に刻まれることがある言葉で、建立年月日や建立者などを示すもの

戦跡写真部

碑文

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